「どうやったらもっと上手く生きられるんだろ」
その呟きに、レザーソファに腰掛けて紅茶の入ったカップを口元に傾けていた青年は、隣に座る少女を一瞥した。
口元から白いカップを離すと、暫くそのカップの中へと視線を落としている。
「僕もよく考えてはみるけどまだ分かってないな」
「ふーん」
少女は青年の横顔を見つめる。やはり、その視線にはどこかしら生命感のようなものが欠けているようにも思われる。それは彼女が窓に近い位置に座っていて、青年からは逆光に見えるからかもしれない。
「生き辛さ……。つまり、弱さ、っていうものにも色々と種類があってね、たとえば、健康上の虚弱さも弱さだし、倫理的な姿勢を貫けないのも弱さの一つだし」
「他には?」
青年は磨きこまれて輝きを反射するテーブルへと、カップを置いた。
顎の辺りに手を添えて、考えこむ姿勢を取る。
「自分自身の本質とも呼ぶべきものによって、人は縛られることがある」
「本質?」
「そう、それを扱いかねて、どんどんと疲れ果ててしまう人というのはいるな、思うに。そういうのも弱さの一つかもしれない」
太股のあたりに両肘を付いて、リラックスした姿勢で青年は語った。少女は、背もたれに凭れ、短いジーンズスカートの上に両手を重ねていた。首だけは青年の方を向けている。黒いノースリーブの上にゆとりのある白いシャツを着ていた。その首筋から肩にかけてのラインに、ノースリーブがちらりと見える。
今日は休日だった。それでも、今日は青年は昼前から老人に会うこととなっていたのだが、いざ来てみれば実際にいるのは彼の孫であるエンリカただ一人であった。そういうわけでエンリカが彼をもてなす運びとなっていた。
「そういう弱さというか、個人的な特性みたいなものと付き合うのは、世の中のもっとも難しいことの一つでもあるんだ」
「ヴィルヘルムもそういうものを持ってるの?」
「誰でも持っているよ。気づいていない人もいるけど」
青年は右の手のひらを軽く上げながら言う。
「私は、どうなんだろう」
「歳を取るにつれ、徐々に気づいて来る場合もある。エンリカちゃんは十六歳だけど、今頃からそういうものに気づいているとしたら随分と早熟なんだろうね」
「ふーん」
少女はテーブルにおいていた自分のカップを手に取る。そしてそれを両手で、左手は縁に軽く添えるようにして口元へと運んだ。静かにそれを飲み、彼女ののどもとが微かに動く。
青年はそのおとがいの辺りを眺めていたが、やがて右手の親指と人差し指を、それぞれ両目のまぶたの上に当て、それから顔を伏せた。軽く首を振る。
少女はその様子を特に気にかけていないようで、口元からカップを離すと、両手をカップに添えたまま暫くどこを見るでもないような視線を正面へと放っていた。
「まあ、そういうことを考えるよりも、まずは自分の生活習慣を自分にどんどんと適合させていくのが一番だと思うよ。寝るときに自分にとってどれが一番寝心地の良い姿勢なのか探るとか、栄養バランスの取れた食事をちゃんと取るようにするとか……」
「うん」
少女は頷いた。
◇
それから間もなく、部屋に老人が現れた。エンリカの姿に気づくと、よく来たな、と一言声を掛ける。エンリカは、うん、と一言頷いた。
今、青年は市街のレストランで食事を取っていた。二人掛けのテーブルに座っており、正面には老人の姿がある。
そこはビルの一階で、道路に面する側の壁はガラス張りとなっている。午後の日差しが二人を照らし、また、ガラスの外側では車両と人間がどこへゆくのかもしれないで行き交っている。
季節は秋に入っており、青年が二十一歳になるまでひと月程だった。
誕生パーティーをしてやろう、と老人が言う。白身魚をソテーしたものをフォークで口に運びながらの台詞だった。青年は同じく白身魚のフライしたものを、口に運ぶ途中で微笑む。
「それで、今回は一体どういうことなんでしょう」
「大きな仕事が決まった。郊外でのビル建設だ。兵器工廠企業のオフィスビルだ。
それに先立ってACを購入することにした」
青年は皿に視線を遣らないで、老人の言った意味を考えていた。ナイフとフォークが自動的に魚を分解して、彼の口へと運んでいた。
老人は、青年が意味を掴み損ねているのを悟る。
「郊外で、しかも兵器工廠に関わる施設を建造するということにはテロリズムの標的になる危険を伴う。つまり、防衛戦力が必要だ」
「AC」
老人が言い終わる前に意味を悟った青年は、口をあんぐりと開けていた。
「アーマード・コア?」
「そうだ」
小声の問いかけに、老人ははっきりと頷く。
「ACの取り扱いは、重機に派生する形で許可される。ACというものの成り立ちが建設重機に由来しているということを考えれば、まあ分からない話でもないな」
「ミグラントに依頼すればいいじゃないですか」
「長期契約は財政的な痛手になる上、儂は単純な傭兵というものを信用しておらん」
「……その兵器工廠とやらが負担してくれるケースだってあるでしょう」
「そのケースについては考えた。比較的評判の良いクリーンなミグラントが存在するということでな、先方を通してその辺りに依頼しようとも考えたのだが、やはりどこにしたところで素性の怪しい連中であることには変わりない上、立場上今回はミグラントを防衛戦力に充てるというのは些か不合理だ。また、兵器工廠である先方固有の戦力を引き出すという案に関して言えば、それなりのコストを要求されることになりそうだった。そういうわけで、儂らが固有の戦力を持てばいいという結論に至ったわけだ」
「そんな無茶苦茶な」
「無茶苦茶ではない、結果的にそっちの方が色々と丸く収まる。出費に関しては最低限で構わないし、気の知れた人間が戦力であることに越したことはない」
「そうかもしれませんがね……」
「そこでだ」
ずい、と老人は身を乗り出した。
もちろん、次の言葉が青年には予想がついた。でも、それでも青年は眉を寄せて、顔を俯かせるだけで、それ以上の反応を示さなかった。
それで、老人は返って不審そうな表情を見せる。
「どうした、辞退しないのか」
「いや……」
青年は言い淀んでいた。
暫くの後に、依然として俯いたままに口を開く。
「最初からそのつもりだったんですか?」
そう訊いた。
老人は皿の上に、食べかけのソテーを残したまま、ナイフとフォークを置いた。かた、かた、と静かに音がする。それから首を振った。
「いや、思い立ったのは先方から仕事が舞い込んできたときからだ。
個人所有の兵器を利用するというアイディアが思い浮かんだ時、同時にお前のことを思い出してな。
まあ一種のジョークだと思ってくれていいぞ、しかし、どこかしら儂にはそれも悪いアイディアには思えな――」
「やります」
老人はガラス越しに道路の方へと視線を向けていた。
それをゆっくりと転回させると、そこには青年の正面を向いた相貌がある。その真っ直ぐな視線を受けて、老人はかすかに目を細めた。
「責任感に押されているのなら、そう言うといい。何も無理をすることではない、先方にも返答保留を申し出ているからな」
「いや」
青年は顔に掌を当てた。それで、何度か首を振った。
「微かに魅力を感じるんです」
「魅力?」
「そう、手っ取り早く、お役に立てるということです」
青年は視線を再びテーブルに落としていた。
その様子を見て、老人は眉を顰める。
「いや、お前は重機操作にも熟練してきているし、インテリジェンスに関しても特に問題はない。だから、お前が――」
老人はそう言いかけて、途中で言うべき言葉を失ったように、口を開けたままでいた。
「……明日以降に返答してくれ」
「はい」
「ジョークだったんだが」
「僕の他の人には言うべきじゃないです」
そうか、と老人は言って、皿の上に残っていたソテーに手を付け始める。
青年も少し疲れたように笑って、それから同じようにした。
「ただ、条件があります」
老人はフォークの切っ先を口に入れたまま顔を上げた。
「条件?」
「ACの名前と、カラーリングの決定権を僕に」
「それぐらいなら」
青年はにこり、と微笑んで、それから老人が食事に戻るのに合わせて自分もナイフを動かし始めた。
◇
応接室という名の社長室の扉をくぐると、そこにはエンリカと老人の姿があった。
「ヴィルヘルム、どうして入り口のところに社員の人が集まってたの?
今日は休日なのに」
そして後ろ手でドアを閉める青年に駈け寄りながらそう言った。
エンリカの肩越しに、老人へと視線を遣る。老人はすっと目を逸らした。
「ちょっと待ってて」
言って、エンリカの脇をすり抜けて、キッチンのついたての手前で佇んでいる老人の元へと歩く。老人は依然目を逸らしていたが、青年との距離が僅かなものになると、観念したかのように目を合わせた。
「今日は絶対ついてくるって聞かなかったんだ」
「っていうかこの部屋からでも中庭丸見えじゃないですか絶対バレますよ」
「儂らが部屋に返ってくるまで、キッチンの中でプリンでも作ってもらっていればなんとかなるかもしれん」
「めちゃくちゃだ」
青年は片手で目を覆って俯いた。
「まあ、いずれにせよいつかは話すことになるだろうからな……それはひょっとしたら今日かもしれん。
で、プリン作戦の件だが、材料は既に自宅からのルートで入手済みだ」
青年は手で顔を覆ったまま身動き一つしなかった。
青年と老人が部屋を出ていこうとした時、プリンの件を老人が申し出ると即座に却下された。自分も行く、と言い募るエンリカに、青年が同じ頼みをすると、暫く考える素振りを見せたあとでやはり却下された。打つ手は無かった。
そういうわけで三人は連絡通路を通り、本館のエレベーターフロアから一階へと降りた。受付のある出入り口付近には十人強の社員がいて、トレーラーの到着を今か今かと待ち受けていた。三人が姿を見せると、わっと笑顔に湧いた。
その内の何人かの社員が親しげな様子で青年へと歩み寄る。
「シミュレーションでは高得点! 更には本試験に一発で合格とは、素晴らしいよエーレンハイト。使用者登録はもうしてるんだよね?」
「ええ、まあ……」
「実戦の予定は無いの?」
「あ、積極的な参加は基本的に見送っていて……」
「いやできるなら俺が引き受けてやるべきところなんだけど、若い人間に多大な苦労を掛けるよ」
「まあ、撃退を行うというだけですし、単なる威圧のポーズとしての面も多分に……」
一連の会話を聞いていたエンリカが眉を寄せて、どういうこと? と老人に訊いた。老人はふっと顔を逸らせて、社員に囲まれて対応している青年の方へと足を向け、小走りに駆け寄った。おいヴィルヘルム、そろそろかな。
もう言っちゃったらどうですか、と青年が小声で言うのに対し、老人は目元を片手で覆って俯く。
青年も同じポーズをする。
エンリカは社員達の中に混じらずに、そこから一歩引いた位置で皆を眺めていた。例の平坦な視線を差し向けている。男性社員の何人かが、エンリカちゃんこっちに来いよ、と呼びかけたので、こくりと頷いて、彼らへと歩み寄った。
何が始まるんですか? という問いに、すぐに分かるよ。と社員らは微笑んだ。その様子を、恐る恐るといった視線で、青年と老人が眺めていた。
そうこうしていると、彼らのいる位置から些か離れた場所にある車両搬入用のゲートの前に、巨大な車両が差し掛かるのが見えた。認識コードが発信、照合され、ゲートが重々しく開いていくのが見える。幌の掛けられた輸送車両がその大きな車体を入り込ませた。それに引き続いて、ゲートが自動で閉まっていく。
その様子を眺めるエンリカの眉が寄る。そのエンリカの様子を見ている青年の眉も不安そうに寄った。
輸送車両が稼動音を鳴り響かせながら敷地内の広々としたスペースを縦断し、やがて社員らからは離れた位置に辿り着いて、静かに停車した。
社員を含めた人々はその様子を遠巻きに眺めていたが、ずい、と、老人が一人踏み出して、車両へと歩み寄る姿勢を見せた。
その後姿を追うように全員が移動していく。その中にはもちろん、青年とエンリカの姿もあった。
「どういうこと?」
歩く青年の後ろから、エンリカがが問いかけた。青年の肩がびくりと跳ねる。
「今日は、除幕の日なんだ」
「除幕? あのトレーラーは何?」
「じき分かるよ」
もはや少女の顔色は疑念を通り越して不安の域に入っていたが、青年も誤魔化すのに必死なので気付かない。
その頃先頭を歩いていた老人が、トレーラーの運転席から降りてきた男性と落ち合っていた。男性はどこか浮かない表情をしている。しかしそれも当然かもしれない、わざわざこのような目立つものを輸送してきた上、それと分かるような護衛を付けるわけにもいかなかったのだから、当然だ。
「我々はこの荷物を降ろして、去ります。後のことは大丈夫ですね?」
男はトレーラーと同じく重々しげな口調で尋ねていた。
「……もちろん、金さえ払えば御社のようなクレイジーな企業が輸送に買って出てくれるようになってるんだ」
「実に」
男は頷く。浮かない表情は真顔になっている。
「……では、カバーを外します」
男の発言に、老人はちらりと青年の方を見る。青年が首を振り、その青年を見ていたエンリカが青年のスーツの裾を指で引っ張る。
老人が青年から目を逸らす。
「やってくれ」
「はい」
おい、と男性が呼びかけると、助手席からもう一人男性が姿を現して、車両から降り立った。そして社員らからは影になっている部分へと機敏な動作で移動すると、幌を外し始める。元から車両を降りていた男性は、視線に晒されている側から幌を外し始める。エンリカの詰問をのらりくらりと交わしていた青年も、自然とその所作に視線を留める。もちろん、続く詰問にすぐ視線を戻した。
幌が、トレーラーの影になっている側へと引っ張られる。もう一人の男も、影になっている側へと駆け足で回り込んで、幌を引き上げる作業を手伝い始めた。
そこからは、もう時間は掛からなかった。
ばさり、と幌がトレーラーの側面へと落ち、その姿があらわになる。
もう、エンリカも詰問を止めていた。青年は、そのシルエットをぼんやりと眺めていた。
社員らが、歓喜じみた声を上げる。
それからの流れは、もはや喧騒、と言っても差し支えないものだった。そしてその中で、最も重要な当事者であるはずの幾人だけが、静かに、もっと言えばぼんやりと、一言も発さずに立ち尽くしているだけというのが、奇妙なことだった。
やがてその流れが自然なものとして、徐々に小さな囁きへと移行していく。
その後で、幌を下ろす作業をしていた男がトレーラーの影から現れたのだった。
「機体を降ろしますので、操作が可能な方をこちらに案内して頂いて――」
そう言った。青年はその間も、何も発言をすることなく、じっと機体を見ていた。
『ストレインジ』と名付けた機体だった。
最新鋭の、中量二脚と呼ばれる構成になっている。
武装は現在取り外されており、攻撃能力はなかったが、そのことを除けばそれは紛れもなく現代における最高レベルの戦闘兵器だった。
そのシルエットを彼は依然、他の何も目に入らない調子で眺めている。
「何アレ」
そこで、凍りついていたエンリカが再び裾を引っ張った。
青年はハッとしてエンリカを笑顔で見遣る。
「アーマード・コアだよ。知ってるかな」
「知らない」
少女は真顔で首を振った。
青年は、その反応を見るにつけ、どこか予想外のものを見たかのように眉根を寄せた。他の社員と言えば、思い思いに近づいて、その塗装の具合や、あるいはアクチュエーターのメカニカルな質感などを間近から見て楽しんでいたのだ。もちろん、そのほとんどが男性の社員だった。
そのような反応に比べると、エンリカの反応は余りにも色彩に欠いていた。
なので、青年は本当に驚くべきことを今言ってしまう方が、むしろ適切なのではないかとすら考えてしまった。
だから次の一言はあまりにもデリカシーに欠いた発言になってしまったのだが、結局のところそれを止めることは誰にもできなかったのである。
「僕がアレに乗るんだよ」
青年はそう言った。
少女は、青年が笑みを浮かべて言った言葉に、暫くその視線の意味を考えるような具合で、お互いに視線を重ねていた。
やがて額へと片手をやり、足元がぐらりと揺らぐ。
ほとんど躊躇なく、その崩れ落ちる体を支えようと青年が素早く手を伸ばした。少女の体は、したたかに地面に接触するという憂き目を見ることはなく、なんとか無事に青年の腕の中に収まった。だが、その一部始終を心配そうに眺めていた老人が、耐えかねたように一歩を踏み出すのが見えた。青年が、ひどく慌てた調子で声を上げる。
「エンリカちゃん、大丈夫っ?」
青年の言葉に、少女は先程の緊張の表情からとはまた一転して、青白い様子の肌を覗かせていた。
「信じられない……」
呆然としたような口ぶりで呟いている。
トレーラーに載せられた機体に群がる社員らを迂回して、老人が傍らにまで駆け寄ってきた時には、どこか無茶をしている調子ながらも、どうにかエンリカは再びその二本の足で自分の体を支えられるようにはなっていた。
しかし、やがて無理な力を振り絞るように、青年が自分の体を支えようとするのを押しのけると、ふらふらとした足取りで踵を返し、元来た道を戻り始めた。
自分が何をされたのか分からない、とでも言いたげに、ぼんやりとした視線で青年は自分の手を見やっていた。
「バカ、早く追いかけろっ」
老人の声に我に返る。
「え、でも積荷を降ろさなきゃ」
「そんなことを言ってる場合か!」
飛び上がるように驚くと、青年は走りだした。老人は頭を抱えて、今にも膝を突きそうな顔色をしている。そしてそんな彼らの後ろ姿を社員たちが、ついでトレーラーの運転手たちが、呆然と、あるいは気の毒そうな表情で見守っている。
青年が必死に少女に何かを話しかけるのを、弱々しくも手を振り回して拒絶しているという二人分の後ろ姿が、暫くそこにいた全員の視線に晒され、やがてビルの入口に消えたのであった。
投稿者:Cet
最終更新:2012年04月27日 12:54