その世界規模で展開されているSNSを利用して、僕は懐かしい名前を打ち込んでいた。
今の世界では、はぐれてしまった幼馴染を見つけるのにもそう苦労はしない。便利なことだ。ニーナ・ロビンス、それが彼女の名前だった。
暗く、モニターの灯り以外に網膜を照りつける光は無い中で、たどたどしいタッチでキーボードをなぞっていく。ニーナ・ロビンス、ニーナ・ロビンス……。
該当する人物名が幾つか表示される中で、そのプロフィールから更に絞り込んでいく。イル・シャロムのダウンタウン、トリノシティー。暫く目をしばたかせながらにモニターを見守っていると、ようやくそれらしい人物を発見する。ニーナ・ロビンス。
さて、自己紹介の文面はどうするか。
久しぶりー、なんて具合に、ちょっと間延びした感じで言うのがいいかな。それとも、もうちょっとしゃっきりしていた方がいいんだろうか。
暫くの間、そうやってフレンドリストへの登録依頼の文面を考える。見る限りで、彼女にはたくさんの友人がいるようだった。僕とは大違いだ。僕に関して言えば、かつて、自分の保護者であった女性と、少年期にしばしば面倒を見てくれたおばさんの二人だけが、今現在、僕個人のフレンドリストに名前を連ねている人間だった。
十分足らずの間に文面を考えて、カーソルを送信ボタンへとあわせてクリックする。
カーソルが円形の形状に変わり、くるくると回転するのを見ていると、間もなくページが切り替わる。送信完了。
あとは、夜を経て、明日の帰宅時にでもメールボックスを覗いてみればいいだろう。そのときには、きっと何らかのコンタクトが返ってきているはずだ。と僕は思いを巡らせる。
僕は安物のキャスター椅子に思いっきり背中を預け、ぐっと背を伸ばした。猫の鳴き声に例えるには、少しばかり低すぎる呻きが無意識の内に喉を這い上がる。ぎし、という軋みが、さして気にならないレベルで部屋に響く。
僕はそのあと二十分ほどして、パソコンの電源を落とした。あとは全部、明日のことだ。
◇
突然だが、僕の母は僕が十四歳の時に死んでいる。病死だ。
医療保険の被履行権利を得られない身分の人間にとって、どんな病気であれ恐ろしい病の入り口になり得たということは、わかりきったことだった。それでも、分かり切っていたとしても、それは避け得ないことだったのだと今でも思う。
そして父は、物心ついた時には僕の近くにはいなかった。そして、物心ついてから彼との接触は一切無かった。
社会的生活能力が大きく欠落していた母は、僕を教育する義務を負うための能力にもまた不足があると判断され、僕は彼女の手を離れて生活することとなった。集団生活だ。朝は早く起き、夜は早く眠った。
食事や洗濯は施設の構成員の人がやってくれた。
僕に与えられた義務は、毎日学校へ行くこと、人間関係を上手い具合に調整すること、それだけだった。それは、決して難しいことではなかった。
ニーナは、僕と同じような施設の人間ではなかった。僕が通う先であった学校に、たまたま所属していたという繋がりであったのだ。はにかむことの多い少女だった。背は決して高くなく、少し浅黒い肌が特徴だった。黒髪は、別に珍しい髪の色でもなかったけど、ニーナは少しその自分の肌と髪の色を気にしていたらしい。
でも、僕達は概ね幸せだったと思う。当時の多くのことを忘れてしまったし、忘れられないこともあるけれど、大まかには幸せだったと言っていいような生活だったと思う。今にして思えば。
◇
『ニーナの母です、がっかりさせてしまって済みません。ヴィルヘルムのことは今でも覚えています。かつて娘の友達だった、それも、特に親しい友だちであった貴方は、我々家族にとっての大切な友人でもあります。
ニーナは三年前に路上の事故で亡くなりました。車道を走っていたトラックの積荷が緩んでいました。運悪く、彼女は歩道の車道寄りを歩いていて、事故に遭いました。
これは、ある意味では決して特別ではないことです。死は誰しもに訪れますし、その経緯が千差万別であることも周知のことです。
でも、その死は当然、私達にとって特別なものです。
だからこそ、私は未だにニーナのアカウントを消去せずに、こうしてコンタクトを取ってくれる人に対して、事実をできるだけありのままに述べるようにしているのです……』
◇
僕は彼女が埋葬された場所についてニーナの母親に聞き、それから最初の休日が来ると、郊外にあるその墓地を尋ねた。都市の中心部からバスで三十分ほど、ちゃんと二車線の舗装道路が敷かれたエリアにその墓地はあった。空には雲が満ちていて、周囲には、目に見える範囲で背の高い建造物は存在していなかった。
その共同墓地では、墓と墓の間隔は小さく、またその統一された規格で並べられた墓碑そのものも、小さかった。
僕はそこに刻まれた名前を注意深く見つめながら、やがて注意しなければきっと見落としてしまうであろうその名前を見つけることができた。
たくさんの墓がある。
死は特別なものではないのだ。もちろん。
◇
次の日、僕は目覚まし時計の音が鳴る前に、淀みなく起きる。鳴る以前から時計のスイッチを切り、ベッドから半身を起こして、しばらくぼんやりしている。それから、キッチンへと足を伸ばして、ミネラルウォーターを沸かしにいく。
保険加入を商品としてセールスを行うことが、十九歳の時の、僕の仕事だった。
投稿者:Cet
最終更新:2012年04月25日 03:23