第10回トーナメント:予選②




No.6136
【スタンド名】
ディプレッション&ラジィ
【本体】
朝比奈 薫(アサヒナ カオル)

【能力】
怠惰・憂鬱状態にさせるガスを発生させる


No.6086
【スタンド名】
スティング
【本体】
小早川 武人(コハヤカワ タケヒト)

【能力】
触れた物を分解し、別の物に再構成する




ディプレッション&ラジィ vs スティング

【STAGE:図書館】◆4aIZLTQ72s





 ―――“恐怖”というものは、生物が等しく持つ根源的な感覚であり、絶対的な反応である。
哺乳類や霊長類も、爬虫類、鳥類も、例えば“火”を見れば、みなそれがどれほど危険なものか知っている。
得てしてそうなるわけではなく、先天的に、遺伝子の中に「火は危険だ」と組み込まれているのだ。
 迂闊に近づけば、その身を焼かれて死ぬものであると。

 DNAが、生物を“恐怖”させ、その命を守っている。

 しかし、同じ“恐怖”の遺伝子を持つ命でも、動物と人間は違う。
火を目の前にしたとき、動物は熱に怯えることしかできないが、人間はその恩恵に与ることができる。
 人間には、火を操るノウハウがあるからだ。
 人間はただ“恐怖”するだけでなく、学習してそれを乗り越えることができる。己の力で支配することができるのだ。

 ―――つまり、もしも“恐怖”を超えた“本当の恐怖”があるとするならば――それは決して支配できないものであるはずだ。
 そしてそれは、火なんかとは比べ物にならないほど、危険なものであるはずなのだ。

 さらに言うと、“本当の恐怖”とは、実はいつでもすぐそばにあるものだったりするし、一生つき合っていかなければならないものだったりもする――。


駅から歩いて10分ほど、市役所の裏手の坂を上ったところに、その図書館はあった。
 “参加者”の一人である「小早川 武人(こはやかわ たけひと)」は、襟元をぱたぱた扇ぎつつ、入口に向かう。
 そんなに暑いなら切ればいいのに、と思わせるもじゃもじゃ頭と、口元に見せる長い犬歯が特徴的な男だった。

 入口に着いた小早川は、開かない自動ドアを強引にこじ開け、静まり返った館内に足を踏み入れた。
 利用客はいないし、カウンターにも職員の姿は見当たらない。蛍光灯もだんまりを決め込んでいるし、なにより冷房が入っていない。
顔の汗をハンカチでぬぐい、「最悪だね」と小早川はひとりごちた。

 自分の背よりも高い蔵書棚の間を、小早川は何かを探すように練り歩いていく。少し歩くと、小早川の目当てはすぐにみつかった。
 小早川の目の前には、蔵書棚の付近のイスに座った、一人の男子学生の姿があった。
 様々な勲章をくっつけた学ランを着るその学生は、右手で本を読みながら、左手はヨーヨーで遊んでいた。
 
 彼の名は「朝比奈 薫(あさひな かおる)」。近隣の高校に通う3年生である。
 
 小早川は薫の物静かなその表情に、聡明な印象を受けつつも、どことなく屈強な人間としての強さも感じ取っていた。
小早川は確信した。間違いない。この少年が、今回の“対戦相手”だと。

「――はじめまして! 君だろ? 僕の対戦相手」

 薫に近づいて、声をかける小早川。薫は顔を上げて、目の前に立つ小早川を見上げた。

「今日はよろしくな。お互い、恨みっこなしでがんばろう!」
「はぁ……」

 そう言って差し出された右手を、薫は気の抜けた声とともに握り返す。
そして薫は本を閉じ、ヨーヨーを学ランの内ポケットにしまって、気だるそうに立ち上がった。

「命まで取る気はないから、安心してくれたまえよ」

 にかりと笑う小早川。その表情はどことなく機械的で、言葉には熱がなく、いやに形式的だった。
 薫はふーっと重々しい息を吐き出して、疲れたように言う。

「あー……俺はそんな約束できないんで……ヤバイと思ったら逃げてくださいよ」

 小早川と薫の間に、僅かな沈黙が生まれた。互いの瞳を覗き合い、相手の出方を伺っている。
永遠にも思えるほど長い静寂だった。そして静謐は、やがてぴりりとした緊張に変わる。
 緊張は爆弾のように弾けて、それが闘いの合図になった。

「『スティング』ッ!」
「『ディプレッション&ラジィ』!」

 二人は全く同時にスタンドを発現させた。
 小早川の傍らには、クマのおもちゃのような、つぎはぎだらけの『スティング』が立ち、
薫の傍には、独特のオーラを放つ、真っ黒な甲冑の騎士『ディプレッション&ラジィ』が佇む。
 既に二人の距離は数10cmほど。1秒と待たずに互いのスタンドの拳が突き刺さる超至近距離だった。


「……!?」

 ―――しかし、小早川の『スティング』が打ち出した拳は、薫には命中しなかった。
突然、二人を包むように“真っ黒な煙”が発生したのだった。『スティング』の拳と薫の姿は煙に隠れて見えなくなった。
 異様な臭いを感じて、小早川は後ろに飛び退いた。

(なんだこれは……“ガス”か……?)

 口元をハンカチで覆い、小早川は“真っ黒な煙”の中を睨んだ。
 小早川の想像通り、その煙は薫の『ディプレッション&ラジィ』が生み出した“ガス”であった。
 『ディプレッション&ラジィ』の能力――“真っ黒のガス”を発生させ、吸った者にある呪いをかける―――。

(くそ……敵の姿が見えん……だが……なんか、身体が重いぞ……めんどく……――ハッ!? なに!?)

 ―――“怠惰”と“憂鬱”という、最も危険な呪いを。

「こ、これは……」

 まるで、頭の中に霞がかかったようだった。ぼんやりと思考はにじみ始め、全身が気だるさに引かれていく。
ガスに気づいた瞬間、すぐその場を離れたし、口も塞いだ。吸ったとしても、大した量ではないはずだった。
 それなのに、開始早々もうこんな状態である。小早川は、あっさり先手を奪われた事実に、愕然とした。

「――悪いけど、もう決めさせてもらいますよ」

 そしてそんな彼を待たず、薫がガスの中から姿を現して、小早川に再び接近した。
ガスを甲冑の隙間から噴出しつつ、『ディプレッション&ラジィ』が重々しい拳を構えた。
 まともに喰らえば、本当に勝負が決まりかねない拳だった。
 小早川はふぅぅぅーッ!、と体を奮わすように息を吐き、瞬間、『スティング』の両腕で防御の構えをとった。

「オラッ!」
「――ぐッ!」

 両腕の骨がへし折られるかと思うほどの、強烈に重たい一撃だった。
まるで乗用車に撥ねられたかのような衝撃が襲い、『スティング』のガードは弾かれ、小早川は体勢を崩した。
 床に膝を付いた小早川を見下ろして、薫の『ディプレッション&ラジィ』は再度拳を構えなおす。
 小早川は、がりと唇を噛み、重たい膝を立て直し、『ディプレッション&ラジィ』の拳を紙一重で躱した。

(こいつの能力は……ガスで俺の戦闘意欲を削いできやがった……)
「……」
(ガスにまみれて身を隠し、音も立てずに近づいて……そしてあの拳だ。……めんどく――じゃない、厄介だ……!)


 鈍い思考を必死で働かせ、小早川はだるくて仕方のない体に力を込め、『スティング』の右腕を動かした。
クマの右手が拳を作り、『ディプレッション&ラジィ』に向けてパンチを放つ。
『ディプレッション&ラジィ』は直前のところで“真っ黒なガス”を全身から噴出して、またしても溶け込むように姿を消そうとする。
 『スティング』の能力は、それを許さなかった。

「逃がすかッ! 『スティング』ッ、この煙を“分解”しろッ!」

 小早川がそう命じると、クマのスタンドは、握り拳を開き、ガスの中に突っ込んだ腕をぶんぶんと振りかざした。
それはガスをかき消すような仕草だったが、そのガスの中で、薫は思わず眼を疑った。
 『スティング』が腕を払うと、その軌道上のガスがぱっくりと“消滅”していたのだ。
 小早川の命じたとおり、それは『スティング』がガスを原子レベルで“分解”していることを示していた。

 『スティング』の“触れた物を分解する能力”――気体でさえ細かく砕き散らす、そのチカラで。

「……マジかよ」

 あっという間に“真っ黒なガス”のベールは引き剥がされ、薫と『ディプレッション&ラジィ』の姿が顕になった。
『スティング』の左手がぐいと伸びてきて、薫は反応が間に合わず、『ディプレッション&ラジィ』の首を掴まれてしまった。
 小早川は、相手スタンドの首をぎりぎりと締め付けて、空いた右手で再び拳をつくり、構えた。
 そして、先ほどのお返しと言わんばかりに、『スティング』は渾身の右ストレートを『ディプレッション&ラジィ』の顔面に叩き込んだ。

「――うぐ……ッ!」

 スタンドに受けたダメージは、本体にも還元される。ダメージフィードバックで薫の鼻は折れ、多量の鼻血が溢れ出した。
『スティング』の右ストレートの衝撃で、薫の体は背後の蔵書棚に叩きつけられ、揺さぶられた棚から、本がいくつか落下した。
 
「……くそっ、“ガス”を……消しやがったのか……」

 口の中に入った鼻血を吐き捨てて、薫はゆっくりと体を起こした。棚に叩きつけられた背中が痛む。

「違うな、消したわけじゃないぜ?」

 薫のつぶやきに反応した小早川だったが、その声は何故だか遠かった。
薫が顔を上げると、そこに小早川の姿はなく、本と棚の僅かな隙間に目を凝らすと、小早川はいつの間にか蔵書棚を三つほど挟んだ先にいた。
 なぜ突然そんなに距離を置かれたのかはわからなかったが、それがロクでもないことなのは明らかだった。
 次の瞬間、薫は自分の周りに、通常の空気組成とは異なる組成物が漂っているのを察知した。

「――『スティング』は、“分解して作り直す”んだ」
「……!! こ、これは……」
「――お前の周囲の気体(ガス)を、“水素”に作り替えた」

 ―――しかし、気づいたときには遅かった。小早川は、懐から取り出したライターを着火し、薫の方へと投げた。
ライターの炎は、薫に、“水素”に近づいて―――

「うぁぁぁっぁああああああああああああああ」

 ―――鼓膜を突き刺すような爆音と同時に、それは一帯にけたたましい炎を炸裂させた。
薫の体を、爆風が吹き飛ばし、爆炎が焼く。炎は蔵書にも燃え移って、静謐の図書館は瞬く間に火の海とかした。


「ハハハ……」

 その光景を、小早川は乾いた笑みを浮かべて愉しげに眺めている。
 「命まで取るつもりはない」など、ただのオベッカに過ぎなかった男の表情である。
 小早川は勝利を確信した。
 朝比奈 薫、奴は死んだ。いや、仮に生きていたとして、もう助からない。
 その根拠は、爆発の直後に作動した、“スプリンクラー”にあった。

《2分後にガスが放出されます。避難してください》

 避難を促すアナウンスが始まり、炎が燃え広がる館内に機械音声がこだました。
 図書館に設置されるスプリンクラーは、一般的なそれとは種類が異なる。
蔵書を濡らすわけにはいかないため、水が出ないのだ。代わりに、多量の“窒素ガス”を噴射する。
 窒素で空気中の酸素濃度を薄くして、炎の勢いを弱らせるためである。
 つまり、炎を消すために、一時的に酸素が消えるのだ。

 「終わりだ……勝ったッ!!」

 そうこうしている内に、窒素ガスの放出が始まった。
薫は、ぐったりと炎の中で横たわっている。もう死んでいるかもしれないが、このまま酸素を奪われれば死は確実になる。
 ぐっと拳を握って、小早川が勝利の喜びを先走ったときだった。

「――……!! う、うわぁぁぁッ! あああッ! あああッ!」

 薫が目を覚まし、炎の中で飛び起きた。絶叫に近い悲鳴を上げ、がたがたと肩を震わせ、息の出来ない状況に悶えている。
その表情は、“恐怖”に歪んでいる――。その鬼気迫る姿に、小早川はおもわずぷっと吹き出した。

「わぁぁぁああっ、す、吸えない……! 吸えないィッ、うああああああああっ、まっ、まずいっ」
「クク……酸素が吸えないよなぁ? もう終わりだ、諦めろ!」
「まずい、まずいんだよぉぉぉ……! “吸えない”と、まずいんだぁぁッ!!」

 そこでようやく、小早川は薫の様子が本当の意味でおかしいことに気がついた。
「吸えない」と繰り返しながら、必死の形相で首を抑えるその姿――「吸えない」とは、「息ができない」という意味ではないのか?
 彼の訴えに何か別の意味があるように思えて、小早川はひっそり肌を粟立てた。
 薫の顔を引きつらせる“恐怖”も――それは、火や、己の死を恐れているのとは、少し違うようだった。

 ―――朝比奈 薫は、何に“恐怖”している?

 やがて、窒素ガスの放出が収まると、炎は大体おさまっていた。
絶叫は途中で途切れ、薫はその中心地で、書棚と燃え尽きた蔵書にもたれてぴくりとも動かなかった。
 やつは死んだ、と小早川は思った。そして、それを確認すべく、小早川は焼け焦げた薫の側に近寄った。


 小早川が、呼吸の確認のため、薫の顔に耳を近づけた、その瞬間だった。

「――わ」
「……?」
「……わっ、わひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ! アハハハははははははハハーーーーーーーッ!!!」

 気の触れたような爆笑とともに、薫が隠し持っていたナイフを、小早川の耳に突き刺した。
 ナイフの切先は一瞬で鼓膜を切り裂いて、中耳に到達。その先の骨やら筋肉やらを次々に破壊していった。
 一転して、小早川が悲鳴を上げて、だばだばと血が溢れる耳元を抑え、のたうちまわる。

「引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった
 引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった引っかかった」

 そして薫は、壊れたレコードのようにそんな言葉を繰り返しながら、『ディプレッション&ラジィ』で小早川の頭部を踏みつけた。
 何度も何度も、何十回も何百回も。
 骨が砕け、顔面が陥没しようとも。割れた頭蓋骨から脳しょうがこぼれだしても――彼のスタンドは、小早川だったそれを踏み潰し続けた。

 ―――あのとき、薫が恐れていたのは、これが起こってしまうことだった。
 朝比奈 薫にとっての“本当の恐怖”――それは、常に彼とともにあり続ける、異常なまでの残忍性、狂気であった。
 一旦スイッチが入ってしまうと、薫は薫自身を抑えられない。底なしの“殺人衝動”に飲み込まれ、目の前の誰かを破壊してしまう。
 血を求め、快楽を求め、被害者の肉体をひたすら破壊しつづけてしまう――。
 だから薫は、『ディプレッション&ラジィ』のガスを、常に自ら吸い続けていた。
 ガスによって引き起こされる“怠惰と憂鬱”が、彼の“本当の恐怖”を抑え続ける唯一のものだったから――。

 あのとき、周囲に炎がなければ。引火の危険さえなければ、ガスを出して吸えたのに。
 こんな姿にならなくて済んだのに――。



「あははははハハハあははははハハハハアアアアアアああはははははははははははは」



 朝比奈 薫。
 彼は近隣の公立高に通う、17歳の学生である。
 
 そして今、彼の住む街を“恐怖”に陥れている、連続殺人鬼(シリアルキラー)でもある―――。

★★★ 勝者 ★★★

No.6136
【スタンド名】
ディプレッション&ラジィ
【本体】
朝比奈 薫(アサヒナ カオル)

【能力】
怠惰・憂鬱状態にさせるガスを発生させる








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最終更新:2022年04月17日 12:07