side.K
ねぇ、まだ?
疲れたよ。
どこ行くの?
もう日が暮れてきたよ。
投げ掛け続けるあたしの言葉に、彼女はひたすら生返事。
うん。ん〜。ん?
その表情はいつまで経ってもだらしない笑顔で、まぁよくもここまで気にしないでいられるなと、呆れたを通り過ぎて些か尊敬。
おっかしいな〜。
あ、いいんだいいんだ、ここだ!
あれ? 違うか……?
う〜ん、わからん。
斜陽。木々の影が長く伸びる。さっきまで清々しく感じていた身の周りがざわざわと物々しくなり、なんだか不安な気持ちになる。
黒とオレンジ。ちょっと前までは、緑と青だった視界。まるで違う世界。
やばいやばい。
間に合わないかもしんない……
わっかりづらいなぁ〜。
あ、ここのことか……?
頻りに時間を気にし始める。力強く握ったなにかの紙は、見せてみなよと言ってみても頑なに拒む。
その紙を逆さまにしてみたり、自分の顔を横にして見てみたり。
どこかに向かってるつもりなのは分かっても、その目的地は皆目見当もつかない。
だって目に見える景色、森、森、森。
「ねぇっ、もう暗くなっちゃうよ?」
「ん〜……?」
「泊まるとことかちゃんと決めとるんよね?」
「……あ〜」
「もうっ。大体最初っから不安だったんよ」
「お?」
「のっちに任せるとか危なっかしすぎるのに、ゆかもどうかしてたわ」
「あっ」
「サプライズで旅行連れてってくれる、って言うからゆか本気で楽しみにしてたのに」
「あ〜……」
「のっちが珍しく頑張ってくれたから喜んでたのに。どんだけ行き当たりばったりなんよ」
「あ〜! はいはい!」
「普通こういうとこには荷物置いてから来るもんなんよ。あ〜重たい」
「あった!」
「え?」
「ついた! よかった〜」
……え? あれ?
なんで、海?
ここは、どこ?
あまりに多い緑の匂いと、歩き続け既に出来上がった先入観で気付けなかった潮の香り。
こうやって目の前に見せ付けられると、強烈にそれはあたしの中に主張を始める。
沈んでいく太陽は大きくて丸くて、その着地点には真っ直ぐ空に向かってのびる海から少し顔を出したこれまた大きな岩礁。
そこに小さく隠れた太陽の一部は、光を乱反射させ、空へ、海へ、あたし達二人へ。
「すごい……」
気の利かないことは言いたくないくらいのその様子に、零れた言葉はそんなもので。
綺麗でしょ? なんて。あたしが死んでも言うもんかと思っていた、最高に俗な気の利かない言葉を彼女はさらっと言ってのけた。
「うん。綺麗」
要らないのかも。それでいいのかも。
ずっとニヤけていた彼女は、あの時から既に二人でここに居たんだと思うと、愛しくて仕方なくなった。
旅の支度ばっちりの大きなバックから、愛用のカメラを取り出す。
もう慣れた様子の彼女は、もう
シャッターを押すだけになったカメラを受け取ると、長い腕を伸ばしもう一方の腕をあたしの肩にまわした。
撮るよ? って声からシャッター音までがやたら早くて、なんだか嬉しい気分のあたしはきっと締まらない顔してたかな。
辺りには人の気配なんてなくて、広い海を二人占めしたみたいだった。
「ねぇのっち」
「うん?」
「キスしてあげてもいいよ」
「お〜! マジで!?」
「うん」
「すげ〜! これホントじゃん!」
「……なにが?」
大袈裟に驚いてみせた彼女は、さっきまで必死でにらめっこしていた紙をひらひら。
これだよ。そう言って渡してくれたその紙は、旅行代理店なんかによく置いてある、お手軽おすすめスポットなんて謳われた安っぽい広告だった。
謳い文句は、恋人のハートを擽るだの、思わず息を飲むだの、一生の感動をあなたにだの。
一緒に見れば、彼女はキスしたくなること間違いないそうで、あたしの反応を待つのっちはしてやったりな顔。
じゃああたしは広告通りの女かい。そんでもって、計画の段階からあんたは信じきってたわけ。どんだけよ。
ばか正直というか、素直というか。
あたしならバカにして鼻で笑っちゃいそうなこの広告を、真に受けて行動できるこの子は、やっぱりあたしとは全く違う人間なんだな、と。
あんなに大きな太陽が、見る間に動いて沈んでいく。
キラキラ光ってみえたあの光は何本かにまとまって、白くて力強い線になる。
輪郭が曖昧になっていく海に映る太陽は、今からあたし達の知らない街を照らし始める。
ひとつだけ分かってないのは、嬉しいのは気持ちだってこと。
あたしがちょっとなんかしてやれば、奇跡みたいに喜ぶ癖に。
自分がしたことで、あたしは同じ気持ちになってるのに。
あたしなんか只の一人のどこにでもいる女なのに。そんなに尊いものだと思ってくれてるのは、きっとただ一人の大切さを知ってるから。
誰だって、誰かの誰にも負けない大切な人になれること、知ってるから。
そんなあんたが、あたしにとってどんなに大切か、あんたは知らない。
いつか言ってあげる。
あんただって、世界で誰よりも大切な人になってんだって。
誰かにとって、そうなれてんだって。
「間違いがあるわ。というより、勘違い?」
「なにが?」
「誰もキスしたくなんてなってないもん」
「え、だってさっき……」
「ゆかはしてあげてもいいよって言ったんよ」
「あ〜……でもしたくなったからでしょ?」
「御褒美みたいなもんかな、珍しくちょっとは頑張ったのっちに」
「うんっ! 苦労したからねー。じゃあして」
影を落とした表情は慣れない目にはっきりしないけど、目一杯微笑んでくれてるのははっきり見えた。
キスする前に辺りを窺ってみれば、勿論人なんていない。いないけど……暗い。
「のっち?」
「ん?」
「懐中電灯とか持っとるんよね?」
「なんで? ないよ?」
「……帰り道は把握しとるんよね?」
「…………あ。そういうことか」
「もう真っ暗になるよ? 街灯なんてあるわけないよ?」
「しまったな……のっちとしたことが」
「なんも考えてなかったん!?」
「うん。なんも考えてなかった」
「〜っ、バカ! あほ! 変態! 人殺し!」
「え〜……最後のはちょっと」
「はぁ〜、なんでこの子はこんなにアホなんじゃろ」
「そんな沁々言わなくても……」
「ここでゆか達は腹ペコで死ぬんじゃね」
「そんな大袈裟な」
「帰れんってことはそういうことじゃ」
「帰れる」
「え?」
「絶対帰れる!」
そう言って力強くあたしの手を引っ張ってくれたのが嬉しくて、旅館に着いたのは日付変わる頃だったけど怒ったりしなかった。
でもね、のっち。
あのあとあたし、
あの場所のこと調べたんだ。
高台降りたらすぐに、バスが走ってる道路があったみたいだよ?
〜end〜
最終更新:2010年02月19日 20:22