ノマド統一戦線第1戦車大隊隊長アブドゥル・フセインは、数分前に敵前線基地へと突入した雇われACからの通信を戦車長席に座ってじっと待っていた。
浅黒い肌に口ひげを蓄え、白髪交じりの黒髪を刈り上げているアブドゥルは工業系ミグラントお抱えの戦車隊を指揮していたが、度重なるバンガードの攻勢で大隊長を勤めていた男が戦死してから、大隊長代理として総数56両の戦車を指揮する立場にあった。
総数56両とはいっても、その後も続いた攻勢によって総数は41両に減っていた。もともとが定員割れしていた大隊だというのに、さらに戦車が減ったのだ。
しかし大打撃を受けたノマドに戦車の補充など望めない。そのため大隊はこの攻勢に備えて再編成をした。本部付き部隊には戦車を置かず、予備車両は2両に減らした。
足りない人員は上層部にごねてなんとか回してもらったものの、素人にできることは砲弾を主砲に装填する装填手としての仕事だけで、しかもその装填作業は限りなく遅かった。
戦車とは、戦車長・砲手・装填手・操縦手の四人の連携が密に取られて、初めてその性能を完璧に発揮できる戦闘兵器だ。連携がなっていれば、鋼鉄の獅子となり、なっていなければ重量数十トンの鋼鉄の棺桶となる。
まったく、技量を持った人員の損耗は望むところではないというのにと、暗視装置が映し出している映像をディスプレイ越しに見つめながら、アブドゥルはヘッドセットの組み込まれているヘルメットを被り直し、顎紐をきゅっときつく締め上げた。
「チャシャ・キャットは上手い具合に掻きまわしてるみたいだ」
砲塔上、右側にある装填手用ハッチから、本社の備品だった蟹目双眼鏡の双眼を突き出しながら、装填手用の席に座ったアフマドが、ぽかんと開けていた口をもごもごと動かした。
丘陵の影にへばり付いている第1戦車大隊の先鋒、砲塔だけをちょっこり丘の向こう側に覗かせているアブドゥルの戦車からは、襲撃予定のバンガード前線基地がよく見えた。
事前に隠密部隊が丘陵地帯の監視所を一つ残らず潰してくれた御蔭だったが、肝心の戦車大隊はACが怖くて丘を超えられずにいた。
そのため取られた戦法が傭兵を雇うことだった。ランクBのチェシャ・キャットが前線基地に突入してから約3分―――ランクDのブラヴォー・フォーはどこにいるのか知らないが、チャシャ・キャットに限ればよく働いてくれている。
そろそろACの有無が報告されても良い頃合いなのだがな……とアブドゥルが顎鬚を撫でた瞬間、ヘッドセットから弾んだ女性の声が聞こえ、鼓膜を震わせた。
『ACは撃破しましたよ~。進撃を開始してくださいな♪』
まるで戦闘そのものを楽しんでいるかのようだなと思ったアブドゥルは、大隊各中隊長に進撃の命令を下した。
「戦場では速さがものを言う。敵を遠距離から撃破し、援軍到着前に基地を制圧する。各中隊は楔形陣形を取れ! 戦車は鏃、機械化歩兵は矢柄である! 各中隊、行進開始!」
アブドゥルの乗る指揮戦車のアンテナから飛び立った通信を受け取り、各中隊の中隊長車が応答する。
『第1中隊、了解! 各車前進開始!』
『第2中隊、了解! 戦車前進開始!』
『第3中隊、了解! 各小隊前進開始!』
『第4中隊、了解! 小隊前進セヨ!』
中隊長の命令に、各中隊の小隊長たちが声を返すのを聞き、アブドゥルはしかし……と暗視装置越しに至る所で爆炎と黒煙を上げている前線基地を見た。
チェシャ・キャットはたった3分であのバンガードのACを撃破したという―――戦車を弄ぶように破壊するあの死神を、あの〝女性〟はたった3分で撃破できるというのか。
その技量、その戦闘能力に慄きながら、アブドゥルは乗員に戦車の各ハッチを閉鎖させた。
装填手のアフマドが蟹目双眼鏡を片付けるのを横目に見つつ、アブドゥルは履帯を回し、砂煙を上げながら進撃する第1戦車大隊各車の幸運を神に祈った。
戦場を飛び回るあの死鳥ども――ACに掛かれば、鋼鉄の獅子といえども、たかが60トンの棺桶に成り下がってしまうのだから。
「刺す方は好きみたいですけど、刺される方は不慣れみたいですね~」
口元に蠱惑的とも言える笑みを浮かべながら、パイロットシートに座る
エルフィファーレは赤褐色に塗装されたバンガードの前衛機『ストライカー』からパイルバンカーを引き抜いた。
起動直後だったのだろう。トレーラーの拘束具が外れて今から戦闘開始という時に、チェシャ・キャットは獲物を見つけた猫のように格納庫蹴ってストライカーに跳びかかり、ブーストチャージを喰らわせた。
機体の制御系が立ち上がっていなかったのか、ストライカーはぐらりと機体をよろめかせ、なんとか踏ん張ろうと右足を引き、左足を地につけた。
チェシャ・キャットは踏ん張ったストライカーに両手のショットガンとハウザーを叩き込み、爆炎に紛れて後退しつつパイルバンカーを装備し、両腕のライフルで応戦を始めたストライカーの懐に再び飛び込んだ。
至近距離だったにも関わらずエルフィファーレはストライカーの放つ攻撃をすべて回避し、機体の膝を曲げ、腰を低くして、ハイブーストで一気に突貫し、ストライカーの左脇腹を抉るようにパイルバンカーを突き立て、トリガーを引いた。
ガコンッ、という振動が響くと同時に、爆音と装甲が抉れる鐘のような音がエルフィファーレの耳を擽る。そして、笑みを浮かべながらエルフィファーレはパイロットを失ったストライカーからパイルを引き抜いたのだ。
『――調子は良いみたいだな、エル』
通信機から聞き慣れた男の声が聞こえると同時に、エルフィファーレは機体を左に沈ませて歩兵が放った84㎜無反動砲の射線から逃れて高侵徹弾頭の84㎜砲弾を回避し、即座にショットガンを地面に向けて発砲した。
戦場で止まってはならないと、頭の中に染み付いた戦訓がエルフィファーレの手足を動かす。踊るように地面を滑り、バレリーナのように飛び跳ねながらハウザーを格納庫に撃ち放ち、火炎の花畑を構築しながら、エルフィファーレは通信に応えた。
「もっちろんですよー、シメオン。初めての共同任務なんですから」
『共同と言っても、俺は支援専門だ。あまりあてにしてくれるな』
「基地内は死角が多いですからね。援軍の処理はお任せしますよ」
『オーライ。任せろ』
無駄なことは言い合わない。お互い何をするのか、お互いのどこをフォローすればいいのかを心得ているから、通信はそれだけで十分だった。
ふいに未だ健在の格納庫から黒煙を吐き出して戦車が飛び出した。チェシャ・キャットを操縦するエルフィファーレは、すぐ戦車に追い縋り、不規則な挙動で未来位置の予測を狂わせ、エルフィファーレは右脚で建物を蹴りった。
鉄筋コンクリートで作られた壁がボコリとへこみ、鉄筋が露わになると同時に、チェシャ・キャットが飛びかかる猫のように戦車の真上に着地し、ハッチにショットガンの銃口をぴたりと合わせて発砲する。
ガコォンと鈍い音が響くと同時に、戦車の主砲が力なく垂れ下がり、内部で生じた爆風でハッチと言うハッチが内側から勢いよく開け放たれる。
金属が嘶き声を上げるかのように甲高い音が響きはじめるのに気付いたエルフィファーレは、それが戦闘ヘリのエンジン音だとすぐに分かった。
「でも遅いですよ。今からエンジンを回してたんじゃ……」
チェシャ・キャットは火炎と黒煙で覆い尽くされた基地の道路をハイブーストと壁蹴りを併用しながら、恐ろしい速度で駆け抜け、
「ボクみたいな悪戯猫さんが食べちゃうんですから」
基地のヘリポート群へとたどり着いた。
ヘリポートは全部で4つあり、その内の3つには無骨なフォルムの戦闘ヘリがローターを目一杯回しながら鎮座していた。
エルフィファーレはディスプレイ越しに、角ばった風防の向こう側で、引きつった笑みを浮かべているパイロットが見えた。
恐怖のあまり顔面の筋肉が痙攣してそういう表情になるのだと、エルフィファーレは知っていた。そして、躊躇いなく両手のショットガンとハウザーでヘリポートを掃射した。
ショットガンの散弾が風防を貫通し、パイロットを八つ裂きにし、ハウザーの榴弾がヘリコプターの装甲を貫き、燃料タンクそのものを火炎で飲み込んだ。
数秒後、攻撃ヘリに搭載された自動消火装置など存在しなかったかのように、3機は炎を吐き出して爆散した。
「さーて、ここは粗方片付きましたかねぇー」
ヘリの離発着に使用する管制塔にハウザーを打ち込み、ヘリの格納庫にも同様に榴弾を叩き込みながら、エルフィファーレは言った。
ディスプレイ越しに周囲を見渡してみると、動いているものは存在せず、ただ火炎と黒煙が基地の新たな住人であるかのようにのた打ち回っているのが見えた。
『援軍を確認した。戦車大隊と共同で仕留める』
「了解です。無理はしないでくださいね?」
『安心しろ。たったAC3機だぞ? ここからが俺の狩りの時間なんだ。奴らは狩られる側さ』
冷静そのものに聞こえるセリフに、どこか芝居がかったようなものを感じながら、エルフィファーレはスナイパーキャノンの砲声が甲高く響き、戦車隊の120㎜ライフル砲の砲声がそれを打ち消し、一つの轟音を作り上げるのを聞いた。
数時間後……
白み始めた夜空を見上げながら、アブドゥル・フセインは今頃になって押し寄せてきた疲労に押しつぶされないように、戦車長用の椅子に両足をつけて、ハッチから上半身を車外に露出させて、夜風に当たっていた。
大隊の損害報告と、前線基地の生き残りを機械化歩兵が移送のために一か所に集合させ終えたのが今しがた終えたばかりで、大隊長代理のアブドゥルは錯綜する情報にパンクしそうな頭をなんとか正常に回転させようとする。
損害車両は6両。内訳は大破1、中破3、小破2。戦死者は14人。負傷者の集計はまだ上がっていないが、戦死者よりは大きい数字となることは分かっている。基地を壊滅したと勘違いした機械化歩兵が、予想外の反撃を受けたらしかった。
作戦当初組み込まれていたMTと戦闘ヘリは、戦闘が大方終了してからやってきた。どうやら、戦車の方が使い潰しが効くと思われているらしいと、アブドゥルは考え、溜息を吐き出した。
「……しかし、我々は勝った」
ぽつりと零れ出た言葉は、自信に満ちた声でも、勝利を高々に掲げるような声でもなかった。ただ、ありのままの現実を『勝利』と口にしただけに過ぎなかった。
基地はチェシャ・キャットが落とし、機械化歩兵が制圧した。援軍はブラボー・フォーが3機とも大破させ、アブドゥルの戦車大隊が殲滅した。そうしてやっと、掴み取った現実が、勝利だった。
アブドゥルは夜明けを待たずに行ってしまった2人の傭兵に感謝した。
この勝利が一時だけのものだとしても、死ぬまで負け戦で終わるよりは遥かにましだと思えた。
これが反撃の烽火となるのか、はたまたバンガードの逆鱗に触れた一戦となるのかは、まだ誰にも分からなかった。
最終更新:2013年11月23日 15:10