心筋梗塞PCI手術記
入院前
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発症:2005年2月
当時の日記には特に記録はないが、この頃に、はじめて自覚症状が出ていた。
具体的には、朝の通勤時に、自転車に走らせて5分を越えた頃と、当時の出先会社への通勤の「ゆりかもめ」での移動で新橋駅内を徒歩移動している際に、左の肩から背中がきゅーっと痛むようになる。
これらは動くのを止めて数分すると、おさまる。
これは程度の差はあれ、だいたい毎日のように発生した。
これらは動くのを止めて数分すると、おさまる。
これは程度の差はあれ、だいたい毎日のように発生した。
また「酷い左肩の肩こり」に悩まされるようになる。
何もしていないとすぐコリがたまって、痛くてしかたがなくなる感じ。
何もしていないとすぐコリがたまって、痛くてしかたがなくなる感じ。
また夜に寝ている時に、左手がわずかな痛みと痺れでままならぬようになったこともあった。
Hクリニックへ:2005年2月
このためネットで調べて「あるいは、これが狭心症か?」と思い至ったため、Hクリニックを受診する。
しかしこの時には測定時には痛みがなかっただけに、心電図では異常は発見できなかった模様。
もっともここは循環器科がなく、運動負荷試験の設備もなかったのだった。
(本当は運動負荷試験をして貰いたくて医者に行った、のでもあるのだが…)
もっともここは循環器科がなく、運動負荷試験の設備もなかったのだった。
(本当は運動負荷試験をして貰いたくて医者に行った、のでもあるのだが…)
今にして思えば、ここで循環器科のあるS病院に行っていれば、と思わないでもない。 |
しかしそれでも「とりあえず」ニトロペンを処方して貰う。痛かったら飲むようにとのこと。
しかしながら基本的に薬を常用することは好まない私は、基本的には痛んでも飲まず、単に我慢して済ませていた。
しかしながら基本的に薬を常用することは好まない私は、基本的には痛んでも飲まず、単に我慢して済ませていた。
実際にはニトロには習慣性などはなく、連用しても効き目が落ちることはないらしい。のでこれはまったく無意味な我慢であったことが後に判明する。 |
人間ドックでの黄信号:2005年秋
40歳からは毎年義務付けられるようになった人間ドックに行く。
なお、狭心症の疑いの出たこの秋からは、人間ドックの運動負荷検査は受診できず。
本当はここでこそ発見して欲しいよなあと思う次第であるが、その運動で発作が出た場合に面倒が見切れないというのが人間ドックの論理であるようだ。何だかなあ。
本当はここでこそ発見して欲しいよなあと思う次第であるが、その運動で発作が出た場合に面倒が見切れないというのが人間ドックの論理であるようだ。何だかなあ。
- 左手の握力が右手より異常に低い事実が指摘される。
- 「高脂血症」も判定される。
しかし結局、何をどうすることもなく日々の生活を続ける。
循環器の再検査の紹介をされるも、スルーする。
循環器の再検査の紹介をされるも、スルーする。
人間ドックでの赤信号:2006年秋
40歳からは毎年義務付けられるようになった人間ドックに行く。
- 引き続き、高脂血症
- 引き続き、左の握力が低下
- 脂肪肝の疑い
- 心臓が肥大しているようだ
- 尿に潜血反応
危険な兆候が増えており、再度「循環器」が要再検査になる。
さらに尿の潜血から「泌尿器科」も要再検査になる。
さらに尿の潜血から「泌尿器科」も要再検査になる。
なお泌尿器科の方は、一応別の病院で再検査するも、不明というか無関係というかで、現在に至るまで何もしていない |
循環器の再検査:2006年秋
前回のHクリニックが空振りだったので、今度は新小岩でも、循環器科がちゃんとあるS病院で受ける。
今度は運動負荷試験を受ける。女医の診断。
結果は「もっとちゃんとした所で精密検査を受けた方が良い」とのこと。
結果は「もっとちゃんとした所で精密検査を受けた方が良い」とのこと。
ちゃんとした所ということで都立B病院と私立J病院を紹介できる、と言われるも、B病院の名前は知らなかったのでJ病院の紹介状を書いて貰う。
J病院の問診とドロップ:2006年12月上旬
紹介状を持って、J病院の循環器科へ赴く。
医師との所見の前にまずレントゲンなどを行い、かなり待たされる。
それはそれとして、以下に述べるようにここで当たった医師の対応が割と酷いものであった。
それはそれとして、以下に述べるようにここで当たった医師の対応が割と酷いものであった。
まず最初にこちらがおずおずと差し出した人間ドックのデータを、医師がろくに受け取ろうともせず一瞥もせずに興味を示さなかった。
基本的にはこの時点で、早くもこちらの印象は最悪になる。
基本的にはこの時点で、早くもこちらの印象は最悪になる。
これは今でも本当に理由が不明。自分の所で取る/取った最新データを優先するということなのかもしれないが、どう考えても普通に貴重な基礎データだろうに。 |
またここで運動負荷検査の類を行うことも期待していたのだが、それも行わず、ただの問診で終わり、私としてはなんら進展はない感触。
医師から「あるいは血液をサラサラにする薬を処方する手もあるが」と言われるも、この時点では薬を毎日常用するということに抵抗があったので、あまりこれには良い答えをしない私。
この時点では、私も病状をまだ甘く見ていたと言えば言える |
さらに先方はともあれ現状を把握すべきだろうと「検査入院」を勧めてくる。
いい加減にこの毎日の苦痛から解放されたかったのでそれ自体には異存はないのだが、これは当日を挟んで3日ほど入院の必要があるとのこと。
そこまで仕事を休んでしまうのは、ということでいささかここで躊躇する自分。
いい加減にこの毎日の苦痛から解放されたかったのでそれ自体には異存はないのだが、これは当日を挟んで3日ほど入院の必要があるとのこと。
そこまで仕事を休んでしまうのは、ということでいささかここで躊躇する自分。
ただし後のB病院への入院経験から、この日数を先方が提案したのはまあ妥当でこれは誤った処方とは言えない。つくづく最初の悪印象による信頼感の欠如が響いているとも言える |
ちょうど12月でもあり、5日間のリフレッシュ休暇も取得できるのでそれでは年末年始ではどうか、と打診すると「年末年始はすでにもう無理」とのこと。
結局は、年明けに一度「検査入院の日を決めるための受診」のために改めてこの病院を訪ねてこの医師と話さねばならないということになる。なんだかなあ。
ただしたとえ「それで検査入院すること」になっても、今度は「検査入院のためのベッドがその時点で空くかどうかが分からない」と言われる。なんだかなあ。
ただしたとえ「それで検査入院すること」になっても、今度は「検査入院のためのベッドがその時点で空くかどうかが分からない」と言われる。なんだかなあ。
そしてその際に医師に「差額ベッドならすぐ空くけどね」と言われたため、ここで内心ブチ切れて「もういいよ!」と思う。
のちにB病院に入院して、確かにいかにベッドの確保が慌しいかがよく分かったので、これもあながち金儲け主義の発言ではないと後に分かるのだが… |
結局、その場では担当の看護士と年明けの予定を聞かれたものの、これはもう当日キャンセルの電話を入れることにして、事実そのようにした。
というわけでJ病院はここでドロップする。
まあここで入院していても、結果的には2ヶ月早く手術をしただけの結果に終わったとは思います。あ、でも多分治療費はさらにもう数十万円(あるいは三桁)余計に払ったとも思うな。都立と私立の違いがあるし「差額ベッド」だったかもしれんし。 |
その後
基本的に左肩の酷いコリと、自転車に乗って5分もすると起こる狭心痛はほぼ慢性化して続きます。
そして容態が悪化して入院を迎えることになります。→入院日記