219: 名前:浅葱☆11/29(月) 20:28:50
文弥君が驚いた顔をしていた。
当たり前だ。
此処は他校、入ってきて大丈夫なのか。
それ以前に自分の学校はどうした。
っていうかこの人たちはどうして足音を立てずに近付いてくるんだ。
突っ込みたいことは山ほどあったが、その言葉を呑み込んだ。
「あーあ、フミヤ、ほっぺ真っ赤」
笑いながら、でも優しい表情を文弥君に向けた。
「イイ男が台無しだね」と小馬鹿にした声で。
すると髪をひらりと靡かせ、こっちを振り返った。
「チアキごめんね」
今まで聞いたことのない声だった。
「優奈、いっつもチアキに我が儘ばっかり言ってて、チアキの気持ちも考えないで、困らせてばっかりだった。
でも、信じて。優奈はチアキのことが本当に好きだった。それは今でもはっきり言える。
有難うね、チアキ。ごめんね、皆。優奈の我が儘の所為で、皆に迷惑かけちゃったね」
淡々とした口調で、そう言う優奈ちゃん。
だけど優奈ちゃんの気持ちが、空気で伝わってくるみたいに私には確かに届いた。
「でも、優奈、フミヤが好きだ」
……これは、優奈ちゃんの素直な気持ち、素直な言葉だと思った。
『優奈を愛してるけど…あっちは、どうなんだろうな』
そう言った、文弥君の寂しそうな顔。
今でも忘れない。
なんだ、そんなことないじゃん。
優奈ちゃんはこんなにも貴方を愛してるよ。
そう分かったら、急に嬉しさが込み上げた。
文弥君が優奈ちゃんの手を引き、無理矢理座らせて、そして抱きしめた。
「あぁ、俺も大好きだ」
今まで見たことも無い、文弥君の笑顔がそこにあった。
良かった。
本当にそう思った。
空を見上げると、眩しいくらいの太陽が輝いていた。
私たちの気持ちとは裏腹に、雲が早く、早く流れて行った。
222: 名前:浅葱☆12/08(水) 19:47:07
それから月日は流れ、季節は雪が深々と降る、冬。
あれからの私たちは、何事も無い日々を過ごした。
“平和”その言葉が一番相応しいだろう。
「行ってきます」と言って、玄関を出ると、そこには私を待つ愛おしい人が立っていた。
名前を呼び、待たせたことを詫びる。
だけどこの人は、そんなことなど気にせず、私の手を引き、学校へ歩を進めた。
私の温かい掌とは正反対の冷たくなった彼の掌。
もう一度「ごめんね」というと、先を歩いていた彼が立ち止まり、私の頭を小突いた。
「謝んなっての」
そう言うと、再び歩き始めた。
声を出そうと口を開くと、白い息が宙に浮かんで、消えた。
「津田、冬は迎えに来なくても良いんだよ? 寒いだろうし」
「憂は、俺と一緒に居たくないの? 俺は憂と一緒に居たいからこうやって迎えに来てるんだけど」
……この人はどうしてこう言うセリフを恥ずかしげも無く言えるのだろう。
私の体温が一気に上がった気がした。
ギュッと、彼の手を握り返した。
「私、も……だよ」
私の言葉に、彼は何も言わなかった。
だけど頬が赤い。
幸せだなぁ、と思った。
平和な、平凡な日々。
だけどかつての私とは確かに違う。
――この幸せが何時までも続いて欲しいと何度も願った。
壊れないように。
ただ、今を大切に。
225: 名前:浅葱☆12/10(金) 19:36:06
『……であって、つまり……』
あー長い。
っていうか眠い。
何故朝から朝会なのだ。
そして何故、そのたび校長なる人はこんなに長話をするのだ。
長話をすることが校長の仕事だとでもいうのか?
そうなのか!?
……と、考えているうちに何時しか校長の長話が終わっていた。
やっと朝会が終わる、と思ったら、突然『それでは、えー、新任の先生を紹介します』なんてことを言い始めた。
一人の男性がステージに上がって行くのが見えた。
あれ?
どっかで見たことあるような、無いような……。
『えー、産休に入られた越前先生の代わりに来られた、津田先生です。では津田先生、どうぞ』
……津田、先生?
『初めまして、津田直昭と申します。このたび、皆さんに数学を教えることになりました。どうぞ宜しくお願いします』
や、やっぱり!
津田のお兄さんだ!!
先生だったんだ、知らなかった。
『えーっと、それから一年の津田千昭は私の弟ですので、仲良くしてあげてくださいね』
出た、営業スマイル。
女子の甲高い声が体育館に響く。
『静かに!』という先生の声など耳に入っていないだろう。
はぁ、と溜息を吐く。
なんか大変なことにならないと良いんだけど……。
「えーっと、じゃあこの問題を……」
さっきから眩しい笑顔で授業を進める男――津田直昭先生。
殆どの女子は授業など耳に入っていないようで、目をハートにして彼を見つめている。
いやいやいや、皆さん、その見かけに騙されないでっ
その人、会って数分で女子高生を襲おうとした人ですよっ!
……と叫びだしたかった。
頬杖をつき、うんざりした顔の私にまでも愛想笑いを投げかけてくる。
何度見ても津田に似ている。
まぁ、目の前の彼よりも津田の方が何倍も格好良いと思うが。
……自分で言って、恥ずかしくなり、顔を赤らめる。
そんな私を、微笑いながら見ていた人がいたことに私は気付けなかった。
226: 名前:浅葱☆12/10(金) 19:53:36
「全く、うちの学校に来るなら連絡ぐらいしろっての、馬鹿兄貴」
目の前に居る津田がさっきから愚痴を零す。
どうやら、兄から何も聞かされていなかったようで、それに怒っているようだ。
それにどうリアクションしたら良いのか分からず、ただただ苦笑いすることしか出来ない。
「でもすっごい人気だよ。うちのクラスの女子、目がハートだったもん」
「あーそれ、こっちもだった」
やっぱり? と言って、笑い合う。
「ま、まぁ、でも、津田の方が何倍も格好良いけどね」
意を決して言った言葉に、再び顔を赤らめた。
だがそれは私だけではなく、目の前の彼も同じだったようだ。
「ばっ、おま、な……っ」
馬鹿、お前、何言ってんだ! ……だろうか?
恥ずかしいけど、事実。
私の正直な気持ちだ。
「津田先生も格好良いけど、私は津田が好きだから。津田の方が格好良いって思ってるからね」
お互い真っ赤な顔で見つめ合う。
照れくさいけど、どうしてだろう、幸せ――だと思った。
「……俺も、憂だけが好きだよ」
津田の顔が迫ってくる。
どんな表情をしてるのかは窺えない。
唇と唇が触れ合った。
目を閉じ、この幸せの余韻に浸る。
ずっとこのままなら良いのに。
――なんて、到底叶わない願いをただひたすらに祈った。
「憂ちゃんっ」
語尾にハートマークが付きそうな声。
文弥君、と思ったが微妙に声が違う。
振り向くと、そこに背の高い男性が立っていた。
見上げながら名を呼ぶ。
「津田先生」
「やだなぁ、津田先生なんて。直昭先生って呼んでよ」
「そこまで親しくないでしょう」
「良いじゃん、一度ヤりかけた仲でしょ」
「……そう言うことを学校で、まして教師が軽々しく言うもんじゃないと思いますが」
冷静な私の言葉に先生が目を丸くした。
「ふーん」という声を漏らし、頷く。
「千昭と上手くいってんだね」
今の会話からどうしてそんな結論が出たのだろう。
っていうかこの人、弟と話したりしないのか。
「そうですが、それが何か?」
「いーや?」
ニヤニヤした顔でそう言う先生。
……何か企んでる顔だ。
これ以上関わりたくなくて、「じゃあ」と言って逃げてきた。
本当に、何も起こらなきゃいいんだけど。
230: 名前:浅葱☆12/30(木) 15:11:24
すっかり錆びてしまっている鉄の扉を開く。
その瞬間、冷たい風が私の横を通り、伸びた髪を靡かせた。
息を十分に吸うと、冬の新鮮な空気が全身に廻って来た。
それをそのまま吐き出すと、白い息が空気に溶けて消えた。
雪はかろうじて降っていなかった。
空を見上げると重たい雲が私の直ぐ近くにあって、今にも雪が降りそうだった。
早く帰らなきゃ、と心に決め、だけど動く気配のない足を、そのままそこに留めておいた。
未だ良いよね。
もう少しだけ此処に居たいという欲が勝り、一歩足を踏み出した。
ズ、という音と共に靴が少し雪に埋まる。
一面の雪景色に心が弾むのを抑え、更に歩を進めた。
だんだんと冷たくなってきた指先を擦り合わせ、ハーッと息をかける。
それでも温かくならない手を、そのままポケットへと移動させた。
「風邪引いちゃうよ?」
その声にすぐさま反応し、扉の方を振り向いた。
「……なんでこんなとこに居るんですか」
若干棘のある声で先制攻撃。
凭れかかるように立っていたのは、津田のお兄さん――津田直昭先生だった。
「んー、憂ちゃんに呼ばれた気がし「ふざけてるんなら帰ります」
先生の言った言葉を途切れさせ、出口に向かって歩き出す。
先生のすぐ横を通ろうとした瞬間、ぱしっと腕を掴まれた。
思わず先生を睨む。
「……なんですか」
私の睨みなど効かないかのように華麗にかわし、「酷いなぁ」と微笑った。
この人、やっぱり先生なだけあって馬鹿じゃない。
食えない人だと思った。
231: 名前:浅葱☆12/30(木) 15:29:50
「もっとお話ししたいなぁと思ったから」
作ったような顔で私を見てくる。
教師が言う言葉じゃないだろう。
「先程も仰った筈ですが、一教師がそんな言葉を軽々しく言うものじゃないと思います」
私の冷やかな言葉に、先生が真顔になった。
どうやら驚いたらしい。
「……じゃあ、憂ちゃんは、一教師とそう言う関係になってもおかしくないって思ってるんだ?」
先生の反撃の言葉に、一瞬にして顔が赤くなった。
そういうわけじゃない、そういうわけじゃないけど、どうしようもなく恥ずかしかった。
私が何も言わないでいると、先生が畳みかけるように口を開いた。
「だってそうでしょ? 俺に一々注意するってことは、怖いんじゃないの?」
私の指の間にするっと指を滑り込ませて、絡ませる。
抵抗しようにも出来なかった。
「俺に呑まれそうになる自分とか、」
絡ませた指を口元に持って行かれる。
ちゅ、と唇が触れた気がした。
「……千昭を忘れそうになる自分、とか?」
その言葉が私の耳に入ってきた瞬間、頭に血が上ったように、怒りが込み上げてきた。
乱暴に手を離し、先程よりも怒りを露わにした顔で睨みつけた。
「最低」
言いたいことは沢山あったが、それだけを告げ、その場を走り去った。
兎に角、もうそこに居たくなかった。
232: 名前:浅葱☆12/30(木) 15:49:31
悔しかった。
相手は大人だって分かってる。
だからこそ、あんな風に一方的に言われ負けた自分にどうしようもなく腹が立った。
溢れそうになる涙をせき止め、階段にしゃがみ込む。
悔しい、悔しい、悔しい。
津田のことが好きなのに、何も言い返せなかった。
津田のことが好きなのに、私は何も出来なかった。
あんな風に言われた自分が、本当に情けなかった。
「憂?」
声で分かる。
愛おしい貴方の声。
「津田……」
津田に顔を向けたとき、私の顔がもう酷い顔になっていて。
そりゃあもう悲惨な顔だったと思う。
「ど、どうした?」
焦った声でそう問う。
答えられず、津田の腕にしがみつくように擦り寄った。
何も言わない私を見て何かを察したのか、津田もまた何も言わなかった。
ただ何も言わず、私を抱き締めた。
帰り道、私たちに会話は無かった。
だけど繋がった手が温かくて、津田の優しさが温かくて。
私が泣いていた理由を無理強いしないその優しさに、どうしようもなく救われた。
236: 名前:浅葱☆01/02(日) 23:04:01
「はぁ……」
大げさなほどの溜息を吐き、今日は少し迎えに来るのが遅い津田を家の前で待つ。
周りは一面の雪景色。
雲行きが怪しくなり、もうそろそろ雪が降ってきそうだ。
吐く息が白い。
それでもなお、抑えられない溜息を何度も吐く。
学校に、行きたくない。
あの人に、会いたくなかった。
『怖いんじゃないの? 俺に呑まれそうになる自分とか、千昭を忘れそうになる自分、とか』
ふと先生の言葉を思い出し、頭を抱える。
もう何も、考えたくないのに。
振り回されたくなどないのに。
頭にこびり付いて離れない、昨日の先生の表情。
口角を上げ、楽しそうに嗤う。
……ムカつく。
会いたくない。
会いたくない。
「それでも会っちゃうんだけどなぁ」
そう呟き、もう何度目か分からない溜息をまたひとつ。
「なに一人で喋ってんの」
直ぐ近くで聞こえた声。
全然気配が感じられなかった。
なんでこの人はいつも気配を絶って近付いてくるのだ。
ていうか似たもの兄弟め。
「もう大丈夫?」
優しい口調だった。
一瞬考えて、本当は全然大丈夫なんてものではなかったが、「ん、大丈夫!」と、嘘を吐いた。
散々津田に迷惑を掛けてきたのだ。
此処で我が儘も言ってられない。
「…………そっか、なら良い」
今の数秒の間が気になったものの、気にしない振りをした。
237: 名前:浅葱☆01/02(日) 23:34:00
「憂っ」
学校に到着し、教室に入ると直ぐに朋榎が突進するかのように私に向かって走ってきた。
朋榎とは、以前よりも打ち解けられたように感じる。
私が一方的に作っていた見えない壁など取り壊され、今では本当に私の一番の親友だと、自信を持って言える。
あの一件があったからこそ、今の私たちはあるのだと思う。
きっとそう感じているのは私だけではないだろう。
「憂ってば、ちょっと」
考え事をしていた私に、ムスッとした顔を向ける。
「ごめんごめん」と謝ると、一瞬にして顔に笑顔が表れた。
笑顔、ということは愚痴ではないことは見て取れた。
……ってことは、また惚気か。
朋榎に、新しい彼氏が出来た。
津田のこともあり、少し、心配もしていたのだが、無駄だったようだ。
顔は見たことが無いが、朋榎曰く某芸能人似の爽やか青年、らしい。
一応、「どうしたの、朋榎」と訊いてみる。
すると、「あのね」と口を開き、私の予想通り朋榎の惚気が始まり、それは数分間炸裂した。
その間、朋榎が時折見せる可愛らしい笑顔。
まさに恋する乙女、だと思った。
たまたま朋榎の話が途切れた時に、ふと、津田先生のことを思い出した。
正直、思い出したくも無かったが、なんとなく朋榎に相談してみようと思った。
相談、というわけでもないが、もしもの話をしてみようと思い、「ねぇ、朋榎」と話を切り出してみた。
「もし、さぁ。自分に言い寄ってくる年上の男性が居たとして、
その人が急に自分を物凄い馬鹿にしたようなこと言ってきたら、どう思う?」
うーん、いきなり意味分かんない話だったかな。
そう思ったが、朋榎には大体伝わったようだった。
「えー、あたしだったら? あたしだったらー……多分キレるかな」
あはは、と笑いながら言う朋榎。
うん、朋榎ならそう言うと思いましたよ。
「あ、でもイケメンだったら許しちゃうかも」
うん、そう言うとも思いましたよ。
「でも、なに? 憂、誰かにそんなことされたの?」
うん、そう聞くとも思いましたよ。
素直に頷くことも出来ず、取り敢えず言葉を濁してみる。
朋榎はそんな私を察したようで、「まぁ、なんかあったらいつでも言うんだよ」と言ってくれた。
「憂と千昭君には、幸せになって欲しいからね」
そう言って朋榎が見せた笑顔が、言葉が、私の心を温かくしてくれた。
私も自然と笑顔になる。
「私だって朋榎には幸せになって欲しいって思ってるよ」
言おうと思った言葉が、不思議と声になって出てこなかった。
やっぱり私はまだまだ弱い人間なのだと、改めて思い知った。
241: 名前:浅葱☆01/04(火) 20:08:23
早歩きになる、私の足。
さて、どうしてでしょう?
答え:津田先生が追いかけてくるから。
「ちょっと、待ってって、憂ちゃん」
昼休み、津田のところへ行こうと思ったら、ばったり会ってしまったのだ。
そのまま向きを変えて、反対方向へ歩き出した私を、今、津田先生が追いかけている状況。
いやいや、なんで追いかけてくるんですか。
「憂ちゃんってば、聞こえてるでしょ、なんで無視するかな」
ええ、聞こえてますよ、聞こえてますから。
そんな大きな声で言うのは止めてください。
生徒がね、見てますから!
「……~待てって!」
ぱしっ、という音。
腕を掴まれている感触。
先生の手の力強さによって私は前に進めなくなり、仕方なくその場に立ち止まった。
後ろは振り向かず、視線だけを下に向け、じっと先生が口を開くのを待つ。
「なんで逃げんの?」
静寂の中で、茶化した声では決してない先生の声が響いた。
「……別に。どうでもいいでしょう」
私が逃げようが、避けようが、貴方には関係ない。
これは私の正直な気持ちだった。
私を乱さないで欲しい。
私を巻き込まないで欲しい。
私を放っておいて欲しい。
「どうでもいい、ね。俺はどうでも良くないんだけどなぁ」
「どうしてですか。関わる必要も無いでしょう」
「俺が、憂ちゃんと話したいからかな」
今度は少し茶化したような声だった。
それにほんの少しだけイラッとした自分が居て、頭に浮かんだ言葉を、考えることも無く口にした。
「最低な人とは、話したくありません」
242: 名前:浅葱☆01/04(火) 20:25:47
私がそう言った瞬間、驚いたのだろう、先生の腕を掴む手の力が弱まった。
刹那、力が一気に強まり、そのまま腕を引っ張られて壁側に寄せられた。
頭の両脇に手をつかれた状態になり、逃げ場がない。
人の居ない廊下、かろうじて人目につかない場所にホッとしたが、これから何をされるのか分からない不安の波が押し寄せていた。
「俺、今まで人に拒絶されたことないんだよね」
口角は上がっているものの、目が笑っていない。
この人は怒っている。
「あーぁ、生徒には優しくするつもりだったのになぁ」
独り言のようなその言葉を聞いた瞬間、背筋がぞわ、と逆立った。
反射的に、逃げなきゃと思った。
身体を捩って、脱出を試みる。
が、腕を掴まれ、「逃がさないよ?」と釘を刺されてしまった。
挙句の果てには両腕をがっちりと掴まれ、縛り付けられているような体勢になってしまった。
これでは尚、逃げられはしない。
「千昭の彼女だって言うから尚のこと優しくしようと思ったのに、なー」
目を合わせないように視線を逸らす。
「憂ちゃんの所為だからね」
その言葉と同時に、先生の顔が迫っているような気がして視線を戻す。
目の前に、というか直ぐ近くに先生の顔。
抵抗する間もなく、二人の唇が繋がった。
世界が止まった、ような気がした。
驚きで瞬きさえも忘れる。
唇を割られ、生温かい舌の感触。
不快感によって我に返った。
顔を背け、抵抗するものの、案の定、逆効果。
先生の舌は私の口内で暴れまわる。
そして漸く唇が離れ、先生は一言、口にした。
「キス、しちゃったね」
からかうように、嘲笑うように。
そして続ける。
「千昭が知ったら、どうするかな」と。
245: 名前:浅葱☆01/05(水) 20:16:13
「憂、憂!?」
津田の声が聞こえる。
あれ、私はどうしてこんなところに居るんだろう。
「憂、どうした? 探したんだぞ!」
津田が、叫んでる。
心配そうな顔で、少し息切れしながらこっちを見て、私の顔を覗く。
声を出そうとしても、声が出ない。
どうしたんだろう、私。
「憂……憂?」
私の様子が変だと思ったのか、先ほどよりも心配そうな顔をこちらに向ける。
「……つ、だ」
掠れた声。
それでも、なんとか出せた声だった。
記憶を巻き戻して、考える。
嗚呼、そうか、私、津田先生に、キス、されて――……
視界が滲む、涙が溢れて、頬を伝う。
私が突然泣くものだから驚いたのだろう。
「憂!?」と、津田がもう一度私の名前を呼んだ。
その声で、せき止めていた想いが涙と共に一気に溢れてきた。
「津田、津田、どうしよう、津田……」
闇雲に津田の名を呼ぶ。
目の前に津田は居る筈なのに、まるでそこに居ないみたいで。
真っ暗な場所に、私一人だけが置き去りにされたようで。
怖かった。
「津田、どうしよう、どうしよう」
どうしよう、と何度も言う私。
きっと津田には何の事だか分らなかっただろう。
それでも、何も言わずに抱き締める津田がどうしようもなく愛おしくて、離したくなくて。
どうしよう、私、津田が居なくなったら。
津田に嫌われてしまったら、私はどうすればいいの?
生きていけない、きっと。
246: 名前:浅葱☆01/05(水) 20:36:51
「落ち着いたか?」
私を気遣っていることが、声で分かった。
散々泣いた所為で喉がガラガラだ。
仕方がないので首を縦に振り、大丈夫だということを伝えた。
なんとなく、窓の外を見る。
空がオレンジ色に染まっていて、放課後だということを私たちに告げていた。
そして「そっか」と言った津田の顔を見た。
私にどうしたのか聞くべきか、悩んでいるような表情。
知りたいけど、聞いていいのだろうか。
そんな顔。
「……つ、だ、先生」
私の口から出た言葉は、酷く掠れていて、津田は聞き取れただろうかと不安になった。
だが、津田にははっきりと聞き取れていたようで、「あいつが、どうかしたのか?」と聞き返して来た。
何と言えばいいのだろう。
それ以前に、言っていいのだろうか?
なんて?
津田先生がキスしてきた?
津田先生にキスされた?
津田先生とキスした?
どれが一番良い言い方なの?
どれが正しくて、どれが間違い?
どう言ったら、津田は私を嫌わない?
“言わない”が一番良い選択肢なの?
「憂?」
優しく私の名前を呼ぶ。
また、涙が溢れそうになってしまう。
「憂……「キス、された」
249: 名前:浅葱☆01/08(土) 23:13:40
私が発した言葉に津田が「は?」と明らかに驚いた顔を見せた。
そこから頭の中で理解するのに数秒。
そして言った。
「嘘だろ」と。
下唇を噛みながら首を横に振る。
嘘じゃない、嘘じゃないの。
心臓がどくんどくんと高鳴っていた。
津田はどう思っただろうか。
軽蔑した?
もしかしたら私のことなど嫌いになってしまっただろうか。
怖かった、津田の次の言葉が。
この、痛いくらいの静けさが。
「……は、はは、あははははっ」
先程のシリアスな雰囲気とは打って変わり、静かな廊下に津田の笑い声が響き渡った。
驚き、目が点になる。
「つ、津田?」
「あっははは、ははっ」
一体何が壺に嵌ったのか知らないが、津田は狂ったように笑う。
おかしい。
津田が明らかにおかしい。
すると突然立ち上がり、何も告げずに走りだした。
「津田……!?」
津田の理解不能な言動に軽くパニックを起こしながらも、私も慌てて立ち上がり津田の後を追った。
253: 名前:浅葱☆01/17(月) 19:59:47
津田が向かった先は、屋上だった。
だんっ、だんっ、と過剰な足音を立てる津田に追い付くために全力で走った所為で、私はもうヘロヘロだった。
階段を一段一段ゆっくり、だけど足早に進む。
津田が古い鉄の扉を力任せに開けると、そこには津田先生が煙草を吸った姿でフェンスに凭れかかるように立っていた。
此方を見て、「よっ」と能天気な声を出す津田先生に怒りが湧きあがったものの、今はそんなことよりも、津田だ。
先程から何か不穏なオーラが出ていて、気になって仕方がない。
取り敢えず、名前を呼んでみたが、返答はない。
今まで入り口で立ち止まっていた津田が、先生の方へ歩き出した。
津田の異様な雰囲気に気付いている筈なのだが、
先生は「おー、どうした千昭」などと、またしても能天気な声で私たちを翻弄しようとしていた。
……ていうか、あれ?
なんかデジャヴ。
“それ”は何時だった?
津田が、先生の胸倉を掴んだ瞬間に、頭の中にある電球が突然点ったように私は思い出した。
そうだ、これは、津田が文弥君を殴った時と同じ――……。
「……っ、津田!!」
私が気付き、突発的に叫ぶものの、時既に遅し。
バキッという音と共に、先生は倒れた。
吹き飛ばされた、と言ったら大げさだが私の所からは本当に飛ばされたように見えた。
「ちょ、津田っ……」
私が制止しようと走り出すともう一度先ほどと同じ効果音が鳴り響いた。
再び先生が倒れ込む。
津田が殴ったのだ。
「待って、待って津田!!」
先生に駆け寄って、津田と先生の間に入り、壁となる。
そのときに見た津田の顔は、背筋が凍りつきそうなほど怖い顔をしていた。
――そう、こんなことが前にもあった。
254: 名前:浅葱☆01/17(月) 20:24:43
「……憂、退いて」
「やだ」
威圧的な顔と声。
厭だと抵抗してみたものの、本当は怖くて逃げ出してしまいたかった。
「お願い、退いて。そいつだけは殴んないと気が済まない」
「……やだ」
お互い退かない状況。
でも、駄目だ。
私が折れたらきっと津田先生は――
「あー痛ぇな」
またしても場に合わない能天気な声を出す津田先生。
いやいや、状況考えて。
「良いよ、憂ちゃん。憂ちゃんまで巻き込んじゃったら俺泣くわー」
「そんな、だって」
津田に暴力事件なんて起こさせるわけにはいかない。
やっぱり引けないよ。
「……なんで、憂に手ぇ出した」
そう言った津田の声は先程よりは穏やかになっていた。
だけど、何処か強張っている。
怒りを抑えつけようとしているのがなんとなく分かった。
「んー、じゃあお前はなんて言って欲しいの?」
質問に質問返し。
教師にあるまじきことだろう。
津田先生はさらに続けた。
「なんとなくキスしました、なんて言ったら怒るだろ。まぁそんな理由じゃないけどね」
驚いた。
気分、とかなんとなく、だと思っていた。
気紛れで生徒に手を出したのかと思っていたから……。
でも、え?
じゃあどうして?
なんで私に、キス、なんか――……。
「憂ちゃんが好きだから、とか言ったら、怒る?」
255: 名前:浅葱☆01/17(月) 20:43:55
淡々とした口調でそう言った津田先生の言葉に、私と津田は二人同時に目を見開いた。
「な、なに、言って」
一番にその言葉が出てきた。
――津田先生が、私を、好き?
ちょっと、待って、思考が、追い付かない。
え、もしかして夢?
じゃあ何処から何処までが?
「夢とかじゃないからね憂ちゃん」
私の頭の中を読んだかのようにそう告げた津田先生。
夢、じゃない。
じゃあ嘘だ。
「嘘でもないよ」
またしても私の頭の中を読まれた。
なんだこの人。
ていうかやっぱり兄弟だなぁ……って、そんなこと考えてる場合じゃない。
さっきからずっとだんまりの津田を横目で見た。
津田は真顔だった。
笑うわけでもない、からかうわけでもない、怒るわけでもない。
何を考えているのか、その表情からは読み取れなかった。
「っていうか、私たち生徒と教師ですよ!? 常識的に考えて……「だから何?」
だ、だから何って、開き直られても……。
「と、とととにかく。私は先生のことそういう風には見れませんから。私は津田が」
言葉が、中途半端に途切れる。
目の前に津田の顔があって、そこで漸く今の状況を理解した。
私が、津田にキスされているということに。
「……渡さねぇよ?」
不敵に笑う津田。
私を引き寄せてそう言った津田にドキと胸が高鳴った。
「憂は俺のもんだから。あんたなんかには渡さねぇよ」
さっきから胸がドキドキして仕方がない。
前にも校内放送で言われたけど、あの時とは違う。
「ふぅん」と、余裕な笑みを浮かべている津田先生を背に、私たちは屋上を後にした。
最終更新:2011年07月12日 23:03