人の幸福には定型は存在しない。これ、という願望や定型はあっても、最終的な形はそうはなってくれない。
一見幸先のいいスタートをしたように見えても、ふとした油断から始まる破綻はあっという間だ。
そして幸福を得る方法は膨大で、かつ限りがない。その上、人間の欲求という奴には上限がない。
一時的な幸福感で満足できない彼らの向かう先は次の幸福だ。
その幸福を得るためだけに、他人さえも平然と手に掛け、踏みにじる事が出来る。
免罪符ではなく、確信犯として彼らはそれを実行できる。しかし実行者だからと言って、彼らが手に掛けられ、踏みにじられる側に回るという事は容認できないものである。
「ここも間もなく陥落といったところか……」
画面に映し出されるのは炎に包まれえるイル・シャロム。安全圏とは思っていなかったが想定していたよりも遥かにバンガードの部隊の進撃は早かったようである。
政府軍の高官の脱出はほぼ完了した。逃げ遅れに掛ける慈悲はないとしても、果たしてその“逃げ遅れの代表”たる我々の退路は何処にあるのか。見渡す限り火の海で、あちこち赤い機体がうろついている。新兵が見ればちょっとしたトラウマだろう。
仮にイル・シャロムを抜け出したところで、旧政府軍は既に大部分がイル・シャロムを退避している。逃げ遅れの我々を助けに来る連中も、わざわざ合流しにくる連中もいない。そもそも我々は“数に入っていない”。
「大尉。これ以上の戦闘の継続は困難ですが、退路も無いに等しい状況です。詰み、ですかね」
「中尉。君はつくづく現実的思考だね。君のその性質は嫌いではないが、今だけは少し恨みたい気分だ。見ろこの状況。こんな状況で政府高官に恩売ろうなんて考えた奴の気が知れない。使い捨てだろう俺ら」
「そうですか。では。大尉。希望を捨ててはいけません。我々の置かれている状況は絶望的ですが、気合と根性と熱血があれば何とかなります。集中しましょう。あと恩を売ろうと提案したのは私ですが承諾したのは大尉ですよ。それにここまで酷いとは思いませんでしたし」
「別に精神論で励ましてくれとは言ってない。なんで中尉は人の心を読んだ気になって、誤ったアドバイスをするんだね。ああ、そうだったな、そうだった。認識が甘かったよ。もう少し部下を思いやる高官はいねぇのかよ……あぁだから大佐はクーデターできたんだったな」
「今更気づきましたか。大佐殿以外がクーデター起こしても、こんな大事にはなりませんからね。いいですねそのげんなりした顔。今日で見納めかと思うと残念ですね。これでも見て元気出してください。てへっ♪」
いまいち本人もよくわかっていない、どこで覚えたかよく分からないかわいい(?)ポーズを取る。中尉は相変わらずマイペースだった。それとなく殺してやりたいが今はぐっとこらえる。殺しても一銭の得にならない上、こいつの場合は殺すという脅しが効かないのを知っている。
そして今日で見納め、という言葉に彼女の期待通りのげんなりした顔を晒している。情けない事だ。顔を叩けば少しは気が引き締まるか。―――やめた。中尉の笑う顔が目に浮かんで、モニターを殴りそうになった。
しかしそれほどに我々のちっぽけな命のカウントダウンは続いている。秒針もデジタル表示も無く、心臓の刻む鼓動がそのままカウントダウンという趣味の悪い仕様だ。鼓動が止まったら死亡だ。どちらかといえば止められたら死ぬが正解だが。
「だがこのまま腹を括るのも、誇りある死もまったくもって好ましくない。中尉、何か考えろ。俺は死にたくないぞ。むしろ何の得にもならん事して死ぬなんてまっぴらごめんだ。何故俺が死ななきゃならん」
「何をおっしゃいます。大尉はいうなればモブです。戦争映画でいうなら、突然何処かから撃たれて死ぬ兵士役です。さっさと腹を括った方がいいでしょう。主に大尉が。私は生き残ります。大尉の屍を踏み台にして。いえむしろ肉壁として利用して」
やはりこの女、ここで殺してやろうかという欲望を振り切る。わざわざこんなくだらないことで消耗していたらきりがない。このエリアもダメだった。敵の数が多すぎる。移動しながら喋るのは疲れるが、こうでもしてないと頭が回らない。
既に何度かに渡りバンガード部隊と交戦し、これらを排除している。数の上ではあちらの方が有利だが、功を焦る兵士は何処にでもいるものだ。こちらが消耗しているとはいえ、単騎で来るのは命知らずとしか言いようがあるまい。
そんな功を焦った兵士が残してくれた“追加装甲”もついに使い物にならなくなった。中尉のACがまるでゴミでも見つめるような目で一瞥した後、こちらを向く。
「大尉、本当にこのままだと死にます。流石にさっきみたいなのを見せられて、突っ込んでくる勇猛果敢な方はいらっしゃらないでしょう」
「だろうな。一応撒いたは撒いたが、どうせ他の高官のヘリを追っかけたんだろう。俺達死にぞこないは近いうちに味方が始末するだろうとタカを括ってるんだ。いいご身分だな、まったく」
「ここは大尉が囮になるというのはどうでしょう。自慢の重装甲があれば、数秒くらいは持つでしょう」
「この機体(タンク)を棺桶にするのは冗談でもやめろ。洒落にならん」
彼女の言葉は適切だが、それはこちらの耐久限界値が10%を切っていなければの話だ。中尉の機の限界値は30%程残っているが、実質的にはこちらと大差はないだろう。
適切なルートを検索中だが、いかんせん市街エリアは崩壊したビルで寸断されている個所があり、殆どあてにならない。
一応、バンガードの部隊と遭遇しないルートを検討しているが、リコンが切れれば確実に死が待っている事だろう。
「一番現実的な方法があるとすれば機を放棄する事でしょうか。現状このジャンクと大差のない機体で歩くよりはまだ一般人に紛れられる方が逃げるチャンスは多いかと」
「あぁ、そうだな。一般人に紛れられる場所があればな。そんなところ何処にある。今頃シェルターのドアは固く閉じられている。入れてくれる聖人に期待するなんて無神論者の俺には到底無理だ」
こういう時、特務部隊というのは色々と役に立つ。その辺のパーソナルデータは一般部隊に開示されないため、しかるべき恰好と振る舞いさえしておけば一般人に紛れるのは難しくない。
同時に特務部隊で困ることがあるとすれば、バンガードの傘下には入れない事だ。いない部隊は始末されるのが大概において世のさだめだ。特に我々の部隊はその性質上、正規軍に入るのは絶望的だ。
「周辺データの検索終了。マッピング完了しましたが、付近に市民用のシェルターがあるようです。いかがいたします?」
「残り少ないプラズマガンでドアを焼切ってやれ。連中の悲鳴でも聞ければ多少は気分も晴れるってもんだ。それに俺らは別に市民を守る部隊じゃないからな」
「了解。大尉は実に話の分かる方です。貴方のような上司で本当によかったです。感謝しています」
「そんな事で感謝されたって困るんだが……」
そういって中尉のACはシェルターのドアに残弾の少ないプラズマガンをありったけ叩き込む。
しばらくの後、ドアが熱量に耐えきれずに融解し、悲鳴と思しき声が聞こえてくる。中尉のACはそのシェルターにプラズマガンを投げつけている。やはり気が立っているらしい。
眠気覚ましのガムに手を取ろうとして気づく。最後の一枚だった。
「あぁ、クソッ。ガムに死亡宣告をされたのは初めてだ。なんて不愉快な気分だ。これじゃ気晴らしにもならねェ」
「大尉の死は確定的事実という事です。残念でした大尉……あら? これは……冗談ではありません。神様、大尉と一緒くたに殺されるなんて最悪です。数秒だけ、いえ、一分だけ、いえ一時間だけ死ぬ時間をずらしてください」
しばらくして中尉は嫌な顔をして、饒舌にそう言った。想像するに、ドロップ缶の中身がこちらのガムと同じ状況なのだろう。等しく死刑宣告を貰ったわけだ。
もう反論するのも面倒臭くなってきた。中尉の妄言を放り、周辺スキャンを継続する。
そして唯一の脱出経路と思しき者を発見する。運の良いことだ、建設前の建物に大きく穿たれた穴、その先に見える物はまごう事のないものだ。
「中尉」
「地下鉄道路ですか。周辺部隊もまだ気づいていないようですね。さっさと脱出しましょう。鉄道のルートは頭に入っていますよ」
「それじゃあ案内を頼もう。便利だな、色々と」
「えぇ、まったく便利です。素晴らしい事です」
にっこりと目の笑っていない笑みを返されつつも、その穴に飛び込んでいく。この先に鬼が出ようが蛇が出ようが今よりは死に遠ざかるだろうという程度の気休めを噛み締めて。
イル・シャロムは高層区・低層区・沿岸区など様々な都市区を膨大な量の地下鉄道路で結んでいる。その中には廃線になった物も少なくはなく、廃棄されたまま放置されているものもある。
一時期はレジスタンスの温床にもなっていた場所であり、その頃の“家屋と思しき物”が散見された。こんな場所に住むことを想像するぞっとしながら、互いのACが“家屋と思しき物”を踏み潰していく。
「よくもまぁこんな所に住む気になったもんだね、レジスタンスのゴミ虫諸君は」
「ゴミ虫には丁度いい住まいではありませんか?」
「それもそうだね、中尉。で、この道であってるのか」
「えぇ、問題無く。予定では低層区に出る予定です。主戦力の大部分は高層区に集中している事でしょうから」
「そうだといいがねぇ」
「大尉、知っていますか? 悪い考えを巡らせるとその通りになってしまうのですよ?」
「現実的視点での発言だよ。希望的観測は楽天家のお家芸だ」
先ほどと同じく彼らがこうして無駄に喋っているのは、別に余裕があるわけではない。彼らなりの精神を落ち着かせる方法だ。
所謂、戦場で追いつめられるほど高揚する人間や、常時冷静さを保っている人間、戦いを求める人間という奴らは本質的には怪物と大差がないというのが大尉の考えだった。中尉もおおよそ同意見である。
大尉も中尉も本質的にはただの人間に過ぎない為、そういう手段が必要になる。本来その役割をするものが欠乏しているので、必要以上に喋り合っているのだ。
それでも両者の発言に「脱出した後どうするのか」という旨の話題が出てこないのは、大尉の言うようにそこまでの希望的観測を持ち合わせていないからである。
しばし喋り合うも途中からは話題がなくなり、会話が完全に途切れると互いの機体を前進させ、周囲に目を凝らす。機体のスパーク音が鉄道に響く。画面は少しノイズが走っていた。
ある程度前進した後、前方に光が見える。まもなく出口だ。嫌な予感は的中する。気づかれていないのは幸運だろうか。
「大尉。まもなく低層区に出ます。お覚悟を」
「了解、中尉殿。幸運の女神になってくれることを期待するよ?」
「本当に期待していますか?」
「まさか。お前が幸運の女神なんてクソっくらえだ」
そう言いあった後、大尉と中尉はトンネルを出た。
残りの銃弾を撃ち尽くす勢いで飛び出した。敵は完全に不意を突かれる形でそのまま2機のストライカーが吹き飛ぶ。
通信をせんとするコマンダーのコアをスナイパーキャノンで抉りぬいた。弾道がわずかに逸れた時は大尉の背筋に悪寒が走りそうになっていた。
弾切れのスナイパーキャノンを放り捨て、ハンガーの武装に切り替える。レーザーライフルがチャージされ、中尉の攻撃から逃げるストライカーの右腕を消し飛ばす。
動揺しこちらを向いたストライカーが勢いよく蹴り飛ばされ、倉庫に激突して炎上した。中尉の機体だ。既に両腕が無い。
そこから先は覚えていない。行く宛もないまま彷徨ったような気もするが、互いに思い出そうとは思わなかった。
最終更新:2012年06月11日 02:51