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甲質
朝鮮人にとっての甲と乙とは?
日本人が知る「甲乙つけがたい」みたいな生易しい概念ではない
また、契約書で当事者双方を指す言葉でもない
上位者側が「甲」、下位者側が「乙」
甲は乙を支配し、横暴(時には生殺与奪まで)をふるい無理難題を押しつけ搾取する権利を持つ
甲は権利をふるうだけで、乙に対する「高貴なる者の義務(⇒【別窓】Wiki))など知ったことではない、醜悪な暴君
これが朝鮮語では甲質(カプチル)と呼ばれる、パワハラが限界突破したような行動様式である
朝鮮人にとって自分が甲なのか乙なのかは天地の差、死活問題なので「自分が甲で相手が乙」という立場を作り上げ(時には捏造し)、守り抜こうとする
また乙から脱却するためなら(研鑽し実力をつけていつの日か見返してやる、などとは考えず)甲を貶めて蹴落とそうとする
健常者には理解不能な朝鮮人の奇行も、この概念というか朝鮮人にかけられた呪いで幾分かは説明できる
+ 恩義がある⇒乙ニダ
恩義がある⇒乙ニダ
朝鮮人は忘恩の徒なのではなく、恩を仇で返すわけでもない
恩義を施す側が甲、恩義がある側がなので、そもそも恩を恩と認めないのである
根拠があろうがなかろうが自分が甲であり、乙にならないためなら恩義を被害と言い換えもする
こうして甲乙関係を規定(捏造)すれば、恩義とは「乙が甲に捧げて当然の貢ぎ物」、恩を感じる必要がなくなるのである
傍目には忘恩と見える行為も、恩そのものを認めない朝鮮人にとっては当然の行動
悪質なことに「恩を仇で返している」という罪悪感は抱きもしていない
忘恩を咎められても「何が悪いか分からないニダ」と本気で思っているので、話が通じるわけがない
それどころか、咎めた側を逆に悪者(乙)扱いしたりする
これが朝鮮人の自然体なのである
+ 史上最悪の植民地支配w
日帝の統治は、世界史上最悪の植民地支配だったニダ
大日本帝国から受けた恩を恩と認めたくないがための嘘
日本の行動原理は欧米流の「植民」ではなく「殖民」である
目的は、極貧に喘ぐ荒蕪の地を、日本人が移住しても問題ない近代的な環境に作り変えること
テラフォーミング、近代化、原住民の質の向上に血税を注ぎ込んだのである
植民地にはつきものの搾取を行わなかったため、大日本帝国の朝鮮会計は併合から終戦まで常に赤字であった
東北の凶作で娘を売った金も、回り回って朝鮮のために使われていたのである
なお、台湾会計は製糖業の発展により早々に黒字に転じている
Fact: 植民地支配ではなく「殖民」で、大日本帝国は朝鮮の近代化のために血税を注ぎ込んでいた
+ 七奪
日帝強占期に朝鮮から日本が七つのものを奪ったニダ
Fact: 日鮮合邦期に日本から朝鮮へ七つ(以上)のものを下賜した
+ 七奪その1 主権
独立国家大韓帝国の主権を日帝が奪ったニダ
唐以来、朝鮮は歴代中華帝国の冊封国(≒臣下)であった
国名「朝鮮」は、高麗に反逆し国を奪った李成桂が明から「権朝鮮国事」(朝鮮(仮)国王)に封じられたことが始まり
また、朝鮮人がウリナラ自慢するときの枕詞「君子の国」「東方礼儀の国」も、本来は冊封した国に中国が下賜する称号
 ※明に国名を下賜される前から「朝鮮」という呼び方はあった(⇒司馬遷「史記」:前漢)
  13世紀のトンデモ本「三国遺事」では檀君が建国した国の名とされるが、高句麗・日本・中国の史書に記載はない

朝鮮の宗主国である清は、維新日本を仮想敵国と見据える
属国・朝鮮を清の一省とし、東三省(満洲)を含む四省から出兵、(中国主観で)日本に盗られた琉球を回復しようと構想する
そして朝鮮に派兵し、朝鮮の人事に介入、興宣大院君(国王高宗の父で摂政)を捕えて連行する
 ※朝鮮人は朝鮮は独立国ニダ、清とは友好的な同盟関係ニダと寝言を垂れ流す
  しかしながら列強は逮捕連行に異議を唱えず、アメリカに至っては同意の声明を出している
  朝鮮は独立国ではなく属国なので逮捕連行は清の国内問題、というのが当時の国際社会の認識であった
  独立国云々は「宗主国=甲、属国=乙」を認めたくないがための嘘
 ※1882年に調印された「清国朝鮮商民水陸貿易章程」には 古代から属国 である旨が明記されている
 ※カイロ会談に出席した蒋介石は、予備会談で米ルーズベルト大統領に「朝鮮返還」を打診している
  1943年の中国人の認識は、未だに「朝鮮=元領土」であった(今もそうなのかも)
 ※「半島」は江戸時代に日本人(長崎通詞?)による造語で、語源はオランダ語のhalfeiland(=英語:half island)
朝鮮半島をロシアからの防波堤と考えていた日本はこの半島情勢に危機を感じとり、
 ①朝鮮独立案:有力で近代化された友好的な独立国を半島に樹立する
 ②朝鮮併合案:半島を日本の統治下とし、日本の手で近代化する
 ③朝鮮占領案:またの名は征韓論、武力を用いて②を遂行する
という解決策を見出す (ただし③は西郷とともに城山に消える)
しかし、これらの策は清国の東四省政策と相容れるはずもない
当然ながら朝鮮半島を巡って日清関係は悪化し、1894年には戦火を交えるまでに至る

日清戦争の結果、下関条約により朝鮮は万年属国から抜け出し、独立を果たす
 ※朝鮮人が日帝からの独立の象徴ニダと誤認している「独立門」はこのときのもの
しかしながら、大日本帝国は朝鮮人の
 ・国内は党派に分裂し政争に明け暮れるだけで、独立国を運営することができない
 ・福沢諭吉も匙を投げたように、そもそも近代化する能力など持っていない
 ・恩を恩だと認めないので、恩を仇で返すようにしか見えない行為を平気で働く
という異常体質を(常識人には想像の埒外なので仕方ないが)見抜くことができなかった
当時の日本の対半島政策は日鮮合邦・朝鮮独立で揺れており、独立派の大物は元老・伊藤公であった
しかし、大日本帝国から受けた恩義=独立を、朝鮮は
 ・日清戦争中は傍観した
 ・日本の望む「防波堤」になれるような近代化への改革は行わなかった
 ・それどころか「防波堤」に逆行し、沿海州・満洲に進出したロシアと接近する
 ・1907年、ハーグの万国平和会議に密使を送った
という(恩を恩と認めない朝鮮人にとっては当然の)実行動で返してきた
この体たらくに伊藤公も呆れ、「併合も止むなし」と転向
ただし反対が消極的賛成に変わっただけで、なかなか合邦の機運は熟さなかった
ところが伊藤公は1909年に殺害されてしまい、合邦派(積極的賛成)が力を増すことになる
犯人の朝鮮人・安某は、結果的に朝鮮併合(1910年)への後押しをしてしまったのであった

朝鮮人は合邦を日帝強占と呼び、日帝の暴力で強制されたニダ、国璽もないし、不法ニダとする
暴力?
半島は日清戦争の戦場であっただけで、大韓帝国(名前負け)と大日本帝国とは戦争をしていない
強制?
弱肉強食の時代、極貧の朝鮮では逆立ちしても富国強兵は不可能で、他国を頼るしかない情勢であった
李完用を始めとする官僚は合邦賛成派、また民間にも一進会(会員数公称100万)を始めとする合邦推進団体が結成されていた
食うや食わずの奴婢層(ほとんどの現代朝鮮人の先祖)は無関心、特権喪失を恐れた両班階級は反対であった
合邦は(総意ではないが)朝鮮も望んだことである
国璽?
調印文書に大韓帝国皇帝・純宗(ハーグ密使事件の主犯の子)の御名御璽はないが、李完用首相の書名はある
立憲君主制国家では調印文書への署名は総理大臣の役割であり、君主の署名がなくとも条約は有効である
不法?
合邦は先例(カスティーリャとアラゴン、イングランドとスコットランド等)が多数ある、普遍的な国の形である
当時の国際社会は合邦を問題にしておらず、合邦に異議を唱える国はなく、列強は合邦を賛同・支持・歓迎していた
Fact: 当時の朝鮮は清の属国で、そもそも主権など持っていなかった
   日本のおかげで棚ぼたで主権が転がり込むが、万年属国には扱い切れなかった
   合邦は朝鮮も望んだことで、国際社会も認めた合法的なものである

+ 七奪その2 国王

Fact:

+ 七奪その3 人命

Fact:

+ 七奪その4 国語

Fact:

+ 七奪その5 姓氏

Fact:

+ 七奪その6 土地

Fact:

+ 七奪その7 資源

Fact:



+ 責任がある⇒乙ニダ
+ ...
+ 他国の方が優れている⇒乙ニダ
他国の方が優れている⇒乙ニダ
他国のものに人気がある⇒乙ニダ
優れたウリナラが尊敬されない⇒乙ニダ
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最終更新:2022年12月20日 17:03