刑務に記録される最後の戦いにおいて。
氷月蓮の勝利条件は実にシンプルだった。
メリリン・"メカーニカ"・ミリアンを殺害する。
ただそれだけで、彼は運営のオーダーを達成し、脱獄派の希望をへし折り、ジョーカーとしての職務を全うできる。
対して、メリリンの勝利条件は二種に分かれる。
一つは氷月蓮の打倒、最後に残った殺人鬼を排除し、仲間との安全な合流を成し遂げる。
もう一つは仲間との合流を最優先で実行し、徹底的に氷月を回避すること。
トビ・トンプソンが提唱した同盟の目的は、あくまで世界を暴き、脱獄という刑務への反抗を成し遂げることだ。
殺人鬼の打倒は必須要件ではない。
故に、この展開は予想された事態であった。寧ろ、順当とさえ言える。
「へえ、そう来たか」
氷月の現在地はB-2の草原地帯。
その点在する岩陰の一つに潜んでいた。
東側、湾を見下せる断崖(クリフ)から、断続的に波の音が聞こえてくる。
彼はデジタルウォッチに現れた異変に、ほんの少し口の端を歪めた。
背後の湾港には一つの光点があり、トビ・トンプソンの存在を指し示していた。
更に南方、C-3にはジョニー・ハイドアウトの光点がある。
どちらの光も動きを見せない。その内、トビの意図は明らかだ。
背後から氷月に圧をかけ続けることが彼の役割。
逆に言えば、それは正面から殺人鬼に相対する力を持たぬことの証左とも言え、その判断は正しい。
氷月もまたトビと同じく、特権ポイントの使用によって詳細名簿を獲得し、生き残りの情報を頭に入れていた。
トビが下手に接近して、入り組んだ湾港内から開けた草原に出てしまえば、氷月は優先して彼を排除にかかるだろう。
一方、C-3に留まるジョニーの光点は、30分前に動きを止めて以降、今も全く動く気配がない。
もう一人の生き残りであったヤミナ・ハイドと戦闘し、相打ちになったと考えるのが適当であった。
よって氷月が思考すべきは背後のトビの光点と、そして今、灯台から南下してくる"7つもの光点"への対処であった。
「面白いね、どうやら少しは……殺しがいがありそうだ」
メリリン・"メカーニカ"・ミリアン。
銀鈴。
宮本麻衣。
ドン・エルグランド。
ジェーン・マッドハッター。
北鈴安理。
エンダ・Y・カクレヤマ。
デジタルウォッチに表示されている光点の上。
メリリンに加え、いずれも既に死亡している筈の6つの名が画面に刻まれている。
彼らが蘇った筈もない。
メリリンが所持していた7つの首輪の信号機能を回復し、ジョーカーの視界に現れるようになっただけ。
その意図は明確である。
メリリンは仲間がジョーカー特権を得、首輪の位置を把握していることなど知る由もない。
だが氷月がジョーカーであり、ジョーカーが位置情報特権を持つことは知っている。
つまり、これは氷月に対する揺さぶりだった。
光点の移動速度はどれも時速30キロ程度。
おそらく何らかの機械をクラフトし、そこに首輪を搭載している。
A-1からB-2へ至る道は見晴らしの良い草原地帯であり、一定間隔で転がる岩がある程度で、狙撃を躱す遮蔽に乏しい。
よって複数のデコイを一斉に移動させ、氷月の視界を撹乱し、待ち伏せる殺人鬼を突破して味方と合流する。
「50ポイント、使用する」
徐々に接近してくる光点の群に焦ることもなく、氷月は端的に宣言する。
空に翳した手に、一切のラグなく、銀の杖が呼び出された。
「それでいい、役に徹しろよ、傍観者」
虚空に一言釘を指し、彼は手にした杖を担いだまま、草原の上へゆっくりとうつ伏せになった。
樹脂製のストックを肩に当て、グリップに添えられた右手がゆっくりと引き金にかけられる。
前方に突き出た長く黒い筒の下、カーボンファイバーのフォアエンドを左手で支え、上部に乗せられた照準器(スコープ)の角度を視線に合わせた。
杖の名は、スナイパーライフル。
ただ、強く、鋭く、正確に、人を殺すために洗練された、人の生み出した魔法の杖。
伏射姿勢で待ち構える氷月に一切の揺らぎはない。
使い方、殺し方は、己の超力(たましい)が教えてくれる。
いつだって、彼の魂(ちょうりょく)は訴えている。
さあ、はやく殺せ、皆殺せ、と。
加えて、10ポイントを追加で使用し、双眼鏡を購入する。
覗き込んだ暗視スコープの向こう、A-1からB-2の境目、小高い丘に今、一つの影が映り込んだ。
デジタルウォッチの光点の内一つと、その座標は一致する。
四輪で走行する牽引機、大型犬程度の大きさの正面に金属板を貼り付けた車両、その後方に、人一人を収められる程度の金属箱(コフィン)が接続されている。
箱が断熱素材で出来ているのか、双眼鏡のサーマルカメラでも、中に人が入っているかどうかを断定することは出来なかった。
デジタルウォッチ光点上の記載は、エンダ・Y・カクレヤマ。
迷わず、氷月は引き金を引いた。
パシッという、サプレッサーによって抑え込まれた音と共に、肩にかかる強い反動。
同時に射出された鉄の塊が亜音速で目標へ喰らいつく。
金属板に着弾したラプアマグナム弾は、激突と同時に弾頭を拉げさせながらも鉄板を抉り抜き、貫通。
牽引機の内部機関をズタズタに引き裂き、齎した衝撃によって後方のコフィンごと斜め左後方に跳ね飛ばした。
目標は一撃で沈黙。
コフィンの側面にも銃撃を叩き込むも、角度が悪いのか貫くには至らなかったが、いずれにせよ足は殺した。牽引機はもう動けない。
エンダの首輪反応は丘の中腹で静止。
しかし、間髪入れずに次の光点が接近する。
氷月は双眼鏡で素早く周囲を確認し、伏射姿勢のまま銃口の向きを僅かに変えた。
先程の仕留めた車両から50メートル離れた位置、草原に点在する岩の間を縫うように、同型の牽引機とコフィンが3機走行している。
デジタルウォッチ光点上の記載は、宮本麻衣、ドン・エルグランド、銀鈴。
無論、逃がすつもりなどない。
射撃、排莢、次弾装填、そして射撃、繰り返し。
流れるようにボルトアクションを捌き切り、3射で3機を撃ち落す。
三つの牽引機はいずれも動力か車輪を撃ち抜かれ、岩場に激突して動きを止めた。
「茶番いい、本命を見せろ」
4機落として、光点は残り3つ。
最低でも3機の車両が氷月の射線を突破しようと試みてくる。
しかし順当に考えれば、その中に、メリリンは搭乗していない。
メリリンは首輪を外している。
つまり、最初から氷月のデジタルウォッチによる索敵には掛からない。
本命は首輪を搭載していない8機目だ。
7つのデコイで氷月の目を引きつけ、その隙を付いて本命のステルス機が戦線を突破する。
これが考えうる限りもっとも順当な敵の戦略。
露骨な光点を無視し、あくまで8機目の本命を見落とさぬよう構えるのが氷月側の定石。
しかし、裏をかいてデコイの中に本命が搭乗している、という可能性を無視できない。
敵にとっては危険な賭けだが、可能性を潰し切るなら光点の全てを撃ち落とした上で、ステルス機にも警戒する。
この両立を強いられていた。
「しかし……君は鬱陶しいな」
湾側を迂回して湾港に近づこうとしていた光点(表示名、北鈴安理)を撃ち落としながら、氷月は軽く舌打ちしていた。
反して、デジタルウォッチを確認する彼の表情は薄く笑っている。
メリリンは知る由もないが、デコイによる撹乱は更なる相乗効果を生んでいた。
湾港内のトビ・トンプソンが動いている。
氷月に接近するような素振りを見せたかと思わせ、注視するとひっこんでしまう。
ブラフと分かっていても、端的に気が散る。メリリンの作戦を理解し、即興で合わせてきたのだろう。
デジタルウォッチ上の表示を常に確認しなければならない氷月の思考リソースを確実に削いでいる。
そして今、ジェーン・マッドハッターとメリリン・"メカーニカ"・ミリアンの表記を持つ二つの光点が、東西から戦線を突破するべく南下しているのを確認した。
更に合わせるように、後方から接近する素振りを見せるトビの光点と、それらに紛れ何処かから突破を図るであろう本命のステルス機。
全方から最大限に撹乱を仕掛けられながら、氷月は一切揺らぐことはなかった。
黙々と、2機のデコイを撃ち落とした上で、ライフルのスコープを覗き込んだまま、片手で麻酔銃を取り出し背後に向ける。
「オレ様は振り向くにも値しないってかい?」
闇に紛れ、男の声が届いた。
張り上げた声が、僅かに届く程度の距離。
それ以上、トビが接近してくる様子は無かった。
「必要ないさ。君がここに来るならば、寧ろ都合がいいからね」
戦線突破が敵の目的とするならば、メリリンの仲間、つまりトビの存在はゴールであるからこそ価値を持つ。
それが接敵してしまっては意味がない。
互いにそれは充分理解している。
よってトビの光点は、再び湾港内へゆっくりと離れていく。
「ちっ……つれねえな、サイコ野郎」
「あとで相手をしてやるさ、腰抜け」
そして最後の一機、索敵に掛からない8機目は、撃つまでもなかった。
氷月の25メートル前方の岩場にて、張り巡らされた地雷に掛かり、轟音と共に宙へ打ち上げられていく。
結局、戦局は氷月の絶対的優位であった。
戦線突破において、メリリンの強みは索敵に掛からないことであったが、彼女の目的が仲間との合流であると断定される以上、必然的に選択肢は限られてしまう。
優位な地形、即ち湾港に向かうことは明らかであり、逆にそれ以外は有効な選択肢ではない。
そして最終的なゴール地点であるトビの位置を氷月抑えているという事実は、あまりにも致命的であった。
氷月の対策は特権ポイントと消費して、湾港に入るルートに地雷を埋めておく。
それだけで充分だった。
デコイは全て絶えた。
本命のステルス機も砕いた。
戦法が順当であっても、裏をかいていたとしても、悪童達の手札は尽きた。
「いや……」
再度、地雷が起爆する。
9機目の車両にして2機目のステルス機。
双眼鏡によって、粉微塵に砕ける機体を確認しながら、氷月はスナイパーライフルを装填する。
予想していたことだ。
首輪を搭載していない車両が一つとは限らない。
「裏の裏をかいたつもりか?」
だが敵の資材にも限界がある。
いくら大量の恩赦ポイントや、予備の機材を保持していたとしても。
既に9機落としている、このまま続ければいずれ手札が尽きるか、本命に当たるだろう。
視界に捉えた10機目の機械、既に先行した機が地雷を踏み終え、安全確保されたルートを進もうとしたその側面を容赦なく撃ち抜く。
するとコフィンに穿たれた穴から真っ赤な飛沫が上がり、血液のようなものが草原を汚していくのを確認した。
一瞬、遂に仕留めたかと思うも、その露骨さに疑念が湧く。
そして先程から、氷月の中で膨らむ違和感があった。
撃ち抜いた機械の壊れ方、それが少し引っかかる。
最初に壊した牽引機、最後に撃ち抜いた牽引機、破損状況が一致しない。
同じ用にコフィンを撃ったにも関わらず、最初の機は弾き、最後の機は呆気なく貫通した。
いや、そもそも牽引機の耐久性にも疑問が残る。
勘違いでなければ、後発になるほど徐々に脆く、壊れやすくなっていた。
最初は、資材が減少し、耐久に力を回す余裕が無くなってきたのかと考えていたが。
「そうか、逆だったのか」
真実は、最初の一機こそを、最も堅牢に作っておいた。
つまりそれは―――
「裏の裏の裏か」
最初の一機が搭載していた首輪、エンダ・Y・カクレヤマの反応は、未だに撃破地点、つまり丘の中腹にある。
しかしその座標を確認すると、残されていたのは牽引機のみであり、コフィン部分が消えていた。
デコイの本命とは即ちこれだったのだ。
ステルス機を突破させる為の撹乱ではない。
一度撃破されたデコイの位置は、氷月の警戒から外れる。
その隙を、捩じ込むための光点反応。
「――――っ」
舌打ちを一つ、すぐさま氷月は、草原地帯をくまなく索敵する。
双眼鏡の暗視機能によって闇に目を凝らし、遂に丘の下、彼我の距離は既に500メートルも無いその場所に見つけた。
視界に捉えたコフィンは変形しており、4つの機械足によって単体で自走している。
あれが本命で間違いない。直感の電流が全身を貫くも、慌てずグリックに手を添え、狙いを付ける。
発射された銃弾がコフィンの前面を捉えたものの、やはり他の機体よりも堅牢だった。
大きく凹みながら吹き飛ばされ、草原を転がった鉄の箱は、それでも多脚を動かし行動を再開する。
氷月は冷めた目でその様子を観察していた。
同じ場所に何度も銃撃を受け、耐えられる装甲ではないだろう。
リロードを済ませ、300メートルまで接近した標的にトドメの一撃を放とうとして。
『α、β、ドッキング開始』
響き渡る超力の波動が、草原を波立たせ、氷月の耳朶を震わせる。
同時、横合いから飛来した物体が射線に割り込み、盾となって銃撃を防いでいた。
コフィンに代わって銃撃を受け、弾け飛んだ鉄塊はそのままコフィンに激突し、しかし弾かれることなく組み合った。
『γ、δ、ε、ドッキング開始』
続けて三方向から何かが飛来する。
それら全て、各個撃破された筈のデコイ機の残骸だった。
複数のコフィンに内蔵されていた機材が相互に組み合い、中型の走行車両(トラック)を形成していく。
凄まじいリロード速度と正確な狙撃を実現する氷月であったが、それを敵の堅牢さが上回る。
『ζ、η、θ、ドッキング開始。完成率76%』
「機械同士の合体……だと」
まず撹乱工作によって半分の距離を稼ぎ、もう半分は瞬時に収束形成する装甲によって突破する。
今や、敵の狙いは明らかだった。
『ι、κ、全ドッキング完了。完成率100%』
軽トラによる戦線突破、否。
これは逃げの一手ではない。
もはや彼我の距離は、その声が届く位置まで近づいている。
「覚悟しな、殺人鬼」
「そうか、最初からそれが狙いか」
いまや分散していた首輪の光点反応は全て、目前の車両に収束している。
それが何を意味するか、氷月は瞬時に理解していた。
「やるね」
氷月の打倒。メリリンの狙いは最初から、それ一つだった。
先行機によって片付けた地雷原を越え、少なくとも首輪7つ分の爆発物を搭載した車両が、射撃地点の岩場に突っ込んでいく。
直後、炸裂する火薬と誘爆するガソリンから拡散した炎の津波が、草原の一帯を焼き尽くした。
◇
まるで巨人の手に身体を掴まれ、棍棒代わりに振り回されているかのようだった。
全身を混ぜ合わせるような重力の嵐に晒され、狭い鉄棺(コフィン)の中で三半規管が撹拌され、内臓をシェイクされる。
ぐるぐると目を回しながら、私は自分の失敗を理解した。
射線から割り出した敵の位置――湾港前の岩場に合体トラックで突入した瞬間。
積んだ爆薬に発火すると同時に鉄棺(コックピット)を射出、爆撃範囲から離脱する。
という大枠の方針は良かった。作戦通り。
けど、流石に搭載する火薬量を増やしすぎていた。ちょっと分量を間違えていた。そのうえ直前でハンドル操作を誤った。
結果として、私のコックピットはあらぬ方向に吹っ飛び、こうして目を回す羽目になっている。
いろいろ、根本的な原因まではっきりしている。たぶん灯台であおったアルコールが、計算を狂わせた。
―――メリリン。次、飲酒運転したら、トラック廃棄処分にするからね?
いつか笑顔でキレていた親友の言葉が頭に浮かび。
その瞬間、猛烈な熱と衝撃が私を襲った。おそらく岩か何かに衝突したのだろう。
勢いよく開いた鉄棺から放り出された私は、焼け焦げた草原の上を転がった。
「ご……ほ……ごっほ……げほ……っ! おぅぇ…………っ」
えづきながら、なんとか上半身を引き起こす。
案の定、巨礫に激突していたようで、すぐ近くに私の乗っていた鉄棺が拉げて転がっている。
失敗の代償は全身打撲。体中が痛くてたまらないけど、それでもまだ運が良かった方らしい。
目の前には夜の湾。間一髪、岩にぶつかっていなければ、断崖から海に落下していた。
あわや生きたまま水葬されるところだった。
吐き気を堪えながら立ち上がり、湾の反対側、炎上する岩場を振り返る。
まだ、油断なんてできない。敵の状態を確認するまでは。
超力でフルプレートアーマーを展開しながら、ボルトガンを取り出して岩場に近づく。
氷月、あいつは死んだろうか。
この規模の爆発を受けていたら、少なくとも無傷では済まないはずだ。
アンリくんを殺した男。同情なんてしないけど、お腹の底に重いものが滞留する。
まだ小火の残る岩場に目を凝らす。
岩陰から何か飛び出してこないか、警戒しながら様子を窺ってみたけど、やっぱり人の気配は感じない。
ボルトガンを構えたまま、慎重に岩陰の奥を覗き込む。
やはり誰もいない。焦げた草と散らばったトラックのパーツがあるだけだ。
奴は血の一滴も残らないほど、木っ端微塵になってしまったのだろうか。
「……?」
そのとき、ふと気づく。
いま触れている岩肌に、削れたような跡がいくつもあった。
私のトラックが突っ込んだ際に刻まれた傷かと思ったけど、それにしても妙だ。
形になんとなく人為的な規則性を感じる。
一度に起こった爆発や衝突で、こんなに綺麗な横一列の傷が刻まれるだろうか。
まるで、何度も同じ方向から違う角度で何かをぶつけたような。
「……ぁ」
喉元に凍った鉄棒を差し込まれるような怖気がして、私は無意識に一歩退いていた。
直後、パシ、というくぐもった音が背後で鳴って。
猛烈な風切りと共に何かが、さっきまで私の胸があった場所を切り裂き、左肩に直撃した。
「―――ッ!!」
衝撃によってコマのように綺麗に一回転した身体が岩肌に衝突し、たたらを踏みながら上面を掴んで転倒だけは堪えきる。
「なん……っで!」
どこかから銃撃を受けた。
混乱しながら、なんとか右手に握ったボルトガンを引き上げたとき、もう敵は目前に迫っていた。
視界の端、数メートル後方の岩陰から迷彩網を引き剥がして接近してくる氷月が、腕をサイドスローで振りかぶったのが見えた。
迎撃の為、がむしゃらに連射したボルトは、奴の手の先、広げられたカモフラージュネットに受け止められて。
さらにそれが、氷月の身体を覆い隠し、狙いを付けさせない。
「いや正直、少し驚いたな」
迷彩網一枚を隔て、聞こえた氷月の声は腹が立つほど涼しげだった。
身体に多少の火傷こそ受けているけど、致命の怪我を負ったようには見えない。
瞬時に打ち上げられた蹴りが私の右手の甲を払う。
弾かれたボルトガンが草原を転がり、断崖から海へと落下していった。
「攻めてくるのは読んでたけど、まさかここまで火力を積むとはね。念を入れて良かったよ」
プレートアーマーの隙間を突く一刺し。
迷彩網を裏側から穿いたナイフの刃が、私の脇腹に差し入れられる。
燃え上がるような激痛に歯を食いしばりながら、仕掛けられた罠を理解する。
やっと、岩肌に付けられていた傷の正体が分かった。
奴は銃撃を岩に擦らせることで軌道をズラし、潜伏場所を僅かに誤認させていたのだ。
本当の射撃位置は私の想定より少し後方、爆発が大きすぎたせいで無傷では済まなかったみたいだけど。
つまり最初から、こちらの狙いは全部読まれていた。
「くっそ……馬鹿にして……」
いずれにせよ絶体絶命。
何とか距離を離そうとするけど、奴はぴったり密着したまま離れない。
接近する氷月に呼応するように、私の右耳、流れ星の耳飾りが鳴動する。
浮かび上がる青白い閃光。
放出された冷気が突き刺された刃と傷口を凍らせ、強制的に距離を明けさせた。
「アンリ……くん……?」
「そう、その現象が見たかったんだ」
アクセサリの機能がここまで明確に現れたのは、ブラックペンタゴンにおける大金卸樹魂の躍動を除いて見たことがない。
驚愕する私をよそに、氷月の対応は至極冷静だった。
冷気の前に呆気なくナイフを手離した敵は、すでに次の得物に持ち替えている。
「今度こそ、試し斬りといこう」
アクセサリーを中心に旋回する光の粒子、その軌道を奴は明確に目で追っていた。
数歩、軽快なステップで距離を詰め。
突き出す刃は光を穿ち、呆気なく冷気を霧散させる。
「そうか、これが、この感触が……」
いま、奴は何をした。
目の前ので行われた現実を、理解できないままに、あまりにも悍ましいものを見せられたという確信を得る。
冒涜。その二文字が頭に浮かんだ。
「アン、リ……」
熱が奪われていく。
さっきまで、確かに耳飾りの中にあった温度が消える。
自分を殺した相手を前に、再び私を生かすために、身体を失っても戦おうとしてくれた少年の意志が。
『一名以上の魂の殺害を確認。特権ポイントが加算されます』
氷月のデジタルウォッチから機械音声が流れ出す。
しかし奴の耳には入っていないようだった。
「ああ、これが……そうなのか……」
他者の魂を直に殺め、冒涜する感触に震えている。
「まだだ、あと"二つ"ほど見える」
氷月の目は闇の中で煌々と輝き、私の耳飾りを食いつかんばかりに睨みつけていた。
「出てこい、さもなくば、この女を殺す」
奴が語りかけている対象がなんなのか。
私にはよく分からない。
だけど、胸の奥に湧き上がる悪寒に突き動かされるように、無意識に耳飾りを庇っていた。
「別にいいさ、結果は変わらない。そこから抉り出して殺すだけだ」
その時、二つのことが起こった。
氷月のナイフが翻り、私に刃が向けられる。
応じるように耳飾りが再び鳴動し、熱が灯る。
しかしそれが放出される前に、空中に散っていた青白い光が浮き上がる。
そして北鈴安理の残火が、消滅の刹那に最後の閃光を放っていた。
◇
ゲームスタート。
刑務作業、開始。
石堂から転送される最後の一人。
それが、氷月蓮であった。
『直接話すのは、これが最後かもしれないな、氷月』
壇上から降りてくる声。
その方向を見上げ、彼は受け止めている。
『提案を受けてくれてありがとう。礼として一つ教えてやろう』
漆黒、獄卒の看守長が発する言葉を。
「ジョーカーには共通項がある。君に分かるか?」
「……世界にあってはならぬ者、かな」
一瞬、陰湿な笑みを深め、看守長は氷月から視線を切る。
「世界に、産まれてはならぬもの、だよ。行きたまえ、成果に期待している」
早々に切り上げる。
端的な会話であるはずだった。
「閉じられた世界の中で、存分に殺すがいい。それが君の、世界から望まれた役割なのだから」
しかし、それはほんの少し想定より長く続けられた。
「君は、恐ろしいのか?」
「……なに?」
「そんなにも、人の悪性が怖いのか? ヴァイスマン」
弾かれたように振り向く看守長の前に、すでに殺人鬼の姿はなく。
誰もいない石堂に一人、漆黒の男は立ち尽くしていた。
◇
発動した過去視は、魂の消滅間際における最後の炸裂だった。
故に、発動時間はほんの僅かであり、見えた過去もそう昔のことではない。
刑務開始直前の、看守長と氷月のごく僅かなやり取り。
それを再生することによって、能力に巻き込んだ二名の動きを止める事には成功する。
数メートルの距離を空け、氷月とメリリンは忘我の中にいた。
先に意識を取り戻したのはメリリンだった。
彼女が、手足の感覚を確認し、コンマ数秒のアドバンテージを活かすよりも早く。
背後の岩陰から、氷月の背後にナイフを握ったトビ・トンプソンが迫り。
そしてそれより尚も早く。
「40ポイント使用、サブマシンガン」
後方に伸ばされた氷月の手が、転送された自動小銃を掴み、掃射による迎撃を成し遂げていた。
「―――ぐ―――ぉ―――!」
振り返る余裕までは無かったのだろう。
ノールック横薙ぎ一閃でバラ撒かれた鉄の弾幕はトビの胴を裂き。
小柄な身体は強風を受けた枯れ木のごとく、岩場の奥へと吹き飛ばされた。
「トビ―――っ!」
氷月の腕が旋回し、今度はメリリンへと銃口が向けられる。
「こんの―――やらせるか!」
引き金が引かれる直前、自動小銃の安全装置が強制的に下ろされた。
第二段階に至ったメリリンの超力を前に、全ての機械は干渉を免れない。
そのまま、メリリンは自動小銃内部の雷管を作動させ、暴発させようと試みる。
「危ないな」
如何にして、その危機を察知したのか。
咄嗟に銃を投げ捨てた氷月は再びナイフを片手に距離を詰めた。
「痛―――っ!」
「やはり君には、こういう単純な武器の方が有効みたいだ。干渉の余地がないからね」
コンバットナイフの刀身がメリリンの左肩を刺し貫き、背後の岩肌に縫い付ける。
「ぐ――う――」
「僕の銃になにかしようとしただろう?
分かるんだ、安理君には実にいい体験をさせてもらったよ」
魂を観測する視座とは、すなわち超力の動きを目視すること。
故に、氷月は本来不可視であるはずの、力の動きを察知することが可能だった。
「『私を殺さないものは、私をより強くする』とはフリードリヒ・ニーチェの言だったか。
だとすれば、臨死に勝る成長機会はない。図らずとも僕自身がそれを証明したわけだ」
「なにを、わけわかんないこと……」
「僕には殺せると言ってるんだよ。君の魂も、今も君を庇おうとしている、耳飾りの中の魂も、ね」
「え……?」
「あくまでシラをきるか。それとも本当に自覚していなかったのか?」
氷月は左手でメリリンの身体を固定したまま、もう一方の手に新たなナイフを取り出し振り上げた。
その時、右手首に巻かれていたデジタルウォッチの画面上に、メッセージが着信する。
『止まれ。
予定通りメリリン・"メカーニカ"・ミリアンの殺害までは実行せよ。
―――ただし、メリリン・"メカーニカ"・ミリアンの魂を殺傷することは許可されない』
一瞬、手を止めた氷月はちらりとその文字列を見やり、一言。
「無粋だな」
呟いて、ナイフを振り下ろした。
「づ―――ああああああッ!!」
右の肩口に差し込まれた銀の刀身。
灼熱する痛みに、メリリンの悲鳴が轟く。
超力を維持できず、ボロボロとプレートアーマーが剥がれていく。
「わかってるさ。殺すのは肉体だけ。そのつもりだよ刑務官。
だがその前に、彼女とは一度ゆっくり話してみたかったんだ、いいだろう?」
嘘だ。
身体の左右をナイフで貫かれ、岩壁に身体を磔にされながら、メリリンは直感した。
本人が先程言った通り、氷月は魂まで殺す。
主催者の制止など意に介せず、殺し尽くすつもりなのだと。
己はこれから徹底的に殺される。氷月の目は壮絶な殺意を湛えていた。
たとえモニター越しでは分からなくとも、対面した者は誰であっても感じ取れるだろう。
「そう、メリリン・"メカーニカ"・ミリアン、君とは一度話してみたかった。
これは本音だよ。うん、実に良い機会だ。少し"二人きり"で話そうか」
ならば氷月の独断を、運営側に伝える方法があるとしたら。
メリリンがそう考えたとき、もはや唯一の手段すら、剥ぎ取られていると分かった。
「きっと、お互いにとって、この刑務作業における、最後の会話になるだろうから」
右肩の傷は深いが、突き立てられた刃は絶妙に致命傷を避けていた。
刀身をあと数センチ首側に傾けるだけで頸動脈を切り裂き、即死に至らしめる間際で止められている。
無論、意図的だった。
同時に、刃はメリリンの魂の輪郭を掠め。
そこに付着していた別人の超力(たましい)を剥ぎ取っていた。
「心配しないでいい。もう"誰も聞いていない"。だから君の本音を言ってくれ」
ヴァイスマンのタグ付けを剥ぎ取られている。
確実に殺される。殺すだけでは終わらない。魂までも冒涜され、殺し尽くされる。
そんなメリリンの確信は、もはや誰にも届かない。
「いま、何を感じている? 命乞いも、恨み言も、僕は受け止めよう」
「グダグダ……言ってないで、さっさとやんなさいよ、殺人鬼」
睨みつけながら放った啖呵に、氷月の笑みが深くなった。
異様に白い肌が、メリリンの返り血を受けさらに蒼白に見せている。
「殺人鬼……殺人鬼、か。く……みんな僕をそう呼ぶけど、くく……ははは!」
「なにが面白いわけ? サイコパス」
「いや……なに……」
彼は心底面白そうに、肩を震わせて笑っていた。
「たかだか数十人しか殺しちゃいない僕が、殺人鬼なんて烏滸がましい。
"君ほどの人殺し"にまで、そう呼ばれることが、なんだか滑稽でね」
「人殺し……私が……?」
「他に誰がいる、メカ―ニカ。君は醜悪な殺人者だ、この世界の誰よりも」
突然、笑みを消した氷月が右のナイフに力を込める。
鋭い痛みに身を捩ったメリリンに構わず、言葉の続きを吐き出してく。
「君が作り出した因果が、どれほど人を殺したのだろうね」
メルシニカの開発した機械が、不幸にした人もきっといるだろう。
機械が直接実行したことだけではない。
欧州にラテン・アメリカの麻薬が流れ込んだのは、彼女らの活動が切っ掛けだった。
「君は殺すんだ。これまでも、これからも、君が死んだ後もずっと、君のために人が死ぬんだよ」
ネイ・ローマンも指摘していたその"悪"を、忘れたわけではない。
しかしいま、氷月が言っているのは、そういう話ですらないように思えた。
「思えば、この刑務だけでも、50人以上死んでいるのか、大したものだ」
「どういう意味……?」
「やはり自覚がないか、ああ、だから君は醜悪なんだ」
氷月の表情に宿るものは嘲りの笑み。
しかしそれは仮面であるように、メリリンには思えた。
闇の中で爛々と燃える瞳の奥に、全く別の感情が燻っている。
「この刑務は、ある意味では君のために開催された。
君は主賓なんだよ。君のために、みんな死んだ」
「はあ……!? バカげてる。なんであんたに、そんなこと!」
「分かるのかって? 僕は主催者が用意した駒だからね。刑務中盤からは、動きやすいように色々聞かされたさ」
システムA。システムB。そして、システムC。
ジョーカーである彼は、刑務作業の中でその概要を知らされていた。
「君は今の自分が、どんな力を手にしてしまったのか、本当に分かっていないのか?
こんな代物を作っておきながら?」
氷月の視線が、耳飾りを捉える。
岩場に残る残火を受け、その眼光は揺らめいている。
「システムCの機能は、超力の支配(コントロール)。
その本質は超力を構築することでも、転写することでもない。
あくまで目的は支配。人の超力、即ち魂を逃さず支配することだ。
故に、まだ、アレは未完成なのだという」
氷月は南東、ブラックペンタゴンの方角を指した。
ABC計画の最終フェーズ。
生命を冒涜し、魂を冒涜し、果てにたどり着く超力機構の極地。
C理論。システムC。
死した魂を捉え、世界のために永劫に循環させるシステム。
その機能はまだ、"システムBの内界"でなければ果たせない。
我喰いという、肉の制限に囚われた試作品(プロトタイプ)ではない。
機械よる永遠の牢獄を現実にも持ち込み、虚実世界と現実世界の双方で、システムCを循環運用する。
その果てになされるのが、管理者。
『世界の管理者(ワールド・オーダー)』、或いは『深淵の管理者(アビス・オーダー)』の創出。
いずれにせよ、最後のアップデートを可能にするピースこそを、GPAもアビスも、ずっと探していたのだ。
そして、そのピースとは、システムに干渉できる超力、否。システムこそを―――
「刑務の目的は戦闘実験にして、システムを完成させる超力の覚醒促進。
君は期待に答え、見事に果たしたんだ。時代を次なる段階に進ませる力をアビスに齎した。
首輪の解除はね、その証明なんだよ」
そんなこと、望んでいない。協力なんて絶対にしないと声に出しかけ、メリリンは背中を駆け上がる怖気に息を飲む。
そう、己の意志など、関係がないのだ。
システムCは魂(ちょうりょく)を回収し支配する。
メリリンも、ここで死ねば他の者と同じように、いずれはブラックペンタゴンに取り込まれる。
行われていたことは、まるで畜産だった。
超力者同士をぶつけ合わせ進化を促し、充分に育ったら死なせて魂を回収する。
今のメリリンには、殺す価値がある。
「おめでとう。君こそが、ドブ底の金貨だ」
この世界で、多くの人が死んだ。多くの魂が散華した。
その殆どが、やがてシステムCに取り込まれ、再利用されるだろう。
"人工の永遠"に取り込まれる。
非人道的な扱いも無視される、彼らは皆、アビスの底に埋もれた犯罪者なのだから。
「アインシュタインは核戦争の危険を風刺してこう言ったそうだ。
『三次大戦がどのような兵器で戦われるか分からない。だが四次大戦は棍棒と石で戦うだろう』
真実はもっと悍ましいね。核なんて比べ物にならないほど恐ろしい兵器を、君が完成させるんだ」
言葉に反し、氷月の表情は嘲り笑顔のままだ。
そして目の奥は、さらに違う感情が蠢いている。
「でもね、心配しなくていいよ」
身体を寄せた氷月が、メリリンの耳元で囁く。
「そんな未来は来ない」
その眼光が告げている。
「僕がここで」
殺す。
徹底的に、殺してやると。
「君を終わらせてあげるから」
いまに刀身が勢いよく押し上げられ、メリリンの頸動脈と魂とを同時に絶つ。
その間際、彼女はようやく理解した。
氷月の目の奥に灯る炎、唯一人間的にも見えた、揺らぎの意味。
憎悪。憎悪。憎悪。
それしかない。殺さずとも生きられる全ての存在に向けた、底知れぬ悪意の奔流。
逆に言えば、彼の意志など他になにもなく。
ああ、それは、なんて―――
「かわいそうな、やつ」
―――かわいそうに。
「黙れ」
氷月の腕に力が籠る。
彼は犠牲者に送る最後の言葉を、ゆっくりと口にして。
「君という悪を救おう。
ソポクレス曰く、『死は万病の医師である』から」
「―――そうかい、だが主はこう仰ったそうだぜ?」
突如、側面から飛来した鉄杭が、氷月の上半身を穿いていた。
「"エゼキエル書 33章11節。
『わたしは悪の死を喜ばぬ。悪が、その道を離れ生きるのを喜ぶ』"―――ってな」
爆裂する運動エネルギーはそれだけに留まらず。
彼の身体を持ち上げ、十数メートルの距離を吹き飛ばす。
岩場から押し出されるように、崖際の草原に跳ね上げられた氷月。
真紅に染まる視界のなか、彼はあり得ざるをものを見た。
壊れかけの機械人間。
草原を踏みしめる鉄の手足、それらを連動させる鉄の身体、己を穿いた鉄の武装。
まるで、三流漫画から飛び出たような、チープな英雄(ヒーロー)の成れの果て。
ジョニー・ハイドアウトが、そこに立っていた。
「ご―――がぁ―――ァ!」
氷月は血反吐を吐き散らし、地面を転がりながら、あり得ざる敵へと銃を構える。
「……な、ぜ……ここにいる……?
なぜ、まだ……生きてる……!?」
「ああ? 俺を誰だと思ってやがる?」
ありえない現象だった。
氷月とて、デジタルウォッチの位置表示は、何度も抜かり無く確認していたのだ。
現に、彼の首輪反応は、未だにエリアC-3に留まっている。
故にどうしたって接近に警戒できなかった。
「俺は不死身の便利屋(ランナー)―――"鉄人ジョニー"だ」
目の前に立っているものは何者か。
幽霊か、怪物の類か、現実にみても、そう思えるほどの異様。
「しかし、へえ、そうか、俺はまだ生きてんのかい?」
首輪の反応がここに無い理由は自明だ。
その鉄人には、すでに首が無かったのだ。
ふらふらと稼働する胴体の上には虚空のみが滞留する、首無しの人形のように。
代わりに、だらりと下げた鉄の左手に、かつて首の上に乗っていた銃頭(ガンヘッド)をぶら下げている。
ジョニーは首輪を外したのではない。
首そのものを外したのだ。
人の形を、今度こそ自ら捨て。
刑務の中で、遂にその境地に至ったのだ。
「てめえ、噂じゃ人殺しが得意なんだってなあ?
じゃあ教えてくれよ、俺がどう見える? 俺はまだ人間か?
こんなザマになって、まだ生きてるって言えるかい?」
鉄の肩を竦め、破損した左足を引きずりながら、ジョニーは氷月に近づいていく。
「てめえにゃ俺はどう見える? 鉄の命が見えるかよ? なあ?」
「ああ、君は生きてるよ。僕には見える、君の魂(いのち)が」
だから殺せる、と。
満身創痍でありながら、氷月は最後まで戦う姿勢を解かなかった。
銃とナイフを取り出し、胸元に杭が突き刺さったまま、前傾姿勢を取る。
相対する鉄人は、もう一度、手に掴んだ銃頭を持ち上げて。
「なら上等だ。殺してみろよ、殺人鬼」
「そうするさ」
ジョニーに突貫する氷月の態勢が、にわかに引っ張られ崩れる。
突き刺さった鉄杭から伸びる鎖を、地面に倒れたままのトビが掴み、引き寄せていた。
その隙を逃さず、銃頭から発射された二発目の鉄杭が、動きの鈍った氷月の胸を再び捉え。
「―――ッ!」
「お墨付きをありがとよ。だったら鉄屑に還るまで、もう暫く生きてやるよ」
鳩尾を穿いたその一撃によって。
後方に吹き飛んだ氷月の身体は、鉄杭ごと崖から海へと落下していった。
◇
強制招集の司令を受け、ミリル=ケンザキがようやくオペレータールームから退出し、大会議室にやってきたとき。
中の様子は30分前からずいぶん様変わりしてしまっていた。
「いったい何が起こっている!? 順を追って説明しろ!」
「その……展開された永遠の影響でモニターが安定せず……ログを確認する限り、永遠のアリスは17秒前に消滅しました」
「倒されたのか!? 誰がやった? 超力の回収は?」
「征十郎・H・クラークの超力によって魂ごと消滅しています! システムCによるアリスの回収は達成できません!」
「だったら、リスクを飲んで降臨を許した意味がないだろう! マヌケが!」
エンジニアやオペレーターを務める刑務官達の怒号が飛び交い。
他の刑務官の間にも落ち着かない空気が流れ出している。
スクリーン上に映し出されるシステムB内部の映像は度々ブレ、全く安定していなかった。
「システムB内部に広がっていた"永遠"、収束していきますが……システム障害は暫く復旧できません!」
「システムC親機に影響はないな?」
「わかりません……」
「わかりませんで済むか! アレは換えがきかんのだぞ!」
刑務は残り2時間。最終工程のフェーズ3。
後はジョーカーによる特定超力(メカ―ニカ)の殺害と、魂の回収をもって締め括る。
ただそれだけの、見どころのない幕切れ。消化試合の筈だった。
それを最初に波立たせたのは、予定外の侵入者。
永遠のアリスの召喚。
二名の刑務作業者が実行した暴挙は、結果としてシステムに凶悪な不具合を発生させた。
加えて、あまりに間が悪かった。
予想外の事態を僥倖と捉え、アリスの回収を期待して見過ごしたことは、驕りであったと言わざるを得ない。
結果として、本命を回収するためのモニター、そこに発生していた異常事態に、対応が遅れてしまった。
「残った刑務作業者は?」
「エネリット・サンス・ハルトナは……アリス消滅位置から動いていません」
「そんなことは見れば分かる! 他の刑務作業者の動向に決まってるだろうが!!
メカ―ニカの超力はまだ回収できんのか!? 氷月は何をやってる。刑務終了まで、もう時間が無いんだぞ!」
「氷月蓮はジョニー・ハイドアウトとの戦闘で敗北。エリアB-2、湾の崖を滑落しました。まだ生きてはいますが……おそらく、もう。
メカ―ニカは生存、トビ・トンプソン及びジョニー・ハイドアウトと合流を果たし、全員が首輪を解除……エリアA-1を……"結び目"を目指して、移動しています」
結び目。その単語が落とされた瞬間、刑務官達の間に、重い沈黙が降りた。
それはごく僅かな、そして可能性の上だけなら致命的な、この刑務のウィークポイントである。
ピリつく空気に更なる重しを加えたのは、次の報告だった。
「あの……大変……申し上げにくいのですが……」
「このうえ何がある? 言え」
「機材不具合です。AG-1が、刑務官の操作を受け付けていません。また、確認したところ不審なログが複数残され……」
テーブルの刑務官全員が、にわかに絶句する。
なかでも、テーブルの脇に座るセラピードック、王磊福が露骨に反応したことを、ミリルだけが気づいていた。
「システムAのハッキング、またトビ・トンプソンを銃撃から守った形跡が。
刑務作業者に肩入れし、送られてくる会場の映像にも工作が施されている可能性があるものと……」
「本気で言っているのか? 他の協力者は?」
「あれには超力を機械に移植する実験の際、自由意志が芽生え、所謂バグのような……」
「反逆行為だぞ? 機械が単独で出来るわけ無いだろうが! 他にも協力者がいる筈だぞ! 一体誰がこんな――」
それは正論であるが故に、場の緊張感を跳ね上げた。
刑務官同士が、互いの表情を伺い合う。
この中にも、裏切り者がいるかも知れないのだから。
緊張と不審がピークに達する、その直前。
場を支配したのは、やはりこの男だった。
「諸君、無駄な議論はやめるべきだな」
オリガ・ヴァイスマンは動じない。
これほどの予想外にも、彼は冷静に対処する。
「やることは明々白々だろう」
無能な部下に嫌味を入れながら、常通り指示を飛ばす。
「看守長権限をもって命じる。今すぐAG-1を初期化しろ」
「で、ですが……それは……モニターが」
「承知している。ならばどうする?
加工された映像をこのまま見続けるか?」
「…………」
AG(アビス・ガーディアン)の不具合。或いは自らの自我による裏切りなのか。
モニターは信用ならない欺瞞を孕んでしまった。
いずれ、看守長の権限を使えばいつでもリセットと再起動が可能である。
問題は無かった。それが今、このときでなければ。
AGの停止、初期化から再起動までの時間、アビスの目は閉じられる。
刑務官においても、システム上のログでしかシステムB内部の様子が把握できなくなるのだ。
なによりミリルによる転移干渉は勿論、様々な強制的処置が不可能になる。
この刑務終了まで僅か30分と迫るタイミングで。
返す返すも、アリスの降臨さえ無ければここまで致命的な失態は犯さなかっただろう。
刑務官の目は曇ってしまっていたのだ、突如として降って湧いた異常と期待に。
その結果、もっとも押さえなければならなかった成果すら、取りこぼす危険が生まれ。
あまつさえ―――刑務そのものの成立すら。
「お言葉ですが……看守長……?」
「なんだ……?」
滝のような汗をダラダラと流しながら、刑務官が意見する。
「その……結び目については……万が一が在り得ます。
妨害するジョーカーも尽きました。
あるいは……刑務をここまでにする……というのも……」
「ふむ、おもしろい発言だな。
君は自分が何を言っているか、分かっているのかな?」
絶対零度の眼光に射抜かれ。
舌を縫い留められた彼は、失禁せんばかりに震えていた。
「ここまで来て失敗してみろ。
我々が育ててきた全ての成果をGPAに奪われる。
アビスの未来に、刑務作業の完遂は不可欠だ」
「で……では……メカ―ニカの殺害と回収は……如何に……?」
呂律の回らない舌で何とか続ける彼に、看守長は鼻を鳴らしていった。
「氷月の生命反応は?」
「微弱ですが……まだ僅かに」
「だったら使え、アレを強制起動しろ」
「その……それは流石に、刑務作業を逸脱しています。GPAが黙っていないのでは……?」
「何を言っている? アビスの目は閉じるのだろう?」
ミリルはその常通りの横顔に、初めて見た。
「これから我々がすることは、刑務記録に残らない。
我々の仕事は、刑務終了直前、復旧したモニターに映る死体を確認し、彼らの魂を喰らったシステムCを引き上げる。
それで終わりだ」
頬を流れる一滴の汗。直感する。
刑務が始まって以来、初めてこの男は焦っている。
「では実行しろ。
ケンザキ刑務官は復旧明けの転移処理に備え、ここで待機だ。いいな?」
彼をして、確かな脅威を感じているのだ。
「……了解」
そうして、モニターの電源が落ちる。
AGによって加工された会場の映像が途切れ、スクリーンには真っ黒い闇だけが残される。
ミリルはその光景にもう一度、使い古された一節を思い浮かべていた。
―――深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。
◇
海底(アビス)に沈んでいく身体を、氷月は他人事のように傍観していた。
身体に二本突き刺さった杭が重く、浮き上がることも出来ない。
ああ、死ぬんだなと、納得する。
海底に向かって落ちるなか、デジタルウォッチが発行し、往生際の悪い選択肢を突きつける。
『ヤミナ・ハイドに代わり、システムCの実験を継続せよ。
受諾するならば、下記の特典を付与する。
・首輪の爆破機能を一時的に無効化。
・デジタルウォッチへのシステムC導入〈インストール〉及び制限解除。
ただし、標的の殺傷が達せられなければ、刑務終了時点で氷月蓮の首輪は爆破される。
受託するか?
YES / NO 』
『―――NO』
冷たい海の中で、氷月は考え続けていた。
ただ、出来るからやった。
己を動かす単純なロジックに気づいたとき、ハッキリと結論が出た。
同級生三人で止まるはずがなかった。
たぶん、己は人類を殺し尽くすまで止まらないだろう。
だって理由がなに無いのだ。
悲哀も、防衛本能も、そこに介在しないなら。
我が殺人には、おそらく際限がない。
ならば、これは、きっと猶予だった。
殺そうと思えば、いつでも殺せた世界への。
これは恩赦である。これは慈悲である。これは救済である。
そうだ、これが慈悲でなくてなんなのだ。
世界はこんなにも死にたがっているのに。
間違い尽くした愚かな世界は、氷月という自死を生み出したのだ。
システムはひたすら囃し立て続ける。
さあ役割を果たすがいい。産まれてきた意味を果たすがいい。
『さあ、いまこそ、世界の管理者(ワールド・オーダー)になるがいい。
受託するか?
YES / NO 』
『―――NO』
殺すことでしか、生きる実感を得られぬ存在。
歯止めの利かぬ殺戮装置。
殺すために産まれてきたとしか思えぬ性。
このような存在はどう振る舞えばいい。どう生きればいい。
僕はどうすればいい。
私はどうあればいい。
なぜ、こんな者がいる。
なぜ、こんなものが生み出された。
なぜ? なぜ? なぜ?
山ほど書籍を読み漁った。考えつく限り偉人の言葉を引用し、ありったけの知識で定義を試みた。
過去にもいたかもしれない。己のような存在が、それを定義する言葉と知恵が。
長く強靭な人の歴史は、己のような存在にすら結論を与えてくれている筈だと。
だが、どれほど遡ろうとも現れなかった。
己の存在に結論をくれる偉人など、一人もいなかった。
けれども、それはきっと考えてみれば当たり前のことだった。
そんなことは、書物に記す程のことではないのだ。
偉人賢人でなくとも容易に辿り着く、そこ抜けの愚者でも分かる、わざわざ口にする必要も無いことだった。
全部を殺さねば止まれぬ存在。
そんなモノは、産まれてきたことが間違いなのだ。
『かわいそうな、やつ』
『かわいそうに』
誰かに理解してほしかったんじゃない。
ただ分かってほしかったのだ。
"決して誰にも理解できない"、ということを。
『幸せに、みんななりたいんです』
お前たちの幸福を当て嵌めるな。
お前たちの救済を押し付けるな。
お前たちの尺度で私を定めるな。
『どんな罪を犯そうとも、人は必ず、抱きしめて許してくれる人を―――』
お前たちを憎悪する。
心から嫌悪する。
誰もが救われたいと信じている、愚かで幸福なお前たちを。
「理由をくれてありがとう。これで少しは、人間らしく振る舞える」
生まれついての凶器。
濁りなき殺意の獣。
そう、私こそが―――悪だ。
『さあ、いまこそ、深淵の管理者(アビス・オーダー)になるがいい。
受託するか?
YES / NO 』
『―――YES』
◇
最終更新:2026年06月12日 09:49