立ち並ぶ高層ビル郡に徐々に光が当たり、窓ガラスが反射し眩しさを増していく。
数刻前まで只々暗闇であった空が白み始め、闇の中から灰色の雲が認識出来るようになってきた。
首都イル・シャロムの一角にある共同墓地。
この街が産まれたときからあったであろう墓石の群は、何百或いは何千と等間隔で機械的に立ち並んでいた。
その墓地の中を花束を持って歩く人物がいた。
まだ日は見えず墓石に刻まれた名前も見え辛い程度の暗さだったが、彼は慣れた足取りでそのうちの一つの墓石に向かう。
やがて彼がその墓石の前に立つと徐に腰を下ろし、持って来た花束を墓前に供えた。
「お久しぶりです。御義父さん」
一見すれば女性と見間違えるような中性的な美しさを備えた少年-
イョルン・アンダーセン-は墓前にそう言葉をかけた。
彼が義父と呼んだ墓石の主はボガード・アンダーセン。
かつてイル・シャロムを支配していた旧政府時代、その政府の重鎮を務めていた男であった。
「こんな時間ですいません。でも、どうしても今日でなければいけなかったので」
墓石に手を伸ばし、イョルンは墓石の彼に語りかける。
「以前お話ししたバンガードの事です。上手くいきましたよ、僕は機動部隊の隊長になって中尉に昇進しました。」
3年前に圧制政府を叩き出し新たな統治者となった『バンガード』だが、その統治の実態は3年前と大して変わっていなかった。
今でこそまだこの墓地を包むものは静寂だが、日が昇れば喧騒或いは銃声に取って代わるだろう。
それらの治安維持の上に他勢力との勢力争いが激化しつつある中、主戦力であるACを扱える人間は一人でも多く欲しいというのが実情だ。
弱冠19歳のイョルンが中尉になり仮にも一部隊の隊長に抜擢されたのは、そういった背景と彼の資質、それと少々の『便宜』によるものだった。
「実際夢みたいな話ですよね、数年前までスラムで埋まっていた僕がこんな場所にいるなんて」
イョルンは正確にはここイル・シャロムの出身では無かった。
都市の中央にそびえ立つ統治者の象徴であるタワー、その下で市民たちが毎日を暮らすビル郡。
それら高層建造物の華やかな印象の裏で、イル・シャロムの地下にはそれらの統治された生活圏から切り捨てられ、追い出された人々がいた。
他に往く当てなど無い彼らは嘗て使われていた地下道を中心にスラムを作り出し、統治者達からの弾圧や迫害に怯えながら暮らしているのだ。
イョルンはそんなスラムの中で生まれ、その後両親を早くに亡くしたことで幼い頃から物乞い同然の暮らしをして来たのだった。
そんなイョルンの人生の転機となったのは7年前。彼が飢えに耐え切れず一人で地下から都市区まで這うように上がってきた時の事だった。
本来スラムの人間が都市区に来れば、浴びせられるのは罵声か暴力かのどちらかのみの筈だった。
『君――、大丈夫かい?』
その時彼に掛けられたのは自分を気遣う声と初老の男の差し伸べられた手であった。
「・・・あの時貴方と出会わなければ、僕はあのまま地下で朽ちていたんでしょうね」
ボガードは後に運命だったとイョルンに話していた。走る車の中、窓からふと外を見てみれば君の美しい姿が見えたのだと。
急いで車を止めさせ、君の下へ向かった。どうしても君を手に入れたかったのだと。
「だから、感謝してるんですよ。本当に。
・・・例え切欠が戯れであっても、貴方が僕を愛してくれていたのは僕が一番分かっていることですから」
ボガードと共に本当の意味でイル・シャロムに来た時、全ての事がイョルンにとっては初めてだった。
目まぐるしく走る車、見上げても頂が見えないほど巨大なビル、スラムとは比べる事すらおこがましい程の煌びやかなビルの一室。
そして初めてイル・シャロムで彼の下で一夜を過ごし、高層ビルの窓から見た夜明けの街はイョルンにとって深く心に焼き付く景色だった。
やがてイョルンは彼の養子となり、ボガードはイョルンと過ごす中で本当の息子の様に愛情を深めていった。
イョルンもその気持ちに応える為、有力者の子として相応しくある為に様々な事を学んでいったのだった。
「・・・だからこそ、貴方は僕が軍属になる事に反対だった」
3年前クーデターが発生した時、ボガードはいち早くバンガードに通じていた。
バンガードに利する情報を渡す見返りに、自分達と自分の財産を見逃すよう取引していたのだ。
全てはイョルンに自分が居なくなった後も危険とは無縁の生き方をして欲しいという彼の精一杯の愛情であった。
ボガード・アンダーセンが病に倒れ亡くなったのは、その2年後だった。
彼の遺産がイョルンに受け継がれると、イョルンはバンガードに入隊する事を決め、ACパイロットの道を選んだ。
「でもね、やっぱり忘れられないんですよ。あの時、貴方に連れられてあのビルの窓からみた景色が・・・
あの夜明けを、もっと高い所から見てみたい・・・出来ることなら、あのタワーから」
そう言ってイョルンはタワーを見上げた。
統治の象徴であるタワーは朝日に照らされ眩しさを増していた。あの時のタワーもこんな光景だった。
初めて見た夜明けの街、朝日に照らされ輝くタワー、高層ビル。立ち並ぶ人工物達がイョルンには全て美しく光り輝いて見えた。
「あそこに登り詰める為なら何でも掛けられる。僕の命も、他人の命も。・・・全てを踏み台にすることも」
ふと、イョルンは自分で言ったことに苦笑した。
「ひどい男ですよね、僕も。・・・でも、出来れば見守っていて下さい。お叱りなら貴方の所へ行った時に受けますから」
そう言ってイョルンは墓石にそっと口付けをした。
「じゃあ、もう行かないと。・・・愛してますよ、ボガードさん。今も、それなりにね」
そしてイョルンは立ち上がり、元来た方へ歩き去っていった。
朝日は昇り、墓石達に光が照らされていく。
そうして今日も喧騒と銃声がイル・シャロムに響いていく。
登場人物
最終更新:2012年05月12日 05:16