<刑務記録(最終報告)>
No.A0XX-024-XXXX(AG検閲省略)
<表題>
第三回定時放送から刑務終了までにおける戦闘推移について。
<概要>
第三回定時放送以後、刑務終了時刻までの6時間以内に発生した、連続的な戦闘行為を総括する。
・Phase Ⅰ
放送直後から刑務終了4時間前。
終了まで5時間45分頃、エリアD-6にてエネリット・サンス・ハルトナとバルタザール・デリージュが遭遇、数分間の会話の後に戦闘へ派生。
同時期、エリアF-4にて〈被験体O〉と征十郎・H・クラーク及びギャル・ギュネス・ギョローレンによる交戦が開始される。
結果として〈被験体O〉は破壊され、ギャル・ギュネス・ギョローレン、バルタザール・デリージュの死亡が確認される。
※征十郎・H・クラークは超力の第二段階(プレシード)に至ったと推定される。記録は別添資料を参照されたし。
※刑務において唯一投下された潤滑剤であり、実験対象であった被験体は役割を充分に遂行したとは言えず、少々想定外の結果となった。
しかし、その後も刑務作業者は自らの悪性により積極的な交戦を継続、最終的に既定値を満たす戦闘記録の収集は達成したと考える。
・Phase Ⅱ
刑務終了まで4時間から2時間前。
脱獄を目論み北上する一団と恩赦による釈放を狙う刑務作業者が、エリアC-4地点を中心に遭遇と交戦を繰り返す。
一連の戦闘行為によって、エンダ・Y・カクレヤマ、葉月りんか、鑑日月、ネイ・ローマン、ルーサー・キング、ジャンヌ・ストラスブールといった要注視刑務作業者が立て続けに死亡する。
この間、エリアG-7方面へ南下していた集団(脱獄を指針とする者達)においては、ヤミナ・ハイドの裏切りによって只野仁成が死亡。
北部エリアB-2では氷月蓮の強襲により北鈴安理が死亡。
※各戦闘の詳細については大規模かつ複雑であるためここでは割愛、別添の個別戦闘記録を参照されたし。
※いずれもプレシード或いはそれに比肩する超力戦闘データが大量に集積され、刑務作業の意義を体現する観測結果であったことは論を待たない。
・Phase Ⅲ
刑務終了まで2時間から終了時刻。
脱獄を目論む4名と恩赦による釈放を目的とする2名、親アビスを主張する2名間による戦闘が散発的に発生。
エネリット・サンス・ハルトナと征十郎・H・クラークが遭遇、一定期間の同行の後、エリアF-6にて戦闘行為に派生し征十郎・H・クラークは死亡する。
同時刻、エリアC-3にて、ジョニー・ハイドアウトとヤミナ・ハイドの戦闘が勃発。
ヤミナ・ハイドは死亡するが、約30分後、この際負った損傷が元でジョニー・ハイドアウトは機能停止、刑務終了後に死亡が確認される。
エリアB-2にてメリリン・"メカーニカ"・ミリアンと氷月蓮が再度の戦闘状態に移行。
戦闘は氷月蓮の優勢で進行するも、トビ・トンプソンの介入によって長期化。
交戦の末、氷月蓮によってメリリン・"メカーニカ"・ミリアン、及びトビ・トンプソンの両名は殺害された。
刑務終了後、氷月蓮の死亡を確認。
死因はトビ・トンプソン或いはメリリン・"メカーニカ"・ミリアンが与えた負傷、あるいは自刃によるものと推定される。
上記の経緯により、予定されていた全刑務作業は終了。
終了時点において、生存していた刑務作業者は下記の通りである。
エネリット・サンス・ハルトナ
以上、1名。
ここに刑務作業は全工程つつがなく終了。
当初の目的を完全に達成したことを強調し、刑務記録を締め括る。
※刑務終了の約1時間前、観測機であるAG-1の不具合が判明。看守長権限により、初期化と再設定を行い、以後は特段刑務に影響なく進行した。
※PhaseⅢの戦闘記録はPhaseⅡと比較して小規模かつ予定調和であり特筆に値しない。記載内容は簡素な物となっているが、詳細は別添資料を参照。
記録者:オリガ・ヴァイスマン
(付箋によるメモ書き:この記録について看守長の許可なく加筆・修正することを禁ずる)
◇
深淵を覗き込み、彼らは時を待っていた。
大会議室に設置された長机には今、個性豊かなアビスの職員達がずらりと居並び、ある一点を注視している。
壁に埋め込まれた巨大モニターに映る、刑務作業のリアルタイム中継。
平時の仕事を今だけは中断し、ほぼ全ての刑務官がその瞬間に備えていた。
刑務作業の最終段階。フェーズ3。
全プログラム終了まで、残り僅か二時間弱。
終わりの瞬間に立ち会うべく集った彼らの中心で、オリガ・ヴァイスマンは薄く笑っていた。
彼の余裕は、最後まで揺らぐことは無かった。
全て、計算通り、想定の範囲内。
事実に関係なく、そのような風体を崩すことは無かった。
ここまで、ただの一度も。
「諸君、今日の刑務作業、ご苦労だった」
常通りの、冷たく硬質な声で、彼は告げる。
「では、見届けようか」
長い長い、24時間の、その終わり。
「彼らの、最後を」
刑務官の中でただ一人、未だ会議室に入室できていない者がいる。
ミリル=ケンザキ、彼女は刑務作業終了時刻まで、物品輸送の任を全うしなければならない。
しかし彼女もまた、オペレーションルームで、その瞬間を見つめていた。
そして彼女だけは、他の刑務官とは少し違う視座をもって。
「光が……集まっていく……」
彼女の視界、傍観者の瞳の内を、光が横切っていく。
システムBの作り出した"会場"で、眩い流れ星が旋回する。
抽出される魂の光。かつて、似たような光景を見たことがあった。
光の豊島事件。彼女はその唯一の生存者。
画面の向こうで消えていく光(たましい)を手繰り寄せ、その直撃を受けた者。
限りなく第二段階に近く、昇華された超力を持つ彼女は見ることができた。
かつても、今も、傍観者はただ見ているしかなかった。その、あまりに美しく、悍ましき情景を。
会場の至るところに煌めいていた輝きの残滓が、小さき世界の中心地へと集積されていく。
島の中央に鎮座する施設、ブラックペンタゴン。
即ちシステムCの親機へと、"この世界(システムB)の内側"で失われた生命、その魂が回収されていく。
システムCという"天上"は死後の保存―――超力(たましい)のコントロールを実現する。
GPAの提唱する異世界転移計画。
ABC計画の最終段階。間違えた世界からの逃亡主義。
つまり、『世界の管理者(ワールド・オーダー)』の創出。
これに代わるアビスの案こそが、異世界追放計画だった。
ABC計画の結末を逆転する。世界から間違いを切除する排斥主義。
つまり、『深淵の管理者(アビス・オーダー)』の創出。
ならば機能の意味は様変わるだろう。
システムCという"深淵"は、死後も罪人を逃さない。
魂は永遠に闇の底で絡め取られ、流刑地の運営に再利用され続ける。
刑務終了さし迫る今、ブラックペンタゴン外部で死亡した者達の魂すら、システムCは収容を完了していた。
ほんの僅かな例外、何らかの方法で魂を完全に消滅させたモノ、あるいは別の何かに回収された魂を除いて。
原因不明の未回収ファクターこそあるが、システムは着実に目指した深淵へと、完成に近づいていた。
「最後まで、踊り狂え罪人」
看守長の声が、刑務官の耳に染み込む。
フェーズ3。
戦闘実験としての刑務は、間違いなくフェーズ2でピークを迎えたことだろう。
あとは特に意外性の無い、消化試合を残すのみ。
そう、見どころはもうない。
予定調和を見送り、粛々と刑務を締め括るだけだと、刑務官の誰もがそう思っていた。
「死んだ後も、お前たちは世界の役に立てる」
排斥された間違いが、正しき世界の礎になる。
「お前たち"悪"の"使い道"として、これ以上の待遇がどこにある?」
そう、罪人にとって、これ以上に幸福な結末など、どこにもない。
男は確信をもって、もう一度、宣言した。
「これは恩赦である。これは慈悲である。これは救済である」
◇
かたい鉄の五指、その丸められた間隙を滑り落ち、女の手がつるりと抜けた。
望めば万力を発す圧力を抑え、生身の柔肌を支えるため、緩く握った拳であるから。
握り返す力が失せてしまえば、当然のように繋がりは途切れ、解けた腕が呆気なく地に落ちるのは道理であろう。
零れ落ちる。今日もまた、一つ取りこぼす。
壊れかけの鉄人、ジョニー・ハイドアウトは、ただ見つめていた。
何も掴めない鉄くずの腕、宙に置き去りにされたまま静止する、己が空手を。
仲間であり、敵であり、そして今しがた殺めた女の傍らで、鉄の男は佇んでいる。
ヤミナ・ハイドはすでに、その息を止めていた。
力の抜けた四肢を地面に投げ出し、仰向けに倒れたまま、少しだらしない表情で眠りについている。
それは相応しき罰だったのか。あるいは漸くもたらされた救いだったのか。神をおいて答えを知るものはない。
いずれ、鉄人の目は、硬質なレンズは、今はそれを見ていなかった。
ただ、己の腕を見ている。
宙にさし伸ばされたままの、先ほどまでヤミナの手を握っていた、己の手を。
―――いつだってそうさ、おれたちは取りこぼしてばかりさ。
そう嘯いたのは誰だったか。
今日の己か、或いは、
―――なあ、なぜそうまで生きたがる?
力の抜け、落下していく腕の軌道に、確かな熱を思い出す。
肌を失くした今の己が、感じることのできなくなった人の暖かさ。
冷えていく血の温度。
失われていく、生命の質感。
―――そうまでして、生きる意味がどこにある、バラカ?
欧州にとある病が蔓延したのは、彼がそう呼ばれていた最後の年だった。
爆発的な感染力と高い致死性を振りかざした疫病の正体は、新種のウイルス性肺炎だったとも、何者かが撒き散らした超力(あくい)だったとも言われている。
不幸中の幸い。GPAの研究所は早期の対応を成し遂げた。
比較的早く民間に流通した特効薬が、犠牲の数を当初の想定より大きく抑え込んだのは純然たる秩序の功績であろう。
しかしそれは、あくまで上流から中流階級の市井、国民と認められた者達に限った話である。
病が最も鋭く牙をむいた者達。
それは薬を買う金も病に抗する栄養も十分に得られぬ貧者。
民と認められぬ、根無し草。
違法難民。
唯一の居住区(ハイドアウト)が秩序の名の下に解体された数年後、居場所を失くして彷徨う彼らを、病魔は追い剝ぐように蹂躙した。
貧困街の片隅、河原に積みあがる薄汚い死体の山を、政府は死者の数としてカウントすらしなかった。
国を脅かす病は、いつしか国家にとって、体のいい掃除道具のように扱われる。
やがては下流市民ですら簡単に買えてしまうほど値下がりした薬。
まともな職に就けぬ故にそれを手に入れられず、次々と倒れていく者は、そもそも人と見なされていないモノ。
日々の食い扶持すら供給できていなかった難民達は当然のように病に倒れ、栄養失調の悪循環に陥り、抵抗する力を失った体に容赦なく更なる合併症が襲い掛かる。
後は語るまでもない話、旧居住区の者たちはあっという間に数を減らしていった。
秩序は最後まで彼らを直接害することはなく。ただ居場所を奪い、手を差し伸べなかっただけ。
病と飢えに殲滅された後、残された死体に墓はなく。
腐臭を放つ肉の山は一緒くたに穴ぐらへ投げ入れられる。
散乱したゴミを集めて捨てるように。
例えば路地裏のダクト下、吐瀉物に汚れたコンクリートに横たわる男は、そんなゴミの一つだった。
「どこで間違え……ちまったかなあ……俺たちは、いや…………そもそも正解なんて……俺たちにあったのか?」
胃はとうに弱り切っていたが、彼はこの一月、雨水と排泄物しか飲むものを得られなかった。
二週間以上も高熱に魘され、止まらぬ咳に喉を潰し、吐くと分かっているのに耐え難い渇きが汚水を口に含ませるのだろう。
汚物に塗れた地面に投げ出された四肢は、関節部を中心に青黒い痣のような染みを浮き上がらせている。
衰弱した全身の肉が虚血によって壊死し、生きながらに腐っているのだ。
壮絶なありさまだが、そんな光景は、この時期の貧民街で当たり前に見られた、よくある地獄だった。
開闢を超え、万人を頑強に変えた肉体変化も、彼らにとってはいたずらに苦しみを長引かせる意味しか齎さない。
けれど、その苦しみも漸く終わりに近づいている。
もうすぐ苦しみ終えた肉が固くなり腐臭を放ち。
その時になって、ようやく秩序は残されたゴミを片しに来るだろう。
「……いつだってそうさ、おれたちは取りこぼしてばかりさ」
彼らは夢を見た。戦火に追われ、新天地に希望を見た。
産まれ故郷を捨て、根無し草になってでも、それでも生きたがった。
生き続けることに、意味があると思いたかった。
「……いつかはよ……なにか掴めると信じたんだ……バカだったよ」
路地裏のダクトの下、誰も見向きもしない、打ち捨てられたその場所で。
死の間際、うわ言のように独白する男の傍らに、一人の青年が佇んでいる。
しゃがみ込み、男の半ば壊死した手を掴んでいる。
青年は自らの浅黒い右手に確と感じていた。
死にゆく男の肌が発する余熱を。
「おれにはもう……分からねえよ。新天地なんて、くだらない幻想だった。どこに行ったって俺たちは報われねえ……この世は全部、クソッタレだった」
だが、胸に添えられた左手は、生涯熱を覚える事はないだろう。
それは鉄で出来ていたから。左腕の全てを、青年は鉄屑の義椀に置換していたから。
左腕だけではない。両足のつま先から付け根まで、黄銅色の錆びた機械の義足になっている。
襤褸切れを纏う銅の隙間からは、肉と機械の混じり合った継ぎ接ぎの胸部が伺える。
まるで、少しずつ生身を削ぎ落す最中であるかのように。
目の前で死に瀕する男の四肢のように病に腐り、機能を失った部分を順に切除し、集めた機械(スクラップ)に置換して。
熱に浮かされる頭蓋すら、今や半ば鉄に変えて。
「おれはもう……忘れちまったんだ……何の価値があった……こんな世界に……」
高熱に蝕まれる男には、見えていたのだろうか。
人でなくなっていく、今の青年の姿が。
故にこそ、疑問だったのか。
「なあ、なぜそうまで生きたがる?」
取りこぼし続け。鉄くずをかき集め。人を棄ててまで。
ヒトであることに、耐えられなくなって尚も。
この間違え続ける、クソッタレな世界に。
「―――そうまでして、生きる意味がどこにある、バラカ?」
おれにはもう、分からねえ。忘れちまったんだ。
男はそう何度か繰り返し。やがて、ゆっくりと、か細い息を止める。
余熱の絶え、腐臭を放ち始めた手のひらが、青年の手からするりと落ちた。
「――――――……―――――………――――!!」
鉄に痛みなどない。
だから叫び声一つ上げぬまま。
ジョニーは己の右腕が千切れ落ちるのを観測した。
足元で横たわるヤミナ・ハイドの胸元に、鉄の腕が落下する。
肩の切断面から激しく火花が散り、視界の半分以上を砂嵐が覆いつくす。
「――ガ
――ガ
―――ガ
――――ガ―――ア」
壊れていく。壊れていく。壊れていく。
それがハッキリと自覚できた。
永遠の装甲を失い。
むき出しの鉄骨に受けた無数の銃撃は、鉄の身体に無視できない損傷を刻み込んでいた。
しかし、問題の本質はそれではない。
機体の内側、鉄骨のさらに奥、奥の奥、目に見えぬ部位。
己の芯をなす最も重要な機関が、先の戦闘で損傷を受けたことを朧げに理解する。
彼を生かす超力の根幹であり、脳を棄て、心臓を棄て、それでも棄てられなかった不可視の臓器、それが今、悲鳴を上げて壊れていく。
このままでは、そう長くはもたない。
理解して、ならば早く行かなくてはと。
動かそうとした右足が、踝からもげ、にわかに体制を崩した。
「あー……くそ……お前のせいだぞ……わかってんのかよ」
倒れた視界に広がる、死に顔。
最期までおとぼけた表情で永遠の眠りにつく女に、つい悪態を零しながら。
ジョニーは立ち上がろうとして成せず、蹲るように動きを止めた。
「ったく、なんで、今更……」
傷ついていた。壊れていた。
鉄は脆く崩れていく。
だが、それはきっと、ずっと前からだった。
積み重なった損傷が、今、明確な破綻として彼を襲っただけ。
「なんで今更、思い出すかね……」
人であることに耐えられなかった。
そう嘯いて、なのに何故、人の形に縋っていたのだろう。
幾度もの分離変形を繰り返し、結局戻ってくる形はいつも同じ。
縦長い胴に1つの頭、4つの手足。
血肉を捨てて尚、人であることに縋っていたのは誰か。
取りこぼしてばかりの人生。
なぜ、そうまで生きたがる。
この世界のどこに、そうまでして生きる意味がある。
―――……もう分からねえよ、忘れちまったんだ……。
「オレは、憶えてるせ。忘れられねえんだ」
人を棄ててまで、生きる意味。
「あんたが、教えてくれたんじゃねえか」
ジョニー・ハイドアウトの進む意義。
「……感想、結局、言いそびれちまってたけどさ」
いつか、あの束の間の平穏の中。
隠れ家(ハイドアウト)で、ジャンク屋の店主が浮かべたニヒルな笑顔を思い出す。
彼はまだ、憶えている。
「"鉄人ジョニー"、良いね。クールじゃねえかよ……」
スクラップの英雄譚。
あの日感じた、胸の熱を。
重い全身を持ち上げるための動力はすでになかった。
砂嵐が視界の全てを覆っていく。
肢がもげ落ち、人の形を崩していく。
罅割れた魂は楔を失い、微塵に砕け、ただの鉄屑に還っていく。
その間際、ジョニーは視界の端に、僅かに瞬く光を見た。
ヤミナ・ハイドの胸元に光る、星形の装飾品。
外殻の意匠が砕け、剝き出しになった内側の金属が反射する煌めき。
ならば光源はどこにあるのだろう、と。
彼は無意識に、光に手を伸ばして―――
何処か遠く、伝令鳥(ヘルメス)の囀りを聴いた気がした。
◇
「あ"ッッッ!!」
「っるせーよバカ、耳元でなんつー声出しやがる」
彼は自前の醜い顔貌を更に皺くちゃに顰めながら、その蛮行に苦言を呈した。
「トビさん! トビさん! 見て見て見て!!」
隣から唐突に発せられた爆音の歓声によって、キンキンと鼓膜が悲鳴を発している。
反射的に上げた手で右耳を押さえつつ睨めつけた視線の先、己より20センチも長身の、恵まれた体躯で身を翻す少女がいた。
工業地帯のあぜ道の脇へ駆け寄り、しゃがみこみ、くるりと此方を振り返った輪郭は中性的で、声を聞かなければ少年のようにも見えた。
「ほらほら、ヨツバ!」
その時、内藤四葉の手にあったのは、鎧でも戦斧でもなく、月明かりに薄っすらと照らされた、小さな植物だった。
緑色の茎の先に、かわいらしい小さな葉が枝分かれして付いている。
クローバー。まだ花を咲かせる前の、シロツメグサの茎。
だがいま、少女の摘んだ葉は、一般的なそれよりも一枚だけ葉の数が多かった。
通常の三つ葉に比べて珍しい、四つ葉のクローバー。
確率は、三葉の10000本に対して1本とも言われている。幸運の象徴。
「こりゃ幸先良いよ。私ら、きっとツイてるねっ!」
にかっと笑い。4つにクロスする葉を宙に翳す少女を、トビは呆れながらも、少し意外に思う。
「ゲン担ぎとか気にすんだな、アンタ」
「え、意外?」
「ああ、道の草なんざ、食いもんとしか見てねえと思ってたよ」
「ええーひどぉーい、そんなことないよー浪漫は大事じゃんかー」
トビさんもっと漫画読んだほうがいいよ、なんてよく分からないことを宣いながら。
四葉はクルクルと軽快な動きで、トビの隣に戻って来る。
そうして再び歩き出す。デコボコな彼らの道中を、月の光が照らしていた。
「それに、私の名前の由来だしねー。縁起よく、ツイてますようにって、ヨツハ」
「へえ、そりゃいい親だこと」
流すように発した返しに、しかし不可解な返しが重ねられた。
「ん? や、別に親に聞いたことはないよ?」
「はあ? 親が付けた名前じゃねえのかよ」
「んー親が付けた名前だけどさ。由来は私が勝手に考えたんだ」
親の考えを想像した。
とはまた少し違ったニュアンスだった。
「家飛び出して、世界中を飛び回って、ふとした時に思ってさ。
そういや名前の意味とか聞いてなかったなーって。
でもよく考えたらさ、そんなの自分で勝手に考えればよくね? って思って」
「あー、なるほどな」
「え、トビさん分かるの? この話すると大抵意味わかんないって顔されるんだけど」
「まあ確かに、意味なんて自分で用意するもんだからな」
"スラッガー"。トビ・トンプソンの超力名称。
幼少の頃、その醜い容姿と軟弱な超力を見下げられ、ナメクジ(slug)野郎と蔑まれ、周囲から加害の対象となった日々があった。
ある日、恵まれた超力で地域に幅を利かせていた不良達の戯れに、トランクに閉じ込められ外側から鍵を掛けられた。
そこから己が能力と技術でもって脱したとき。彼は初めて生きる喜びを、生きているという実感を得た。
しかし脱獄王の過去なんてそんなものだ。
キッカケなんてその程度、なんら特別でもない、面白くもないありふれた背景。
大した意味もドラマもない。きっと誰もが、なんだそんなモンかと拍子抜けるだろう。
その上で、彼にとっては、それで充分でもあった。
ナメクジ(slug)野郎。
スラグ。上等じゃないかと彼は思った。
勝手にそう呼ばれたのだ。ならば己が勝手に意味を付けてやろう。
そう思ったとき、彼は自身の力の本質に気づいたのだ。
時にスラグ(軟体)、時にスラグ(鉱滓)、時にスラグ(強打)。
意味は千変万化する。己の力と同じように。己の意味は己が決めていい。
故に、意趣返しも込めて、彼は自ら意味を定義した。己はスラッガー(逆転者)なのだと。
「じゃあさ、トビさんは何でトビさんっていうの?」
「知らねえよ。オレ様も親に聞いたことねえし、そっちは興味もなかったしな」
「ああ待って! 当ててあげる」
「当てるも何も、まず答えがねえだろうが。オレ様自身も考えてねえんだから」
「アレじゃない? 鳶(トンビ)とか? ほら、こう、眼つきがちょっと猛禽っぽいし」
「知らねえけど絶対ちげえだろ。オレ様も親もジャパニーズじゃねえのは見りゃ分かんだろ」
あ、そっかーと、笑いながら。
能天気な少女は手に持ったクローバーを放り投げ、落ちてきたそれをパクリと口に入れてしまった。
やっぱり食い物だと思ってんじゃねえかと返し。
あぜ道を進んでいく。
ブラックペンタゴン、島の中央を目指す道中、その一幕だった。
「でもさ、脱獄王としては、ほんと縁起いい名前じゃん? トビって」
「そう思うかい?」
「うん、だってさぁ―――………」
何故か、つまらないことを思い出した。
その原因になったであろう、視界の端に映った緑色を、トビ・トンプソンは紙を広げることで物理的に遮った。
朽ちかけた湾港の隅、コンクリートを押し上げて伸びた萌芽。
一日に二度も四つ葉のクローバーを見つける確率はいかほどなのだろうか。
ツイてるねと笑っていたあの女は、幸運だったのだろうか。
最後に過った思考にも、答えを出さず、紙面に広がる文字に意識を移す。
エリアB-2。
島の北西端、寂れた湾港と灯台へ続くあぜ道。
現在、死者の魂が収束するブラックペンタゴン、世界の中心からは、遠く離れた僻地である。
そこが、この刑務において、最後の戦いの開始地点となる。
ぱらぱらぱら、と。
トビ・トンプソンは持っていた書物を流し読みながら、湾港に並べられたコンテナの影に身を潜めていた。
口に加えたペンライトがほんの僅かな光を発し、手元の文字列を浮かび上がらせる。
するとそこには、最後の敵の姿を指し示す数多のワードが踊っていた。
『氷月蓮』
『刑期:30年』
『開闢以前から刑務所に収監されている"殺人鬼"』
『超力:"殺人の資格(マーダー・ライセンス)"。殺人の最適解を得る能力』。
参加者詳細名簿。
失った仲間、只野仁成の首輪から得られた恩赦ポイントによって購入した、最後に残った敵の情報。
内容は道中でジョニーと共に確認していたが、いずれ始まるであろう戦闘を前に、トビは改めて問いかける。
「これ以上の前情報はねえのかよ」
明らかに絞られた情報量。
他の参加者と比べ、妙に具体性に欠けている。
不自然な記載だったのはもう一人、こちらは既にタネが割れていたが。
「こいつとヤミナ、二人だけ、妙に暈されてやがる。そうなんじゃねえか、って穿った目線で見て分かる程度の差ではあるが……」
『ゴメイサツです。トビ・トンプソン』
呼びかけに対し、中空の投射文字によって返されたAG-1の返答は、実に簡素なものだった。
氷月蓮は運営側が用意したジョーカー。
洞察と、AG-1による裏付けにより、トビはその正体を看破する。
しかし、だからといって、状況は彼にとってそう優位とも言えなかった。
氷月蓮の超力、その詳細はAG-1のメモリにも入力されていなかった。
おそらく運営側の中でも一部の者だけで取り決め、導入されたファクターなのだろう。
それでも敵が運営のバックアップを受けた存在であり、尚且つ剣呑な超力によって勝ち残ってきたであろうことは容易に推察できた。
敵は殺傷に特化した超力を持つ、殺人鬼。
それが運営の加護を受け武装しているのだ。
正面戦闘ではトビに勝ち目はない。
情報面では、こちらにもAG-1という反則級のバックアップがあるが、それでも対等とはいい難い。
デジタルウォッチに光る光点は残り僅か、敵を示す光は数百メートル先にある。
AGのハッキングにより、ジョーカー権限の一部を得たトビは、首輪の位置を掴んでいるが、敵がジョーカーならばあちらも同じ機能を使ってくる。
つまり敵の目線では、トビの位置もまた明らかなのだ。
ヤミナの相手をジョニーに任せ、メリリンの援護を最優先にして駆けつけながらも、トビが近寄りきれぬ理由がこれであった。
敵がトビへと狙いを変え、反転してしまったらひとたまりもない。
氷月蓮は追い立てる標的(メリリン)と、背後の援軍(トビ・ジョニー)、二方向に警戒している。
その状況を維持できなければ、各個撃破で潰されるだけだろう。
幸いにも、いまメリリンの首輪反応はA-1、つまり灯台にある。
彼女はたどり着いていたのだ。
エンダ、ローマン、アンリ、北へ向かった他の仲間たちはみな死んだ。
それでも、全ての犠牲を無駄にせず、彼女は辿り着き、きっと何かを掴んだ。
トビも同じだった。
小屋における、只野仁成の死。そしてたった今、数百メートル南方にて動きを止めた光点。
おそらく相打ちに終わったであろう、ジョニーとヤミナの戦い。
彼らの犠牲の上に、脱獄王は立っている。
一方、敵の光点はエリアA-1手前で静止したままだ。
現状、首輪を解除し、禁止エリアに侵入した標的に対し、氷月は手が出せないようだった。
このまま刑務終了時刻まで籠城を続ければ、メリリンは生き残ることができるだろうか。
おそらく否、そんな結末は許されない。
首輪を解除し、刑務の秩序へと罅を入れた彼女に対し、運営はジョーカー達へ直接排除を命じていたのだ。
トビは確信を持っていた。このまま終わるはずがない。必ず、敵は何かを仕掛けてくる。
そして何より、トビ自身もまた、このままでは終われない。
ただ生き残って刑務終了を迎えるなんて、最も屈辱的な、死んだほうがマシな惨敗だと分かっている。
メリリンの掴んだ何かと、トビの掴んだ物を併せ、必ずこの深淵(アビス)から脱獄を成し遂げると誓っていた。
しかし現状、動きあぐねているのが実情であった。
ヴァイスマンのタグ付けこそ解除したものの、首輪の解除を実行できていないトビでは、ジョーカーを無視してエリアA-1に侵入することは不可能。
首輪のシステムAを無効化した今、合流さえ出来ればメリリンの超力により一瞬で首輪解除は成るが、接触する為にはまず彼女に一度禁止エリア外へ出てもらう必要がある。
そしてその瞬間こそを、彼らの間に立ちはだかるジョーカー、氷月蓮は待っているのだ。
戦力面の優位は数のみ。
故に如何にして連携を取るかが課題だった。
AG-1を介した接触が出来れば話は簡単だったが、残念ながら許されない。
刑務官に送られる映像や音声はアビスの眼である機械の手にかかればいくらでも誤魔化せる。
しかし刑務作業者本人の思考は偽れない。
そう、メリリンは首輪こそ解除しているが、ヴァイスマンのタグ付は解除出来ていないのだ。
トビやジョニーとは違い、思考を盗聴されたままの彼女がAG-1と接触してしまえば、即ヴァイスマンに事態を露呈させてしまうだろう。
運営側の反抗者、数少ない支援者からの援護は、生き残った悪童たちの生命線。
まだ失うわけにはいかない。しかし、ならば、どうする。
純然たる制限時間が長考を許さず、彼らを追い立てる。
『トビさん。ザンネンな、おシラらせ、です』
つい先程、ジョニー・ハイドアウトはヤミナ・ハイドを下すため、切り札を使用した。
AG-1によるシステムAのハッキング、首輪の位置情報よりも更に直接的な支援。
そのチート行為は、システムのログから消しきれるものではなかった。
『ワタシはもう、そうナガく、タスけに、ナれません』
あと僅かな時間で、小さな刑務官の裏切りは明るみに出るだろう。
或いは後一度、何らかの直接的な支援を行えば、おそらくその時点でもう。
ヴァイスマンの指先一つで消える意思。
リセットボタンを握られた。脆弱な機械人形、それがアビス・ガーディアンの正体だった。
彼が如何なる立場と覚悟でこれを行っていたか、今のトビは知っている。
だから今更、野暮なことは口にしなかった。
「そうかよ、世話になった」
『いいえ、どうか、オタッシャで』
目に見えぬほど小さな機械の粒が、離れていくのを感じる。
最後に一つ、言葉を遺して。
『ワタシは、きっとキエるでしょう。ですが、きっと、そのトキこそ―――』
「ああ、無駄にしねえよ」
残り時間は僅か。
デジタルウォッチに表示されたマップの中、全ての光点は静止したまま。
おそらく、ことは動く。
だが、それは敵が主体であってはならない。
運営がジョーカーを使って状況を動かすとしたら、それはトビが挽回できる時間の尽きたタイミングになるだろうから。
敵にターンを渡さずに、能動的に状況を変える必要がある。
そしてその主体となることは、トビのポジションでは難しい。
権利を持つのは、いま、もっとも安全であり、動く理由のない者。
"意地"、という。
それ以外の理由を除き、状況を動かす必要のない者。
彼女の、意思にかかっている。
そう思って、改めて光点を見たとき、ふと、トビは軽い違和感を得た。
メリリンの光点は未だに灯台にある。だが、それは本来ならおかしいのだ。
首輪をハッキングし、解除した筈の彼女が、わざわざ首輪の信号を生かしている。
「……なるほど、賢い女だ」
考えてみれば、その理由は明らかだった。
ならば、とトビはようやく腰を上げる。
途中までだが、展開は見えた。
ならば己も動くのみ。
来たる終盤のシークエンスに脱獄王は歩を進める。
「いやしかし、他人をアテにするなんざ、オレ様も遂に焼きが回ったかね」
自分の中に芽生えたほんの小さな変数に、軽く苦笑いを浮かべながら。
◇
拘置所の面会室で、初めて少年Aを目にしたとき、彼はある予感を得たという。
きっと、己の人生は狂わされる。
絶対に関わってはならない、と。
しかし、抗いがたい魅力が彼を離さない。
もう少し、この少年と話してみたい。彼について知りたい。
もう少しだけ、関わりたい。まだ逃げられる。今ならばまだ。
そう言い聞かせ、仕事を降りると言い出せぬまま。
気づいたときには既に手遅れだった。
「なぜ……なぜ、こんなことに……」
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。
ありきたりな戒めが、今更脳裏に浮かび上がる。
初公判の日。
検察が突きつけた証拠は、あまりにも決定的だった。
少年Aが犯した3件の殺人容疑。
全ての殺意を完璧に証明する証拠。
動機の大前提、『少年の殺人は、日常的に虐められた末の正当防衛であった』という牙城を突き崩す目撃証言。
学校内で支配者として振る舞う少年の姿。
クラスメイトから教師に至るまで、徹底的に少年の支配(コントロール)下に置かれていたという事実を指し示す。
そして実行された殺しの鮮やかさ、不条理さ、容赦の無さ。
全ての証拠が、少年Aこそが真実の悪であったことを、如実に指し示していた。
何もかもが裏目に出た。
初答弁で正当防衛を謳ったことも、徹底的な隠蔽工作も、崩れてしまえば全てが反転。裁判官の心象を地に落とす。
センセーショナルな情報の洪水にメディアは食いつき、社会的な注目度も飛躍的に増してしまった。
この裁判は負けるだろう。
殺意と悪意が証明された以上、検察官逆送は避けられない。
14歳という異例の若さにして、考えうる限り最大の厳罰すら予想される。
少年Aは終わりだ。悪魔は裁かれる。
悪魔の弁護を引き受けてしまった彼をも、道連れにして。
「だが、なぜ……なぜなんだ……」
彼らを破滅に追い込んだのは、決して検察の捜査能力ではなかった。
己がキャリアに再起不能の損傷を確約された弁護士は、絶望的な心地でそれを問う。
「なぜ君は……こんなことを……?」
アクリル板の向こうに座る少年へ問う。
殺人を、罪を、悪逆を、という意味ではない。
彼は最初から分かっていた。少年Aが悪であることなど。
そのうえで彼は仕事をした。
弁護し、裁判に勝つという、目的を果たすために。
そして彼は心のどこかで楽観していたのだ。この少年なら、完璧に逃げおおせると。
だが、少年の悪性は、彼の想像を遥かに上回っていたのだ。
「はあ……理由……ですか」
提出された証拠は、検察側の捜査によるものではない。
ましてや、第三者の目撃による、偶然の産物などありえない。
「強いて言うなら、出来てしまうから、でしょうか」
目撃証言も、証拠も、出てくるはずがないのだ。
少年Aは本当に、完璧過ぎるほどに、殺人現場を支配していたのだから。
第三者に目撃されていたなどという、バカげたヘマなど以ての外だ。
誰からも証言など出るはずがない。
少年の支配は、殺人は、それほどまでに完璧だった。
ならば、少年を破滅させた証拠の出どころとは。
「いったい何がしたいんだ。君のやったことは、まるで自滅だ……」
少年自身に他ならない。
自供ではなく、わざわざ第三者から提供される形を模した自己告発。
自らは正当防衛による潔白を供述し、それを支配した第三者から齎した証拠で覆す。
裁判において、おおよそ考えうる限り最大の自傷行為を、自らの意思で実行する。
「なんの意味がある。こんなバカげたこと。君自身が不幸になるだけだろう。
君だけじゃない。君の両親や、私まで……あ、ああ……いや……そうか……まさか……君は……」
そこで、ようやく彼は気づいたのだ。
「ええ、その通りです」
そう、破滅するのは、彼一人ではない。
彼の両親も、弁護人も、彼に関わった人間は、みな最大限不幸になる。
その為の選択肢が、これなのだ。
「バカな……なぜ……なぜ、こんなこと……」
分かったところで、疑問は最初に立ち返る。
そして、回答もまた、繰り返される。
「だから言ってるでしょう? 出来るから、ですよ」
少年Aは、白く美しい顔貌で告げた。
「すみません。殺し方が分かってしまうと、どうにも」
そうして、あっけらかんと締めくくった。
「ですが、こうすれば僕の両親と、ついでに貴方は、きっと生きていられないでしょう?」
それから25年の月日が経ち。
今、草原を歩く元少年Aの白い肌には、些かの劣化も見られない。
齢39になろうというのに、未だ芸術品のように整った容姿には非の打ち所がなく。
まるで老いを感じさせぬ。寧ろ、少年だった頃よりも尚、全身の肌は張りと瑞々しさを湛えていた。
氷月蓮は今も変わらず美しい。
まるで殺してきたものの命を吸い取り、食らうことで永遠に若さを保つ妖魔の類ではないかと。
彼を評したのは三人目の担当刑務官であった。
氷月蓮は殺人鬼である。
彼の公的な殺しの遍歴は、刑務作業以前では14歳の頃、投獄の事由となった殺人3件のみ。
しかし、それだけで殺人鬼と称すには少々説明が足りぬ。
彼を殺人鬼足らしめるものは、彼が直接手を下さずに成した無数の殺人であった。
身柄がアビスに移される以前、氷月蓮の同室となった囚人は4名が自死、5名が囚人同士のトラブルで命を落としている。
独房に移された後も、隣の房の囚人が2名立て続けに自殺している。
アビスに移送されるまで、これらが問題になった形跡はない。
寧ろ誰もが氷月を慕い、遺書を残した者らは感謝の念すら書き残していた。
しかし、アビスに行き着き、経歴を総ざらいした当時の刑務官は異常に気づく。
氷月蓮の周りでは、あまりにも人が死にすぎている。
これが、有形の凶器を使うこともなく成した、言葉と状況だけを用いた、無形の殺人なのだとしたら。
記録されているだけで、彼に接近して死亡した囚人、刑務所職員の数はゆうに20人を越えている。
彼の両親や、彼を担当した弁護士のように、ひっそりと姿を消した行方不明者をカウントすれば更に多くなるだろう。
刑務官は仮説を立てた。
氷月蓮は人殺しをやめていない。彼は今も、殺人鬼を続けている。
超力に頼らずとも直感しているのだ。
どこ刺せば失血死するのか、どこを殴れば重要な臓器を潰せるか。
そして、何を言えば、心を挫き、死に追い込めるか。
気づいたその刑務官は氷月蓮に接触し、そして今までの刑務官と同じように彼の魔力に絡め取られ、破滅する―――ことはなく。
刑務官は、一つだけを問いかけた。
そして回答に満足した彼は、気づいた一切を不問とした。
氷月の殺人、その全てを黙認し、代償にある種の協定を結び、今日に至る。
その、当時の担当刑務官の名は―――
「見ているかい……ヴァイスマン」
遠くの漆黒にぼんやりと浮かび上がる灯。
標的の潜む灯台を見上げながら、氷月は独り呟いた
「時が来れば、君は私を利用する。その時、私も君を利用する。そういう取り決めだったね」
懐からナイフを取り出した彼は両手で握った柄を返し、刃を自らの胸に向けた。
「君は私の能力を信じ、舞台を作ってくれた。そのことについては、感謝してもいい」
鋭く尖るそれを、自らの急所へ狙い定め。
「お礼に。改めて、ここに証明してみせよう」
引き寄せた刃の先が、氷月の"何か"を穿いた。
「…………」
超力の存在が、魂の実在を証明した。
とある科学者の実験結果。
目に見える臓器に超力の宿る器官が存在しなかった事実から逆算する、人体81番目の臓器。
事実、魂と呼べる存在の派生は、刑務作業の中で幾度となく観測されてきた。
我喰いの弾丸、大金卸樹魂の霊体、流れ星のアクセサリー。
それぞれ詳細こそ解明され尽くしてはいないが、少なくとも魂が実在するということは覆しようのない現実だろう。
しかし論ずるべき前提は、もう一つある。
生命の冒涜者、マリア・"シエンシア"・レストマンはかつて、こう説いたという。
超力が魂の実在を暴いたのではなく。
魂こそ、超力によって獲得した器だったとしたら。
「デモンストレーションは……」
魂とは、人類が"後天的に獲得した臓器"。
超力が魂に宿るのではない。
宿った超力こそが、魂そのものなのだ。
機械に超力を搭載するという実験の副産物として、AG-1に自由意志が芽生えたという事実が、その説を裏付けている。
「…………成功だな」
胸を薄く裂いたナイフを引き抜く。
臓器には一切の傷はつけていない。
しかしそれは、確かに何かを穿いた。
今の氷月は、それを捉えることが出来た。
臨死の体験によって、我喰い(レギオン)、エネリット、征十郎、ミリルらと同じ視座に立った彼は、それを見ることが出来た。
そして、魂の冒涜者を名乗る彼は、殺すことすら出来た。
征十郎・H・クラークが為したように、自らの魂に付着した極小の超力(たましい)を、彼は正確に切り裂いた。
数多の魂(ちょうりょく)に守られていたアイを殺傷した技巧を再現し、虚空にえぐり取った力の残滓を払う。
ヴァイスマンが氷月の魂に施したタグ付けは、それで完全に抉り取られていた。
「これで一人分の魂を殺した、なんて言うつもりはないさ。でも試し切りにはちょうど良かったからね」
新たに獲得した殺し方の実演を終えて。
ナイフを仕舞い。殺人鬼は草原を歩き出す。
「使われてやるんだ。悪いが好きにやらせてもらうさ」
標的はすぐ近くに、だが無視できぬ問題が一つ。
「ときに、私は確かに彼女を取り逃がした。認めよう、私の落ち度だ。
だが、しかし彼女は首輪を外していた。さて、これは誰の落ち度かな」
運営から下達された標的であるメリリンは未だ禁止エリアの内側にいる。
首輪に囚われたままの氷月では、接近することもままならない。
「どうする? 私はどちらでも構わないが」
殺せと命令していながら、それを阻むのは他ならぬ運営の首輪だ。
この状況を如何にするか。氷月には確信があった。
運営側は確実に、刑務期間内でのメリリンの死を所望している。
故に、確実に接触がある。
暫く沈黙の時間があった。
運営側としても、あまり乱暴な方法は取りたくないのだろう。
体裁の良い理論を模索している筈で、デジタルウォッチの表示によって、ようやく返された答えは以下のようなものだった。
『ヤミナ・ハイドに代わり、システムCの実験を継続せよ。
受諾するならば、下記の特典を付与する。
・首輪の爆破機能を一時的に無効化。
・デジタルウォッチへのシステムC導入〈インストール〉及び制限解除。
ただし、標的の殺傷が達せられなければ、刑務終了時点で氷月蓮の首輪は爆破される。
受託するか?
YES / NO 』
暫く画面を俯瞰したあと、氷月は肩を竦めた。
やはり、運営側はどうしてもメリリンを殺したいらしい。
氷月としても一度狙った対象である以上、殺人鬼の矜持として引き下がれない。
殺せなければ首輪が爆破されるというリスクすら、飲んでやってもいいと思っていた。
しかし、それ以外は別だ。
「システムCの実験。まだ諦めてなかったのか」
氷月はNOを選択し、デジタルウォッチの光を消す。
「言ったはずだ、私は純粋なる私の能力(たましい)のみによって、殺人を為す。
他者の魂も、共感も、混濁も、不要だ」
それ故に、ヴァイスマンの魂(タグ)も取り除いた。
再び発光し、しつこく同じ選択肢を表示するデジタルウォッチを今度は無視し、氷月はナイフの代わりに腰元のホルスターから銃器を取り出す。
「まあいい、君等が心配しなくても、あっちから来るさ。私はそれを迎え撃てばいいだけだ。じきに終わる」
氷月もまた準備してきた。
メリリンとの再戦を確信し、備えている。
もう殺し方を間違えない、次は絶対に逃さない。
背後に迫る、脆弱な援軍も織り込み済み。
全て、脅威になり得ないと考えている。
「さあ、殺し合おう」
しつこく発行する選択肢を無視したまま、デジタルウォッチの画面を切り替え、マップと首輪探知画面を表示する。
灯台に映る光点、それが今、遂に動いた。
間違いなく、南下してくる。
しかしそれは、一つではなく。
「へえ、そう来たか」
計、7つもの光点。
複数の首輪反応が、ばらばらの動きで氷月のいるエリアB-2へと接近していた。
「面白いね、どうやら少しは……殺しがいがありそうだ」
◇
そうして、私の番がやってきた。
なんてことを、妙に冷めた思考の中で思う。
螺旋階段のうねりの中で、自分の足音だけが反響する。
灯塔部に吹き付ける風はやけに穏やかで、備え付けられた窓から見えた夜の先は、不気味なくらい静かだった。
戦いの音は聞こえない。
階段を降りながら、目を閉じて、去ってしまった人達に呼び掛ける。
サリヤ、ドミニカ、サキ、ルメス、ジェーン、アンリくん。
そして―――ネイ。
娑婆で長い付き合いだった人も、この刑務の中で縁を結んだ人も、愛していると言ってくれた人も。
みんな、みんな、先に行ってしまった。私を置いて。
死に目に会えた人も少ない。だけど、どいつもこいつも、最後に見た姿はカッコよくて。
生きるために、戦うために、前を見ていた。
彼らの姿に、今も背を押されるように。私は階段を降りきって、鋼の扉の前に立っている。
外に出る前にもう一度、首を反らせて空を仰いだ。
螺旋階段の続く先、黒に飲まれるような天上へと超力の感覚を広げ、もう一度その"結び目"を瞼の裏に焼き付ける。
必ず、ここに仲間を連れてくる。
今度こそ世界を暴くために。
脱獄同盟。南方に向かった仲間が、まだ生きていると信じて動く。
北側に向かった者の中では、もう生き残っているのは私だけだ。
失われた彼らの思いが、私をここまで連れてきてくれた。
だから、そう次はきっと、私の番。私が、繋ぐ番。
全部、拾ってやるって決めたから。アイツに、誓ってしまったから。
「あ……れ……」
だけど灯台の出口は、思ったより力を入れないと開かなくて。
入った時、こんなに重たい扉だったっけ。
なんて思ったけど、単純な話、こいつは私の問題なのだろう。
要するに、色々ごちゃごちゃカッコつけて言ったけど、なんだかんだ結局、私はただ単純に。
「……ああ、なんだ、怖いんだ私」
この期に及んで。
恐ろしいんだ。
死ぬことが。
嫌で嫌で仕方ないんだ。
戦うことが。
扉を押し開いた瞬間、生暖かい風が吹き抜けて、全身を舐るように撫でていった。
エリアA-1の草原地帯に遮蔽はない。丸裸で放り出されたような気分になって、心細さに震えがくる。
思えば刑務開始以降、私の隣にはずっと誰かが居てくれた。
ジェーンとの契約に始まり、ネイとの出会い、多くの人と交錯したブラックペンタゴンの戦い。
脱獄の同盟者達、そしてここへ私を送り出してくれた、エンダとアンリくん。
思えば私は、守られてばかりだったんだ。
灯台の出入り口に、B-2側から射線が通っていない事は確認済みだけど。
それでも怖いもんはこわい。
広がる夜の向こう、殺人鬼が身を潜めている。奴は私を絶対に逃がさないだろう。
私は今から獣の待つ狩場へと、自らの足で戻るのだ。
今すぐ引き返せ。灯台に閉じこもって、禁止エリアの安全圏で時間切れを待てば良い。
そう、後ろ向きな正論を囁く自分が確かにいる。
「うるせえ、ラテンの女舐めんなよ」
全部を無視して、一歩、外へと踏み出した。
いつからこんな、バカなこと、するようになったんだろう。
いつから私は、こんな虚勢を張れるようになったんだろう。
少し前の私はこんなんじゃなかった。
人と関わることが苦手だった。他人なんて、みんな嫌いだった。
臆病で、引っ込み思案で、ウチベンケイで。
怖がりで、辛いことが嫌で、他人のために必死になったりせずに。
嫌なことから逃げ出して、やり過ごせる人間だったのに。
「ったく、あんたらのせいだからね」
サリヤ、ネイ、みんな。
ほんと死んだら絶対、あの世で死ぬほど文句言ってやるから。
だけど、死んでもそれが出来るなら、まあ戦ってやってもいい。
「行こう」
虚勢を張っても、今はもう、隣にその努力を見せる相手もいやしない。
でも、今も誰かが見ている気がする、不思議だけど。
胸元のアクセサリーをもう一度ギュッとにぎって、改めて右の耳に付ける。
いつかの贈り物。
サリヤが最後まで手放さなかった流れ星が、僅かに揺れるのを感じた。
いつからか、サリヤが私を変えてしまって。
そんな私を、ネイは愛していると言ってくれた。
だから私も、今はほんの少しだけ、自分を好きだと思える気がする。
ただの虚勢にすぎなくても。
彼らが好きで居てくれた、自分でありたいと思うから。
背負ってきた全部が、拾い集めた全部が、私を前へと進ませるから。
タイムカードは私が押そう。
状況を始めるのはいつだって、必要に駆られぬ者の役割だ。
ネイが送ってくれたありったけの武器と機材を使って、即席のマシンをクラフトする。
その一つ一つに手持ちの首輪を仕込み、間髪入れず、内側の機能を一斉に回復させた。
これにて、準備完了。
戦闘、開始。
さあ幾度めかの宣誓を。
「鼓動を打て、機械仕掛けの魂(コラソン・デ・イェロ)」
この世界で、最後の戦いを始めよう。
◇
最終更新:2026年06月12日 09:47