アダム・グレイスフルというのが彼らの名前だった。
「ミグラントは雇わないんじゃなかったんですか? というかそこはかとなくロックバンドっぽい名前ですよね」
「いや、やはり万全を期す為にはAC一機ではな。
それに、ミグラントのリーダーの『ヴォルフ』は儂の間接的な知人でもあるから、まあ大丈夫だろう」
いつもの応接間で二人は向かい合っていた。
真剣な表情をしている。それであって、どこかしら弛緩した空気を感じているようでもあった。
いつもとは違う何かがそこにあるからだ。
「……でも、ビルが建設を終えるまでの間には随分と時間が掛かるでしょ? その間ずーっとミグラントの人を雇い続けて大丈夫なの?」
「クライアントの兵器工廠が防衛費の内の何割かを負担してくれるとのことでな……。
ちなみに、今回購入したACに関してもそれなりの補助が出ているのだから、実は今更、という話でもある」
すこしばかり違和感を覚えながらも、その質問を無碍にすることはできないらしく、老人は真摯に答えてみせた。
それに対して青年の隣に座る少女は、自分がこの場にいることに何の疑問も感じていないかのように振舞っていた。ただ単純に興味津々といった様子で、自分が様々なことを見知っていくという権利を否定することは誰にもできない、と思っているかのようである。
もちろん、それ以外にも理由があってのことなのだが、その根本的な理由について敢えて問い質そうとする人間はこの場にはいなかった。
「ねえエンリカちゃん」
「? なに、ヴィルヘルム」
青年はぽりぽりと自分の頬を、人差し指で掻いた。
「退屈じゃないかな、こういう経営に関わる話とかって」
「ううん、そんなことない」
「ならいいんだけど」
事実、そう答えた少女は決して退屈などというものを感じてはいなかったのだ。
そしてその理由について言及する人間はいない。今のところ。
「それで……エーレンハイトには今までにも何度か実際の威力的な警備についてもらっているが、今後ビルの建設が進行するに当たって、仮に襲撃に遭った際に伴うリスクは幾何級数的に膨らんでいく。
そこで、彼らとの共同警備というものが必要になってくるわけだ」
「なるほど、段階的に警備を強化するというのは、悪くないアイディアですね」
青年は頷く。
少女も横で、うんうんと頷いている。
「……ところでお前たち」
その様子をさっきからずっと見守り続けてきていた老人が、ようやくつっこみの機会に巡り会えたと見え、口を開いた。
「はい?」
「暑くないか、つまり、その、なんだ」
「もう、冬ですし」
青年は老人の目を見ずに答えた。そのことにわざわざ口に出して言うほどの問題があるのか、とでも言いたげな口調である。
一方、エンリカはその話題に触れられた瞬間から、身体をきつく強張らせて、先程からとは一転してうつむきがちに、縮こまってみせている。やがて少しだけ、お尻の位置をずらして、ヴィルヘルムから間を空けた。
はあ、と複雑な憂鬱を纏った溜息が老人の口から吐き出された。
◇
時は変わって、年末を控えた市街のアイスクリーム・バーに青年の姿があった。休日で賑わうその場所には、どちらかといえば男性よりも女性の姿が多いのは自然なことであって、青年はどこかしらの居心地の悪さのようなものを感じているらしかった。その身体がさっきから小刻みに揺らされている。
樹脂製の簡素なカウンター席で、彼はさっきからその円形のスタンドに座り、それをくるりと半回転して、背後の方を見つめるということを続けていた。注文用のカウンターには短くはない列が出来ていて、そしてそちらの方には注文を述べる声と、それを復唱する声とでちょっとした唱和のようなものが生まれている。
やがて、青年がその表情をふっと和らげた。間もなく、彼のもとに一人の少女が駆け寄ってきて、それからはずむような動作で隣の椅子に腰掛ける。両手には二つ分のアイスクリームが、コーンに盛りつけられたものを持っていた。
「お待たせ」
「待ってないけど、でも、なんだかちょっと緊張するな」
なんで? と問う少女に、青年は複雑な笑みを漏らした。
「さっきから女の子達の視線がこっちに飛んできているような気がして」
「……ああ」
少女は一つ頷く。真顔で。
「歩きながら食べよっか」
そして、思ってもみなかった注文に、青年は少しだけ目を丸くする。
「いや、でも折角だからここで落ち着いて食べた方が美味しいよ。
というか外はさむ」
「いいから」
強い声色に、もはや頷く他ない。
「いこ」
少女は青年を促して、先にスタンドから降り立った。そしてそれに導かれるように、青年もまた立ち上がる。
からん、からん、と、来店を告げる為のベルが鳴るのを聞きながらに、二人は人であふれる石畳の通りへと乗り出した。少女が前を行くのを、追いかけるような形で青年が歩く。間もなく少女は振り返って、青年と歩調を合わせた。
「ヴィルヘルムはボーっとしてるんだから」
「そうかな」
言いながらに青年はアイスクリームを舐める。甘いけど、冷たい。そんな当たり前の感覚を抱く。
それから、少女の方へと視線を向ける。
「おいしい?」
「……ちょっと冷たい」
少しばかり残念そうな素振りで、少女は言う。
「でも、仕方ないよ」
少女はそう言葉を続けた。
何が仕方ないのか、青年はイマイチ理解できていない様子だったが、しかしそれでもそんな感情を殊更に表に出すことはせず、少女の歩調に足並みを合わせながら歩いていた。
それから、ふと口を開く。
「あのさ」
それに対して、少女は目で反応する。
「なに?」
「ご両親は、何も言ってないの? というか、こういうことになっているのを知ってるんだろうか」
「それとなくは知ってるんじゃないかな、昔から休日には出かけることが多かったし」
「ふーん」
青年はどこか間の抜けた相槌を打った。でも、少女は特に気にしていないのか、季節柄もう溶けてしまう心配のないアイスクリームの表面を、舐めることで味わっている。
そんな中、ぴたり、とその味わう動作を止めた。
青年がその顔色を覗き込む。
「うう、舌がひりひりしてきた」
少女は片方の手を口元に当てながら言う。
「僕ならいつも一気に食べちゃうけどな、そうしたら?」
「うーん……」
他愛もない会話に花を咲かせていた。それからすぐ少女はアイスクリームをぱくりと齧る。
「おいしい?」
「うん」
少女は頷いて、微笑んだ。
青年はさっきからずっとそんな表情をしている。
それから、二人は今日の予定について話し合った。映画鑑賞、それが一応の予定で、最近では映画館も旧作映画のリバイバルとか、そういうやる気の感じられない企画に頼ったりすることが多く辟易されてきたのだが、クーデター後の街には、ほんの僅かなことであれ、仮り初めの平穏というものが訪れてくるにつれて、新作の映画公開というのも増え始めていたのだ。
だから、テレビでの宣伝の機会などにも押され、最近のイル・シャロムでは俄かに映画ブームの高まりのようなものが見られていたのであった。
そんな流行に影響されているのは二人としても例外ではなく、市街の中心部に位置する大型規模の映画館へと、足を運ぶことになっていた。
「映画なんて、ここのところまともに見てなかった」
「そもそも絶対数が少ないジャンルだからね、最近では演劇なんかの方がサブ・カルチャーとしては人気を……」
「そういうのはいいの。
大事なのは、面白いかどうか、でしょ」
全くである。青年も頷く。
「まあ、まずは見てみないことにはだけどね」
「そう、まずは見る」
少女は頷く。実に楽しげな様子だった。
青年も、そんな表情を見るにつけ、口元を綻ばせている。
そして、そんな青年の表情に、少女もまた気付き、はにかんだように笑う。それを見るなり青年の心臓が、また新たに温かな血液を全身へと送り出す。
おっと、という声が聞こえたのはその時だった。
少女の正面から歩いてきた男が、少女の身体を避けるために少しだけバランスを崩していたのだ。
少女は遅れてそれに気付く。青年は、その男に見えるようにぺこりと頭を下げる。
その時、青年には男の表情が見えた。
灰色の髭を蓄え、短く刈り込まれた頭髪にも、同じく白髪がかなり混じっているその男の、目の中に、青年の意識が引きつけられた。灰色。男もまた、青年の視線に気付く。一瞬、二人の視線が交錯する。
でも、それだけだった。バランスを崩した男は、前を閉じていなかったせいで大きく広がったコートの裾を、手で素早く引き付けると、再び何事も無かったかのように石畳を歩いて行った。青年は、ほんの数秒の間であったが、その後姿を見つめている。
でも、すぐに正面に向き直った。
「ねえ、気をつけなくちゃね」
「うん」
少女は恥ずかしそうに頷くのであった。
投稿者:Cet
最終更新:2012年04月29日 02:01