あの仮想空間での殺し合いから1年半が経った。
私は少しだけ大人になり、この春、高校生になった。
世界初の思考体感型VRソフト『New World』の引き起こした未帰還事故。
あの事件は、世間ではそう言う扱いになっていた。
事件を引き起こした『New World』は世間からの猛批判に晒され、その責任を問う声も多く上がった。
開発会社へも調査の手が入ったが、その調査で『New World』の開発会社は実体のないペーパーカンパニーだったことが判明した。
結局、責任を取るべき関係者は誰一人として見つからず、事故の原因もはっきりすることもないまま事件は玉虫色の決着となった。
この一件により思考体感型VRは危険性が問題視され国内での開発規模が大幅に縮小される事となる。
未来への可能性が一つ閉ざされてしまった僅かな口惜しさと安堵の入り混じった複雑な感情が私の中に渦巻いていた。
その事件の余波もあり、世間ではアイドルブームは終わりを告げていた。
HSF、TSUKINO、そして美空ひかり。
トップアイドルたちの相次ぐ事故死によって、業界自体に悲痛なイメージが付いてしまった。
イメージ商売であるアイドルにとってはそれは致命的で、追悼ムードからアイドルブームは徐々に下火になっていった。
業界の方はシビアと言うか商魂逞しいと言うべきか、次なるブームを生み出そうと仕掛け人たちは躍起になっていたようで。
今度は漫才ブームらしく、テレビやネットで芸人さんを見ない日がなかった。
笑いで暗い話題を吹き飛ばそうという事らしい。
世間は次の流行を消費して行く。
どんな衝撃的な事件も過ぎ去れば過去となり風化していくのだろう。
私も時折こうして、取り残された過去たちを振り返っている。
胸に残る僅かな痛みを懐かしむように。
■
私が目覚めたのは白い部屋だった。
腕に繋がれたチューブを視線で辿ると点滴が落ちるのが見えた。
消毒液の匂い。規則正しい心電図の音。
白い壁に白い仕切りのカーテン。
どうやらここは病室の様である。
「……知らない天井だ」
とりあえずお約束を呟く。
古典も押さえておかないと。
そんな私の呟きを合図にしたように、周囲がにわかに騒がしくなった。
傍らに居たらしい両親が騒ぎ出し、白衣を着たお医者さんがバタバタと駆けこんできた。
私は崩壊する仮想世界から現実世界に帰還した。
あの悪夢ような体験は夢ではない。あの世界での出来事はちゃんと覚えている。
決別は既にあの世界で済ませたからだろう精神は思ったより落ち着いていた。
なんでも、私たちはPCゲーム同好会の部室で倒れていた所を発見されたらしい。
深夜になっても帰宅しない子供たちを不審に思った両親たちが騒ぎ始めたことから発覚したそうだ。
私たちはそのまま病院まで運ばれたが何をしようと意識を取り戻すことはなかった。
私が意識を取り戻したのはそれから丸1日以上が経過した後の事だった。
そんな経緯を涙ながらに語る両親から聞かされながら、私自身も朧げながらあの世界に連れていかれた経緯を思い出していた。
ゲーム内では封じられていた記憶。
いつもと同じ放課後。PCゲーム同好会の部室に向かうと、そこには興奮気味に盛り上がる馬場くんと勇太くんがいた。
なんでも最新の思考体感型VRの体験モニターの抽選に当選していたらしく、それが今日部室に届いたという話だ。
申請したのが増田くんと喧嘩別れする前だったからか、サンプルとして送られてきた体感型VRマシンは部員の数と同じ4台あった。
雑談しながらまだ来ない同好会員である巧くんをまっていたが、そわそわする2人はいつ来るかわからない巧くんを待っていられず、先にやってしまおうという流れになった。
普段はゲームにはあまり付き合わないのだけど、興奮気味な勇太くんと馬場くんに圧されて私もプレイすることになった。
残り1台の空きは(何故か)高井さんが部室前をうろうろしていたので彼女を誘って、私たちはあの世界にアクセスしたのだった。
他のみんながどうなったのかを問うと両親と医師たちは言いづらそうに表情を曇らせた。
それだけで大まかな顛末は理解できてしまった。
日付を超えた直後に馬場くん、昼過ぎに高井さん、そして私が目覚めるのと殆ど同時に勇太くんの生命活動が停止した。
私もそうなるのではないかと、両親は不安で仕方なかったようだ。
肉体に損傷はなく、まるで魂が抜けたような綺麗な死に顔だったという話である。
覚悟も決別もしていたけれど、どうしようもなく私の目からはハラハラと涙は流れた。
■
それから私は1週間の入院生活を送ることになった。
意識を失っていたのは1日にも満たないのだが、肉体はかなり衰弱していたらしい。
巻き込まれた事件を思えば当然かもしれないが。
入院中は特にすることもなくテレビのニュースを眺めていた。
ニュースは『新技術の危険性!』や『夢の世界で起こった悲劇!』なんて見出しで未帰還事件ばかりを扱っていた。
そのニュースで一番驚きだったのが、私の中学校の先生も巻き込まれていたことである。
苗字と名前を足したような名前はあったけれど、先生たちの名前はなかったはずだ。
同好会のみんなみたいにアバター名を使っていたのだろうか?
二人の遺体は枝島先生の自宅で体感型VRマシンを装着した状態で発見されたそうだ。
二人して出勤しない事に不審を感じた同僚教師が通報したことで発見されたのだが。
私たちの事件があったこともあり学校は混乱していたため数日発見が遅れてしまった。
この二人が自宅で一緒にゲームを遊ぶような仲だったとは知らなかった。
事件についてのニュースの中でも、一番話題になったのはとある番組収録中の事故である。
番宣のために体感型VR体験に挑んだ複数のアイドルとバンドマン一人が帰らぬ人となった。
そんなセンセーショナルな事件の影に隠れたおかげで、私の事件は小さな扱いで終わっていた。
そして分かっていたことだが、ニュースを見て改めて理解した。
一連の事件で、目を覚ましたのは私だけだった。
様々な配慮があってか、唯一の生存者である私の詳細は伏せられていたが、私だけはその事実を認識して生きていかなければならなかった。
しかし連日同じニュースばかりのワイドショーを見ていても退屈である。
入院中もスマホは使えるらしく、なんとwifiもある。
ひとまず私はストアでHSFとソーニャのソロ楽曲を検索してみた。
事件の影響もあってか、被害者たちの楽曲は驚異的なDL数となっていた。
リアルタイムで回転していく数値を眺めながら、私は音楽に耳を傾けるのだった。
■
駅を二つ乗り換えて、海浜の駅で降りる。
スマホで地図を確認しながら大通りの角を曲がって10分ほど歩くと巨大な二つの校舎が見えてきた。
退院した私がまず行ったのは、ネプチューン国際女学園中学を訪ねる事だった。
高井さんに託された伝言を伝えるために清水マルシアさんに会いに行ったのである。
ネプチューン国際女学園は多くの在日外国人女子が通うインターナショナルスクールである。
と言っても、私はインターナショナルスクールがどういう物なのかよく知らないので、何となくオシャレな響きくらいのイメージしかないのだが。
見えてきたのはそのイメージに違わぬ近代的なオフィスみたいな校舎だった。
隣り合う片側の校舎が中学校で、もう片方がソーニャも通っていた高校だろう。
水色を基調としたツインタワーが近隣にある海と空の蒼によく映えていた。
よく言えば歴史のある我が校との差に僅かに気圧される。
単身他校を訪ねるという緊張もあり、嘗ての私なら尻込みしていた所だろう、
だが、私は意を決して足を前へと踏み出し、校門をくぐるのだった。
しかし昨今、部外者が尋ねたところで生徒に合わせてくれるはずもない。
ましてや相手はアイドルである。簡単に出会えるはずもない。
だがダメもとで受付に居た守衛さんにアポを取ってもらった所、驚くほど簡単に会ってくれた。
「待たせちゃったかしら。有馬良子さん? でいいのよね?」
ロビーで待っていると、しばらくして浅黒い肌をした長身の女子、清水マルシアさんが現れた。
部活動から抜け出してきたのか、現れたマルシアさんは体操服だった。
マルシアさんも高井さんが事件に巻き込まれ不幸があった事は知っていた。
近隣の学校という事もあってか同じ事件に巻き込まれた私の事も知っていたようで、私の名前を聞いて会ってくれたようだ。
マルシアさんに案内され中庭の野外ラウンジまで移動する。
ラウンジは海を臨める最高の立地にあり、洒落たカフェのようであった。
こんなものが学校にあるとか別世界の様な話である。
向かい合って白い椅子に座る。
僅かに気まずい沈黙が落ちた。
初対面の他校の上級生。余り人付き合いが得意な方ではない私は緊張していた。
マルシアさんの方は聞きたいことは沢山あるんだろうけど、事件に巻き込まれた被害者であるこちらの心情を気遣ってか、静かにこちらの言葉を待っているようだ。
どう切り出したものか。
流石にあの電脳世界の出来事を説明した所で信じて貰えないだろう。
ひとまずはその辺の事情は省いて、私は言葉を選びつつ最後のメールで高井さんに託された言葉を伝えた。
伝言を受けたマルシアさんは、どこでその伝言を聞いたのかなんて経緯を問い詰めるようなマネはせず、寂しそうに「そう」とだけ呟いた。
悲しみを堪える表情の後、マルシアさんは振り切るように顔を上げる
「良子ちゃん。バレーやってる? やってない? ならやっていく?」
恐るべき三段活用によって、あれよあれよと腕を引かれ体育館の前まで連れていかれた。
綺麗な体育館だったが、思いのほかこじんまりとした大きさである。
これなら我が中学の方が大きいかもしれない。なんて思っていたら。
「本来は部外者はラウンジより先に入っちゃダメなんだけど。
ここバレー部用の体育館だから、私が口利けば大丈夫よ、気にしないで」
などと言い出した。
流石名門私立校。ウチの中学もそこそこの強豪らしいが公立校とは設備が違う。
『お疲れさまです部長!』
体育館に入ると元気のいい挨拶が出迎えた。
休日であろうとも練習に励む部員たちで体育館はごった返していた。
マルシアさんは軽く手を上げ挨拶を返すと、練習中の背の高い女子に近づいていきニ、三指示を出していた。
そしてバレーボール片手にとって、こちらに戻ってきた。
「それじゃあ少しだけやりましょうか」
部活動を続けるバレー部の面々を横目に、体育館の隅っこに移動する。
体育館に響く元気のいい掛け声、ボールを撃つ音をBGMに私たちもバレーを始める。
白球を追いかけ汗を流した。
「本当に未経験者? すごい運動神経だね」
マルシアさんが感心したような声でそう褒めてくれた。
最初は簡単なラリーだったけれど、徐々に熱が入っていったのか。
途中からトス、スパイク、レシーブ、サーブとラリーは激しくなっていったが何とかついていくことができた。
自分で言うのもなんだが、私は運動音痴だ。
そんな私が一流選手と渡り合えたのには理由がある。
あの世界で私は救いの塔によって魂を確定(セーブ)させた。
これにより崩壊する世界の中でただ一人魂を維持したまま現実世界に帰ってこれた訳なのだけど。
魂を維持したまま持ち帰ったという事はつまり、改変されたアバターの能力をそのまま持ち帰ったと言う事である。
魂は精神と肉体に作用すると何かのオカルト本で読んだことがある。
今の私はあの世界の堕天使と同じ異能と運動能力を持っていた。
その身体能力を持ってすれば、バレーくらいは容易いものだ。
つまり、日常を送りながら秘密を抱える謎のエージェント。
誰もが一度は考える妄想を我は実現せしめたのである!
だが、実際なってみて分かった事がある。
けっこう不便!
日常生活において黒龍を放つことなど無いし、悪さでもしようとしない限り催眠も使うことも無い。
何より問題だったのが引き継がれたのは能力それだけではく、外見的特徴もそのまま反映されたという事である。
基本的な容姿はそのままの設定だったのでいいのだが、銀髪と赤と金のオッドアイは誤魔化しきれず。
結局、髪色は精神的ショック、色違いの瞳の色は後遺症という事で処理された。
今は髪は染めて、オッドアイの瞳はカラコンで誤魔化している。
もし背中に生えた翼がそのままだったら誤魔化しようがなかった所だが。
『翼は最終戦争後に封印された』と言う設定にしておいて本当に良かったと思う。
「お疲れ様。使って」
そう言ってタオルとスポドリを手渡される。
お礼を言ってそれを受け取ると、軽く汗を拭いてスポドリを飲む。
汗をかいた後のスポドリの味が体に染みる。
そんな私の隣にマルシアさんが腰を下ろした。
共に体を動かしたからだろうか、気まずさのようなモノはなくなっていた。
いつぞやの
偶像魔宴(ライブ)を思い出すようだ。
体育館の片隅で体育座りをしながらどちらからともなく話をはじめた。
あの事件の話ではなく、何気ない日常の話だ。
高井さんがどれだけ凄いプレイヤーだったのか、日天の1世代前が鬼強かっただとかそんなことを熱弁された。
正直その熱量に若干引きつつも圧倒されてしまった。
その話を聞くうち同じ学校に通っていたのに高井さんについて知らない事だらけだったと気づかされる。
自分の決断に迷ったり、小さいものが好きだったり、そんなどこにでもいるような少女の一面を始めて知った、
方や学校のスター、方や日陰の住民、そんな壁を勝手に作って知ろうともしなかったのがこれまでの私だ。
今になって、それが少しだけもったいなかったなと思う。
私もPCゲーム同好会の仲間の話や一人きりの漫画部の話をした。
聞けば、マルシアさんは漫画を読んだことがないらしく、お勧めの漫画について(もちろんマニアックなモノではなく初心者向けの物を)教えたりした。
私からすれば漫画を読んだことがない中学生が居ることに大変なカルチャーショックを受けたのだが、これはこれでまた新たな知見を得るという事なのだろう。
そしてソーニャの事も聞いてみた。
私にとっては恩人であり親友。
マルシアさんにとっては同じ学園に通う先輩でアイドル仲間。
あの世界での事は誤魔化して偶然知り合う機会があったという事にした。
いつもふざけたバカな事ばかりしている先輩で先生に怒られている姿をよく見かけたそうだ。
けれど、悲しんでる人を放っておけない人で、いろんな所で困ってる人の悩みを解決していた。
そしてアイドルとしても決める所は決めるのがズルい人だったと少しだけ悔しそうにマルシアさんは語った。
話に聞くソーニャの姿が私の印象と変わらなさ過ぎて笑ってしまった。
どこに居ようと彼女は彼女らしくあったようである。
それがどこか嬉しくて、少しだけ泣き出したくなった。
思えばあの事件から声を出して笑ったのはこれが初めてだったかもしれない。
そんなくだらない話をしている間に、気づけばいい時間になっていた。
伝言を伝えに来ただけのつもりだったが、随分と長話と付き合わせてしまった。
マルシアさんもそろそろ練習に戻らないといけないようで、雑談はここで御開きとなった。
「今はちょっと自粛ムードだけど、次にライブをやることになったら招待するから、よかったら来て」
別れ際、校門まで見送りに来てくれたマルシアさんはそんなことを言って連絡先を交換してくれた。
私もそれに応える様に手を振って帰路についた。
帰り際、私はスマホに『スポーティG's』の楽曲をDLして、電車に揺られながら耳を傾ける。
思ったよりポップな曲だった。
■
最寄り駅に付いたころには日はすっかり暮れていた。
僅かに足を速め帰路を急ぐ。
時刻は黄昏を僅かに過ぎて逢魔が時――――魔に逢う時である。
「――――――――やあ」
帰路の途中、街灯の下。
暗がりにその男はいた。
それは取り立てて特徴のない男だった。
影に隠れてその顔はよく見えない。
照り返す街灯の光で辛うじてその口元が見えるくらいだ。
不審者の登場に私は咄嗟に身構える。
今の私なら全力で逃げれば誰も追いつけないだろう、AGI(B)は伊達ではない。
襲われたとしても、いざとなれば変質者程度なら返り討ちにできる。
「退院おめでとう。有馬良子。いや、†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†と呼んだ方いいか」
その名を呼ばれ、警戒レベルが急速に引きあがった。
それは私のSNSアカウント名であり、そしてあの電脳世界におけるアバター名だ。
私がその真名を名乗っている事を知っている者は、同好会のみんなのようなリアルの友人以外ではいないはずだ。
いるとしたらそれは、あの最悪のゲームの参加者か、可能性があるとしたらあと一つ。
「――――創造主」
正義くんのメールにあった黒幕。
仮想世界における全ての悲劇を引き起こした元凶。
ついぞ見つからなかった『New World』の関係者。
その呼びかけに男はただ口端を釣り上げる事で応えた。
警戒心を全開にして身構える私と違い。
何の気負いもなく、道でも尋ねるような気軽さで男は声をかけてきた。
「キミに会いに来たんだ」
抑揚のない声。
どこにでもいるような平凡な外見。
全てが普通なのに全身が泡立つ。
私はそっとカラーコンタクトを外し、腕にリボンのように巻いていた包帯を解く。
暗がりで相手の目元が隠れているため魔眼は通るかどうかわからないが。
いざとなれば、この現世で封じられし力を解放する事も辞さない覚悟だ。
「成功とは言い難い結末だったけれど、一応キミは成果物だからね。ほら、確認しておかないと、ねぇ?」
正義のメールによればあのゲームの目的は世界を上回る魂の検証だと。
ゲームクリアは有耶無耶になったが、魂を確定させ持ち帰った唯一の存在であるのは確かである。
その元凶が、唯一の生き残りの前に現れた。
それが何を意味するのか。
「私を、どうするつもり……?」
「そう身構えなくていい。別に取って食おうという訳じゃないさ。
……いや、流れと場合によっては取って食うのか? どうだろうね?」
薄っぺらの権化のように適当な言葉を並び立てる。
そこに誠実さなんて物は感じられない。
「何者なの、あなた」
「僕が何者か。なんて、そんな事はどうでもいいことだ。
僕の背景、僕の人生、僕の存在意義などキミの物語には関係がない。そうだろう?」
堕天使的言い回しとも違う、意味不明な回りくどい言い回しだ。
相手に伝わりやすい言葉で話すべきである。
「重要なのはその記号さ。
キミの前にあるのは、キミたちをあんな目に合わせた元凶が目の前にいるという事実だけだ。
さぁ、唯一の生き残りであるキミはどうする? 何を選ぶ?
その結論(こたえ)を僕は知りたい」
全ての悲劇の元凶たる存在を前に。
あの悲劇を生き残った唯一の人間として。
何を思い、何をすべきなのか。
男は何かを求める様にこちらに決断を迫る。
「あなたのした事も、あなたの事も許せないって思うよ、だから」
許すことはできない。
それが私の正直な気持ちだ。
その言葉を受け、男の口元が不気味に歪む。
「――――もうしないって誓って」
男は虚を突かれたように動きを止めた。
許せなかったとしても、暴力に訴えかけるようなマネはしない。
血みどろの殺し合いなんてもうごめんだ。
それが相手に受け入れられるかは知らない。
けれど、これが私の意志(こたえ)だ。
「なるほど。やはりキミは戦う者ではないらしい」
まるで泣き笑いのような歪んだ笑みを浮かべたまま固まる。
男は酷く落胆したように肩を落とした。
「ま、こういう結末もありか」
ぽつりと呟くように言う。
先ほど前の落胆などなかったかのように再起動する。
それは壊れたまま稼働し続ける機械のようだ。
「誓おう。キミの世界を侵すようなマネはもうしない」
あっさりとそう認めた。
正直、ひと悶着あるかと思っていた私は拍子抜けする。
その言葉の信憑性がどれほどのものなのか、それを計る術はない。
だが、こちらの要求を全面的に呑まれてはそれ以上続けようがなかった。
「さて、要件はここまでだ。僕は立ち去るとしよう」
言って、踵を返す。
引き留める理由もなく、私はその背を見送る。
ひらひらと手を振って街灯の光から、影の方に消えていく。
「さようなら。有馬良子。この世界でキミはキミらしく生きるがいいさ」
不思議な会遇はこれで終わり。
男と私はもう二度と出会うことはなかった。
■
それから数か月後。
私はマルシアさんに招待されて『スポーティG's』のライブを見に行く事となった。
既に世間ではアイドルブームも陰りを見せており、集客に苦労しているのか小さな会場だったけれど。
それでも初めて見るちゃんとしたアイドルライブは野良ライブとは違って設備や演出から違い素晴らしい物だった。
特にサッカーとバレーを使ったあの演出は一見の価値ありである、まさかボールの大きさの違いをああ使うとはなー。
世間の流行など懸命に頑張るアイドルや応援するファンには関係ない。
彼女たちは存分に自分らしさをステージで表現していた。
そう感じられる熱いステージだった。
興奮冷めやらぬままふわふわとした気持ちのまま帰路に就く。
熱を冷ますように夜の住宅街を歩きながら、思い返すのは忘れられない記憶だった。
全ての不安が吹き飛ぶような、初めてアイドルを見たあの瞬間。
原体験は見上げた夜空に輝く数億年前の光の様に輝き続けていた。
思い出はこうして大切な記憶として残り続ける。
それから、私に一つ趣味が増えた。
暇を見てはアイドルライブに通うようになったのである。
中学生のお小遣いではそれほど頻繁に行ける訳ではないけれど。
これまで私の世界は小さな世界だった。
新たな世界で新たに知り合う人もいる。
新しい事を知る事で世界は広がってゆき、価値観も変化していく。
しかし、3年になるとライブに通う頻度も落ちた。
お小遣いが苦しいというのもあるが、高校受験を控え受験勉強に専念する必要があったからである。
堕天使の力も受験勉強には全く役に立たなかった。
強いて言うなっらファヴくんとの散歩が受験勉強の気分転換になっていたくらいだろうか?
ファヴくんとは‡漆黒龍帝 ファヴニール=カオス‡と名付けた内なる黒龍の事である。
たまに外に出してあげないのも可哀想なので、時々出してばれないように深夜に散歩している。
黒炎を制御すれば撫でられるし、これでも結構懐いてくれている、カワイイやつめ。
そんな勉強の甲斐あってか私は月光芸術学園の入学試験に無事に合格することができた。
私立月光芸術学園。
芸能全般に強く、校外活動の支援もしているため多くの芸能人が通っていること有名な学園である。
あの事件に巻き込まれたアイドル達も多くが在籍していた。
だが、私がこの高校を選んだのは、事件とは関係のない理由である。
月芸は芸能活動のみならず文化系の部活にも力を入れており、特に漫画部は卒業生から多くの漫画家を輩出していた。
これまで漫画は趣味の延長でしかなかったけれど、本気で取り組んでみようと思た。
中高一貫校への高等部からの入学組は既に出来上がってる人間関係に突っ込んでいくため若干肩身が狭かったが。
高校組は高校組で固まったりして、新しい友人もできた。
まあそれなりに精一杯やっているつもりだ。
「おはようございます」
放課後。当初の予定通り漫画部へと入部した私は挨拶と共に部室の扉を開く。
漫画部の部室は綺麗、とは言い難いが十分な広さがり、なにより部活棟の中央近くと言う立地もよい。
傾斜台の置かれた漫画机は一人一席用意されており、トーンやGペンなどのアナログ素材だけではなくペンタブや液タブといったデジタル作画まで充実している。
周囲の部員も漫画作成に対する知識も情熱もあり、漫画を描くにおいてこれ以上ない環境だろう。
目を閉じて隅っこに追いやられたような狭い部室を僅かに思い返す。
数の足りない空き机に、自分で持ち込んだペン一つ。
漫画を描くに全く適していない、そもそも漫画部ですらない、けれど最高に輝いていたあの場所。
輝きは色あせず、されど過去は縋るのではなく、懐かしむものである。
これまで私が好きだった物。
私が新しく好きになった物。
輝かしいような思いでも、辛い出来事だって、全ては私を形成する一部だ。
いろんな経験が新しい私を創造していく。
私は漫画を描く。
己らしさを貫いて散っていった彼らの様に。
どんな絶望にも負けず己らしくあった彼女たちの様に。
自分らしさを表現するために。
今作もいつも通りのファンタジー。
大人になり少しだけ厨二病だったころの自分を恥ずかしく思うようになっても、好きなモノは好きだし、カッコいいものはカッコいい。
ジャンルは異世界転生、主人公はアイドルだ。
希望を届ける話にしたいと思う。
最終更新:2022年05月22日 00:05