「おい……本当に大丈夫なのか?」
流れていく車外の景色をそれとなく眺めながら、男は同僚である運転手に問い掛けた。
雲一つない空の下に赤褐色の荒野が広がっている。地平線に点在する台地の側面は切り立った崖になっていて、目につく色彩といったら岩陰から覗く低草の緑色ぐらいだ。大気は揺らぎ、果ては知れない。生き物は痕跡の一つですら見つけられなかった。
そんな過酷な自然を尻目に輸送車は最大速度で走行している。
回転するタイヤに巻き上げられた砂埃が尾を引いて車内に入り込み、時折、剥き出しの道路が不満げにシートを突き上げる。
暴れる車体を制しつつ、同僚は声を荒げた。
「しょうがねぇだろ、俺たちには明日は無いんだ。次にヘマしちまったら、それこそ山賊どものお世話になっちまうだろうよ」
「それもそうだけどよ……」
「三日前のこと忘れたなんて言わせねぇぞ?」
男の心の内で苦々しい記憶が沸き上がる。
二人は総合量販店<
レンジカンパニー>に勤める底辺の運び屋であり、<コロニー・アルモアダ>近辺への輸送を任されていた班の一つだった。アルモアダは現状最大級の勢力<バンガード>の保護を受けた、言わば前哨基地でもある。バンガードはアルモアダに通じる地下連絡道のそこかしこで関所を設け、都市に入る積み荷を検査をしていた。武装はご法度なのだ。
以前、二人は税関の一人を買収していて、安定した搬送が出来ていたのだが。
「覚えてるよ」
「じゃあアイツが何て言ったかも覚えてるな?」
「ああ、一語一句まで」
運転手が鼻で笑う。痰を絡ませて汚ならしい声を作った。
「“俺達だって危ない橋を渡ってるんだぜ? ちゃんと帳尻を合わせないとな“ だぁ?」
呪詛のこもった痰を吐く。
「こっちが下手に出りゃ調子乗りやがって! くそったれの悪徳税関め! ひと月にどれだけ払ってやったと思ってるんだ? それで何か? “じゃあ、しょうがないな。次に俺の前に姿を現したら、このショットガンでケツん中掻き回してやる。わかったか、貧しいホモ野郎ども”だぁ? 今まで甘い汁吸ってきた豚野郎が、何様のつもりなんだ! ふざけやがって、畜生! ちくしょう!」
暴力的なドラムロールに、男は振り向いた。同僚が無我夢中でダッシュボードを殴っている。顔面は土気色が濃く、広い額には脂汗がじっとりとこびりついていた。ハンドルはジグを踊り、車は蛇行するように尻をふりだした。
男は不安になって、胸ポケットに入れたワイフの写真を布越しに撫でた。
「おい、大丈夫か?」
「ああ、くそ。酒をくれ」
スキットルにストローを差して、運転手の口にくわえさせる。顔色は悪いままだったが、アルコールのおかげでいくら落ち着いたようだ。礼を言って、黙りこくった。
助手席の男は視線を前方に向けた。道はどこまでも続いている。嫌になる。目的地はまだまだ遠い。そしてそこに着くためには、山賊どもの眼前を通らなければならないのだ。糞ったれの豚野郎のせいで。
アルモアダの都市を囲む山脈の外周には岩石沙漠が広がっている。< O V A >とバンガードとの支配欲の狭間にあって、境界は揺らいでいる。茹だるような暑さ。救いようのない乾燥。如何なる資源も持ち得ない。ここは山賊やテロリスト、混血児の末裔どもが跋扈する無法地帯なのだ。
男は銀に光る瓶を傾け、酒を流し込む。麦酒の薄い香りが唇に触れる。
と、揺れのせいで前歯と金属が激突した。歯茎が燃えるように痛む。透明に近い茶色の液体がジーンズに染みをつくる。味は薄くてもこの酒には共通通貨で二枚の価値があるのだ。
もったいねぇと床に悪態を吐いていると、同僚が口を開いた。
「俺たちだって、危ない橋を渡ってるんだぜ」
そう繰り返し、後は何も喋らなかった。
助手席の男は暫くその横顔を見つめていた。だが、ぐっと沈み込んだ口の端からは何の表情も意味も見出だせず、外の景色に意識を戻すしかなかった。なるべく後方には目を向けないようにしながらドアに寄りかかる。
岩の上に蜥蜴がいたが、目は追わなかった。新たな台地が窓枠に切り取られた視界の端に顔を出し始める。それは数時間前に見たものと違いはなかった。
男は褪せた赤の世界にぼんやりと浸っていたが、ふと言いたいことが頭をよぎって、振り向いた。
「だけど、だけどよ―――」
車が川に突っ込んでしまったのだと思った。長く深い沈み込みに眼球が数ミリ飛び出し、一瞬の強烈な突き上げで尻の肉だけじゃなく内臓全てが身体の中で跳びはねた。危うく膀胱が窓の外へ飛んでいくところだった。
第二波の予兆に頭上の手すりを握り締める。強制的スローモー・ヘッドバンキング。身体が変形してしまいそう。
「んで、なんだよ」
運転手は波のタイミングがわかっている分、それほど辛くはない。
「だけど、ほら、やっぱり、不安じゃないのか?」男は少し舌を噛んでいたが、持ち前のマッチョ精神で痛みを圧し殺した。「来たのが、あの傭兵だろ。あのテロリストだろ」
そう言って、サイドミラー越しに後ろを見た。
砂埃の先導に追随するものがある。体長五メートルはあるだろう金属の巨人。色褪せた赤の大地と鮮やかな青空との間に黒のコントラストが映える。
輸送車の護衛のために、< O V A >が寄越したランクD。
テルシオ・ヌーメロが乗るアーマード・コア、<グランパドレ>だ。
むちむちとした下半身太りの体に電気スタンドのような頭を乗せて、左脛には血塗れの骸骨がこちらを睨んでいる。体色は赤鉄色の斑模様がまぶされた醜悪な黒。両手と肩に繋がった巨大な刺々しい重火器群に至っては、塗装が所々剥げかけて、満足に動くのかすら怪しい。
それでも戦場における生態系の上層にあるACである。これほど心強い僚機はない。だが、先程から背筋をさする、監視されているかのようなこの悪寒は何だろう。
男が思わず身震いしたとき、黙していた運転手が重い口を開いた。真っ直ぐ前方を見つめ、アクセルを押し込む。
「やっと手に入れた職なんだ、手放せるわけねぇだろ……」
助手席の男は納得がいかない。
「お前だってあいつの試合見ただろ? ほら、武装組織に乱入されて中止になった試合だよ」
「ああ、あれは酷かった」
「酷いなんてもんじゃねぇよ」男はまくし立てる。「対戦相手はそれっきり行方不明、観客にだって死者が出た。噂によりゃ、あいつ、観客席に突っ込んで、笑ってたらしいぜ。そんな奴が信頼できるってどうして言い切れる?」
「どうだかな」
男は運転手に詰め寄った。その瞳は疑心に震え、確信に燃えていた。
「いいや、マジもんだ。<ユーズ・チューヴ>で動画を見た。プラズマで人間を、こうやって―――」
「お前、えっと、情報端末……だっけ? パソコン? ああいうワケわかんないの使えたっけか?」
「いや、使えないけどさ……」
「ほれ見ろ!」
「だけど、そういうのに詳しいダチが言ってたんだよ! <ユーズ・チューヴ>で動画で見たって! 人間が蒸発したって!」
車床が突き上げられる。地に脚つかない浮遊感にはさすがに慣れない。タイヤが接地する。道を走る確かな振動に、運転手は強張った肩を落として嘆息した。
「まぁ、そんなもん箔をつかせるためのゴシップの類いだろ? デスメタルバンドの曲を聴いた男が銃を乱射したとか、ボーカルがコウモリ丸呑みしたとかさ。俺たちみたいな一般人は、アリーナなんて中継でしか見たことねぇし、パソコンの使い方すら知らない。文字も読めねぇ奴だっているんだ。噂の真相なんてどうでもいい。それが酒のつまみになるかどうかが重要なのさ」
「馬鹿言うな! 俺たちゃ戦場にいるんだぜ!」
「どこだって戦場だろ!」
「あんな奴なんかに命は預けれねぇ!」
男はドアにもたれ、ACを睨み付ける。その指はしきりに口髭を擦っている。彼の癖だった。心が平穏を欠いている証拠だった。同僚は相棒の動揺が限界にまで達しつつあることを悟った。
「まぁ、待てって」転じて優しく話し掛ける。「どっかの雑誌で読んだんだがよ、傭兵業界てぇのは信頼が物を言う世界らしいぜ。“殺人偏執狂だぜ、俺は。どうだい最高にマッチョだろ?”なんて吹聴してまで、評判落としてどうするってんだ? そうだろ?」
「………」
男は何も応えない。運転手は話を切り上げるチャンスだと思った。
「信頼と実積。誰だって同じさ。傭兵と依頼主の裏切りと化かし合いなんてのは、徴兵を仮病で免れたようなインテリ気取りの三流作家が書く、大衆映画の中だけよ。つまりだ。本物の私立探偵が、街中で銃を持ち歩いてるのはありえねぇってことさ。いや、違うか……」
男は振り向いて、怒鳴った。
「あいつは、傭兵じゃない。ただのテロリストだ!」
その剣幕は凄まじく、運転手は、はっと呑み込んだ言葉に窒息しそうになった。
「俺はこんなとこで死にたくねぇ! 海老缶を運ぶなんて下らねぇ仕事のために死にたくねぇ!」男は叫んだ。
「お前だって見てきただろ? そこかしこで死体が転がってる。何処かで見たような顔が混ざってる。もしかすると、ダチだったかも知れない顔だ。だけど、それが誰だか思い出せたことなんか一度もない。毎日、毎日、俺たちは確かに人数を減らしているんだ。だけど、誰も数えようとも思わない。誰も思い出しちゃくれねぇ。死んだら終わりさ。いくら貸してたなんかも忘れちまう! 俺はそんなのごめんだ……」
そこで男の声が尻すぼみ、いまにも泣きそうな震えが混ざりだす。
「俺もあんたみたいに家族が欲しい。子供が、息子が欲しい。俺の生きた証が。俺の生きた意味が、欲しいんだよ……」
「……」
「なぁ、今ならまだ間に合うぜ。いっそのことバンガードの連中にあいつを―――」
「やめろ。やめてくれ」
同僚はその先を制した。不安を感じているのはお前だけではない、それが真意だった。
男はこの違和感が自分だけが感じているものではないと知り、いくらか安堵した。そして同時に自分を恥じた。今一度、窓の外を見やり、何度も何度も顔を拭った。
「すまねぇ。今のは忘れてくれ」
その呟きを、運転手はいつもの陽気さで迎えた。
「なぁ、悪く考えるのは止めにしようぜ。そんなんで飯が食えるわけじゃねぇし。大丈夫、俺たちなら、きっとやれるさ。今までだってそうだっただろ?」
同僚はハンドルを操りながら右手を伸ばし、項垂れる男の背中をさすった。ミラーガラス越しに視線が合う。信頼と友情の微笑み。如何なる状況においても、やはり持つべきものは友なのだ。
「ああ、わかった」
「よし、その調子だ。ラジオをつけようぜ。ロックんロールだ、俺たちにはそれが必要だ」
「だな」
男が晴れやかな気分でカーステレオに手を伸ばした。
そこで顔が青ざめた。
酷くしゃがれた底冷えするような低音が、ノイズの嵐とともに車内に吹き荒れたのだ。
『よぉよぉ、さっきから聞いてりゃあ、酷いこと言うじゃねぇか。俺はなにか? サファリ・パークの虎か何かなのか?』
男と運転手は顔を見合わせた。見開いた眼に疑問と恐怖の色が浮かぶ。全て聞こえていたのか? そんな筈はない。
不穏な通信を察知するためにカーステレオは常時付けっぱなしではあったが、トランシーバーは電源を切ってボンネットに放ってある。ヌーメロが車内の会話を知ることはないのだ。
「どういうこった?」
同僚の疑問は掠れていた。雑音の嵐に混じって、しゃがれ声がそれに応える。まるで友情を疑われて心外そうな声色だった。
『俺だって、曲がりなりにもミグラント。報酬のためなら努力はする。それが野郎二人のおもりであっても、一応な』
男が同僚に小声で尋ねる。サファリ・パークってなんだ?
ヌーメロは少なくとも一般人である二人より、世界の真相に近付いている。それはとてつもなく気味が悪く、どっと押し寄せた不安は吐き気を催すほどだった。
『おほぉい、前見てみろよ。ジジイの尻の毛みてぇに禍々しいぜ』
ヌーメロの嬉しそうな口笛につられて、視線を前方に向けると、道の先端、地平線の下から廃墟群が立ち上っていくのが見えた。陽炎に揺らぐ不気味な斜塔の数々。輸送車はアスファルトで舗装された道の上を走っていた。
『さぁて、お仕事だ。せいぜい踏み潰されねぇよう尻に火ぃつけて走ろよ、ホモ野郎ども』
グランパドレは二人の頭上を飛び越した。風圧に車体が大きく揺れる。青白い軌跡が廃墟の中に消え去ったとき、同時に砲音が響いた。砲弾は自ら光を発しながら空へと弾き飛び、放物線を描きながら大地を硫黄で汚していく。白昼の流星群。戦闘が始まったのだ。
「おい、どうするんだ」
男は固唾を呑み込んだ。砂に斜めに埋もれた建造物の穴だらけの壁面が迫りつつある。
運転手はアクセルを踏み潰した。
「行くしかねぇだろ、畜生め!」
エンジンが吼える。混沌の世界、死の世界に踏み込んだ。
狙いの外れた小銃弾の洗礼が、砲弾に飛び散った破片が、二人を迎える。
「くそ! あの野郎、なにやってんだ!? 仕事しろよ!」
道に巨大な砂柱が巻き上がる。車体に鉄の雨粒が弾ける。ビル壁面の欠片が降り注ぐ。風を切る音が鳴り止まない。
「行け、行け! 止まるな、止まるな!」
塞ぐバリケードを踏み潰す。突進を避けた歩兵たちが背後に連射する。廃れた監視塔から狙撃弾がフロントガラスにのめり込む。
遠く前方の十字路でグランパドレが横切った。入れ替わりで防衛型MTの死体が十字路の真中に転がり込む。
「曲がれ、曲がれ!」
速度を保ちながら大きく左折し、路地に車体をねじ込む。ゴミ箱を跳ね飛ばし、隣の大通りに出る。進行中の歩兵たちが驚いて散開する。後部タイヤに何人かを巻き込みながら右折、ひたすら直進する。
倒壊したビルの上から支援型MTが飛び降りた。輸送車に振り向き、機関砲を持ち上げる。拳大の砲弾の射線が輸送車の傍らを連続していく。
「くそ、くそぉ!」
「突っ切れ、突っ切れ!」
MTの頭上に青白い雨粒が降り注ぐ。電子の霧が立ち上ぼり、MTの頭が弾けた。輸送車はその股の下を通り過ぎる。
サイドミラー越しに一瞥すると、飛び出したグランパドレが先のMTを踏みつけていた。
どれくらいの間、混沌の道を駆けたのだろうか。今や開けた大地が道の先に見えていた。建造物の二列が途切れ、舗装もそこで終わっている。
「もうすぐだ!」
輸送車は更に加速した。
ついに廃墟から抜け出した。
途端、側面から黄色い物体が覗いたかと思うと、輸送車は宙を舞っていた。速度は消えない。道から逸れた場所に接地した瞬間、車内は滅茶苦茶に掻き回された。何百メートルかのたうち回って、そして止まった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
男が身を起こすと、後頭部に鉛が詰まったような痛みが走った。手で押さえると、ぬるぬるとした温かい液体がこびりつく。口の中は砂だらけだ。
白む視界の中で大地を覆い尽くす廃墟が遠くに見え、細長いコンテナと牽引車が運転席側を下にして横たわっていた。タイヤはゆっくり回転していて、フロントガラスに大きな穴が空いている。
男は車外に弾き飛ばされていた。牽引車の下に赤色が広がっている。誰かが足りなかった。男は思い出せない。
ふと、コンテナの傍に赤色の星が瞬いていた。次第に世界が形を成していくと、濃淡の異なる土色の三色が蠢く毒々しい迷彩柄の巨人がそこにいた。放射状に開かれた四つ脚の上に人間の上半身が乗っている。白の
スマイル。<フィッシュベッド>。
ヴァリャーグ一味の頭目ヴァリャーグの操るACだ。
転がったトランシーバーから、野卑た酒焼け声が耳をつんざいた。
『時間ピッタリだなァ、オイ』その調子はやや不機嫌そうだ。『ピザの配達だってェ、ここまでじャアねェゼ?』
『へい、頭目。奴さんのタレコミ通りで、不気味なくれェでサァ』
コンテナを見つめているフィッシュベッドにACと同じ迷彩柄の逆関節MTが寄り添った。二機の後方には同型のMTやホバー車両が群れていた。
『えー、こちら観測班。連中はボコボコにやられて撤退を開始した模様、どうぞ』
『ヨォーシ、コンテナの係留急げ。観測班は領域からそれとなく離脱。MTはオレに続け。ACをブッ倒す』
フィッシュベッドが廃墟群に向けて歩を進める。
『頭目、ACはピンピンしてます、どうぞ』
『よし撤収!』
言うが否や、フィッシュベッドが後ろ向きのままに引き返す。
『早ッ!』
異常な速度で通り過ぎるフィッシュベッドに振り向くMTたち。
『バカ野郎! おめェらそれでも賊の端くれか!』ヴァリャーグは吠える。
『例えそれがFランクのボイン姉チャンだったとしても無傷であればヤり合わねぇ! それが賊としての誇り! 掟! 否、不文律! それがわからねェのか!?』
『えー』
『わかってほしい!』
フィッシュベッドの背中が迫る。男は岩陰に身を隠した。四つ脚が地に着く度、振動で砂利が音をたてて震える。その揺れが大きくなるにつれて男の心臓音が高まる。股の下に入ったとき、その音が聞こえてしまわないように胸を押さえる必要があった。
立ち止まるフィッシュベッド。
『っと、ちょい待ち』
男の頭上に影が落ちる。逃げることはできなかった。声を上げることもないまま、赤の飛沫に変わっただけだった。
『なんだ、蜥蜴か』頭目の残念そうな呟きが持ち主を失ったトランシーバーから漏れる。
フィッシュベッドの視線の先に蜥蜴がいた。巨体に臆することなく、ひたすら睨み付けてくる。
『運がいいな、お前。いつもなら丸焼きにして食ッちまうところだぜェ』
フィッシュベッドは腰を上げた。股間に付いた赤い染みに誰も気づいていない。
その染みを巡っての推察が、当分の間、一味の酒のつまみになった。彼らは白熱した議論のあと、ACも生理するんだ、という頭目の決断を総意とし、すぐに忘れた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヌーメロは廃ビルの屋上に立ち、一味が遠ざかっていくのを眺めていた。その傍らではグランパドレが膝を折って廃墟を見下ろしている。
『感度良好、今んとこ問題なし』腰にぶら下げたトランシーバーが告げる。『まぁ、連中のヤサまでもってくれるでしょ』
ヌーメロはトランシーバーを取ろうと腰に手を回したが、そこに何も無かった。
どうしたことかと振り向くと、少女が悪戯っぽい笑みを浮かべて立っていた。
白いワンピース、羽織るショール、下着の肩紐、全てがだらしなくはだけて危うげだ。小麦色の滑らかな胸元まで伸びた黒髪が波打ち、左肩にまとめて垂らされていた。顔立ちは整っていたが、黒い瞳と広がった長い睫毛との間では白眼が際立って、狡猾そうな印象を与える。首には鈴のついた白いリボンを巻き、犬の尻から引きちぎった尻尾をぶら下げたベルトを腰に引っかけている。
「ありがとうよ、セニョール・カレフ」少女がしゃがれ声を作って、トランシーバーに返答する。「お礼に俺をファックしていいぜ!」
『え』動揺が大気を伝わる。『すまない、ヌーメロ……。この話はなかったことに……』
「止めろ、クソガキが」ヌーメロがトランシーバーを引ったくる。「今のは
ミュネカだ。俺にそっちの気はない」
ミュネカと呼ばれた少女は腹を抱えて笑いだした。しきりに膝を叩き、真っ白い歯を剥き出しにする。前屈みのまま、よたよたとグランパドレの足下へ歩いていった。
「それで」ヌーメロは会話を続け、過呼吸状態に陥って苦しそうにのたうちまわっているミュネカを無感慨に眺める。「報酬はいつも通りか」
『さて、今日こそ君の顔が“アレ”に似ている理由が明かされるのか』
カレフの通信機の前で手を擦り合わせている姿が容易に想像できた。『レコーダーの準備はできた。いつでもどうぞ』
「悪いが、まだソイツは教えられねぇ」
『なぜ』カレフの不機嫌な声が繰り返す。『なぜだ』
「代わりといっちゃあ、なんだが。俺たち<
市民の友>は、一週間後、アルモアダに停泊する貨物船を襲撃する。その作戦ファイルを送る」
『……』沈黙。そして疑問。『……それは本当かい?』
「俺が今まで嘘の情報をタレ込んだことがあったか? 既に襲撃班の結成も事前通達も終わらせてある。いまさら、変更は出来ない」
再度、短い沈黙があった。知識欲に基づく理想主義と打算的な現実主義とがせめぎあっている。
『知り得た情報の処理は僕の自由だ』カレフは冷たく言い放つ。『バンガードにタレ込まないという保証はできない。求められれば提示する、それが僕の信条だ』
「あんたもプロだろ?」
ヌーメロが視線を這わすと、ミュネカはまだ苦しんでいた。歯をぎりぎりと食い縛り、“ヤバい、マジヤバい”と、眉はこれ以上に無いほど深く寄っている。
「顧客を売るようなことはしない」
そうした虚言の底でヌーメロは確信していた。故意的な所為ではないが、結果的にカレフはバンガードに知らせることになるだろう。しかし、それはヌーメロの意図である。ある事情、ヌーメロの個人的事情から、一週間後の奇襲作戦は失敗しなければならなかった。
『いいだろう』カレフの返答は早かった。ビジネスマンとしての口調だ。そして何をするべきか心得た口調だ。『納入先はいつも通り。暗号化し複数のデータに分けてくれ』
「ああ、わかった」
『しかし、大衆の無知さ加減には心底吐き気がするよ。情報端末の使い方も知らず、信じるものといったら、欺瞞と独善に満ちたゴシップぐらい。知識は力なり、とはよく言ったものだ』カレフは締め括る。『じゃ、またよろしく』
トランシーバーを腰に戻す。
ミュネカは臨死体験におけるある種の快感の余韻に浸っていた。麻薬中毒者のようにへらへらと笑いながら、植物人間のように寝そべっている。その視線はグランパドレの股関に定まって離れない。
ヌーメロが近づくと、転じて、すがるように懇願した。
「ウィスキーある、ウィスキーある」面の皮を悲痛さで歪ませる。「共通通貨二枚、とても安い、とても安い。共通通貨二枚、弟に靴買える」
「いつまで物売りの真似してやがるんだ、お前は」
ミュネカは背中を向けて立ち上がる。そして腰に手を当てて、サッと上体だけを振り向かせる。
「どうよ?」そして軽くウィンクする。「オリヴィア・ハッセーみたいでしょ? あのホモ野郎二人に言われたのぉ」
「おほぉい、酷でぇ顔だな、エクソシストのリンダ・ブレアかと思ったぜ!」
「はぁ? っざけんなし!」
「パイロットスーツはどうした?」
ミュネカはロリポップキャンデーを口にくわえ、噛み砕いた。わざとらしく音をたてて咀嚼する。顎の鋭いエッジが不機嫌さを物語っている。
「洗濯中」
「また漏らしたのか?」
「パーティーまでには間に合うから」ヌーメロの嘲笑を睨む。「笑ってんなよ、変態」
彼らは武装組織だ。食料品などには興味なく、一週間後の作戦に備え、軍資金や戦力を必要としていた。
この依頼は、罠には最適だった。複数の山賊に情報を漏らし、輸送車を襲わせて根城にまで運ばせる。さらに、どこぞに駐留しているであろうバンガードに根城の位置情報を掴ませ、二つの勢力が集まったところを市民の友が襲撃するのだ。
海老で鯛を釣り、鯛で鷲を捕まえる。それがヌーメロの考えついた、彼なりの、最も刺激的で効率的な資金繰り方法だった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「おい、ミュネカ」
廃ビルから出たミュネカに上位構成員の男が駆け寄った。
通りには装甲車の何両が停まり、戦闘用MTが交差路で群れを成している。それらの陰にもたれ掛かるように、服装も背丈もばらばらな歩兵たちがボスの命令を待っている。
山脈を越える道中、湿気を喪って、熱気を孕んだ大気がこの地域をゆっくりと闊歩していた。太陽は太陽で、強烈な熱線でアスファルトをグリルに変えている。
「熱中症でまた一人逝っちまった」
彼が示す先で、兵士たちが小柄な死体を運んでいる。
「ボスに言ってくれないか? まだ時間があるなら補給しに戻るべきだって。いくらなんでも……」
「はぁ? どうでもいいよ、そんなこと」
ミュネカは大きな缶詰めを抱え、プラスチック・スプーンで中身をほじくるように食べている。
全くもって平穏そうな顔。昼下がりのシエスタの顔。
「どうでもいい、だと?」
男は少女を睨み付けた。華奢な死体を目で追う彼女の表情には揺らぎがない。
「なに? あ、そうか」ミュネカはその視線に気付き、差し出した。「海老缶食う?」
<グランパドレ 任務失敗>
(投稿者:蟻蛾)
最終更新:2013年11月27日 04:42