『超力のシステム化、その最終段階ついての所見』


 1.序文

 ただ人類の飛躍のみを願い、この手記を残す。
 明日の早朝、私はこの研究所を発つ。GPAの連中は、私のことをマッドサイエンティストだの、金に目が眩んだ盗人、裏切り者だのと、好き勝手に罵ることだろう。
 だが知ったことではない。私に言わせれば、奴らこそが裏切り者だ。人類に対しての、それを進歩させる役割を負うものとしての怠慢だと断じる。

 私はいたって正気だ。
 研究者としての夢、いや人類にとっての夢が目前にある。
 なのになぜ、歩みを止めることが出来る。
 老体をさんざん解体した挙げ句、それが赤子の段階に移った途端に臆し狼狽える、その偽善にこそ吐き気がする。
 臆病風に吹かれ、人の歴史を停滞させることの罪深さが、何故分からないのだ。

 いつか、今日の私の決断が正しかったと証明される時が来る。
 その時、私が生きていなかったとしても。
 確実にやってくるその日のために、私はいま、筆を執っているのだ。

 さて、ここまでは駄文だ。読み飛ばして構わない。
 重要なのはここから。現時点における、我々の研究成果をここに残そう。  

 超力(ネオス)のシステム化。
 全ての超力研究者が夢見たその境地には、その大前提として3つの段階がある。

 即ち、A(否定:Anti)、B(構築:Build)、C(支配:Control)。

 センテンスの詳細は各項目にて細かく触れるが、既にBまでは基礎理論が完成している。
 第一段階、超力の否定(システムA)については、『被検体:只野 仁成』の血液サンプルが大きなブレイクスルーとなった。
 第二段階、超力の構築(システムB)については他の研究所の管轄だが、ヤマオリの遺物がボトルネックを突破したと聞いている。
 そして、最終段階、超力の支配(システムC)。

 その詳細を語る前に、前提となる情報を提示しなければならない。
 超力研究所アジア支部の所在は、GPA上層部でも限られた者しか知り得なかった。
 表向きは情報秘匿のためとされており、それも事実であるが、実態は政治的な側面が大きい。

 経度XX、緯度XX。通称エリアC。
 中華共和国。そこから東へXXXキロの孤島。
 記録から抹消された小国。数年前の内乱で共和国に吸収合併された事になっている、旧X国の領地内だ。
 旧X国はGPAとの密約により、表向きには政権崩壊した体裁のまま、今も独裁国家を維持し続けている。

 国の支配階級は公然と圧政を続け、引き換えにGPAは世界でもっとも自由な研究地域を手に入れた。
 如何なる人体実験も可能となる秘匿領域は、一般市民にとっては地獄だろうが、我々研究者にとって天国のような場所であり、アジア支部の成果が他支部と隔絶していた最大の要因でもある。
 そしてなにより、その地には、我々が探し求めた、最高の素体が在ったのだ。

 今まで私が造ってきたような"失敗作"たちとは違う。
 天然にして最高の素体、『被検体:S』は制御が難しく今も未完成だが、多くの見地を齎してくれた。
 そしてついに、数え切れないほどの屍の上に、我々はシステムCの基礎理論に指をかけたのだ。
 あと一つ、あともう一つのブレイクスルーで完成する。

 にも関わらず昨日、所長は研究中止を宣言した。
 GPA本部の命令により、アジア研究所は閉鎖されると。

 馬鹿げた判断だ。
 あと一歩なのに、あと一歩で、人類の夢に手が届くというのに。
 私は失望した。GPAに反抗してでも続けるべきだと進言した私に、所長までもが首を横に振ったのだ。

 曰く、『我々はもう二度と、怪物を作り出してはならない』と。

 理解できない。
 被検体の事を言っているのだとしたら、愚かに尽きる。
 赤子の体を弄る倫理的忌避感だとすれば遅すぎる。
 それとも先日、『被検体:S』が戯れに腕を一振するだけで、数百人を殺戮せしめた悪性を見たことが、そんなにも恐ろしかったのか。

 本当の悪は人類の"停滞"だ。
 そいつを打ち破るためなら、全ての小悪は肯定される
 私は続ける。研究者としての夢に殉じる。
 たとえ、GPAの後ろ盾を失っても、家族を地獄に捨てることになろうとも。 

 私の志を理解する者は、どうかこの続きを読み、意思を継いでくれ。
 全ては、人類の歩みを止めぬために。



 20XX年XX月XX日

 超力研究所アジア支部

 マリア・"シエンシア"・レストマン







 男の頬に触れた指先は白く滑らかで、ぞっとする程の冷たさを伝えていた。
 人差し指がこめかみ辺りに触れ、中指が髪の毛の間に差し込まれる。
 親指の腹が鼻根を滑り、つるりとした爪の先が目元を掠めた。

「あ……あ……ああ……あ」
「ねぇ、ねぇ、私、あなたに質問しているのよ? 無視するなんて寂しいわ」

 怖い。恐ろしい。
 本条清彦は戦慄とともに接触を受け入れることしか出来なかった。
 恐ろしい。ただただ、恐ろしい。怖くて怖くて堪らない。
 眼の前の、たった一人の、細くて可憐で、か弱い筈の少女が。

「……ああ、そっか、そうよね、ごめんなさい。
 私ったら、ナイトウには名乗ったけど、『あなた』には自己紹介していなかったものね?
 はじめまして。私ね、銀鈴って言うの。あなた"たち"は?」

 優しく撫でる左手に相反し、少女の右手は無骨な銃を握りしめ、ピタリと本条の左眼球に銃口を突きつけている。
 なんてことないように、肩に手でも置くように。
 愛撫も、射殺も、全く等しい感情で行われるように。

「ひ……ひィ……ひ……」

 銀鈴の質問に、本条は答えることが出来ない。
 答えなければいけないと分かっているのに。
 ガチガチと歯が噛み合わず、呼吸すらまともに続けられない。
 恐ろしいのは銃口よりも顔に添えられた手のひら、手のひらよりも声、声よりも眼差し。
 それは到底、人に向ける目線ではなかった。

 早く答えなければ。いや息ができない。そんなことより逃げなければ。いやきっと逃げられない。
 何かをしなければ、という本能の命令が別の本能によって否定される。
 怖い、逃げたい、だが逃げられない。よって何も出力することが出来ない。
 堂々巡り、八方塞がり。その様子を、眼の前の少女はどのように受け取ったのか。

「まぁ、お行儀がよくないわ」

 ぷちゅ、と。
 僅かに粘性を伴う音がして、銀鈴の親指が本条の眼孔に滑り込んでいた。 

「……え」
「誰かから名乗られたら、ちゃんと名乗り返さないと。それが人間さんたちの礼儀作法だって、お母様が言っていたわ。
 礼儀を間違えた人間さんは、躾をされてしまうんですって」

 ぶちぶち、と。
 戯れに捻られる爪先が視神経を巻き込んで潰し、左の視界が斑に染まっていく。
 痛みと恐怖に絶えきれず、本条は無様に絶叫した。

「ぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁっ!!」
「……ねぇ、ねぇ」
「あああああああああぁっ!!」
「煩いひとは嫌い」
「……ぁぁぁぁ………は………ひぃ……ぁ……」

 痛みを上回る恐怖によって、悲鳴を抑え込む。
 唇の肉を噛み潰し、溢れる血の泡をそのままに、なんとかそれを言葉にした。

「ほ……ほんじょう……き、きよ、きよ、ひこ……」
「そう、ホンジョウ、ホンジョウっていうの。えらいわ、上手に名乗れたわね」

 にっこりと微笑んだ少女は血に濡れた親指を引き抜き、その指で再び本条の頬を撫でた。
 頬骨を伝うように血が流れる。
 今にも失神しそうな恐怖の中で、それでも彼の悪夢は終わらない。

「それでホンジョウ? さっきの質問の続きなのだけど、私ね、あなた"たち"のことが知りたいの。
 あなた"たち"の言う、『家族』のこと。ねぇ、さっきのナイトウはもう出てこないのかしら?
 ナイトウがどうやって家族になったのか聞きたいのだけど。
 私、とっても気になるの。家族については、今日はジェイともお話したけれど、とっても興味深いわ。
 あなたたち、人間さんの言う家族のあり方は、私の知ってるものと、なんだか違うみたいだから」

 震えながら、血を吐きながら、本条は眼の前の怪物との会話を続けている。

「ぼ……僕の、僕のか、家族は……」
「続けて」
「僕の……う、内側に……た、たましいを、魂が、ぼ、僕の中で……集まって、あ、温かい、か、家庭が……」
「ふうん、よくわからないけど、そこに居るのね。あなたの家族、家庭っていうのかしら?」

 少女はそこで、ようやく拳銃を額から剥がし、しかしそれは恐怖の終わりを意味しない。

「見せてみて?」
「……え?」
「あなたの家族のかたち」

 柔らかな指先が本条の手をとって、少女の額に導いていく。

「でも、それ……それは……」
「ねぇ、私、人間さんが嘘をついているかどうかなんて、目を見れば分かるの。
 だからね、あなたの内側には、本当に『家族』がいるのよね?」
「でも……それには……君が……し……死……死なないと」
「しぬ? あら、どうして?」

 そうして少女は、本当に虚を突かれたように吹き出した。



「ふ……ふふ……まぁ、おかしい」

 本当に馬鹿なことを言われたかのように。

「私はね、死んだりしないの」

 それは事実、彼女にとっては、間抜けな質問に他ならなかった。

「だって人間さんじゃあるまいし」

 本条は動けない。
 少女に捕まったまま、一言も発せない。

 やがて、少しずつ怪物の目が冷えていく。
 その変化に昏倒しそうになりながら、それでも本条は動けなかった。

「つまらないわ」

 やがて少女はそう言った。
 いつの間にか、再び構えられた銃口が光を放つ、その間際。
 漸く助け舟が渡された。

「――久しぶりですね、銀鈴お嬢様」

 突如発せられた女性の声。同時、本条の片目の色が変わる。
 日本人のスタンダードな黒目から、琥珀色の色彩へと。
 その部分だけが変化した。

「あら、その目、その声」

 今まさに、本条を撃ち殺さんとしていた怪物の声音が、にわかに変わった。

「……まぁ、まぁ、そんなところに居たのね、あなた」

 懐かしい侍女の声を耳にして、銀髪の少女に笑顔が戻る。

「何年ぶりかしら。母様はお元気、サリヤ?」
「ええ、おかげさまで。お嬢様も大変健康に育たれたようで、安心いたしました」

 二つの女性の声に挟まれて、本条は身動きが取れぬまま。
 混乱の最中、状況だけが進行していく。

「お嬢様、私達の目的は共通しています」
「あら、そう?」
「ええ、システムの破壊を目指しているのでしょう?」
「物知りね。ナイトウから聞いたのかしら、その通りよ」
「それなら、ここは休戦にしませんか? 私"たち"の協力があれば、お嬢様も動きやすくなる筈です」

 恐怖で身動きが取れなくなった主人格を、別人格がフォローする。
 家族(ファミリー)の連携。内藤四葉から共有されていた銀鈴の目的。
 それを彼らは突破口と見なした。

「そうねぇ……」

 事実として正鵠を捉えており。
 少し、銀鈴は考えるような仕草をして。

「構わないわ。というより、私たち、別に戦ってなんかいないのだけど」

 少し戯れていただけ。
 少女にとって、今の認識はそうなっており。

「ありがとうございます。では――」
「それで?」

 そして、 

「ホンジョウ? 少し時間をあげたけれど、答えは出たのかしら?」

 その程度で、誤魔化せる手合ではなかった。 

「お嬢様、今は――」
「ねぇ、サリヤ、私ね、いま、ホンジョウと話しているのよ?」

 膨大なる怖気に、本条の体が跳ねた。
 イニシアチブを握ろうとしていた女性の声も、そこで遂に止まる。

「会話に割り込むなんてはしたない。
 懐かしい声が聞こえてきたから流してあげたけど、二度目はないわ」

 本条の指先は、今も銀鈴の額に触れている。

「サリヤ、貴女のことは憶えてる。だからね、ますます気になってしまったの」


 それが何を意味するか。


「ねぇ、ホンジョウ? 仕方がないから、もう一度だけ、聞いてあげる」


 愚かな男にも、分からない筈がない。


「ねぇ、『家族』って、なあに?」


 呼吸が止まる。
 苦しいのに息ができない。
 心臓が早鐘を打ち、全身の血液が凍りつくように温度を下げていく。

「あ……ぁ……あ」

『駄目よ、清彦さん』

 身体の内側で、サリヤの声が制止する。
 優しく、諭すように、本条の意思を押し留める。
 記憶の彼方で、いつか、同じように、同じ声が、同じことを言った記憶がある。

『――駄目よ、清彦さん。早まってはだめ』

 あれは血の沸騰するような、暑い夏の日だった。
 リフレインする声に応えたくても、身体が言うことを聞かない。
 意志の力で押し留めようとしても、恐怖が肉体を勝手に動かしてしまう。

「ああ……」
「そう、良いのよ。ちゃんと答えて、ホンジョウ?」

 オートマチックで動く肉体が喉を震わせ。

「ぼ……ぼくは……」

 その意思を言葉にしようとする。

『駄目よ、清彦さん』

「良いのよ、ホンジョウ」

 恐怖には、誰も抗えない。

「ぼくの……か、かぞくは……!」

 たとえ、怪物であったとしても。

『駄目よ、清彦さん』

「良いのよ、ホンジョウ」

 たとえ、その先に待っているのが断崖だと知っていても。

「僕の家族は……僕を、僕を見つけてくれる人だッ! 
 僕を……こんな僕を……人間だと認めてくれる人だッ!」

 あの夏の日、つまらない約束を守るために。

「だから僕は―――僕は――――!」

 そうして、本条清彦は、破滅のトリガーを引いたのだ。


『清彦さん』
「ホンジョウ」

 銃声。
 僅かな静寂の後。
 男の耳元で、二人の女性が囁いた。





『悪い子ね』
「良い子ね」
















/Chambers-Memory 3-2


 乾燥した空気を打撃の音が揺らしている。
 どこまでも続くような、雲一つなき青空の下、血の飛沫が飛ぶ。

 敵の肉を潰し、骨を砕く感触が拳を通じて伝わった。
 同時、自らの肉を潰され、骨を砕かれる感触が胸を貫く。

 両者同時に倒れ、勝敗は相打ち。
 いや、紙一重の差で、俺の負けだったと記憶している。 
 最後に立ち上がったのは奴で、俺は遂に、地面から身を起こすことが出来なかったのだから。

 ここで死んでも悔いは無かった。
 それほどに素晴らしい戦いだった。
 今まで経験したことのない、最高の勝負だった。
 心技、能力、全てを出し尽くした一戦は生涯にわたって俺に刻まれ、未だ更新されていない。

 ――僕の勝ちだね。

 故に、その存在を、忘れたことはない。
 生涯を掛けて、超えたいと願った者。
 美しき戦士、ただ、惜しむらくは。

 ――もういいよ、■■、何度も言ったろう。僕は戦いが嫌いなんだ。

 ひたすらに闘争を求めた俺とは、まるで正反対だった。
 なのに、その強さは俺の理想に限りなく近かった。

 ――君には悪いけど、何がそんなに楽しいのか、全く理解できないよ。

 俺にとって、俺を憶えていてほしいと願う、最初で最後の人間だった。
 お前が俺を知ってくれているならば、俺の名にはそれだけで価値があると。

 ――まあでも、気持は受け取っておく。分からない価値観を理解するためには、まず寄り添うべきだから。それに、きっと、お互い様なのだし。

 俺の名も、意味も、お前の中にあり続けるならば。

 ――君も、憶えていてくれるんだろう?

 ああ、必ず。
 だからいつか、必ず、またお前と―――









「……ん、あれ、んん? なに、コレ?」

 内藤四葉は突如過った光景に暫しの間、呆然と立ち尽くしていた。
 二人の男の戦いと結末。
 自身の過去にない筈の記憶に、少しばかり混乱する。

 ふるふると頭を振り、周囲を見れば、そこは狭苦しく薄暗い部屋の中だった。
 巨大な円卓が中央に鎮座し、その前に6つの椅子が並べられている。
 そして目前、四葉に充てがわれた第3席の傍らに、一人の男が身を横たえていた。

「あー、ひょっとして今の、無銘さんの記憶だったりする?」
「さあ、どうだろうな」

 喉を裂かれ、致命傷を負った男が一人。
 血に塗れながら円卓に背を預けている。
 四葉は彼を知っていた。

 なんならつい先程まで殺し合っていた仲だ。
 そして、たったいま四葉が殺した。2度目の死に向かう男の残滓だった。

「今のが、記憶の引き継ぎってやつ?」
「だろうな。俺以外の記憶も流れ込んでいる筈だ」
「へー、でもやっぱり、引き継ぐ席の人の記憶が、一等強く入ってくるや」

 破顔しながら、軽い調子で近づいて、男の傍らにしゃがみ込む。

「それで? なんでまだ居んの? そこ、もう私の席なんだけど」

 四葉の意識も、徐々にはっきりとしてきた。
 自らもまた死人だと自覚している。

 無銘に致命傷を負わされ、ネイ・ローマンに引導を渡され、我喰いの顎に捕まった。
 新たな弾丸の一発。それが今の四葉だった。
 であるならば、先代にあたる無銘は既に消えていなければおかしい筈なのだが。 

「心配しなくても、すぐに退くさ。しかし俺は少々特例のようでな、他の奴らより時間があるらしい」
「ふーん、でもなんか、それって無銘さんらしくないね」
「そう思うか?」
「うん、私の知ってる無銘さんなら、変に死際で粘ったりしないよ」
「そうか、しかしそれは、お互い様だな」
「どういう意味……?」

 思わず顔を顰めた四葉に、無銘は血を吐きながら言った。

「今のお前は、自分を自分らしいと思えるのか?」
「…………む」

 確かに、と考え込む。
 弾丸の一発となり、家族を守るための群生となる。
 その価値観は、内藤四葉の本来の在り方だったろうか。

「うーん、なんとなく変な影響を受けてることは否定しないけど。
 私らしくないっていうか、私に誰かが混じってるって感覚かな。
 でもどうしようもないっていうか。これもこれで良いかなーって思っちゃう自分も居るしなあ」
「お前がそれでいいなら、俺から言うことは何も無い」

 徐々に薄れていく無銘の姿を見送りながら。
 しかし、その時、四葉は直感した。

「あ、そっか、無銘さんは、ずっと無銘さんのままだったんだね」
「……何故そう思った?」
「ただの勘だよ。でも当たってるでしょ?」

 男は血を吐いて笑い、それが返事だった。



「じゃあなんで、無銘さんは抵抗せずに付き合ったの?」

 無銘の超力、『我思う、故に我在り(コギトエルゴズム)』。
 一切の精神干渉を遮断する。絶対不動のメンタリティ。
 それは銃弾の一発、魂となった現在においても、維持されていた。

 ならば何故、彼は死して尚、本条清彦の世界に迎合したのか。
 抵抗しようと思えば出来たはずだ。
 抵抗しなかったとすれば、理由は一つしかない。

「俺が、俺の意思で、奴らの家族になったんだ」
「どうして?」
「昔、誰かに言われたことを思い出した。『分からない価値観を理解するためには、まず寄り添うべきだ』と。
 どうせ死後の人生だ、一度くらいは言うことを聞いてやろうと思ってな」
「そっか、それで、どうだった?」
「やはり俺には向いてなかった」
「だろうねぇ! ぜんッぜん似合ってなかったよ! 家族のために戦う無銘さん!」

 けらけらと笑う四葉の眼の前で、既に無銘の姿は殆ど消えかけていた。
 その目が、虚ろに輝き、最後に少女に言葉を残す。

「第一席は主人格の椅子だ。
 そこに座る者の思想が薬室を支配する。
 ここはどうやら、そういう仕組みらしい」

 言葉とともに石で出来た椅子がガラガラと崩れ落ちる。
 代わりに出現した「さん」の椅子に腰掛けて、四葉は円卓の上に頬杖をつきながら独りごちた。

「ふーん、だったら私も、トビさんを見習ってみよっかな」

 暗い部屋。
 狭くるしい薬室。  
 押し込められたチャンバー。
 その、内側からの脱獄を。

「チャンスがあったら試してみよ。席替え」








「なーんて、企んでたのになあ」

 そして今、円卓第3席の傍らにて。
 かつての無銘と同じ場所、同じ体勢で、内藤四葉は血溜まりに身を横たえていた。

「もう終わっちゃうのかー……」

 額に穿たれた孔から、血が流れ続けている。
 真っ赤に染まった視界の中で、消えゆく自らと入れ替わりに薬室に入ってきた誰かを見上げながら。
 2度目の死を経験する少女は、ぼやき混じりのため息をついた。

「やっぱりさあ、やりにくいよ、銀ちゃんは」
「まぁ、まぁ、ナイトウ。あなたも、ここに居たのね」

 銀髪の少女がかがみ込んで、四葉の頬を撫でる。
 暗く狭い部屋に、銀の少女が侵入している。
 それが何を意味するのか、少女は正しく理解していた。

「さっきは余計な物が混じってたけど、今はちゃあんと貴女ね。またお話できて嬉しいわ」
「あはは、悪いけど、すぐにお別れだよ。銀ちゃん」
「そうなの? それは残念だわ」
「あーあ、清彦、やっちゃったね」  

 それに関わってはいけなかった。
 怪物を殺すものは、銀の弾丸か、あるいはより強大な怪物と相場が決まっている。

「これじゃ家庭崩壊ってやつだ」

 最後に、彼女本来の声で笑いながら。
 内藤四葉は新たに来訪した怪物に、その席を譲った。

「……じゃあね、トビさん。私、あっちで応援してるから」

 ガラリと崩れた「さん」の椅子。
 訪れる崩壊よりも一足先に、影も形もなくなった少女の身体。
 その後に残されたもの。

 狭苦しい部屋の中。
 回る弾倉の世界の中で。
 立ち上がった銀の少女は朗らかに、円卓に残る者達へ、優雅なお辞儀を一つ。

「こんにちは。人間さんたち、食卓に招待いただいて嬉しいわ」

 残る弾丸は2発。

 第1席の男は答えられない。
 座ったまま、あまりの恐怖にガタガタと震えている。

 第5席の女は答えない。
 座ったまま、冷ややかな表情で虚空を見ている。

「ここがあなた"たち"の家庭なのね」

 かつり、と。
 石畳の部屋に、少女の靴音が反響する。



「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」

 かつり、かつり、かつり。
 優雅なステップで進んでいく。
 楽しく、明るく、自由に、快活に。
 その様を、この場所の支配者である筈の男は、叫びださんばかりの恐怖を抱えながら覗っている。

「いきるためにちからをあわせる、みんなのためにちからをつくす」

 円卓を回り込んで、少女は歩く。
 歌うように囁きながら。

「かぞくのために、みんなでがんばる」

 近づいてくる。
 銀の少女が、ゆっくりと、しかし確実に、その席へ。
 本条清彦の目の前へ。

「かぞくのために、すべては、しあわせなかぞくのために」

 そして今、遂に。

「そういうことよね。ホンジョウ?」

 本条清彦の目前に、その魂の傍らに、銀鈴は立っていた。

「あ……あぁ、そ、そうだよ」

 手を後ろで組み、少し腰を傾けた前傾姿勢。
 可愛らしい、少女らしい仕草で、その異物は笑っている。

「ぼ、僕達は、か、家族の、た、た、ために」
「ええ」
「ここはそういう、ば、場所で」
「ええ」
「だから、か、会議を、そ、そうだ、みんなで、会議をしなくちゃ」
「ええ」
「だから、そ、その、き、キミはせ、キミの席につ、つかなちゃ、い、いけ」
「ええ、ええ、そうね。それがきっと、この場所の法則(ルール)ね」


 笑ったまま、少女は、なんてことないように、言った。


「それで、それが私に、いったい何の関係があるのかしら?」 


 本条は漸くそれに気づいた。
 銀鈴の腕が、本条の胸の真中に差し込まれている。
 そこにある何かを掴むように。

「……あ、あ、え?」
「私ね、その椅子に座りたいの。だって、ここはもう私のモノなのだから、身体は私の自由に動かせないと不便でしょう?」
「……ぁぁぁあああああああああああああああ! そ、そんな!」

 シリンダーが猛烈な勢いで回転する。
 世界が真っ黒に塗り替えられていく。
 本条清彦が年月をかけ作り上げた家庭(せかい)が、一人の少女の気まぐれによって、呆気なく崩壊する。

「そんな! そんな……ことが……!」

 人間のルールが、彼女を縛ることなど出来ない。
 人間の価値観が、彼女を支配することなど出来るわけがない。
 虫を見るような目で、少女は男に笑いかける。

「あなたの『家族』を教えてくれてありがとう。私も代わりに、私の『家族』を教えてあげる」

 何故なら、彼女にとっての家族とは。

「微笑んであげる」

 支配し、所有するモノだから。

「だからね、ホンジョウ?」

 悍ましき怪物の核を、より凶悪な怪物の顎が捉える。

「―――そろそろ、どいて頂けるかしら」

 そうして『我喰い』は、銀の獣に捕食された。








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最終更新:2025年07月26日 22:53