首無嬢とロンドン塔

1: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:18:14


「苦しまずに死ねただけ幸せだった」なんて、今この世の中に生きている何十億人もの人間の内、一体何人が笑顔で言えるのだろう。


2: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:19:22
一人の少年が英国イギリス、首都であるロンドンにそびえ立つ城塞――ロンドン塔を見上げる。耳の端では川を流れる水の音を聞きながら、彼は墨の川のように流れる黒い長髪を揺らしていた。
 雪峯 雪は現在、母国である日本を離れて英国イギリスへと足を運んでいた。
 特に特筆するべき理由もない、何の変哲もない家族旅行だ。両親と自分。その三人だけで前々から行きたいと思っていたこの国の大地を踏んでいる。
 しかし、実際の所〝家族三人〟ではない。
 雪は常に自分の隣に陣取る親友である善哉 善哉を恨めしげに見遣り、はぁ、と溜め息を吐いた。
 そうすれば彼の実に憂鬱そう溜め息に善哉が気付き、にやにやとした笑みを浮かべながら自分よりも少しだけ身長の低い雪の肩を叩く。

「何溜め息吐いてんだ? もっと楽しめよ、来たかったんだろ?」

 そういうのならば何故ついてきたのだろうか。雪は色素の薄い彼の鳶色の瞳を見た。

「そういうなら何で着いてきたんだよ……僕は〝一人で〟見て回りたかったのに」

 一人で、の部分をやけに強調し、彼は再びがっくりと肩を落として長めの黒髪を手櫛で整える。こうして髪型を整えるのは気分的に落ち着いていないときの癖にもなっていた。


3: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:21:00
「え、何。お前イギリス語話せんの?」
「イギリス語なんて存在しないよ、この国の事実上の公用語は英語。……まあ、他にもウェールズ語とかは色々とあるみたいだけどね」

 はっきりと自分の言葉を否定して続けた雪に、善哉は「へぇ」と感心したように声を上げる。

「やっぱり凄いな。流石、学園トップの学力を持つ生徒会長ってか?」
「褒めても何も出ない。ちなみにここはロンドンだからイングランド。そもそもイギリスっていうのは――」

 引き続き自分には到底理解できそうにない事を説明しようとしてくる親友の姿に、善哉は乾いた笑みを浮かべて肩を竦めた。

「いやいいよ、後で自分で調べっから。ユキは物知りだなー」

 棒読みのそれは誰が聞いても小馬鹿にしたようなそれで、冗談だと言うことがよく解る。だが雪にとってはそうではないらしく、彼は目にかかる程度に切り路得られた前髪の向こうにある目を眇め、善哉を睨み付けた。

「うるさい、僕の名前は〝そそぎ〟だって何回言えば解るんだ! このぜんざい頭!」
「何だと!? それを言うなら俺だって〝よしや〟だ、この馬鹿っ!」

 雪と書いてそそぎと読み、善哉と書いてよしやと読む。雪ならばまだしも、善哉に至ってはただ読みを変えただけで姓と同じ名前だ。
 普段は常に閉じられているような、所謂糸目という目付きの雪が久々に開眼して自分を見据えている事に少し感動を覚えてしまう。
 だからといって、善哉は睨み付けているような目を逸らそうとはしなかった。
 どっちもどっちとしか思えないやり取りを繰り返す両者も、しばらくすれば落ち着いたのか息を吐いて頭を掻いたり、意味もなく腕時計の時間を確認したりしている。
 太陽光を反射して鈍く光るゴツい腕時計をちらちらと見遣る善哉を横目で見て、雪はまたも溜め息を吐いた。
 それは日本製の時計だろうし、イギリスと日本は当然時差もある。今自分達の立つ国が真っ昼間で眩しい程の太陽光がじりじりと照りつけていようと、日本が今何時なのかまでは分からない。要するに、その時計は宛にならないんじゃないかな、という事だ。
 だがそれを言ったところで、彼の癖とも言えるこの行動が収まるとも知れない。


4: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:22:06
「……で、そそぎ君? いつまでこうして突っ立ってるんだよ?」

 わざとらしく僕の名前を呼ばないでくれ、と思いながらも、善哉の言うことは確かにその通りだ。折角ロンドン一の観光名所とも言われるロンドン塔まできたのに、このまま立っているなんてことができるだろうか。

「……確かにそれもそうだね。ただの待ち合わせ場所にしておくなんて勿体ないって僕も思うよ」

 両親は両親で数時間観光、自分達は自分達で、所持金を上手くやり繰りして様々な場所を見て回る。
 両親提案の観光方法。その待ち合わせ場所として指定されたのがこのロンドン塔だった。
 何故「ここも有名な所なんだから見ていこうよ」ではなく「ここも有名なところだし待ち合わせ場所にしよう、ここならよく解る」なんて事になったのだろうか。雪からしてみれば、両親のアバウトさにもう笑うしかない。

「どうせお前んちの母さんも父さんもかなり時間にルーズだし指定も適当だろ。それにまだ時間もあるんだから、見て行っても罰は当たらねーよ」

 本来ならば「父さんと母さんを馬鹿にするな」と怒るところなのだろうが、実際にそうなのだから怒りようもない。
 確かにあと数時間とはいかないが、一時間程度の時間ならばある。ロンドン塔の全てをくまなく見て回れずとも、大体は見物できそうだ。

「…………それもそうだね。その代わり、荷物は善哉が持ってよ」

 僕もう疲れた、と雪は続け、片手で抱えていた数個ほどの紙袋を有無を言わさず善哉に押し付ける。

「えっちょ、え、おい、何で?」
「だって僕元々体育会系じゃないし、荷物大量に持つのは疲れるの。でも善哉だったら大丈夫じゃないかなーって」

 雪は自分の手元に残ったお土産――白と赤の紅白カラーの袋に大きな桃色のリボンがかかったファンシーなそれを軽く振って見せる。

「……なあ雪、お前俺を何だと思ってるの?」

 乾いた笑みを浮かべて大量の紙袋を抱えた善哉に、雪はこのような状況でなければ人の良い優しい男子高校生、というような笑みを浮かべた。

「普段は友達、今は荷物持ち」


5: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:23:10
 片や軽快な足取りでロンドン塔を歩く細身の男子、片や大量の紙袋を抱えて荷物持ちを命じられた案外がっしりとした体付きの男子。
 だが二人はちらりとも視線を向けられない。他人が感動している間、他人が観光ガイドに事細かな説明を受けているのを尻目に、ガイドブックも持たずに進んでいく。
 その様はどう考えても〝一般観光客〟から離れていたが、本人達は気にする様子も見せない。
 ただ善哉も雪も、自分達を取り囲む荘厳な空気を感じながら視線を巡らせているだけだ。
 尤も、雰囲気だけは荘厳であろうが、実際に身の回りにあるものは美しいわけでも、煌びやかな訳でもない。そうであればどれだけよかったか、とも思う。
 視線を巡らせれば目に入ってくるのは展示されている拷問器具の数々、そしてこの塔の中に囚われていたであろう人間達の彫った文字。
 更にそれに加えて大砲や甲冑まであるとなると、流石に軽口を平然とペラペラと叩き合えるような空気ではなくなっていた。

「……中世とか昔の時代って、残酷だよな」

 沈黙に耐えきれなくなったのか、善哉が目を伏せてぽつりと呟くように口にする。
 自分達の居るこの城塞で、数百年前には処刑が行われていたのだ。もしかすれば、自分が踏んでいるこの床を、誰かが這いずり回って苦しんだかも知れない。血の染みさえ、当時はあったかもしれない。

「略奪が普通って思われてた時代もあるくらいだからね。……拷問なんて、僕にしてみれば原爆と同じくらい人類の汚点だと思うよ。比べられるようなものでもないんだけど、さ」

 雪は最初こそ普段は見られない善哉の真面目な表情と言葉に驚いたようだったが、すぐに自分もまた俯き、沈んだ声音で言葉を吐き出す。
 幾度となく人間の血を吸ってきたであろう拷問器具と処刑器具。それらを目にするだけでも、絶命寸前の人間の絶叫が聞こえてきそうだとも思う。

「……今の時代に生まれた俺等って、これだけでも奇跡で幸せ……なんだろうな」
「きっとね」

 普段とは全く違う善哉の様子に少し戸惑いながらも、がしがしと頭を掻いて雪は今日何度目になるかも分からない溜め息を零した。
 もう先程から、吸い込んだ息全てを溜め息として外気に吐き出しているようにしか思えない。


6: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:24:06
「――そういえば、ロンドン塔って亡霊も多いんだっけか」

 この暗い空気を少しでも払拭しようとしたのか、そこまで空気を軽くするという意味を持たない言葉を善哉が口にする。
 彼の小豆色の前髪の隙間から見える鳶色の瞳をちらりと見てから、雪は手に持った袋をかさりと鳴らした。

「そうみたいだね。話によれば、髪を振り乱して逃げ惑う王女が彼女の命日に見えたり、首のない王女が階段を上っていったり、幽閉された兄弟が仲良く手を繋いで散歩したり、とかが有名かな」

 まるで九九を暗唱するかのようにすらすらと口に出した彼に、いつも見せる笑みとは違う苦笑をその口許に浮かべて善哉は紙袋を抱え直した。

「怨恨か未練か、まだこの世に留まってるっていうのは悲しいな」
「……でも、彼女達に取ってはそれが全てなんだろうな。だから難しいよ」

 もうこのロンドン塔にも、この世界のどこにも、自分達の怨念を晴らすべき相手は存在しないのに。それでも尚この場に縛り付けられているなんて。
 雪からすれば、憎悪や怨念なんて自分には無縁のものだ。友人――それこそ善哉とも何度も喧嘩はしたことはあるが、その時にも怨恨やら、という負の情念よりはまず悲しみばかりが先走っていた。

「……あーくそ、こんな陰気な空気は好きじゃないんだけどな……」

 雪の溜め息と同じく、もう何度目になるだろうか。善哉はその小豆色の髪を乱雑に掻き乱して舌打ちし、そう吐き捨てる。

「僕だって同じだよ、旅行は常に楽しく、晴れやかであるべきなんだ」

 少なくとも僕はそう思う。そう続けて、雪はおもむろに足を止めて緩やかに後ろを振り向き、一度自分を取り囲む空間を見渡した。


7: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:24:59
 先程、旅行は常に楽しくあるべきなんて事を言いはしたが、本心からそう思っていればガイドさんが事細かにどこで誰が死んだ、どこで誰が拷問を受けたなんて説明してくれる〝観光スポット〟に来たりはしない。
 尤も、今回は『少し時間が空いたから見ていこうか』程度の軽い気持ちだったのだが。

「……そうだよなぁ、折角こんなにお土産も買ったっていうのに、これじゃあ土産話が酷いことになっちまう」

 お土産こそは可愛らしかったり地方による名産品だったとしても、土産話が陰気なのでは意味がない。
 思い出話や土産話、記憶に残る風景。それら全てが旅行で得る最良のものであり、最大のものである。善哉はおちゃらけた様子とは違い、そう真面目に考えている。
 常日頃から、他人を笑わせたいと思っていることも影響しているのだろうか。

「……善哉、何か土産話できる人居た?」
「うわ、酷いな。俺にも友達の一人や二人は居んだよ。お前と同じで」

 雪がこの空気を少しでも軽く、楽しいものへと変えたがっている。それを理解しているから、善哉も彼の辛辣な言葉に対してへらへらと笑い冗談めかして返せている。
 だがその笑みには少しだけ暗さが含まれていて、それが本心から込み上げる楽しさではないことを殊更に誇示するだけのものでしかなかった。

「…………もう、戻ろうか?」

 この空気に耐えられなかったのか、これ以上無理をして場を明るくしようとする親友の姿を見かねたのか、雪がぽつりと漏らす。
 普段から目を閉じている糸目でも、沈んだ様子が痛いほどに伝わってくる。

「……ああ、戻ろうぜ。雪。……これ以上、こんな空気は御免だ」

 乱雑に髪の毛を掻き乱し、言いようのない感情を吐き出すように善哉が溜め息を吐く。


8: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:27:02
 そうしてかなり速い速度で歩き出した彼の背中を見て、雪もまた肩を落とした。
 ロンドン一の観光名所、ロンドン塔。その名と好奇心からこの血塗られた塔に足を踏み入れたことを、彼等は互いに後悔していた。
 これくらいなら、日光にじりじりと照らされて暑い暑いと愚痴りながらでも両親を待った方が幾分もましだ。
 数穂先を歩く善哉の足音とがさがさと鳴る紙袋の音を聞きながら、雪もまたとぼとぼといった様子で歩を進める。
 がさがさ、こつこつ、ざっざっ、そんな音が被さりながら、彼の鼓膜を震わせていた。
 だがしかし、全く話し声はしない。善哉の漏らす独り言すらないのだ、普段彼がお喋りな分余計に心配になってしまう。

「……善哉、紙袋半分持とうか?」

 今更になって彼に荷物を押し付けたのが申し訳なくなり、雪は恐る恐る、地面に視線を向けたままの自分の目の前を歩いているはずの善哉に、呟く程度の声で言う。
 だが、ここでもまた返事はない。
 流石にここまであからさまに無視されれば幾ら穏和――本人がそう自称しているだけでそれを裏付ける証拠はないのだが――な雪でも不満は感じてしまう。

「……善哉、怒ってるのと沈んでるのは分かるけど返事くらい……」

 返事くらいしてくれ。そう不満を吐き捨てながら前を向けば、本来自分よりも体付きが男らしく、頼もしい背中を持つはずの親友の姿が見えなくなっていた。
 自分が追いついていない、という訳ではない。自分はずっと彼に合わせる形で歩いていたから、速度的にも置いてけぼりにされた、というのとは違う。
 そもそも、もし自分が着いてきていないと知ったらそこで自分の名を呼んでくれるのが彼だろう、と雪は思っていた。

「……そう考えると、僕が道を間違えたのかなぁ」

 がっくりと肩を落とし、はぁ、と幸福どころか不幸すらも逃げてしまいそうな溜め息を吐く。
 まさかこの自分がこんな事で迷子になるとは思っていなかった。いや、というかこの歳になって迷子なんて笑い話にもなりやしない。あと一年高校生活を送れば晴れて高校を卒業できる歳だというのに。
 それに何だ、自分は生徒会長じゃないか、それなのに……。
9: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:27:52
 悶々とした思いを抱えながら黒髪をくしゃりと掻き上げた雪の耳に、突然硬質の音が届く。
 その音の正体が誰かの足音であるということは容易に想像できる。だがそれを事実として受け止めることが出来ずにいた。
 その理由は二つある。
 まず一つ目は〝足音が硬質であること〟。善哉の履いているのは、日本であればどこにでも売っていそうなごく普通のスニーカーだ。こんな硬質の――まるでヒールが床と触れ合うような音はしない。
 それだけならばまだ『誰かが通りかかったのかも知れない』と予想できる。だがそれが出来ない理由が、雪にはあった。
 足音は確実に自分の後ろから近付いてきているのに、全く人の気配というものがしないのだ。心なしか、周囲の空気すら少しばかり冷たくなったような気がする。
 空気の変化と人の気配のない足音。それらを認識した途端に心臓がどくどくと早鐘のように鼓動を響かせる。背中を冷や汗が伝うのを、雪は他人事のように感じた。
 無意識の内に呼吸すら浅いものへと変わっていき、雪はぎゅっと自分の学生服の胸の辺りを強く掴む。
 だが、ここでその音の正体を確かめて、『ああ、何だ普通の人じゃないか』と安堵したい衝動に駆られる。
 ここで全てをなかったことにして走り出し、善哉と合流するのではない。
 ここで全てを確かめて、安堵して、少しばかり言葉を交わしてから善哉の元へと向かう。
 誰かが〝確かめずにいる恐怖より、確かめて安堵したい欲望の方が強い〟なんてことを言っていた気がするが、それが今痛いほどによく解った。
 雪は背筋をぴんと伸ばし、数回深呼吸を繰り返す。肩の力も抜き、できる限り普段と同じような状態になるようにと務めた。
 それから一瞬息を止め、勢いよく背後を振り返った。
 だが、その場に見えるのは振り向く寸前に風に煽られた自分の長い黒髪だけ。
 奇妙だ。そう感じた途端、今度は自分の左肩にそっと手が置かれる感覚。
 ぞくり、と悪寒を感じるよりも先に雪は振り返り、今までのある種の気持ち悪さに似た感覚と恐怖の正体をその黒曜石のような瞳に映した。

「っ、うわああああああ!!」
「きゃあああああああっ!?」

 二人分の悲鳴が重なり、どしゃっ、というその場に尻餅をつく音もその悲鳴に重複するように塔の中へと反響する。
 雪は尻餅をついたときの痛みすらも気にならない様子で、目の前にいる少女を見つめていた。
10: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:28:52
 細められているはずの彼の瞳は今までにないほどに見開かれ、半開きの口からは既に声も吐き出されておらず、ただ空気を肺から吐き出している状態だ。
 がちがちと歯の根が合わず、力が入らなくなった自分の手からお土産の袋が落ちる事すら気にならない。

「…………ご、ごめんなさい……やっぱり、……驚かせて、しまいました?」

 鈴の音のように澄んだ声で恐る恐る雪へと尋ね、尻餅をついていた少女は服の裾をぽんぽんと叩いてから、傍に落ちていた〝それ〟を拾い上げた。
 それは人形の類ではない。花束でもない。ましてや高級そうなバッグでもない。
 人間の生首だ。太陽に透ける金色の髪といい、青白く血の気がない肌といい、自分の目に映るそれらがやけにリアルなものに感じられる。
 それを白いアームカバーを嵌めた手で拾い上げた少女首から上を見れば、何か鋭利な刃物で切り取られたように本来あるはずの頭部がなくなっている。
 そこから流れていたであろう血は止まっていて、首の辺りに少しだけ固まった血がこびりついていて、それもまた生々しい。

「…………ゆ、……ゆう、れ……い?」

 首を刈り取られ、自らの生首をその細腕に抱える少女。彼女の着ている中世風のドレスも相俟って、ようやく雪はか細く声を漏らした。
 幽霊。その一言でしか、この少女を表すことは出来ないだろう。
 だが、目の前にいるのがこのロンドン塔にいる件の亡霊なのだと知り、何だか安堵が込み上げてきたのも事実。その証拠に、雪の呼吸は大体落ち着いてきているし、見開かれていた瞳も普段のように戻ってきている。
 正体を知れば、どうってことはない。
 しかし、それと共に雪は一つの疑問を感じる。

「……何で、霊感なんてないはずの僕に見えるんだよ……気絶するかと思った……」

 今まで霊的なものと接触したこともない。それなのに、何故今になって彼女という亡霊が見え、更に触れられることができたのだろう。
 まさか、これを機に霊感が開花するなんてことになりやしないだろうか。そう考え、雪はぶるりと身震いする。

「……それは、何とも。でも、色々な人が見ているみたいです。〝髪を振り乱して逃げまどう王女様〟や、〝可愛い男の兄弟が散歩したり〟するのを。……え、えっと……大丈夫ですか? 立てますか?」

 まるで自分が善哉に話したような内容のことをさらさらと話す少女に手を差し伸べられ、雪は反射的に後ずさってしまう。


11: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:29:36
「だ、大丈夫。一人で立てるよ」

 心なしか焦った様子で早口で口にし、彼は床に手をついて身体を起こす。

「……ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんです。でも、私はこんな身体だから、自分にそんなつもりがなくても、驚かせてしまうようで……」

 本来神経も全く繋がっていないであろう頭部。彼女の両手が抱える生首の口が動き、殆ど光を失っていないように見える綺麗な空色の瞳が伏せられる。
 一般人ならばただならぬ恐怖を感じて逃げるところを、雪は逆に好奇心をそそられでもしたのか逃げることもせずに少女の話を聞いていた。

「……でも、首のない王妃はアン=ボレインじゃないのか? 君の、名前は?」

 大分恐怖や動揺もましになってきて、ごく普通に、人間に尋ねるようにして雪は少女に問い掛ける。
 彼女が「ああ」と声を上げて、恐らく自分の名を名乗ろうとしたのだろう、小さく一度頷いてから再度口を開く。しかし、それよりも早く今度は荒々しい足音が自分達に向かって近付いてきていた。
 その足音の大きさと荒さと言ったら、思わず善哉を彷彿してしまうほど。だが、少女に出会ったときと同様に人の気配がしないこともあり、雪は善哉とは違うということを理解していた。

「――おい、セシリアっ!」

 突然は以後から聞こえた怒声に、雪は思わずびくりと肩を跳ねさせて「うわっ」と短く悲鳴を上げてしまう。
 確かに誰かが近付いてきている事は別っていたが、全く人の気配を感じていないこともありその足音の正体が自分の周囲どこから接近してくるかまでは理解できていなかったのだ。


12: 名前:赤闇 (AldickGl/2)☆10/12(火) 05:30:37
「お前、いつも一人でどっか行くなって言ってるだろ? 全く……あ? 誰だお前」

 肩越しに後ろを振り向けば、当時でも今でもかなり長身の部類に入るであろう一人の男。白髪交じりの頭と口許に生やした短いヒゲから、大体三十代辺りだろうかと雪は目星を付ける。
 だが、中世の人間にしては余りにも口調が現代すぎる。

「……それを聞きたいのは、こちらです。貴方は、何者ですか? この子と同じ亡霊であるとは思いますが、それにしては口調が今時の若者過ぎる」

 感じたことを素直に、はっきりと口にする彼に男は面白そうに片眉を上げる。

「ふふん、聞いて驚け現代の少年よ。俺の名はゲーデ=ギーディ。中世の戦争で活躍した軍人さ!」
「分かりますよ、中世らしい軍服着てますし」
「Shit!!」

 突然英語で悪態を吐いた男に、雪は一歩後ずさって様子を見る。
 生身の人間でも特に苦手な性格だ。善哉と似ているようで、似ていない。更に亡霊と来れば、全くもってどう扱えばいいのか分からなかった。

「それ英語です。……ねぇ、この人は誰なの?」

 結局隣で立っていた少女にそう助けを求めることになる。

「あの人は、数百年ほど前にふらりとここにやってきた軍人の亡霊さんです。ゲーデさん、ここを見て回る現代の人達の口調に、かなり影響されてしまったらしくて。……私も、なんですが」
「……二人とも、影響されすぎじゃない? 特にこの人」

 気を悪くした様子もなく、快く応対してくれる少女に失笑を浮かべながら、失礼だろうとは思いながらもはっきりと思ったことを漏らす。

「失礼だな、そりゃ何百年と経てば口調も変わるだろ」

 そんなアバウトな理由で口調が一変するものか。
 それよりも、まずは彼女に問おうとしていた内容を問い直さなければならない。

「……それで、また質問しちゃうけどいいかな。この人の名前は分かったからいいけど、君の名前は? 僕は雪峯 雪っていうんだけど」
「ソソギさん、ですね。私は、今で言う〝上流貴族〟の長女でした、セシリアーデ=ルゥ=フェイと申します。セシリア、と呼んで下さい」

 ぺこり、と頭――ではなく腰を折ってお辞儀したセシリアーデに、雪は少し考え込むように腕を組み、「うーん」と唸る。

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最終更新:2010年10月16日 21:06
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