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がれきの街の子どもたち:パレスチナ・ガザ2009:その1
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がれきの街の子どもたち:パレスチナ・ガザ2009/1(その1)
◇温かい家庭はもうない--ガザ
パレスチナ自治区ガザ地区ガザ市に住むイスラム・サモニちゃん(5)は夕暮れが近づくと思い出す。農作業を終えた父ラシャッドさん(41)を待ちかまえ、妹のイスラーちゃん(2)と駆け寄り遊んだあの時。母ラバブさん(37)は夕食の支度をしながら温かな目で見守っていた。その両親はもういない。
11人家族のうち、両親と兄2人がイスラエル軍による砲撃で死んだ。残された家族は親類と一緒に暮らす。「お父さんもお母さんもまだ生きていると思うの」。腕組みをする小さな手にぎゅっと力が入った。
昨年末から22日間にわたり、イスラエル軍の空爆と地上戦にさらされたガザ地区。死者は1300人を超え、多くの子どもを含む約800人の民間人が犠牲になったとされる。
毎日新聞と毎日新聞社会事業団による「世界子ども救援キャンペーン」は、がれきと嘆きの街となったガザに生きる子どもたちの悲しみを報告する。【林哲平、写真・長谷川直亮】
◇止まった記憶 「今は忘れているだけ」
大小の破片に砕け散った民家の残骸(ざんがい)や家具の一部らしき木ぎれが散乱し、なぎ倒されたオレンジの木々の間を戦車の走った跡がくっきりと地面に残る。イスラム・サモニちゃん(5)の一家が暮らした場所だ。
ガザ市のザイトゥン地区。オレンジの木の下でピタ(パン)を焼いて、母の料理を食べるのが一家の休日の楽しみだった。その穏やかな家族の営みが戦火にのみこまれた。
この地区に約80人のイスラエル兵が現れたのは1月4日、地上侵攻が始まった翌日のことだった。兄の大学生、モサラシャッドさん(19)ら複数の住民の話によると、イスラエル兵は約100人の住民を1軒の民家に集め、戦車で砲撃を加えた。他の民家への攻撃も含め、死者は約50人にのぼるとみられる。
イスラムちゃんの記憶は断片的だ。背の高いイスラエル兵がいきなり家に来て、銃をつきつけ「外に出て並べ」と叫んだ。家族で移った別の家で大きな音が響いて辺りが真っ暗になり、気が付くとそばにお父さんとお母さんが倒れていた。そして、妹のイスラーちゃん(2)がお母さんの腕の中で泣いていた。記憶はそこまでだ。
あれから2カ月。イスラムちゃんは幼稚園で友達と跳びはねて元気に遊ぶ。だが、モサラシャッドさんは「今は忘れているだけ。あの日を思い出した時にどうなってしまうのか」と顔を曇らせる。イスラーちゃんは夜になると「ママ、ママ」とむずかり、イスラムちゃんも夜中に数回は起きてしまう。
兄妹は家族を悼むポスターをがれきの山に掲げた。ほほえむ父ラシャッドさんとイスラムの教えで顔を出せない母ラバブさんを示す白いバラの花。そばでボール遊びをする姉妹の影が長く伸びていた。【林哲平】=つづく
◆イスラエルによるガザ攻撃の経過◆
イスラエルと接するガザ、ヨルダン川西岸の二つのパレスチナ自治区はかつてパレスチナ解放機構(PLO)最大組織のファタハが主導する自治政府が統治していた。しかし、ファタハの腐敗でイスラム原理主義組織ハマスが台頭、07年6月にはハマスがガザを武力制圧し、ファタハが支配する西岸と完全分裂した。ハマスを嫌うイスラエルは境界封鎖などの制裁を続け、08年12月27日にイスラエル軍が空爆を開始、翌月には地上戦に突入した。22日間の戦闘を経て、1月18日にそれぞれ停戦した。
◇海外難民救援金を募集
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