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輝く欠片 - (2009/05/30 (土) 12:14:38) の編集履歴(バックアップ)


八月の終わりの夏の日。
私はかがみとキスをした。

って言っても、事故なんだけれどさ。
かがみが引っ張って、私が転んじゃって、それで偶然口が重なった。

それはキスなんて、本当は言えないのかもしれない。
歯がぶつかってすごく痛かったし、唇の感触なんて全く覚えてない。

でも初めて間近で見たかがみの顔と、洗い立ての髪から香るシャンプーの匂い。

それだけで、それを思い出すだけで。
頭がグラグラきちゃうんだ。


キスなんか、しなければよかった。


知らなかったら、我慢できたと思う。

かがみの匂い。

ごめんね、かがみ。
何かが変わっちゃったんだ。







―輝く欠片―







画面の中で、可愛い女の子が私に向かって頬を赤らめる。
『これをくれたの、きみだよね? 俺に何か用?』
こなた、と私と同じ名前を付けられた主人公が手紙を翳して、彼女に言う。
勿論プレイヤーである私は彼女の用なんてわかりきってる。その為にたくさんのフラグを立ててきたのだ。
クリック。
先月発売されたゲームのツンデレヒロインは、顔を真っ赤にした。
『私、こなたのことが…!』
そして、私の予想と寸分違わない言葉で、主人公に向かって告白をした。
バックは夕日で、それは彼女の瞳から溢れ出した涙と共にドラマチックで。
私はタンクトップの裾を捲り上げて、お腹をぽりぽりと掻いた。
交際の了承をクリックして、私は適当にゲームを切り上げるとパソコンを落とした。
そして電気を消した部屋のベッドに寝っ転がった。
「ふぅ……」
天井を見つめながら、私はため息を吐く。
目を閉じると、稼動している冷房の音が聞こえた。
まだまだ残暑は厳しくて、特に今夜なんかは冷房をつけないではいられなかった。
自分の重たい髪の隙間に、熱が篭っているのを感じて両手でかき上げる。背中にはじんわりと汗をかいていた。
最近はあんまり、ギャルゲーが楽しくない。
今日だって狙ったヒロインを落としたのに、それほど嬉しくなかった。
でもまぁ、狙った理由が、理由の所為かも。
(ツンデレで、優等生で、ツインテールなんてさ)
自分で言うのも難だけれど、誰を投影しちゃってるのか丸見えだよね。
そういう自分が見えて、最近はギャルゲーとかエロゲーとかが楽しくないのかもしれない。
さっきのゲームは十八禁だから、もう少し進めれば、さっきのヒロインとのあれやこれやを見ることが出来る。
でもそれを思うと、逆に、余計にやる気を無くなる。
私は鼻を鳴らすと、シーツの上で寝返りをうった。
「……かがみとは“友達”なのに………何やってるんだろ」
目を閉じると、あの時間近で見た、かがみの澄んだ瞳と髪の匂いがよみがえって来て。
私は顔を擦った。

こんなこと言うのは、バカみたいで恥ずかしいんだけれど。
かがみと初めてキスした日から、しょっちゅうそのことばっかり考えちゃってるんだ。
もうとうに九月に入って、学校だって始まったのに。
それでも八月の終わりにした、あのキスとも言えないようなキスのことばかり考えてた。
授業中窓の外を見ながら。電車やバスに乗って窓の外を見ながら。
寝る前に電気を消しちゃってから。
何度も何度も繰り返し再生して、かがみの綺麗な瞳と、シャンプーの匂いを思い出した。

(むー、こんなふうに悶々としちゃうなんて、私も若者の一人だったわけだね…)
そんなふうに自虐的に考えてみても、思考の渦は止まらない。
気がつくと、かがみのことばっかり考えちゃう。
そして、当のかがみはというと、それから変わった様子は無い。
たまに何かの拍子に顔が近づくと、ほんの少し――ほんの少しだけ恥ずかしそうにすることはあるけれど。
少なくとも私みたいに暇さえあればキスのことばっかり考えてる、なんていう状態ではなさそうだ。
(なんか、不公平だよね…)
やっぱりかがみにとっては、あのキスはそれほど、私ほどには、重要なことではないんだなあ、と思う。
(事故だもんね…)
だけれど、それって『望みがない』ってことみたいで、何だか、やるせない。

(望みって…)

私は起き上がった。暗い部屋の中、月の光が青く部屋を照らしてる。
虫の声が聞こえる。

(やっぱ、望み、ないのかな)

心の中で呟く。

やっぱり同性だもん。
私は膝を抱えて、そこに顔を埋めて、ため息を吐いた。

そうだ。
私たちは友達同士で、女の子同士で…。
普通だったら、たぶん、好きなんて、言えない。きっと、きもちわるい、って思われる。

そう考えたら、ちょっと目が熱くなった。
私の気持ちって口に出すのもいけないことなのかな、って。


(――…なんで、『女の子』だったんだろう)


私が、かがみが。あるいは両方が。

どうして、私たちは、女の子だったのだろう。

別に、私は『女の子』が好きだったわけじゃないと思う。
男の子のことも好きになったこともなかったけれど、女の子を意識したことはなかった。
そりゃギャルゲばっかりやってるから、女の子は可愛いネ、なんて言ったりしていたけれどさ。
それは、別に、そういう意味じゃなかったと思う。

でも高校に入って、生まれて初めて、人を好きになった。
それは、女の子だった。

私たちのどっちかが男の子だったなら、悩むことも無かったのかもしれない。
けれど、私たちのどっちかが男の子だったなら、私たちの今の関係は、きっとなかったんだよね。
そして、そしたら、たぶん、好きになることも、なかった。
だから、今までの全部が。
私が女の子だったことも、かがみが女の子だったことも。過ごした時間も。

きっと全部が、大事だった。

(難儀だね)
苦笑した。
頬に少しだけ涙が落ちそうになって、あわてて手のひらでごしごしと擦る。
キスをしてから、絶対私、涙腺ゆるくなってるよ。
こんな泣き虫じゃなかったのにな。
私は、はあ、と天井に向かってため息を吐いた。

それから考えた。

もしも、もしもだよ。

私がもし、かがみに好きって言うことが出来たなら――。
かがみのことが友達じゃなくって、大好きなんだよ、って言うことが出来たなら。

そして、それを聞いたかがみが、私の大好きな笑顔で。
大きな花が咲くみたいな笑顔で。
まっすぐ笑って。私に笑って。

『嬉しい』って言ってくれたら。

どんなに。
どんなに嬉しいだろう。

それを想像すると、とても幸せな気持ちになった。
広い草原に、青い空が広がって、気持ちのいい風が吹いていくみたいに。

想像するくらいは、いいよね?
それくらいは、私だって、許してもらえるよね?

だからそれも、冗談だったつもりなんだ。

私はベッドから起き上がると、机の前まで歩いて行って、スタンドライトをつけた。
闇に慣れた目が少しだけ痛くて、何度か瞬きをして。
そして机に座って、普段は閉めっぱなしの引き出しを開けた。
そこには昔好きだったアニメの下敷きが重なっていて、その下を探っていくと。
記憶にあった場所に違わずに、それはあった。

小さな星の柄がついた、シンプルな便箋。
何に使うつもりで買ったんだか思い出せないけれど。

封筒を探してみたけれど、封筒だけは何かに使ってしまったらしく見当たらなかった。
しかし、まあ実際に誰かに出すわけじゃないんだし、いいか、と思って私は適当なペンを手に取ると、書き始めた。

『かがみへ』

少しは発散できるかな、と思って。
私は思うままにペンを走らせてみた。
王様の耳はロバの耳。そんな感じで。

しかし心の中のことを言葉にすることは意外と難しくて、あるいは恥ずかしくて。
だけれどその時の私は妙に真剣で、何度も何度も書き直したり、便箋をくしゃくしゃに丸めたりしながら、自分の言葉を捜した。

お父さんも書くときは、こんな気分なのかな?
溢れる気持ちの中で、それに一番ふさわしい言葉を捜す。
砂金の粒を探すみたいに。
沢に足をひたして、冷たい水の中に手を伸ばす。
たくさんの砂の中にはきらきらしたものが見える。
流されないように、手からこぼさないように、私はそっと手を伸ばす。

お父さんってやっぱり凄いんだな、って思った。
お父さんの書く本は難しすぎて私には読めないけれど。

お父さんが探した、輝く欠片。
お父さんの見つけた、お父さんの言葉。

――お母さんは、お父さんの言葉を読んだかな?

きっと読んだんだろうな。
そして、どんなことを思ったんだろう。

――お母さん。

女の子に恋してる私を見て、天国のお母さんはどう思うだろう。
私はお母さんのことを全く覚えてない。どんな人だったのかも、写真でしか知らない。

だから、どう思うか、なんて、わからない、けれど………。

その頃には外はもう白んでいて。
私は気がついたら、そのまま机の上に突伏して眠ってしまっていた。


「――お姉ちゃん?」

次に私の意識を覚醒させたのは、ゆーちゃんの声だった。
驚いて、「んは!?」と声を上げながら顔を起こすと、扉からゆーちゃんがその小さな頭を申し訳なさそうに覗かせているのが見えた。
変な格好で寝たから背中が固まっていて、その痛みに私は思わず悲鳴をあげる。
「あだだだ…!」
私が椅子の上でのたうってると、ゆーちゃんが慌てたように駆け寄ってきた。
「ご、ごめんね、お姉ちゃん、全然起きてこないから…」
「ん、んにゃ……ゆーちゃんは謝らなくていいんだヨ」
言われて時計を仰ぐ。私はまた悲鳴を上げた。
「んげっ、もうこんな時間!?」
慌てて、机から立ち上がった。早く着替えないと、遅刻しちゃう。
私は大急ぎで寝間着を脱ぎ始めた。
ゆーちゃんはもう制服姿である。ウウ、今日は朝ごはんお預けかな。
「勉強してたの?」
机を見てゆーちゃんが言う。やば、出しっぱなし。
「あー、うん、まーそんなトコ、かな?」
私は慌ててそれを手にとって二つ折りにすると、とりあえず鞄の中に突っ込んだ。




深夜に書いたラブレターは恥ずかしい。

そんなことはよく聞くよね。

まさか自分が書くことになるとは思わなかったけれど。深夜のノリって恐ろしい。
授業中、私は教科書の間に挟まっていたそれを見つけて、黒井先生の目を盗みながらそれを眺めた。
(なんだこれ……)
散々悩んで書いてこれか、としか言いようがなかった。
寝不足の頭でも、それが陳腐でひどい代物であるかはわかった。
汚い字で短い、つまらない言葉が書いてあるだけ。
鞄の中に適当に突っ込んだ所為で、しわくちゃになっていて、余計にみすぼらしく見える。
それは悲惨なラブレターだった。
それが、夜中じゅう捜し求めた私の言葉の姿だった。
先生の板書の音がリズミカルに響く。
じっとりと暑い教室に、開け放った窓から九月の風が滑り込んできて私の前髪を揺らした。
鼻先には摘み上げた、便箋。
そこにはしわくちゃになった、私の気持ち。
(まぁ、こんなものなのかもネ)
私はそれをノートに挟むと、机の上で丸くなった。
どうしてか酷く悲しくなったから。

でも結局そのまままた眠ってしまって、居眠りの罪により、黒井先生から鉄拳を食らうことになった。


「こなちゃん、寝不足なの?」
お昼ごはんを食べながらこっくりこっくりしている私を見かねて、つかさが言った。
心配そうにその隣に座るみゆきさんが続く。
「授業中も眠そうでしたし…大丈夫ですか?」
「うん、ヘーキ。でも」
私は目を擦る。そしてそれから、頬をぷうっと膨らませた。
「罰として放課後、社会科準備室の掃除手伝わされることになっちゃったヨ…」
言ってコロネをかじった。するとお尻(あるいは頭?)から、チョコが出てきて、私はそれをひっくり返して舐めとる。
そこで私に視線が集まったままだったことに気づいて、私は手を軽く振った。
「あ、だから今日は先に帰ってていいよ」
つかさが「わかったー」と言って、お弁当からミニオムレツを箸でつまんで口に入れた。
今日のお弁当の担当はつかさらしい。おかずが豪華だ。
うーん、今日は朝ごはん食べ損ねたからコロネじゃ足りないかも。
つかさ、言ったらちょっとくれるかなあ?なんて考えてると、正面に座るかがみが呆れ顔で、はぁーとため息を吐いた。
「どうせまたネトゲとかだろ」
かがみは箸でつまんだアスパラベーコンを口に頬張る。それを噛んで飲み込んでから、言葉を続けた。
「受験も近いんだからいい加減にしときなさいよ」
どうせ本当のことは言えないので、私はかがみの言葉に乗ることにした。
お得意の猫口をつくって、ふふん、といつもの笑顔を作ってみせる。
「んー、ついレアアイテムとか出ちゃうと燃えちゃうんだよネ」
そのまま私がネトゲの魅力について語り始めると、かがみは再び、はぁーと大きくため息を吐いた。
「本当にいい加減にしておきなさいよ。後で泣くことになっても知らないからな」
「こなたはその言葉を胸に深く刻み込んだ」
「刻み込んでも、後で見なきゃ意味が無いからな」
そう言って、かがみは笑って、私の方に手を伸ばして、指先でつんと私の額をついた。
途端に胸の中でたくさんの花が咲くみたいな、甘い感情が溢れ出す。
う、ヤバい。
「わかってるヨ~」
なんて、手を振って、笑って。
普段どおりにしようとするけれど。
普段どおりに出来ているか、ちょっと自信ない。

つかさが不思議そうな目をして私を見ていた。

社会科資料室は埃の匂いがした。
空気は図書室に少し似ているけれど、ちょっと違う。あんまり人の出入りがない所為かもしれない。
たくさんのビデオテープが詰まった棚や、古めかしい地図や資料が詰まった棚。
六畳ほどのその部屋は、通路にまでものが溢れかえっていた。
私と黒い先生は背中合わせになりながら、ダンボールに入ったファイルや本を棚につめている。
特別話もせずに、もくもくと片付けていたんだけれど、不意に黒井先生が言った。
「泉、今日、どないしたんや~」
私はちょっとぼんやりしていたので、「ええ?」と聞き返してしまった。
手から資料が落ちそうになるのをすんでの所で空中で受け止める。
「っと……なんです?」
「お前、今日ちょっと変やろ。昨日はログインしてこんかったし」
狭い社会科資料室の中で、地球儀や大きな地図をよけながら、先生が私を振り返った。
「ネトゲ以外でお前が眠そうにしとる理由が見つからんわ」
イタズラっぽい八重歯を見せて、先生が笑う。
それに私はちょっと口を尖らせた。
「……あるでしょー? ベンキョーしてたとか」
「あはは、担任のうちが言うのも難やけど、無いわ」
言い切られた。
まあ、その通りですけれどねー。むぅ。
私が膨れると、黒井先生は笑った。先生の瞳は西日で琥珀色に輝いていた。
「お前、実は要領ええからなー。実は受験のことはあんまり心配しとらへんのや」
先生はそう言って再び背中を向けて、資料をしまい始めた。
それきり言葉は続いてこなかった。続きはないらしい。
よくわからないけれど。
なんとなく腑に落ちなかったけれど、それ以上何も言ってこなかったので、先生に倣って手を再び動かし始めた。
五分くらい黙って、作業をしていたのち、先生がまた不意に言った。
「まあ、悩め、悩め。悩むんが青春や」
「ぶっ」
今度は本当に資料を取り落とした。
「なっ、なんですかぁ、それ」
混乱する頭で私は叫び返した。
まさか、バレてる? 
え? でも黒井先生の前でバレるようなことしてないよね?
しかし、ショートしかけた私の頭に、水を浴びせるみたいにあっさりと黒井先生は言った。
「まあ、何に悩んどんのかまではわからんけどな」
私は黒井先生にバレないように、歯を噛み締めて、息を吐いた。
び、びっくりした…。
先生は私の動揺にはまったく気づいていないようで、資料を片付ける背中は動き続けている。
私はもう一度深呼吸をして、床に落ちた資料を拾った。
「まーそういうんは、うちなんかよりも友達とかに話したほうがええやろけどな。高良とか、柊とか。仲ええやろ?」
そう言われて、私はまた少し止まってしまった。
友達に相談。
考えてもいなかったことだった。
(だって…女の子が好きだ、なんて、相談されたら)
二人とも今まで通り、友達でいてくれるだろうか。
しかも相手が、かがみ、だって知ったら。
きっと二人とも私を嫌ったりはしないと思う。
みゆきもつかさもそんな子じゃないのはよく知ってる。
でも、完全で今までの関係でいられるかどうかまでは、自信がない。
口に出したら、眼に見えない溝が生まれちゃうんじゃないか。
その眼に見えない溝が、私たちの間にどうにもできない距離を生んじゃうんじゃないか。
それを考えると怖くて、怖くて、息が出来なくなりそうだった。
私が黙っていると、先生がくるっと振り返って、私の頭をくしゃっと撫でた。
「なんか知らんけどな。あんまり考えこまん方がええで。溜め込まんと誰かに言いや」
いつも友達みたいに思ってた先生だけれど。
そう言う先生はなんだか今はちゃんと年上のお姉さんに見えた。
先生は、大人の女の人の笑顔で笑った。
「ほらそれに、特に柊姉の方。お前とすごい仲ええやん。なんかあったら、アイツに言いや。うちなんかよりしっかりしとるしな」
その手はすごく暖かくて優しかったんだけれど。
やっぱり泣きそうになった。


先生と別れてから。
私は廊下をとぼとぼと歩いていた。
日が落ちるのが早くなってきた外からは、微かな虫の声が聞こえる。
夏に比べて湿気も大分なくなってきたけれど、空気はまだ熱を持っていた。
「………」
夏の匂いがほのかに残る廊下。
茜色になったグラウンドでは運動部が声を上げながら走り回っている。
私は自分の手を見た。
「……友達に相談する、かぁ」
その友達が悩みだったら、どうしたらいいんだろう。

(友達…)
そう、かがみは“友達”だ。
つかさとみゆきさんと同じ、“友達”なんだ。
ううん、それもただの友達じゃない。
――私たちは、“親友”だ。
そのかがみに対して恋愛感情を向けるなんていうことは、ひどい裏切りのような気がした。
つかさに対しても、みゆきさんに対しても。
“親友”にそんな感情を持っていて、言わないで隠していることも。
言っても言わなくても。
私は三人を裏切っている。

「――…っ」

そう思うと、たまらなくて、私は廊下を走り出した。
誰もいない夕焼けの校舎は、まるで迷宮みたいだった。

中学のときにもちゃんと友達はいた。
でも、申し訳ないけれど、それはつかさやみゆきさんやかがみとは比べ物にならない。
――こんなに、人が大好きになったことなんて、生まれて初めてのことなんだよ。
だから失いたくない、汚したくない。
私の持っているこの感情が、四人を歪ませる。

(だから、バレたくない。誰にも言いたくない、知られたくない)


私の気持ちなんて、無くなっちゃえばいいのに――。


くしゃくしゃになった、ラブレター。
私はあれで一体どこへ行こうとしていたのだろう?
そんなもの、誰も望んでいないのに。
あんなものを書いたって、誰も笑ってくれやしないのに。

(バカみたいだ、私――)


私はぶつかるようにして、自分の教室の扉を開けた。
そして、目を疑った。



そこにはかがみがいた。


彼女は茜差す教室の中で、私の席の側に立ってた。
ピンと伸ばした背筋、さらさらの長い髪、優しい瞳。
それらすべてが茜色に染め上げられて、放課後の匂いに包まれて。

一瞬その姿に目を奪われて、それから愕然とした。
かがみが、その手に持っているのは。



星の柄の付いた、あの便箋だった。



「あ……」

かがみが音に気づいて、私の方を向く。
目を見開く。
その瞳には、今まで私を見るときに宿していたのとは、違う光があって。
私は、そのかがみの瞳を見て、全部を悟った。

生まれて初めて、世界にヒビの入る音を、聞いた。

「ご、ごめん、こなたの鞄、ひっくり返しちゃって、片付けようと思ったんだけれど――」

かがみが慌てたように言う。そこまで聞けば十分だった。
私はかがみに突進していくと、その便箋をひったくるように奪い取った。

「こんなの冗談だから」

そして、そのくしゃくしゃの便箋を、さらにくしゃくしゃにして。
思い切りそれを千切った。

ビリビリに破いて、破いて、破いて、私はそれらを全部放り投げた。

紙吹雪の向こうに、かがみの驚いた顔が見える。
私は言った。


「全部嘘だよ!!」


紙片がひらひらと、空中を泳いでく。
私の気持ちはばらばらになって、読めなくなって、床に落ちた。


はあはあ、と音が聞こえて、何の音だろう?と思ったら、自分の息の音だって気が付いた。
心臓がまるで耳元にあるみたいに、うるさく聞こえた。

それから、沈黙。

それはいつものかがみとの間に落ちる心地のいい優しい沈黙ではなくて。
ひたすら居心地の悪い、息が詰まるような沈黙だった。

野球部の金属バットの鳴る音が聞こえて、私は口を開いた。

「……どうして、いるのさ? 帰ってって言った、じゃん」

私のつっけんどんな物言いに、かがみは少し驚いたようだった。
少しだけ目を見開いて、それから目を伏せるようにして、左手を自分の髪に触れさせた。

「本……一冊返し忘れてて。それで、図書委員の子と話してて遅くなったから、こなたを待ってようと思ったのよ」

そしてまた、居心地の悪い沈黙。
かがみが待っててくれたのは、嬉しいのに。

私の胸の中はぐちゃぐちゃだった。
幼稚園の頃、自由帳にクレヨンで描いたようなぐちゃぐちゃの線が、胸の中にいっぱい広がっていた。

隠してようと思ったんだよ。
ずっと、黙ってようと思ったんだよ。
こんなつもりじゃ、なかったんだよ。
誰に言い訳しているのかわからないけれど、私は心の中で叫んでいた。

ほら、いつもみたいに飄々として。
かがみに変に思われちゃうよ。
ほら、いつもみたいに、笑わなきゃ。
冗談で済ませられるって。
とりかえしがつかなくなる前に、ほら――。

でも私の意に反して、私の口も体も全く動かなかった。



不意にかがみが、動いて。
私は体がびくっとなるのを抑えられなかった。

かがみは身をかがめると、私がびりびりに破いた便箋の一枚をひとつ拾い上げた。
そして、凛とした声で言った。


「これ、本当?」


かがみの声に、まるでしかられている子供みたいに、身動きが取れない。
でも黙ってるわけにはいかなくて、私は上履きのつま先を見ながら言った。
「嘘だよ」
「こなた」
かがみの声が体を通り抜ける。
「私の目を見て」
言われて、私は気づかれないように深呼吸すると、ゆっくりとかがみの方を向いた。
かがみは私の目をまっすぐ射抜くように見つめていた。
空みたいな瞳が、揺らぐことなく、私の全身を映していた。
目を逸らさずに、私を見てくれていた。
ああ、もう。
どうして、かがみは、そうなんだ。
「う……嘘……だよ…」
目から涙がこぼれる。
それをかがみに見られたくなくて、私はしゃがんでしまった。
小さい体をさらに丸めて、ぎゅっと目をつぶる。
「………だから……忘れ…てよ……」
教室の床板にいくつも雫が落ちていく音が聞こえた。
すると、かがみも屈む気配があって、床のきしむ音。
そしてその後に、すごく間近で声が聞こえた。
「忘れらんないわよ」
はあ、といつもの呆れたため息。でもそれは――とても優しい声で。
「正直、私も混乱してるけどね……」
顔を上げると、そこにはかがみの照れたような、困ったような、不思議な笑顔があった。
「……勝手に見ちゃって、ごめんね」
私は首を振った。すると涙の雫がそれに合わせて、床に落ちる。
かがみは私の顔に手を伸ばすと、親指で私の涙を拭った。そしてそのまま私の頬を撫でた。
かがみの手の温度が伝わってくる。そしてまた、私の目からぽろっと涙が落ちた。
それを見て、かがみが「しょうがないな」って顔をした。
いつもの私の大好きな、かがみの顔だった。


「あんたって、こんなに泣き虫だった?」
「かがみの、所為だよ」
目を細めて少しだけ口を尖らせると、かがみは笑った。
そして、床に散らばった便箋を拾い集め始めた。
「かがみ」
私が名前を呼ぶと、かがみは拾い集めた便箋を私に握らせた。
「ちゃんと言って」
かがみは真剣な顔をして、私の目を覗き込んだ。
「大事なことでしょう? だから、ちゃんとこなたの口から聞かせて」
だから私は頷いて、鼻を啜りながら、それを床に並べ始めた。

夕焼けの教室で。
二人で、一枚一枚拾って。


それを再び、形にした。

出来上がったそれは、やっぱり頭のいい文章とは思えなかったけれど。

――私の大事な気持ちだった。



夕暮れの光が、私たちの手元を照らしている。
私はかがみの顔を見て、再び鼻を啜った。













『かがみへ


 急にこんなことを言ったら、びっくりするかもしれないけれど、
 かがみのことが好きです

 もちろん、友達としても大好きだけれど、
 それ以上に、かがみのことが』



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  • 彼女俺にまたがりっぱなしで、朝まで休ませてもらえんかったww http://younube.net/calnova/88863 -- ボンちゃん (2009-05-30 12:14:38)
  • これは名作。紛れもなき名作。 -- 名無しさん (2008-11-20 13:30:13)
  • 泣いた。 -- 名無しさん (2008-11-09 16:00:29)
  • これ何て核兵器… -- 名無しさん (2008-08-18 04:37:06)
  • 毎回毎回なんて素敵な文を書くのでしょうか。あなたは一体何者だw最後の手紙の下りで泣きそうになったよ…こなたもかがみももう、可愛くて可愛くてしょうがない… -- 名無しさん (2008-08-18 01:41:27)
  • 切なくて甘酸っぱくて心が打ち震えてトキメキが止まらねえええええ
    ちょっくら腹筋500回ほどやってクールダウンしてくるわ -- 名無しさん (2008-07-30 20:16:36)
  • やべ。電車の中で泣きそうだ。 -- 名無しさん (2008-07-30 17:45:25)
  • テキストを読んでるはずなのに音声どころか胸の痛みと匂い付きの映像で追体験してしまった。
    このときめきと切なさをどうしてくれよう。 -- 名無しさん (2008-07-27 01:44:23)
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