この世がお前から離れ落ちる。
お前がかつて愛した
すべての喜びの熱が次第に失せ、その灰の中から、やみが脅かす。
お前の中へ
お前は沈む、心すすまぬが、一きわ強い手に押されて、凍えながらお前は、死んだ世界の中に立つ。
お前の後ろから泣きながら
失われたふるさとの余韻が吹いて来る、子供らの声とやさしい愛の調べが。
孤独への道は困難だ。
お前が知っているよりも困難だ。
夢の泉もかれている。
だが、信ぜよ!
お前の道のはてに、ふるさとはあるだろう、そして死と更生と、墓と久遠の母とが。
ヘルマン・ヘッセ 孤独への道
誰もが彼は死ぬだろうと思っていた。
それ一本が高層ビルほどもある四本足を持つ、歩く移動要塞のような敵に立ち向かうには、ACはまるで子供のように小さく、無力な存在に見えたからである。
たとえ彼が最古参のシングルナンバーであり、そのエンブレムと独特の機体色が長く死と破壊の象徴であるかのように説かれていても、誰もが彼は死ぬだろうと確信していた。
あの四本足から放たれるプラズマによってACは溶解し、ドロドロに溶けた機体は踏み潰されて跡形もなくなってしまうだろうと、そう思っていた。
そう思うのが当然だ。
整備兵はコクピットに乗り込む彼の姿を見て、これほど老いた人間があれほど畏怖されるのは、きっとベテラン故の知識があるからだと感じた。
狡賢く立ち回り、確実に相手を捻り潰す。卑怯と呼ばれようが死人に口は無く、生者のみが救われる。その現実を体現したからこそ、畏怖されるのだと考えた。
だから今回、彼は死ぬだろうと思った。僚機もなしにあの巨大兵器に挑むとは、この老人も老いたのだろうと憐みを持って彼を送り出した。
遠方から巨大兵器を観測し続けていたAC『ローカスト』パイロットは、そのACが一機であることを確認した瞬間、彼が死ぬだろうと思った。
カストリカガードの重装AC『トーネード』と中量二脚型の『ストラグル』が束になって攻撃し、やっと足止めできたというのに、この傭兵はたかが一機であの巨大兵器に挑む気でいる。
ACパイロットはそれが『サタナ・ハデカシェム』だということに気付いても、彼は死ぬと思い続けた。シングルナンバーとはいえ、あれに敵うわけがない。
カストリカはもう御仕舞だとパイロットは頭を垂れる。もっとも、ジャベスという無能がトップに居る時点で、ある意味では終わっていたのかもしれないが。
誰もが彼は死ぬだろうと思っていた。
彼の乗る『サタナ・ハデカシェム』を現地まで移送したトレーラーの運転手でさえもそう思っていたし、彼の到着を目撃した者たちも皆そう思っていた。
今日ここで古くから悪名を馳せていた一人の傭兵が死に、そして近日中にカストリカは焼け野原になる。はて、次はどこへ行けばいいのだろうかと、根無し草たちはそう考えている。
マクシミリアン・バルトでさえも、そう思っていた。ジャベスが死に、部隊の大半が死ぬということになれば、今の立場から解放されるだろうかと。
――だから、彼が死ななかったときに、誰もが驚き、慄いた。
それそのものが超巨大構造物であった巨大兵器の足が折れ、砂漠にその巨体を横たえ、各所からプラズマの閃光をあげ爆発するのが見えた。
いくつもの黒煙が灰色の空へと昇り、爆音が轟くのが聞こえた。バンバンバンとひっきりなしに爆発音が響き、爆炎と黒煙が上がり、巨大兵器が亡骸に変わったのだと理解するまで、たっぷり数十分はかかっただろうか。
誰もが過去の自分を叱責するつもりにはなれず、ただ茫然としている。咥えていた煙草を落としたことにも気づかず、ぽかんと開けた口を閉じようともせず、現実を理解するのに困り果てている。
そのうち、なにかがやってくるのが見えた。
黒く、重々しく、それはこちらにやって来る。
――サタナ・ハデカシェム
と誰かが言った。
肩に異形の骸骨を描き、死と破壊の象徴であるとさえ説かれた老兵は、たしかに傷ついている。
だがそれでも、誰も安堵しなかった。
その傷さえも己が物であるという覇気を感じ、彼でさえ被弾するのだと言う言い訳は捻じ伏せられた。
エンブレムだけではない。
彼は、人の形をしていても、たしかに異形だった。
最終更新:2013年11月23日 15:35