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Wonderwall(完結) - (2008/11/05 (水) 23:24:07) の最新版との変更点

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「も一つ、甘えちゃって、いい?」  腕の中で、あられもない、という表現がぴったりの顔を上げ、こなたが呟く。  返す言葉など、一つしかない。 「今なら、幾つでも。」  弾ける… とまでは行かないが、今度は、実際の泣き笑いを、不器用にも見せてくれる。 「私の … 」 「  」  耳元で囁く言葉は、余りに頼りなく、鼓膜に、内耳に、いつまでも残響していた。  私は、その、一瞬の戸惑いを、拭い去る意味で。 「私で。」 「私なんかで、良かったら。」  笑える状況ではない。 だけど。  唯々、安心、させたくて。 ―違う。 自分が、安心したくて。  対する竜胆は。  …  私は、シーラカンスでも見ているのか。  先刻の、「諦め」という確たる芯を持った薄氷細工とは全く異なる、この、顔を。  こなたの今の表情を、表現する言葉が、一切浮かんでこない。  「神」「論理」「数字」… 丁度今この子に訪れている第二次反抗期よろしく、  自然界との差異や特異点ばかりを捏造し、「人間」として、枠を固めてしまった現在のヒトが、  恐らく、太古の昔に使い捨ての踏み台 ―先述の“腐土の山”としたものの、一つ。  今となってはそれが何なのかは、誰にも ―恐らく、提供してくれている本人にすらも、判るまい。  『「人間」の知らない』 そんな表情。  エヴァに勧められた、取ってはならない樹の果実。それを見たアダムの心境は、恐らく、私のこれに近い筈。  今度、私の戸惑いを拭ってくれたのは、当のこなた本人だった。  サルトルの言う、「不気味ですらある裸の形象」の裏に、  さっきの泣き笑いが、時折こちらを伺うように、ちらほらと、見え隠れする。  ― そして、“振り切れた”。  涙は消えず、頼りなげながらも、くっきりとした笑みを面に、文字通り「(人間性を)建て直し」て。  爪先立ちに、伸び上がるこなた。  17cmが、瞬く間に埋まる。  乾いた唇が、私のそれと  皺を合わせる。  あくまで、遠慮がちに。  甘いって、何の事だよ。  本当に、アダムは何を想ったというのか。  ― and after all ... You're my Wonderwall ... ―― 「あ、お姉ちゃん。 その …ごめんね。 結局、なんてったっけ、『価値観』?なんて、人それ… あっ!」  玄関を潜るなり台本(恐らく姉sのアドバイスによる)通りの平謝りをしてくるつかさに、当人の好物、トマーテを放り投げる。  つかさがまだだから、時間帯からして、今風呂にいるのは上から2番目だ。 …何って、湯浴みの順番の。  最初に出くわしたのがあの隠れエゴイストでなくて本当に良かった。 「それはあんたに。 あとこれ、みんなの処に持ってって。ベジッシュ紫が私。後はよしなに。  多分まつり姉さんはソルティドッグだから、冷やしといて。」 「あ、えと… ありがと。」  もの言いたげに玄関マットの前で立ち竦むつかさ。  家を出たのが夕飯の最中だったから、この子はほとほと気まずい空間のえぐみを一人で味わっていたことになる。少し反省。 「あぁ、いいわよこの位。今日は奢り。それに、後でみんなに謝っとくわ。 私がちょっかい出さなきゃこんな喧嘩にはならなかった。」 「ううん、違うの!」  つかさは慌ててかぶりを振る。何が違うというのか。 面倒ながら非の所在もあって、しばらくロートルな掛け合いに付き合うことにした。 「私、お姉ちゃんに酷いこと言った。 ずっと助けてもらってたのに。  私のこと一番考えててくれたのは、お姉ちゃんなのに。 全部判ってて当然、みたいな…」 「『あんたと私は違う』んだからね。」  こんな時こなたに会えたのは、本当にラッキーだった。 人として、あるべき姿を再認識できたのだから。 「そりゃそうだ。親でもないのに『心配だ』って言葉で、自分の保護欲を満たしてた。  私にも、そういう部分はある。」  そんな事ないよ、とでも言い出しそうなつかさの仕草を、続く既成の台詞で先に抑える。 「いつまでも、『あんたは私の支えがなきゃやってけない。』 そういう思い込みを今の今まで引き摺ってた。  それが、あんたの逆鱗に触れた。他になんかある?」  何を言っても無駄だと悟ったか、黙り込むつかさに、人として、義務を果たす。 「ごめん。」  真っ直ぐに、頭を下げる。 今の今まで、姉として“見下ろす”視点にいた事。  肉親っていう立場に甘えて、言ってはならないことを何度となく叩き付けては聞き流させていた事。  本来、こんな侘びで許される所業ではない。  この先も猶予期間の長く用意されている、一種安泰な立場からすれば、少々気が早いとは思えるが、  これが『現場を間近にする者の心得』というやつか、  つかさは既に『家族』のしがらみから放れ、社会に出ようと一足先に準備を進めている。  言ってみれば、看護学校の卒業如何を問わず、これからは私の「先輩」になるのだ。  ならば、それなりの「敬意」を以って接するのが、血縁という、親しき仲の礼儀というもの。 「… お姉ちゃん。」  当惑気味に、ひたすら指示代名詞を繰り返すつかさ。  他に言葉が出ないのか、それとも私の発散する空気に取り残されているのか。  でも、これだけは覚えておいて貰いたい。 「あんたはあんたよ。思ったように動けばいい。  …ただ、あんたが望むと望むまいと、私には、この一家の人間には、あんたと同じ血が流れてる。」  どんな時でも。 「辛くなったら、いつでも言いなさい。 何があろうと、私達はあんたの味方。 あんたは、柊家の一員なんだから。」  いつか帰る場所は、安心できる場所は、あんたを、支えてる。  今は前だけを見て、行けばいい。  可能性っていうのは、こういう時に信じるべきものだから。 「お姉ちゃん。」  前の一言とは違う、芯の通った呼び掛け。 卒業証書を受け取る際の、応答の声を連想させた。 「… ありがとう。」  これでよし。  視線を進行方向に戻し、肩越しに手を上げて応える。 まったく、端から終いまで、私らしい言動だ。  身内を相手に、本音も建前もあるまい。 世間がどうあれ、私はそう教育されてきた。  改めて両親に、そして、こなたに感謝する。 事もなく、私の“妹離れ”は成し遂げられたのだから。  ― 何だ、やっぱり「親役」はあんたの方じゃない。 「会ったんでしょ?」  … ? 「こなちゃん、元気そうだね。」  振り返ると、ゆきちゃんに言っとく、と、薄くマスカラの乗ったウインクを残し、つかさは居間に戻っていった。  さっきの言葉が、自らの立場と想像を違える合図だったかのように。溢れる“親愛”を前面に押し出して。  …また表情に出ていたか。 おのれ、この癖は矯正しとかんと後生に響く。 ―― 「姉さん。」  おかず温め直してねー、という下階からの母さんの言葉に生返事をし、  一番風呂の後、いつものようにつかさの部屋でラジオを聞いていたいのり姉さんの肩を叩く。  この間修理に出したMyラジカセ以外に、安物のポータブルプレイヤー以外持ち合わせていないこのアナログな社会人は、  それ以来ライフラインを末妹に求めて久しいらしい。 全く、ラジオくらい別個に買えばいいのに。  そういえば、パソコンはまつり姉さんに作業用として借りる程度で、インターネットもやらない主義だとか。  でありながらこの情報の早さだ。 毎朝新聞をどういう読み方で捲ってるのか。  おやおや、漸くお帰りかい? ―とでも言いたげな、  片眉を吊り上げた鼻に付く表情で、ヘッドホンをずらす、我が家の影の御意見番(因みに表のは次女)。  その威厳は、彼女の高校時代から衰えることを知らない。 「落ち着いた?」  さりげに肩も竦められていた気がする。 …そんなに大人気なかったか。  この人の前では大御所の訓示を受ける新人芸人よろしく、まさに猛省するしかない。それだけの実在感。ことばの重み。 「お蔭様で。」  返す言葉にジントニックを添えて差し出す。  今日は気分的にバイオレットフィズかなー、などと文句は垂れつつしっかりタブを立てる辺り。  細やかな気遣いは父さん譲りだ。  この人の精神年齢は幾つだろう。一度今流行りのEQテストにかけてみたいものだ。  少なくとも、私やまつり姉さんのそれとは一世代は離れている。筈。 「…あ!」  それでも、こなたとは僅差に違いない。  …流石は購入者、私の両耳朶の異変に早くも気付いたらしい。 すかさず事情を説明。 「左側は、友達に渡してある。今の私を、文字通り“創ってくれた”人。  これ、その人専用にさせてもらったから、その報告に来たの。」  本日幾度目か。 ありのままを、告げる。 義理の娘の嫁ぎ先を、実の親に報告する際の義母のように。 「… …。」  当人は僅かに顎を下げ、何かに思いを巡らせている。  無理もない。  身銭を切って妹に買い与えたジュエリーが、一年半年後には数度顔を合わせた程度の他人の手に渡っているのだから。 「…怒ってる?」 「まさか。」  ふっ、と鼻から息をつき、顎に手を添える。雰囲気は和んだが、どことなく視線が彷徨っている。 「あんたの人生の、そんなに大きいものにしてくれたなんて、ね。  嬉しいけど、もうちょっと見栄張っとけばよかった、って、少し後悔。」 「え?」  右の親指の頭を、しきりに顎に擦り付ける。 幼い頃、大人の前で言い訳する際によく見られた、この人の癖だ。  どんなに老けても髭一つ生えそうにない顎ではあるが。 「実はそれ、去年のW大入学式の先日まで、渋谷パルコのショーケースに並んでた“風格重視”見え見えのデザイン。  …今じゃ探せばネットでも買える。」  頬を下げた、ばつの悪そうな表情のもと、三万ちょいはしたけど、と口の中で呟き、純白の八重歯を覗かせる。  謝るのはこっちだ、と反射的に言葉が出掛かったが。  その表情が、場違いで、余りにこの人にしっくり来ない類のもので…  どちらからともなく、息が先に漏れるような、涼しい笑い方を始めた。  You know you're right. 価値観は人の数だけある。  でもその一方で、例え200兆分の1でも、共有できる部分だって確かにある。 切欠が“モノ”なら、尚更判り易い。  こなたの袂で味わった、胸から鼻に懐かしい息が抜け出るような感覚に、限りなく近いもので満たされる、胸控。  これが、この不完全さが「人」なのだ。  ひとしきり笑い合った後、急に異彩のオーラを放ち出したいのり姉さんに、  少し反応が過剰だったかと、私は改めて意識を向け直す。  顎を弄っていた右手は腰に。僅かに首を傾げ、先程とは逆に眉を下げている。  何が煙るのか、重たげに瞼をかぶせた、蒲葡色。 「あんたに買った甲斐があったわ。ありがと。」  これが、こなたの言っていた“目”なんだろう。  オーロラみたいな夢現を眺めるような、ここからでは決して見通せないものを見据えているような、深みを帯びた、瞳。  ― そう、母さんと同じ。  母さん譲りの吊り目。それは私もおそろ。けど恐らく、私にはまだ、この活用法は体得できていない。 「こっちこそ。 大切なものを、ありがとう。 いのり姉さん。」  この人の年齢までに、私はそこまで、心に、ことばに、幅を持たせる事は出来るのだろうか。  僅かに頭をもたげてきた不安を、先刻聞いたこなたの“それ”がさらってゆく。 ― 『ダメでもともと、やるしかねぇ! まさにそれだ。』 ― 『かがみは、私の『お母さん』なのかな。今でも。』  目指す先は、果てしなく長い。  だが。 ― 『私の… 【目標】に、なって… ください。』 ―  あぁ。  一言一言が、ふとした仕草すら、頭から離れない。  やっぱり私にとって、こなたは不可欠なんだ。  それだけ私は、こなたの「傍」に居たいんだ …  こんなにも  ― 救われてるのは、私の方なのに。  あんたは。  自室のドアに凭れ、数刻前の実感を胸に思い描く。 改めて、涙が浮かぶ。  自分の為に他の成功を祈る、そんな偽善とは縁を切ったつもりだったのに。  願わずにはいられない。  どうか、こなたが劣等感に打ち勝てますように。  どうかこなたが、連られて空気も笑い出すような、あの“心の底からの笑顔”を取り戻せますように。  どうか  こなたの行く末が、誰より幸せでありますように。  私は、根っからの卑怯者だ。  手前の小さな幸福の追求が至上命題で、その度合いすら、比較級でしか捉えられない。  それをも構わず、等身大の私の総てを、ありのままに受け止めようとしてくれた、  こなたの底知れない大きさと優しさ。  何か、返せるものが、残せるものがあるとすれば。  私は、あの子と釣り合う存在に自分自身を近づけてゆくこと、「変わって」ゆくことを、改めて心に誓う。  来年の今頃。  誰にも不快感を与えることのないような“生のままの表情”で、間の抜けたやり取りを交わしている二人を。  髪を竜胆で染め上げたあの子が、このサファイアを、両耳朶に煌かす姿をイメージしながら。 Reference Songs : One Vision/Queen , I Need to be in Love/Carpenters , Little Wing/Jimi Hendrix ,             Wonderwall/Oasis , そのスピードで/The Brilliant Green 注:.竜胆→オヤマリンドウ … 中部地方以北の亜高山帯、湿原や草地に生える、碧紫色の花。    生育環境的に、標高の高い地域のもの程碧色に近く、低くなる(=人里に近付く)につれて紫色が強く出てくる。    長野県の湯の丸高原では、この様子が直に観察できた(8月下旬~9月上旬)。    (但し素人目での判断故詳細は不明…)  ― 了 ― **コメントフォーム #comment(below,size=50,nsize=20,vsize=3)
「も一つ、甘えちゃって、いい?」  腕の中で、あられもない、という表現がぴったりの顔を上げ、こなたが呟く。  返す言葉など、一つしかない。 「今なら、幾つでも。」  弾ける… とまでは行かないが、今度は、実際の泣き笑いを、不器用にも見せてくれる。 「私の … 」 「  」  耳元で囁く言葉は、余りに頼りなく、鼓膜に、内耳に、いつまでも残響していた。  私は、その、一瞬の戸惑いを、拭い去る意味で。 「私で。」 「私なんかで、良かったら。」  笑える状況ではない。 だけど。  唯々、安心、させたくて。 ―違う。 自分が、安心したくて。  対する竜胆は。  …  私は、シーラカンスでも見ているのか。  先刻の、「諦め」という確たる芯を持った薄氷細工とは全く異なる、この、顔を。  こなたの今の表情を、表現する言葉が、一切浮かんでこない。  「神」「論理」「数字」… 丁度今この子に訪れている第二次反抗期よろしく、  自然界との差異や特異点ばかりを捏造し、「人間」として、枠を固めてしまった現在のヒトが、  恐らく、太古の昔に使い捨ての踏み台 ―先述の“腐土の山”としたものの、一つ。  今となってはそれが何なのかは、誰にも ―恐らく、提供してくれている本人にすらも、判るまい。  『「人間」の知らない』 そんな表情。  エヴァに勧められた、取ってはならない樹の果実。それを見たアダムの心境は、恐らく、私のこれに近い筈。  今度、私の戸惑いを拭ってくれたのは、当のこなた本人だった。  サルトルの言う、「不気味ですらある裸の形象」の裏に、  さっきの泣き笑いが、時折こちらを伺うように、ちらほらと、見え隠れする。  ― そして、“振り切れた”。  涙は消えず、頼りなげながらも、くっきりとした笑みを面に、文字通り「(人間性を)建て直し」て。  爪先立ちに、伸び上がるこなた。  17cmが、瞬く間に埋まる。  乾いた唇が、私のそれと  皺を合わせる。  あくまで、遠慮がちに。  甘いって、何の事だよ。  本当に、アダムは何を想ったというのか。  ― and after all ... You're my Wonderwall ... ―― 「あ、お姉ちゃん。 その …ごめんね。 結局、なんてったっけ、『価値観』?なんて、人それ… あっ!」  玄関を潜るなり台本(恐らく姉sのアドバイスによる)通りの平謝りをしてくるつかさに、当人の好物、トマーテを放り投げる。  つかさがまだだから、時間帯からして、今風呂にいるのは上から2番目だ。 …何って、湯浴みの順番の。  最初に出くわしたのがあの隠れエゴイストでなくて本当に良かった。 「それはあんたに。 あとこれ、みんなの処に持ってって。ベジッシュ紫が私。後はよしなに。  多分まつり姉さんはソルティドッグだから、冷やしといて。」 「あ、えと… ありがと。」  もの言いたげに玄関マットの前で立ち竦むつかさ。  家を出たのが夕飯の最中だったから、この子はほとほと気まずい空間のえぐみを一人で味わっていたことになる。少し反省。 「あぁ、いいわよこの位。今日は奢り。それに、後でみんなに謝っとくわ。 私がちょっかい出さなきゃこんな喧嘩にはならなかった。」 「ううん、違うの!」  つかさは慌ててかぶりを振る。何が違うというのか。 面倒ながら非の所在もあって、しばらくロートルな掛け合いに付き合うことにした。 「私、お姉ちゃんに酷いこと言った。 ずっと助けてもらってたのに。  私のこと一番考えててくれたのは、お姉ちゃんなのに。 全部判ってて当然、みたいな…」 「『あんたと私は違う』んだからね。」  こんな時こなたに会えたのは、本当にラッキーだった。 人として、あるべき姿を再認識できたのだから。 「そりゃそうだ。親でもないのに『心配だ』って言葉で、自分の保護欲を満たしてた。  私にも、そういう部分はある。」  そんな事ないよ、とでも言い出しそうなつかさの仕草を、続く既成の台詞で先に抑える。 「いつまでも、『あんたは私の支えがなきゃやってけない。』 そういう思い込みを今の今まで引き摺ってた。  それが、あんたの逆鱗に触れた。他になんかある?」  何を言っても無駄だと悟ったか、黙り込むつかさに、人として、義務を果たす。 「ごめん。」  真っ直ぐに、頭を下げる。 今の今まで、姉として“見下ろす”視点にいた事。  肉親っていう立場に甘えて、言ってはならないことを何度となく叩き付けては聞き流させていた事。  本来、こんな侘びで許される所業ではない。  この先も猶予期間の長く用意されている、一種安泰な立場からすれば、少々気が早いとは思えるが、  これが『現場を間近にする者の心得』というやつか、  つかさは既に『家族』のしがらみから放れ、社会に出ようと一足先に準備を進めている。  言ってみれば、看護学校の卒業如何を問わず、これからは私の「先輩」になるのだ。  ならば、それなりの「敬意」を以って接するのが、血縁という、親しき仲の礼儀というもの。 「… お姉ちゃん。」  当惑気味に、ひたすら指示代名詞を繰り返すつかさ。  他に言葉が出ないのか、それとも私の発散する空気に取り残されているのか。  でも、これだけは覚えておいて貰いたい。 「あんたはあんたよ。思ったように動けばいい。  …ただ、あんたが望むと望むまいと、私には、この一家の人間には、あんたと同じ血が流れてる。」  どんな時でも。 「辛くなったら、いつでも言いなさい。 何があろうと、私達はあんたの味方。 あんたは、柊家の一員なんだから。」  いつか帰る場所は、安心できる場所は、あんたを、支えてる。  今は前だけを見て、行けばいい。  可能性っていうのは、こういう時に信じるべきものだから。 「お姉ちゃん。」  前の一言とは違う、芯の通った呼び掛け。 卒業証書を受け取る際の、応答の声を連想させた。 「… ありがとう。」  これでよし。  視線を進行方向に戻し、肩越しに手を上げて応える。 まったく、端から終いまで、私らしい言動だ。  身内を相手に、本音も建前もあるまい。 世間がどうあれ、私はそう教育されてきた。  改めて両親に、そして、こなたに感謝する。 事もなく、私の“妹離れ”は成し遂げられたのだから。  ― 何だ、やっぱり「親役」はあんたの方じゃない。 「会ったんでしょ?」  … ? 「こなちゃん、元気そうだね。」  振り返ると、ゆきちゃんに言っとく、と、薄くマスカラの乗ったウインクを残し、つかさは居間に戻っていった。  さっきの言葉が、自らの立場と想像を違える合図だったかのように。溢れる“親愛”を前面に押し出して。  …また表情に出ていたか。 おのれ、この癖は矯正しとかんと後生に響く。 ―― 「姉さん。」  おかず温め直してねー、という下階からの母さんの言葉に生返事をし、  一番風呂の後、いつものようにつかさの部屋でラジオを聞いていたいのり姉さんの肩を叩く。  この間修理に出したMyラジカセ以外に、安物のポータブルプレイヤー以外持ち合わせていないこのアナログな社会人は、  それ以来ライフラインを末妹に求めて久しいらしい。 全く、ラジオくらい別個に買えばいいのに。  そういえば、パソコンはまつり姉さんに作業用として借りる程度で、インターネットもやらない主義だとか。  でありながらこの情報の早さだ。 毎朝新聞をどういう読み方で捲ってるのか。  おやおや、漸くお帰りかい? ―とでも言いたげな、  片眉を吊り上げた鼻に付く表情で、ヘッドホンをずらす、我が家の影の御意見番(因みに表のは次女)。  その威厳は、彼女の高校時代から衰えることを知らない。 「落ち着いた?」  さりげに肩も竦められていた気がする。 …そんなに大人気なかったか。  この人の前では大御所の訓示を受ける新人芸人よろしく、まさに猛省するしかない。それだけの実在感。ことばの重み。 「お蔭様で。」  返す言葉にジントニックを添えて差し出す。  今日は気分的にバイオレットフィズかなー、などと文句は垂れつつしっかりタブを立てる辺り。  細やかな気遣いは父さん譲りだ。  この人の精神年齢は幾つだろう。一度今流行りのEQテストにかけてみたいものだ。  少なくとも、私やまつり姉さんのそれとは一世代は離れている。筈。 「…あ!」  それでも、こなたとは僅差に違いない。  …流石は購入者、私の両耳朶の異変に早くも気付いたらしい。 すかさず事情を説明。 「左側は、友達に渡してある。今の私を、文字通り“創ってくれた”人。  これ、その人専用にさせてもらったから、その報告に来たの。」  本日幾度目か。 ありのままを、告げる。 義理の娘の嫁ぎ先を、実の親に報告する際の義母のように。 「… …。」  当人は僅かに顎を下げ、何かに思いを巡らせている。  無理もない。  身銭を切って妹に買い与えたジュエリーが、一年半年後には数度顔を合わせた程度の他人の手に渡っているのだから。 「…怒ってる?」 「まさか。」  ふっ、と鼻から息をつき、顎に手を添える。雰囲気は和んだが、どことなく視線が彷徨っている。 「あんたの人生の、そんなに大きいものにしてくれたなんて、ね。  嬉しいけど、もうちょっと見栄張っとけばよかった、って、少し後悔。」 「え?」  右の親指の頭を、しきりに顎に擦り付ける。 幼い頃、大人の前で言い訳する際によく見られた、この人の癖だ。  どんなに老けても髭一つ生えそうにない顎ではあるが。 「実はそれ、去年のW大入学式の先日まで、渋谷パルコのショーケースに並んでた“風格重視”見え見えのデザイン。  …今じゃ探せばネットでも買える。」  頬を下げた、ばつの悪そうな表情のもと、三万ちょいはしたけど、と口の中で呟き、純白の八重歯を覗かせる。  謝るのはこっちだ、と反射的に言葉が出掛かったが。  その表情が、場違いで、余りにこの人にしっくり来ない類のもので…  どちらからともなく、息が先に漏れるような、涼しい笑い方を始めた。  You know you're right. 価値観は人の数だけある。  でもその一方で、例え200兆分の1でも、共有できる部分だって確かにある。 切欠が“モノ”なら、尚更判り易い。  こなたの袂で味わった、胸から鼻に懐かしい息が抜け出るような感覚に、限りなく近いもので満たされる、胸控。  これが、この不完全さが「人」なのだ。  ひとしきり笑い合った後、急に異彩のオーラを放ち出したいのり姉さんに、  少し反応が過剰だったかと、私は改めて意識を向け直す。  顎を弄っていた右手は腰に。僅かに首を傾げ、先程とは逆に眉を下げている。  何が煙るのか、重たげに瞼をかぶせた、蒲葡色。 「あんたに買った甲斐があったわ。ありがと。」  これが、こなたの言っていた“目”なんだろう。  オーロラみたいな夢現を眺めるような、ここからでは決して見通せないものを見据えているような、深みを帯びた、瞳。  ― そう、母さんと同じ。  母さん譲りの吊り目。それは私もおそろ。けど恐らく、私にはまだ、この活用法は体得できていない。 「こっちこそ。 大切なものを、ありがとう。 いのり姉さん。」  この人の年齢までに、私はそこまで、心に、ことばに、幅を持たせる事は出来るのだろうか。  僅かに頭をもたげてきた不安を、先刻聞いたこなたの“それ”がさらってゆく。 ― 『ダメでもともと、やるしかねぇ! まさにそれだ。』 ― 『かがみは、私の『お母さん』なのかな。今でも。』  目指す先は、果てしなく長い。  だが。 ― 『私の… 【目標】に、なって… ください。』 ―  あぁ。  一言一言が、ふとした仕草すら、頭から離れない。  やっぱり私にとって、こなたは不可欠なんだ。  それだけ私は、こなたの「傍」に居たいんだ …  こんなにも  ― 救われてるのは、私の方なのに。  あんたは。  自室のドアに凭れ、数刻前の実感を胸に思い描く。 改めて、涙が浮かぶ。  自分の為に他の成功を祈る、そんな偽善とは縁を切ったつもりだったのに。  願わずにはいられない。  どうか、こなたが劣等感に打ち勝てますように。  どうかこなたが、連られて空気も笑い出すような、あの“心の底からの笑顔”を取り戻せますように。  どうか  こなたの行く末が、誰より幸せでありますように。  私は、根っからの卑怯者だ。  手前の小さな幸福の追求が至上命題で、その度合いすら、比較級でしか捉えられない。  それをも構わず、等身大の私の総てを、ありのままに受け止めようとしてくれた、  こなたの底知れない大きさと優しさ。  何か、返せるものが、残せるものがあるとすれば。  私は、あの子と釣り合う存在に自分自身を近づけてゆくこと、「変わって」ゆくことを、改めて心に誓う。  来年の今頃。  誰にも不快感を与えることのないような“生のままの表情”で、間の抜けたやり取りを交わしている二人を。  髪を竜胆で染め上げたあの子が、このサファイアを、両耳朶に煌かす姿をイメージしながら。 Reference Songs : One Vision/Queen , I Need to be in Love/Carpenters , Little Wing/Jimi Hendrix ,             Wonderwall/Oasis , そのスピードで/The Brilliant Green 注:.竜胆→オヤマリンドウ … 中部地方以北の亜高山帯、湿原や草地に生える、碧紫色の花。    生育環境的に、標高の高い地域のもの程碧色に近く、低くなる(=人里に近付く)につれて紫色が強く出てくる。    長野県の湯の丸高原では、この様子が直に観察できた(8月下旬~9月上旬)。    (但し素人目での判断故詳細は不明…)  ― 了 ― **コメントフォーム #comment(below,size=50,nsize=20,vsize=3) - この作品に出会えてよかった、そう思わせる作品でした。 -- 名無しさん (2009-12-08 01:10:46) - ふさわしい讃辞が思い浮かばないですが &br()素晴らしいものを見せていただきました。 -- 名無しさん (2009-08-10 22:45:06) - ここまで重々しい文章にせんでも表現できると思うんだけど -- 名無しさん (2009-04-02 14:26:03) - なんも言えねぇ… &br()とにかく感動したとしか言いようのない自分の語彙力の無さが悔しい。 -- 名無しさん (2008-11-06 00:46:49)

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