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完熟トマトと真珠の魔人 - (2008/09/13 (土) 02:01:59) の1つ前との変更点

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―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『完熟トマトと真珠の魔人』 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  地図を見ればわかるように、埼玉県には海がない。だから海水浴というのは、必然的に ちょっとしたイベントになる。  日帰りで行くこともできなくはないけど、結構疲れる。となれば泊りがけだ。そうなる と必然的に持ち物も増える。それに移動手段だって必要で。  ここまでくると事前の準備は、小規模な旅行の域にまで達する。参加メンバーの日程を 入念に調整し、週間天気予報を睨みながら決行の日を決めた。それをカレンダーに書き込 んで、約束の日を指折り数えて待ち望む。  ただそれだけのことなのに、自然と心が浮き立つのがわかる。  ──まるで恋する乙女のように。  往路では黒井先生の運転に冷や汗をかかされたものの、おおむね今回のイベントは成功 裏に終わりそうだ。黒井先生が宿の清算を済ませたら、私たちは再び車中の人となる。夏 の朝の日差しの中、潮風を身体いっぱいに浴びるのもあとわずかというわけだ。  まだ早朝だというのに、砂浜はすでに熱気を帯びている。さすがは真夏の日光。なかな かあなどれない。つかさに誘われて浜辺にきたはいいが、どうやら帰ったらさっそく髪を 洗わなきゃ、なんて思う。 「ふーん、こなちゃんは青トマト派なんだね。私は青臭いトマトよりは完熟したトマトの 方が好きだけど」 「完熟トマトの糖度は十~十二だっていうよね」 「よくわかんないんだけど、それってどのくらい甘いの?」 「柑橘系で十、リンゴとか普通のメロンが十四だっていうから、野菜というより果物に近 いかな」 「へえ、そうなんだ」 「私はあんまり甘い系は好きになれないんだよね。酸味とか青臭さっていうのが野菜の醍 醐味だと思うから。それにそんなに甘いの食べたきゃ、果物でも食べればいいじゃん、っ てね」 「あはは、それわかる。私もトマトケチャップが甘かったら、ちょっと考えちゃうかも」  ひとしきり笑ったところで、私はそろそろ本題を切り出すことにした。 「それでつかさ、まさかトマトの話をするためだけに、わざわざこんなところまで連れて こられたわけじゃないよね」  少しの間迷っていたものの、つかさは意を決したように口を開いた。 「お姉ちゃんね、こなちゃんのことが好きなんだよ」 「うん、わかってる」 「びっくりしないんだ」 「まあ、なんとなくわかっちゃったっていうか」  思わず私は苦笑いを浮かべる。 「こなちゃんも、お姉ちゃんのこと好きなんだよね」 「そう見える?」 「わりと。だって二人とも結構わかりやすいし」  少しばかりショックだった。自分ではなかなかうまく隠し通しているつもりだったのに、 他の人はともかくよりによってつかさにまでバレバレだったとは。  そんな私の内心の葛藤を知ってか知らずか、つかさはなおも続ける。 「お姉ちゃんはね、すっごく苦しんでる。同性の女の子を好きになってしまったこと。だ から少しでも楽にしてあげたいんだ」  どこまでもまっすぐな藍色の瞳で見つめられた。うらやましいくらいに清々しい。 「それができるのは、こなちゃんだけなんだよ」 「悪いけど私は、かがみの気持ちには答えてあげんない」  そんなつかさの視線を、私はとても直視することができない。  きっとそんな私は、ものすごく汚い心根の持ち主なのだと思った。 「なんで」 「好きだけじゃ、どうにもならないことってあると思うんだよね」 「そお?」 「私みたいにチビでオタクな人間に、かがみをどうこうする資格なんかないんだよ」 「それ、本気、じゃないよね」  わずかにつかさの言葉に悲しそうな空気が混じるのがわかった。 「まさかお姉ちゃんがそんな些細なことを気にするような、そんなつまんない人間だなん て、本気で思ってないよね」 「いやごめん、悪かった、謝るよ。そういうつもりじゃなくて」  うかつだった。自分を卑下することが、そんな私を想ってくれているかがみすら否定す ることになるなんて、今まで考えたこともなかった。 「でもね、大切な人だから、本当に大切な人だからこそ、うかつなことはできない。そう いうことも世の中にはあるんだヨ」 「うん、まあ、それならわからないでもないかな」  どうやら機嫌を直してくれたらしい。軽く同意のうなずきをつかさは返してくれた。 「小さい時から、お姉ちゃんはずっと無理してきた。私のせいで」  今、つかさの胸中にはどんな映像が映し出されているのだろうか。 「だからいつか、私がお姉ちゃんのために何かしてあげたい。そんな風に思ってた」  チビでオタクで劣等生の、まるで取るに足りない私。  魅力的でちょっと凶暴だけど優しくて、成績優秀なかがみ。  どこまで行っても、決して永遠に交わることのないはずだった二本の線。  それを結び付けてくれたのが、つかさだった。  今ならまだ引き返せる、そう信じてたこともあったけど。  気がついたら、もうとっくにそんな段階は通り過ぎてた。  夜中に涙で枕を濡らすことがあったとしても。  言葉にできないもどかしさがあったとしても。  たとえ想いが届かなかったとしても。  それでも恋は、恋なのだ。 「かがみはさ、意外に純粋で、まるでガラス細工みたい。でもだからこそ危ういってとこ、 あるよね」 「うん、私もそう思う。だからこそ、そばで支えてあげられる人が必要なんだと思う」 「それが、私?」 「そう」 「そうなると、ますます私じゃ無理だよ」 「どうして」 「だって、私はもう傷だらけだし」  私の言いたいことがどこまで伝わったかはわからない。そもそも理解してもらおうとは 思わなかった。  だからこそ、なのだろう。つかさの話に意表を突かれてしまったのは。 「ねえ、こなちゃん、『真珠の魔人』っていう話、聞いたことある?」 「いや、ないけど」 「こんな話なの」  そう言うと、つかさは遠い水平線を眺めながら、静かに語り始めた──。  あるところに、二人の真珠の行商人がいました。  ある日、道に迷った二人が夜の山で途方にくれていると、  突然真珠の魔人が現われてこう言いました。 『この袋に入っている真珠の価値を、正しく理解している者だけを助けよう』  二人は懸命になって、中の真珠を調べました。  そしてそこからそれぞれが最高と思う真珠を選び出しました。  でも一人が、もう一人の選び出した真珠を見て大笑いしました。 『なんだお前の選んだ真珠は。形がいびつな上に、そもそも傷物じゃないか』  すると真珠の魔人はこう言ったのです。 『それは違う。  いびつな形は指輪として台座に組み込んでしまえばわからない。  ネックレスとして穴を空けてしまえば、傷も隠すことができる。  だが真珠自体の大きさだけは工夫のしようがない。  だから、こいつの選んだ真珠こそが正解だ』  こうして傷物だけど、一番大きな真珠を選んだ行商人だけが助かりました──。 「その傷物の真珠って、ひょっとして私のこと?」 「うーん、そうなるのかな。よくわかんないけど。要するに人に幸せをもたらす物って本 当に人それぞれで、これといった決まった形なんてないんだって。そういう意味だって、 お父さんが言ってた」 「なんだ、おじさんの受け売りか」 「あはは。そゆこと」  私とつかさは小さく笑った。  ──ありがとう。これで私の覚悟も決まったよ。 「おーい、行くでー!」  陸の方から黒井先生の、私たちを呼ぶ声が聞こえた。  みんなのところに戻ると、なんだか微妙な空気が漂っていた。  みゆきさんが片手で私を拝むようにして『ごめんなさい』と口パクで伝えてくる。かが みの目元がほのかに赤らんでいるところを見ると、どうやらこちらでもひと騒動あったら しい。  この状況で、なんの迷いがなかったといえばウソになる。でもこのあと私たちは、ゆい 姉さんと黒井先生の車に分乗して帰途についてしまう。今は夏休みの真っ最中だから、も しこの機会を逃したら、次はいつ会えるかもわからない。だから今しかない。今しかない んだ。  私はそう信じ込むことにした。そう決めた。 「ねえ、かがみ」 「何よ」  抑えてはいるものの、彼女の藍色の瞳には明らかに不機嫌さを示す何かが漂っていた。 なまじ美少女なだけに、こうなると妙な凄みがある。私が、かがみのことを『凶暴』と表 現したくなる瞬間だ。だけどもちろん、ここで引き下がるわけにはいかない。  なるべく自然に。たとえば明日の天気のことでも話題にするように。私は何者かに祈る ような気分を味わいつつ、緊張で乾ききった口を開いた。 「やっぱ私って、かがみのこと、どうしようもなく好きみたい」  言ってしまった、みんなの前で。  これで退路は絶った。  もう逃げ道はない。  一瞬、かがみは私の言葉の意味がわからないようだった。きょとん、とした表情を浮か べる。でもすぐにそれは驚愕へと取って変わり、同時にありえないほどに紅く顔が染まっ ていく。まるで完熟したトマトみたいだ、と私は思った。甘み系は好みじゃないけど、こ んな完熟トマトなら大歓迎だよ。 「今まで待たせてごめん。でもこれからは同じ道を歩かせて。ううん、たとえ嫌だといっ てもついて行くから」  かがみの顔が大きく歪む。  大粒の涙が瞳からぽろぽろとこぼれ落ちる。  それこそどんな真珠よりも美しかった。  拾わなきゃと手を伸ばそうとしたけど。  残念ながらそれは適わなかった。  その前に、かがみに思い切り抱きしめられてしまったから。  とんでもなく凄い力だった。  私の身体のあちこちが耐え切れずに軋む。  だけど無様な声を上げることだけは懸命に我慢した。  だって、きっとこれは罰。  長いことかがみを苦しめてしまった罰なのだから。 「私も好き。こなたのこと、大好き」  かすれた声でかがみが、私の耳元でささやく。  不覚にもその一言で、私の視界も歪んだ。  つかさが、みゆきさんが、黒井先生が、ゆい姉さんが。  みんな目を細めて幸せそうに笑ってる。  泣いてるのはかがみと、そして私の二人だけだった。   (Fin) **コメントフォーム #comment(below,size=50,nsize=20,vsize=3)

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