週報より
2007.6.24
キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした テトス2:14
19日から21日まで千葉の教団本部で教役者セミナが開催されました。A各教役者がきよめをどう受け止めているか。Bどのように人々をきよめにみちびくか。Cどのようにきよめを教会形成につなげるか。を話し合った後、次のような意見が出されました。
1.きよめとは、人が自己中心を罪として悔い改めてキリストが十字架の死と復活によって人の心に住みその人のたましいを罪からきよめること。
2.きよめられた信徒像とは、キリストによって心の罪を洗いきよめられた人が聖霊に導かれて聖書を基準とした生活をすること。
3.きよめと教会形成はきよめられた人を軸にした愛と赦しの輪によって福音を広めること。
4.教会における実践は、きよめの説教とディボーションの継続、そしてきよめの証をプログラム化して啓蒙し信徒と教会の成熟を目指す。
5.聖協団としては、きよめの定義を明文化し、上記1-4の各項を各教会で実践できるように支援する
祈りは祈りを生み
賛美は感謝を増し
御ことばは行動を促し
十字架は贖いを刺す
佐藤俊輔
2007.2.25
「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」 ローマ13:11-14
洗礼を受けて30年過ぎました。信じた頃は、聖書を理解することもおぼつかない状態でした。今でもまだまだですが、神の国が近づいていることを感じています。やみのわざを捨てて、昼に歩くように、慎ましくみことばを行なう生活を目指していけたらと願っています。主の恵みと教会の皆様のお祈りによって、大変励まされております。ありがとうございます。
2007.2.18
愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです(1ヨハネ3:2)
イエス様を信じたとき、私たちは神の子供という立場をいただきました。しかし、この立場が与えられたからといって、すべての立ち居振る舞いが変わってしまうわけではありません。相変わらず弱さを持っており、悩みや悲しみを経験するのです。しかし、この立場のゆえに私たちは希望を持つことができます。最終的な決算がなされるそのとき、それまでの生活がどうあれイエス様の姿に似たものに変えられるのです。今の生活がどうでも良いということではありませんが、不完全な部分をもったままでも最終的には神様の方で私たちを変えてくださいます。イエス様を信じた時からこの変化は始まっているのです。完成はまだですが、間違いなくその日を神様は用意してくださっています。神様が私たちの内側に働いて、イエス様の心を自分の心として生きて生きたいという願いを起こさせて私たちを取り扱ってくださいます。
2007.2.11
「私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたりなんと力強いことでしょう。」 詩篇8:9
今、私はアメリカやヨーロッパの児童文学に興味を持ち、子ども達と図書館へ行くとその種の本を捜します。特に今から百年位前の物語を読むと、のどかでゆったりした雰囲気が味えて楽しいです。そして、そのような本の中には、生活の中に自然に聖書に触れる場面が出てきます。例えば、食事の後、その家の父親が聖書を手に取り、子供達にその中の一節を読んで聞かせたり、それについて話し合ったり、また、土曜日には髪や体をきれいに洗ってもらい、日曜日にはいつも着る服より少しおしゃれな服を着せてもらって、教会の礼拝へ出かける様子が描かれていたりという具合です。皆さんも、たまには小学生になった気分で児童書も読んでみませんか。きっと素敵な発見があると思いますよ。
2007.2.4
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」 Ⅰペテロ5:7
先週の土曜日に、私は普段身に着けているウエストバッグをどこかに置き忘れてしまいました。そのバッグにはいつも家の鍵や職場の証明書、色々なカードを入れていました。忘れたのに気付いたのは、日曜日の朝でした。慌てて家中を捜しましたが、見つかりませんでした。あまりにも慌てていたので、教会の礼拝にも大分遅れてしまいました。教会へ向かう車の中でも不安になり、落ち着きませんでした。
遅れて教会に入り、途中からの礼拝
メッセージを聴いて、自分と自分の家族や周りの人たちのことについて神様に祈りました。その後教会の人たちとお茶を飲んだり、お菓子を食べながら交わりをしているうちに置き忘れたバックのことなど気にならなくなる程落ち着いた気分になりました。そして自宅に戻り、もしかすると昨夜行ったレストランにあるんじゃないかと思い、電話をしたところ、イスの上に置き忘れていたことが分かり、すぐに取りに行きお店の人にお礼を言って何とか無事解決しました。
日曜日の青梅教会の聖日礼拝と、礼拝後の教会の人たちとの交わりを通しての神様の恵みに心から感謝しました。
2007.1.21
「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。]マルコ11:24
以前、皆様にも私の姉の出産について祈っていただきましたが、今年1月5日に無事男の子の赤ちゃんが誕 生しました。先週、家族で姉の住む那須に行ってきましたが、姉が赤ちゃんを抱いている姿を見て、本当にうれしく、主に感謝いたしました。姉夫婦は結婚して10年になりますが、ずっと子どもが与えられることを信じて祈っていたようです。今回の出産については、周囲の人の祈りに本当に支えられたと姉も話していましたが、祈りというのは本当にすばらしいと思いました。私の夫も無事に生まれるように毎日祈ってくれて感謝です。今は姉夫婦もなれない育児に奮闘中で大変な思いをしており、今度は夫婦喧嘩があまり度を過ぎないよう祈っていこうと思います。
2007.1.14
そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。 創世記1:31
「神よ。変えることのできるものについてそれを変えるだけの勇気を与え給え。変えることのできないものについてそれを受け入れるだけの平静さを与え給え。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを見分ける知恵を与え給え。」(ラインホルト・ニーバー)
DV(ドメスティックバイオレンス)家庭内での配偶者による様々な暴力、学校でのクラス内のいじめ、悲惨なニュースが毎日報じられ、心をえぐられるような思いです。これはあらゆる世界にあるもので、自己中心で、己の満足だけを求める結果、自分の家族や仲間に自分の幸福を奪われていると思いこみ、攻撃を仕掛けていく。恐ろしいことです。自分の満足のために相手を無理矢理変わらせようとするか。相手の満足のために自分を変えるか。私たちクリスチャンは創造者である神様の満足に目を向けることができます。創世記の1章に神様はご自分の作った世界を見て「よし」とされたと6回語っています。最後は「非常によかった」となっています。神様が「よし」といっているのに、私たちが「だめ」と言って良いのでしょうか。人間の目で配偶者を見て、悪しと思い、「変えてやろうなどと思うのは僭越と言おうか、傲慢と言おうか。イエス様は私たちを赦し続けていてくださり、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と言ってくださる。変わるべきは私であり、私の信仰のあり方こそ変えなければならないものです。互いに認め合い、互いに補い合って円満を勝ち取っていきたいです。
2007.1.7
「まことにその人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」 詩篇1:2
新年おめでとうございます。愛する方々の祈りのうちに守られたことを心より感謝いたします。
新年、大変すがすがしい心で神様とお話することができました。特に元旦の朝の祈り会は格別でした。上記のみことばから大きな恵みと、又新しい目標が与えられました。イスラエルの人々がみことばの箱を額にしばりつけて、みことばから離れないようにしているように、私も昼も夜も口ずさむようにしようと決心しました。小さな幼子が一つのおもちゃにとどまることなく、次から次へと興味を移していくことを見ますが、私はこのみことばにしっかりととどまり、興味を持ち続けていきます。
この目標が今年の12月31日になって、どのような結果を見ることができるか、とてもワクワクします。主の業を見せていただきたいと、とても楽しみです。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2006.12.17
愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。1ヨハネ4:7-8
聖書には愛について多くのことが記されています。私自身愛についてのみことばがいつも目にとまります9月に入って一人暮らしを始めてから、たくさんの愛に触れることができました。神に守られ生かされている愛。
周りの人に助けられ励まされる愛を日々感じています職場の人からは寒くなりはじめると、室内の暖房について色々心配してくれて品物を与えてもらったり、アドバイスをしてくれたりと、今まで知ることのなかった「愛」に触れ、支えられていることを思います。私にこの暖かい人々を与えて下さった主に感謝しますこの愛を私も私にできるホンの小さなことでも分けていくことができたら・・・っと思っています。
2006.12.10
陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替え た。エレミヤ18:4
私は神様になにができるだろうか?いつだかの礼拝でパリサイ人と収税人の話を聞いたとき、「あっ、私ってもしかしてパリサイ人だ。」って思いました。
日常は、神様を忘れた生活をしているにもかかわらず礼拝では司会をしたり賛美したり、会計係りだったり人前だけ一生懸命奉仕をしている自分の姿はまさにパリサイ人そのもののように思いました。そんな私ですが、神様に喜んでもらえるような器になりたいです。
2006.12.3
ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。
私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。
いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。詩篇146:1-2
8年程前から詩篇を書き写すように導かれ、芳名帳数冊をプレゼントされて書き始めました。途中次男が結婚し、かわいい孫も与えられ、子守などで落ち着いて机にむかうことができなくなりました。最近落ち着きましたので、再開いたしました。ペンをとる手もままなりませんが、今第100篇まで書き進むことができました。字も上手くありませんが、書いているうちに神様への賛美が湧いてきております。
小さな、小さなことしかできずに年月だけを経ていますが、私に対する神様の大きな愛と力を感じ、とても感謝な日々を過ごさせていただいています。
2006.11.26
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 ローマ8:28
今年の6月より教会学校の先生として用いていたいています。初めてこのお話を好邦先生より聞かされた時には、何も分からない私にできるのだろうかと心配になりましたが、毎週土曜日に好枝先生と次の日の予習をして、色々教えていただきながら、なんとか続けることができています。
今は、優奈さんと石田さんとともに勉強しています。優奈さんは学校での勉強が忙しい中にあっても、聖書の勉強も大切にし、毎週のように出かけてきてくれています。また、石田さんも熱心に予習して私より詳しい程です。そして何より嬉しいことは、石田さんがこんなにつたない私に対して「とても良かったです。ありがとう」というような言葉をかけて下さいます。その感謝の言葉に励まされて、また、次の勉強を頑張ろうという気持ちにさせられます。これからも神さまのみことばを一つ一つ覚えて、生かしていけるように助けて下さい。
2006.11.19
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさいピリピ2:3-4
私は、クリスチャンになって色々なことに忍耐できるようになりました。結婚当初は昔のわがままな性格が丸出しで、よく妻を泣かせたり、困らせたりしましたが祈りによって神さまが変えて下さり、今では妻と上手く協調しあい、家庭の平和が保たれています。毎日夜寝る前に祈っていますが、悔い改めの祈りをしてすぐ腹を立てる性格を変えて頂けるようにお願いしています。そのためか心の中も平安が保たれるようになりました。まだまだ不完全ですが少しでもイエスさまに似たものに変えられるように祈り続けていこうと思います。
2006.11.12
御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。ガラテヤ5:22-23
子どもを授かって女の子だと分かったとき、このみことばから愛と実をとって名前をつけました。この世に生を受けて生まれてきた以上、幸せになってもらいたいですし、幸せの秘訣は神さまに愛されることと、そして神さまと人を愛すことだと思ったからです。
最近、世の中には親から愛されずに育った人達が大勢います。愛されないどころか子どもが親から虐待を受けているのです。そういった人達の人生は悲惨なもので、まず人格が育っていない、もしくは壊れてしまっているために社会生活が成り立ちません。私の勤めている施設にもそういった方が入所されますが、本当にやり直しがきかないと言うことを感じます。きっと神さまの愛を受けて愛される体験をする以外に方法はないのだと思います。
私は今、子育て中ですが毎日が忍耐の連続です。時々その忍耐も耐えられなくなりそうになり自分の愛の足りなさを感じます。でもそんな時神さまの忍耐深さを思い起こします。神さまはこの罪がはびこっている世の中、そむきの罪に対して忍耐の限りを尽くしておられます。また、私のようなクリスチャンに対しても忍耐を持って日々導きを与えて下さいます。私は娘に人を愛す人になってもらいたいの、でこれからも神さまの愛と助けをいただいて娘を愛していきたいと思います。
2006.11.5
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。ローマ12:17
メッセージを聞いているとき、このみことばがすっと入ってきてはっとしました。前にも書いたかもしれませんが、保育園は女社会であるからか、人間関係の中で汚い部分を見ます。それは男女に関係しないのかもしれませんが、人の悪い部分だけがたくさん見えてきて、いらだったり、つい自分 も良いことをしているようで、実は心の中はとても汚かったり。これではいけないと思っていても、なんとなくそこから抜け出せないような時このみことばを聴きました。自分がしていたことは、悪に悪を報いることだと、教えられました。ひとの悪いところを見つけて、悪いことを考えるのではなく、自分の心をしっかりと保ち、自分のペースで神さまと共に歩んでいきたいと思います。
2006.10.29
神の賜物と召命とは変わることがありません。ローマ11:29
今回の教役者セミナーは、「教会形成とイスラエル」というテーマで研修が行われました。聖協団では長年イスラエルの救いを祈り続けていますが、そのことと教会形成の間にどのような関連があるのかを話し合ってきました。聖書を読みながら、イスラエルに対する神さまの約束に立って祈ってきたわけですが、その中にイスラエルが良くても悪くても、神の選びと約束とのために神はイスラエルを守り続け、助け続けているということ。今はまだ混乱の中にあり、絶望状態だが、いつか神はイスラエルを完全に救う日が来るという、希望が明らかに示されています。三つ目は、イスラエルは全世界を祝福する民族として選ばれた。アブラハムへの祝福の源となるという約束はイエス・キリストの贖いによって完成されました。Ⅰコリント13章13節にパウロの言葉で有名な「信仰と希望と愛」という大きなテーマが掲げられていますが、イスラエルと神さまとの間にある関係はこの信仰と希望と愛によってなりたっています。私たちの教会もイスラエルと神さまの関係を見習って建て上げていくことが出来ます。人間形成、教会形成といいますが形成とは、あるべき姿に形作っていくことです。神さまから与えられる「信仰と希望と愛」これが私たちを神の子クリスチャンとして、また、キリストの身体であり、キリストの花嫁としての教会として立派に形成していくのです。青梅教会においても、イスラエルと神さまの関係に学びながら、クリスチャンとして教会として成長していきたいと思います。
最終更新:2007年06月24日 10:41