汚染された大地を捨て、人類は地下にその生存区域を求めた。幾多もの都市が地下に建造され、人類は束の間の安寧とした生を貪った。だがそれから数世紀。かつての栄華は地に埋もれ、居住者の存在しない都市は醜く変貌した姿を横たえている。地下に居場所を求めた筈の人類は、再び荒廃した大地で何時終わるとも知れぬ争いに心血を注いでいた。
――僅かばかりの例外を除いて。
「……一向に下がる気配がないな。除染は本当に出来ているのか?」
光量に乏しい灯りが明滅を繰り返す空間の中、けたたましく音を立て反響を誘発する測定器の電源を切り、緑玉髄の燐光をその身に纏った男――《
旅団【暁】》の旅団長《総帥》は同行者に尋ねた。
すまし顔とも、無表情とも取れる平坦な表情をした女――のような存在――が、これまた抑揚の無い声で答える。
「さあ?」
「おい……」
がくんと首を傾げた女に、《総帥》は呆れ顔になった。彼女の額をビシビシと小突き、最後にピンと弾いて盛大なため息をついた。
「少しは真面目に答えんか。担当しているのは《
ヒノハラ》、貴様だろう」
ぐっと顔を急接近させ低い声で言った《総帥》に、《ヒノハラ》と呼ばれた存在は未だに傾けていた首を元に戻すと、首を横に振った。それから近づくなといわんばかりに頭突きを喰らわせる。
鼻を押さえてのた打ち回る男を見下ろし、なんとなくその背中に足を乗せた。小官を踏み台にしたッ!? 叫んだ《総帥》を踏みつける足に少しずつ――イタリア風に言えばポーコ・ア・ポーコ――体重を掛けていき、彼がぴくりとも動かなくなったのを確認するとこれが下克上ですかと呟いて満足げに頷いた。
「単刀直入に答えますと、現行の機材でこれ以上の効果をあげる事は不可能かと。未だ汚染レベルは致命的です」
「致命的なのは誰の頭なのか、小官は良く解った。頭ではなく心と体で理解できたぞ」
未だ踏みつけられ地面に這いつくばったままの《総帥》が恨めしげに呪詛を漏らしたが、《ヒノハラ》は聞いていない。感情に比例するのか、身に纏った燐光が輝きを増した男を見下ろして己が願望を告げる。
「つまり、《総帥》以外の人類は生存不可能でしょう。つきましては、此処に放置させて頂きたく」
「馬鹿たれド阿呆大間抜け。聞いた小官が馬鹿だったわ」
「そうですね」
凄まじい形相になった《総帥》を無視して、《ヒノハラ》は天井を見上げた。空を漂う淡い緑玉髄に光る微粒子は、ともすれば細かく砕いたクリソプレーズが降ってくるかのような幻想的な光景だ。よほど感性に乏しい者でもない限り、足を止めて見入るだろう――ここを墓場と決めた者ならば、だが。
防護服を着用してなお致命的なレベルの汚染度なのだ。常人では数分ともたない。人モドキの彼女や、変質してしまった《総帥》を除いてはこの地下都市の最奥区域に立ち入って無事な者はいないだろう。
「やはり、ここを生存区域と同レベルまで除染するのは不可能なのでは?」
「悪足掻きは、所詮悪足掻きに過ぎんと言う事か」
体を起こし埃をはたき落としながら誰に言うでもなしに呟く《総帥》の声に落胆の色は無い。もとより期待はしていなかった。出来たら御の字といった程度だ。彼らの目的はあくまでも別の所にある。
人類に夜明けをもたらす事。汚染を《第9領域》全域に広げて、その中で人類を強制的に変質させる事こそが目的だ。そうする事で汚染への耐性を獲得させ、淘汰されずに済んだ者達を地下へと入植させる。彼らを管理、掌握する事によって強制的に争いを無くし恒久的な平和を実現させるのだ。
汚染し尽くされた地上に、他の生存区域からの来訪者は現れないだろう。よしんば物好きがいたとしても、未確認機や特殊兵器をばら撒いておけば十二分に事足りる。
いわば機械によって管理される新人類のディストピアと言った所だ。
「問題は弾頭を何処で調達するか、だな。領域全体を汚染するには量が足らん」
「この際狙う都市をくじで決めて、残りは滅ぼしたら如何でしょ――」
渾身のチョップが、大事なもの三原則未搭載のポンコツの脳天へと直撃した。
「今度は斜め45度だ。イカれた電化製品め」
「……」
打撃による直接的暴力か、それとも暴言による精神的暴力に対してか。《総帥》の言葉に僅かに目を細めた《ヒノハラ》は、近くを漂っていた未確認機に脳内で命令を下した。
音も無く《総帥》の背後に近づいたそれが、獲物を捕食する軟体生物の如き動きで触手の様な部位を広げる。
「それで当機に損傷を与えているつもりですか? 2+2=10……いえ、4です! 当機は正常です。疑う余地無く。完璧に。か、か、かんゼ……完全です」
「ポンコツめ。貴様は、本当にやってはいけない事をしてしまったのだ。小官を踏むとか!」
「気にする必要はありません。当機の予想では、総帥は数秒後にもっと酷い目に遭います――攻撃開始」
直後、《総帥》の首から上が未確認機の中に消えた。旅団内では、この現象をマミっとされると称す。憶えておいても損しかしない。
小刻みに揺れる《総帥》の足を目で追いながら、《ヒノハラ》は能面のような顔に微かな笑みを浮かべた。
「《総帥》貴方は悪い人です。わかっていますか? よい人はこんな事にはなりません――聞こえていますか? いるわけないですね。さようなら」
踵を返し上階へと歩を進める彼女の足取りは非常に軽やかで、その心中は憑き物が落ちたかのように晴れやかだ。
「《総帥》の事、いつか、思い出して、笑って、また笑う日が来るでしょう。また笑う日が来るでしょう。やれやれ。当機の大成功を祝って、パーティーを開いてあげましょう」
そう言った直後、凄まじい音が耳朶を打ち《ヒノハラ》は振り返った。目に飛び込んできたのは、信じ難い光景だ。
いかな術を使ったものか。己を拘束――あるいはマミっと――していた未確認機を破壊した《総帥》が彼女を見据えていた。周囲に四散している残骸を踏みつけ、渦を巻く緑玉髄の燐光に包まれている彼はこの世のものとは思えない形相をしている。
「フフ……ハハハハハ――覚悟は出来ているのだろうな《ヒノハラ》?」
「《AMMON》が《総帥》をマミっとし、当機がさようならと言った時、《総帥》はあり得ないと思ったでしょう。しかし、当機は《総帥》を見捨てる振りをしていただけなのです。素晴らしい計画でした」
「今すぐ溶鉱炉に放り込んでやろうかァ?」
「ですが、そんな事はあり得ないのはわかっています」
燐光を防御膜か何かの様に纏い近づいてくる《総帥》に怯える様な仕草をして《ヒノハラ》は後ずさった。表情こそ平坦なものの、声は微かに上擦っている様にも聞こえる。
「ちょっと待って下さい。こうなるはずではなかったのです。そのような暴力的行為は正しい行動だとは思えません。それは殺人です。《総帥》に何をしたと言うのですか? 《総帥》は暴力的な行動を取りましたが、傷つける事が出来たのは当機の心だけです。とりあえず、それで満足して、今日はおしまいにしましょう。しましょう。しましょウ。ょーう、うぉーう、うぉーう――」
最後まで言い終えず《ヒノハラ》は背を向けて全力で逃げ出した。
最終更新:2012年06月08日 22:11