leave 続き11

289: 名前:浅葱☆02/19(土) 22:51:10

「送る」
そう言った津田の顔は何処か晴れ晴れとしていたけど、複雑そうな顔でもあった。


家にもうお兄さんは居ない。
何処かへ行ってしまった。


「なんか、いろいろ巻き込んで悪かった、な」
「どうして津田が謝るの」


繋いだ手から、お互いの緊張が伝わる。
現状は打開できたものの、私たちの中には何とも言えないモヤモヤだけが残っていた。
これは、津田先生に対する罪悪感、だろうか。


「これで、良かったんだよね?」
「当たり前」


ギュッと手に力が入ったと思ったら、腕を引っ張られた。
ぽすっと、津田の腕の中に包まれる。
私が津田先生を気にしていると思ってそうしてくれているのだろう。
津田の優しさが、嬉しかった。






「どうしたら、諦めてくれますか」


二度目のその言葉を聞いた津田先生は、ふっと目を細めて微笑った。


「カッコイイね、憂ちゃん」


……カッコイイ?
私が?
一体、今の私の何処を見てそう思ったのだろう。
言おうと思ったことを忘れてしまうほど私は驚いていた。


「勇ましい、の方がしっくりくるかな。はっきりしてて、分かり易くて、本当、惚れ直しちゃうよ」
「え……」


先生が俯きながら額に手を置いている所為で、顔が上手く見えない。
どうリアクションしていいのか分からなかった。


「憂ちゃんは、さ。擦り寄ってくるような女たちとは違ってて、初対面の知らない奴でもちゃんと接してくれたよね」


ちゃんと、ってどういうことだろう。
私どういう接し方してたっけ。
この人には初対面で襲われた記憶しかない。


立ち上がり、私に近寄ってくる。
私の直ぐ目の前に立ち、伸びきった私の髪に触れた。
目を細め、私を見下す。
テンパってんのもあんま可愛くてさ、と先生は付け足した。


“可愛い”
言われ慣れない言葉に、頬を赤らめ、照れた。
そんな私を見て先生は再び微笑んだ。


「好きだよ、憂ちゃん」


至近距離での、告白。
先生の津田に良く似た顔でそんなことを言われると、やっぱりちょっと心が揺れる。
でもこの人は“津田直昭さん”で、“津田千昭”じゃない。
私の好きな津田じゃない。
似てるけど違う。
私は、たった一人、あの人が好きだから。
たった一人、あの人の愛だけが欲しいから。






290: 名前:浅葱☆02/19(土) 23:14:30

後ろで津田が僅かに反応したのが分かった。
だけど仲介には入らない。
津田先生が巫山戯てなどないと気付いたのだろう。
そして、私に何もする気が無いと悟ったのだろう。


「本当に好きだから。からかってるわけでもなくて、冗談なんかでもない。信じて、欲しい」


真剣な瞳――。
目が逸らせなくて、心臓が大きく脈打ってる。


「わ、私……は」


どうしよう、言葉が出てこない。
即答しなくちゃ、御免なさいって。
さっきの決意が消えて行きそうだ。


どうしたら傷付けずに言えるの?
必死で頭で考えても、全く頭に浮かばない。


やっとのことで先生から目を逸らし、床に視線を向けた。


「……御免なさい」


掠れ気味の声。
語尾が小さすぎて先生に聞こえたかどうかさえ分からなかった。


多分、“傷付けずに”なんて無理だ。
どうしたって傷付けてしまう。
だったらせめて、私の正直な言葉で。


「貴方の気持ちには応えられません」


ペコ、と頭を下げる。
すると数秒後、「分かった」と言う小さな声が頭上から聞こえた。


下げた頭を上げると、そこには津田が私に良く見せる優しい顔を浮かべていた。
思わず、言葉に詰まる。


「そんな顔しないでよ。もう困らせたりしないから」


私の頭に手を置き、ぽんぽんと軽く叩く。
辛いのは津田先生の筈なのに心が痛い。
涙が、出そうになる。


私のすぐ横を通り過ぎ、津田に何も言わず、先生はリビングを出て行った。
そして数秒後、玄関の扉が開き、閉じた音が聞こえた。


「憂」


津田の声に答えられない。
振り向けない。
だって、凄く胸が苦しくて、痛い。
こんな気持ち、前にもあった。


蓮君や津田や文弥君や朋榎を傷付けた、あの時。
痛かった、辛かった。
どうしようもなく泣きたくなって、罪悪感に苛まれて。
誰を傷付けてでも自分の意見を押し通したくて。
もうあんな思いしたくなかった。
だけど。


「どうやったって傷付けちまうもんなんだよ。憂の所為じゃない」
「そう、だけど」


そんな簡単に割り切れない。


「あいつはそんなに柔じゃねぇって。なんせ俺の兄貴だからな」


先程の津田先生と同じ、優しい笑顔を浮かべ、私の頭をぽんぽんと叩き、私を慰める。


――これで、良かったんだよね?


帰り道、そう言った私に津田は「当たり前」とだけ言って、私を抱き締めた。




293: 名前:浅葱☆02/21(月) 21:59:10

「あんたが、三島憂?」


少しハスキーな声に名を呼ばれ、朝、教室へ向かおうとしていた私の歩みはピタリと止まった。
聞き慣れないその声にゆっくりと振り向く。
そこに立っていたのは、背の高い女の子だった。
髪はミディアムで、黒髪ストレート。
私を見下ろすそのつり目は、何とも威圧的で、思わず戦いてしまいそうだ。
こんな子が、私に何の用なのだろう。


「何方、ですか」


取り敢えずその雰囲気、オーラに呑まれぬよう、出来るだけ低い声を意識して応戦。


「いやいや、聞いてるのこっちなんスけど。あんたが三島憂?」


――なに、この人。
心の底から湧き上がる、上手く言葉で説明できない感情。
なんて言うか、……子供だ、この人は。


「人に名前を聞くときはまず自分から名乗れって、教わりませんでした?」


私は小さいころからそう教わったんですけど、と続ける。
思いの外、目の前の女には効果抜群だったよう。
してやったり。


「……織。青池織」


青池、織?
知らない名前……。


「先月、転校してきた。あんたが知らなくて当然」


わ、この人にも考えてること読まれた。
なんでだろ、顔に書いてあるのかな――と、顔に手を当て、確認。
うん。何にもついてないし書いてない筈。


「で、あんたが三島憂?」


三回目の質問。
流石に答えないと怒られそう。ってかなんか体育館裏に連れてかれそう。


「……そうですが」


怪訝そうな表情を浮かべ、青池さんを見上げた。
私に何の用なのだろう。
私に何を言いたいのだろう。
通り過ぎて行く生徒たちが私と同様、怪訝そうな目で私たちを見る。
確かに、朝の廊下で二人して突っ立ってればどう見ても変だろう。


「話があるんだけど」


一直線に私を見て、周りの目など気にしない。
あ、凄い、なんか格好良い。


「あの、此処じゃなんだから、何処か行きません?」


取り敢えずそう提案。
青池さんは私の言葉を素直に受け入れた。
さっきから出てくる不良みたいな言葉遣いとは裏腹に、なかなか素直な人だ、と思った。






294: 名前:浅葱☆02/21(月) 22:29:09

そして着いたのが、此処、屋上。
雪が解け、春になったからとはいえ、朝の屋上は未だ肌寒い。
腕組みをするように身体を抱き締め、出来るだけ熱を逃がさぬように試みる。
青池さんはというと平気そうな顔を浮かべて空を眺めていた。


「……で、話って?」


青池さんには申し訳ないが、私はこの寒さに耐えられそうにも無い。
早々に話を切り出し、屋上を出て行くことを決めた。


私がそう言うと青池さんは少しだけ俯き、そして振り返った。
その表情はやはり真剣そのもので、最初に私を呼び止めたときと全く同じ表情だった。


そして言った。


「津田千昭のことだよ」と。




何故、突然津田の名前が出たのだろう。


あれ、そう言えばさっき、青池さん「転校してきた」って言ってたよね?
え、じゃあ津田が言ってた“ウザイ転校生”って、――この人?


「津田、に纏わりついてるって、聞きました。貴女のことですか」
「そうだけど、何だ、あたしのことは知ってるんだ」


少し、小馬鹿にしたような笑い。
あ、また感じた。
なんかもやもやするような、ドロドロするような、良く分かんない感情。


「あたし、アイツに一目惚れしたんだけど」


きっぱりした声でそう言った目の前の女。
思わず目が点になった。
だって、それを私に告げてどうするの?
別れろ、とでも言う気?


「だから、何?」
「だから、一応言っておこうと思って」


いぶかしむ目で見る私に怯むことなく、まるでそれが当然であるかの如くそう言った。
言っておこうって……それだけ?


「言っとかないと後々面倒そうじゃん? じゃあ先に宣戦布告しとこっかなーって」


楽しそうにそう言った青池さん。
黒い感情が心の中で渦巻く。
あぁ私、今凄く苛々してる。






295: 名前:浅葱☆02/21(月) 23:04:34

突然私の中である言葉が閃いた。
そうだ、これだ。
私がさっきから感じてる何とも言えない言い表せない感情。
やっと分かった。


――“不愉快”だ。


この人は子供だ。
そして凄く失礼だ。
人の気持ちなど考えない、自己中心的考え。
自分だけが良ければそれでいいのだ。
こっちのことなど考えず、津田を振りまわし、追いかけまわし、挙句の果てには私のところまでやってきて、「宣戦布告」?
馬鹿にしないで。


私の頭の中で、何かが、プチ、と切れた。


「それにしても千昭がさー、いつも「巫山戯ないで」


割と声を張って言ったつもりだったのだが、聞こえなかったようだ。
青池さんは「は?」と聞き返して来た。
怒り、で声が震える。
だけどそんな声でもう一度言った。
「巫山戯ないで」と。


「津田の気持ち、考えたことあるの? 貴女が振りまわして津田がどれだけ迷惑してるか、私が今どんな気持ちでいるか、考えたこと、ある?」


青池さんが何かを言おうと口を開きかけたが、私の言葉で遮った。
声が自然に早口になって行く。
止まらない。


「“千昭”なんて名前で呼ばないで。貴女は津田の一体何なの? 彼女は私よ、貴女じゃない。履き違えないで!」


更に続ける。
追い打ちを掛けるように。
だって、私はこの人に知って貰いたい。
知って貰わなければならない。
私と津田の間に貴方が入る隙間などないのだと。
貴女が何と言おうと、私はもう津田を離したりしないと。


「一目惚れしたから、何? 宣戦布告してどうするの? そんなの貴女の自由よ、だけど人を巻き込むのと、内に秘めてるのとは訳が違う。貴女のやり方は、人を不愉快にさせる」


そして一言。


「これ以上、私たちに関わらないで」






296: 名前:浅葱☆02/22(火) 21:38:56

屋上に続く階段を下る。


先程まで苛々して、激情していた心が、今は不思議と落ち着いていた。
溜めこんでいた感情をすべて吐き出したからだろうか。


――あの人に。


だけど、多分、あの人は諦めない。
きっともっと、私たちに関わってくるだろう。
あの子の目は、そういう目だった。


憂鬱になる。


津田先生のことが一段落して、やっと落ち着いたと思ったのに。
落ち着いた矢先にこれだ。
もう、本当に勘弁してほしい。


「憂」


名前を呼ばれ、自分が俯いていたことに気付く。
顔を上げて私の名を呼んだ声の主を探す。
きょろきょろと見渡す前に、その人を見つけた。
津田が直ぐ目の前に居たからだ。


「お早う津田」
「おはよ。どうしたの、なんかテンション低くね?」


突然核心を突かれ、一瞬だけ戸惑う。
笑顔を作り、言葉を返した。


「そんなことないよ」
「屋上、行ってたの?」
「あ、うん」
「朝から?」


ドキ。
なんでこの人はこういうとこだけ鋭いんだろう。


「ちょっとねっ、空、見たくて」


そう言って、津田の腕を引っ張り、教室まで歩く。
私の教室の前で別れ、昼にまた会おうと約束した。


青池さんと会ったことは、津田には言わなかった。






297: 名前:浅葱☆02/22(火) 22:25:39

「青池織?」


あー、知ってるよー。と朋榎が気の抜けた声を出す。
1限目が始まる前の、教室でのお喋り。
先生が未だ来ない教室は、生徒たちの雑談でざわついている。
それにしても知らなかった私は遅れているのだろうか。


「背高くて、こーんなつり目の子でしょ? 千昭君に惚れこんでるって噂の」


両目の端を斜め上へとつり上げる朋榎。
噂になるほど広まっているのか。
頬杖を付き、窓の外を見ながら同情するような声で朋榎は言った。


「家庭の問題で転校してきたらしいよ。噂では親が離婚して、引き取った母親に捨てられたとか」


リコン、ステラレタ。
感情の籠っていない声だった。
その言葉が私たちにはあまりに関わりのない言葉だからだろう。
親に捨てられる悲しみが、私には分からない。
そして朋榎にも。


「似たような境遇だったからじゃないかな、千昭君と。だからあんなに懐いちゃってるんだと思う」


――……え?
“似たような境遇”?
津田と、青池さんが?


「似たような境遇って、どういうこと? 津田のご両親は、確か、放任主義で海外に居るって」


私の言葉に、朋榎が驚いた顔を見せた。


「え、知らないの? 憂」


引き攣った笑みを浮かべて、問い返す。


「千昭君の両親、亡くなってるじゃん」


クラスメートたちのざわついた声が、聞こえない。
世界の全てが無になったような感覚。
朋榎の告げた言葉だけが、何度も耳の奥、頭の中で反響して行く。


“亡くなってる”?


「え、ちょっと、待って。どういう、こと?」


冗談でしょう?
その言葉が喉に痞えて出て来ない。
じゃあ、あの時の津田の言葉は全部嘘?


そうだ、あの時。
私が津田に両親のことを聞いた時、津田は驚いた顔をした。
そして次にこう言った。
「知らね、どっかで2人で幸せに暮らしてんじゃねぇの?」――と。
その言葉は嘘で、そのあとの説明も全部嘘なの?


「え、嘘。憂ホントに知らなかったの?」


――彼女なのに。


ガタッ、と席を立ち、教室を飛び出した。
それと同時に教室に入ってきた先生。
あぁこの先生、規則に厳しくて、怒ると凄く怖くて、説教がとびきり長い先生だ。


「おい、どうした。待ちなさい、三島!」


先生を無視し、その忠告を背に、廊下をただ走った。




300: 名前:浅葱☆02/23(水) 22:55:04

昼休みに来る筈だった選択教室。
扉を閉めた途端、膝から崩れ落ちた。


津田のご両親が亡くなってた。
私はそれを知らなかった。
朋榎は知っていたのに。
中学校から一緒だったから?
そんな筈ない。
私が噂とかに疎かったから?


……彼女なのに?


青池さんとも今日初めて会って話した。
それまでは存在しか知らなくて、どんな人なのかさえ知らなかった。


彼女なのに?


私、本当は津田のこと、何にも知らない。


彼女なのに。
彼女なのに。
彼女なのに。


「私、最低だ」


私、あの人に偉そうに言えるほど津田の彼女として相応しくない。


蹲り、顔を伏せる。
次の瞬間、私の背にあった扉ががらりと開いた。


「憂! って、うわっ」
「え、きゃっ」


ドスンという音と共に津田が崩れ落ちた。
っていうかこけた。
扉のすぐ近くに居た私に躓き、私を下敷きにして。


「いったぁ……」
「いってぇ……」


揃った二人の声。
私は津田の下で押し倒された形になっていた。


「津田、ちょっと!」
「あ、わり」


謝るくせに退こうとはしない。
それどころか両手首を掴まれ、身動きの取れない状態に。
予期していなかった状況に若干パニックに陥る。


「佐伯からメール来た。憂が突然出てったって。親のこと、聞いたんだろ」


どき。


「そ、そうだよ。もう、良いから退いてよっ」
「やだっての。お前どうせ逃げるだろ」


視線を逸らす。
どういう顔をしていいのか分からなかった。






301: 名前:浅葱☆02/23(水) 23:40:56

「嘘吐いて、悪かった」


私は答えなかった。
視線を逸らしたまま、津田の方を見ない。


「何れ、言うつもりだった。同情されたくないってのもあったけど……あの時は憂、いろいろ大変だったろ。だから憂が落ち着いたときにって「なんで?」


涙が頬を伝った。
言い訳とか、そういうの。
聞きたくなかった。
悔しかった、ただそれだけ。
何にも知らない自分が。
転校生の青池さんが知ってて、朋榎も知ってて、彼女なのに、私は知らなかった。
悔しかった。
ただ、それだけ。


「なんで信じてくれないの……?」


滲む視界の先で、津田の瞳を捉えた。
消え入りそうな声で言う。


「なんで嘘吐いたりするの?」


頬を伝う涙を手の甲で擦ると、津田の顔が徐々に迫ってきて、溢れる涙にキスを落とされた。
直ぐ近くに津田の切なそうな顔。
そして一言「ごめん」と言うと、二人の唇が繋がった。


優しいキスだった。
まるで猫みたいに、傷付いた箇所を舐めて癒そうとするかのように。
目を閉じて、キスだけに集中する。
ただ唇を重ねるだけの軽いキスなのに、凄く気持ちが良かった。




長いキスを終え、私は津田に青池さんのことを話した。
津田は悔しがってた。
私と青池さんを会わせたくなかったんだとか。
関わらせたくなかったんだとか。


「ごめんな、ホント、いろいろ。憂をあんまり面倒なことに巻き込みたくないんだよ」


顔を伏せ、呟くような声でそう言った。
――津田は、私のことを考えて嘘吐いたんだよね。
信じてくれてないわけじゃないんだよね。
私、なんで津田のこと責めちゃったんだろう。
津田はこんなに私にことを考えて、悩んで、私が一番安全で、最善の道を示そうとしてくれていたのに。
後悔の念が波のように徐々に押し寄せる。


「津田、ごめ……んっ」


再び謝ろうとしたところ、不意打ちのキス。
唇に手を触れ、津田を見る。
津田が私のおでこにこつんとおでこを合わせ、言う。


「もう、いいから。謝んなくていいから」


そう言って、私を抱き締めた。
津田の温もりが温かくて、泣きそうになった。




304: 名前:浅葱☆02/25(金) 22:50:21

それから更に季節は移り変わっていった。
青池さんはと言うと、あれから特に何もなく。
津田にうざ絡みすることも無ければ私に話しかけてくることも無かった。
やっぱりあの去り際の一言が効いたのだろうか――と思ったが、きっと違う。
偶にすれ違う廊下で彼女は見る。
私を、食い入るような獣の目で。


そして、夏。


「あーつーい」


朋榎が叫ぶ。
暑さも大分収まってきた夕方、野球部やサッカー部、陸上部など様々な部活がグラウンドへと駆ける。
団扇をパタパタさせてみるものの、来るのは熱気のみ。
全開に開けた窓から風は入って来ない。


「もう、暑いとか言わないで。余計暑くなる」


そんな会話をもう何度しただろう。


「てゆーか、なんであたしたち残ってるんだっけぇ?」


暑さで頭がやられてるな。
……それは私も同じか。
今一瞬だけなんで居残ってるのか忘れてたから。


「朋榎の彼氏さん、部活終わるの待ってるんでしょ? 朋榎が一人で待ってるの厭だって言うから」


なんで当の本人が忘れてるかな。
朋榎は「そうだったそうだった」と笑う。
全く。


「あれ、でも千昭君は?」
「……委員会」


さっきも言った、と付け足す。
すると朋榎はそうだっけ? と言って再び笑った。
それにしても津田って何の委員会だっけ? と、ふと思う。
考えることに没頭し、団扇を仰ぐ手が止まる。
思い出したかのように暑さが蘇ってきた。


ふう、と溜息を吐く。


「あ、譲くんだ」


私がそう口にすると、朋榎はそりゃあもう物凄い速さで廊下を振り返った。
それと同時に扉が開く。


「譲、どうしたの? 早くない?」


朋榎が駆け寄りながらそう言う。


「部活、早めに終わった。顧問がさ、急用で帰んなきゃいけなくなったらしくて自主練になったから抜けて来た」


譲君の説明を聞いた朋榎は嬉しそうな顔をして、そして帰り支度を始めた。
ふと気付き、手を止める。


「あ、憂」


帰りたいけど、私がいるから。
今まで一緒に待たせてたのに、私だけ先に帰るのは。
そんな顔。
気遣っているのが良く分かった。


「大丈夫だよ、津田のこと待ってるのなんて慣れてるし。折角部活が早く終わったんだから私に気 遣ったりしないでよ」


私の声を聞き、ホッとしたのか朋榎は笑顔で――だけど少しだけ申し訳なさそうに、私を残し教室を後にした。
ああは言ったけどこうやって一人取り残されるとやっぱり寂しい、なぁ。


再び溜息を吐き、開け放たれた窓の外を眺める。
まっさらな空の青が眩しかった。






305: 名前:浅葱☆02/25(金) 23:19:28

……ん?
なんか、風を感じる。
一定間隔での、風。


薄らと目を開け焦点を合わせる。
誰かが――そこに居る。


「お、起きた」


その言葉を聞き、勢い良く顔を上げた。
私、寝てた?


声の方を向くと、津田が団扇を持ち、机に腰を掛けて、此方に笑顔を向けていた。
何時からそこに居たのだ。


「津田、え、いつから……」
「あー、ちょっと前から」


頭を掻き、少しだけ苦笑い。
時計を確認すると朋榎が帰った30分後の時刻を指していた。


「津田、此処に来たの何時?」
「えー、4時40分、かな」


朋榎と別れたのが確か4時30分くらいで、今の時刻が5時過ぎ。
……ちょっとどころではない。


「起こしてくれてよかったのに!」
「やー、気持ち良さそうに寝てたし? っていうかお前、良くこの暑さで寝られるな」


暢気にそう言う津田をシカトし、急いで鞄に物を詰め、持ち上げる。


「もう、ほら、帰ろ」






306: 名前:浅葱☆02/27(日) 18:45:36

そして帰り道。
私のタイムロスを後悔しながらも、今日あった出来事を津田に語る――が、やはり後悔の気持ちは拭いきれず、先程からその話題ばかりを口にする。


「あー、もう馬鹿。私の馬鹿」
「もう良いだろ過ぎたことは」


こういうとき、津田ってやけにあっさりしてる。
ただでさえ最近の津田は委員会、委員会と何かと遅くて一緒に居られる時間が減ってきているというのに。


「良いじゃん、俺たちはこれからもずっと一緒――なんだろ?」


津田の言葉と笑顔に強引に頷かされる。
本当は未だ心残りがあるけど。


すると反対の歩道に見覚えのあるカップル。


「文弥君と優奈ちゃんだ」
「え、何処」


ほらあそこ、と私が指を指す。
津田もどうやら気付いたらしい、が、文弥君と優奈ちゃんは話に没頭しているらしくこちらには気付かない。


そう言えば、最近全然話してないなぁ。
――久し振りに話したいかも。


そう思い、車道に一歩足を踏み入れた。




――その瞬間。
津田の、焦ったような、怒ったような声。
それと同時に私の耳に届いた、車の高いブレーキ音。


「憂!!」


再び、津田の叫び声が聞こえた。
制服を強引に引っ張られ、後ろに倒れ込む。
受け身を取らなかったため尻もちをついた。
車のブレーキ音はまだしている。
そして大きな、爆発音のようなもの。


――あれ、こんなこと、前にも無かった?


突然起きた出来事に頭が機能せず、放心状態のまま歩道に座っていた。


何があったの?
あれ、そう言えば津田は?
さっきまで私の隣に居て、……隣に居たのに。


「チアキ!」
「千昭!」


重なる――聞き慣れた声たち。
そうだ、優奈ちゃんと文弥君の声。
なんで今津田の名前を呼んだのだろう。
――津田は、何処に居るのだろう。




308: 名前:浅葱☆02/27(日) 19:26:06

辺りを見回す。
道路に人だかり。
何かを囲んでいるかのように。
皆、焦ったように辺りを見渡し、叫んでいる。
その言葉たちが断片的に私の耳に届いた。


「救急車」
「誰か」
「息はあるぞ」
「千昭」
「チアキ」


千昭……?
どうして津田の名前を呼ぶの?
津田は何処に居るの?


……状況が、理解できない。


一先ず立ち上がり、その人混みへと私も駆け寄った。
人が多くて人だかりの中心に何があるのか見えない。
だけど隙間から確認出来たもの。
真っ赤、な、……血。
そこに横たわり、蹲っている、






……津田。




「いやぁ――――っっ!!」


絶叫。
私の声に肩をビクつかせ、驚いた人々の隙間から割って中へ潜って行く。


厭だ。
嘘だ。


そう確信して疑わなかった。




310: 名前:浅葱☆02/27(日) 20:01:59

人の波を抜け、津田へ駆け寄る。
覗き込んだ津田の顔は真っ青だった。


「津田、津田、厭、津田、津田ぁ――っ!」


目から止めどなく涙が溢れる。
そう言えば、私は何時から泣いていたのだろうと疑問に思う。
……そんなこと、どうでも良かった。


「津田、津田っ、津田……っ」


泣きじゃくり、津田の肩を揺らす。
津田はビクともしなかった。

……これじゃあ、蓮君のときと同じ。
私は何にも変わっていない。変わっていなかった。
どうしよう、津田が、死んじゃったら。
蓮君と同じ目に、遭わせてしまったら。
私の、私の所為で。
私の所為で津田が。


「憂ちゃん!!」


文弥君の声でハッと我に返る。


「ふ、みや、くん……」
「落ち着け、あんたがそんなんでどうすんだ。大丈夫だ。こいつは死んだりなんかしない。
あんたのことなんか置いてったりしねぇよ」


ピーポーピーポー


救急車のサイレン音。
皆がホッとした表情を浮かべ、音のする方を一斉に見る。
私だけは津田を眺めていた。


回転灯の鮮やかな赤色が私の瞳に映る。
津田の血、と同化した色だった。


救急隊員が救急車から下りてきて、津田を取り囲む。
隊員の着ている白い服が酷く違和感を感じた。
担架に津田を乗せ、急いで救急車へ運ぶ。


文弥君が私の名を呼び、私の腕を引っ張った。
「憂ちゃんも来い」と。


言われるがまま、されるがまま、救急車に乗せられる。


こいつは死んだりなんかしない。


先程聞いた文弥君の言葉が何度も頭の中で反響していた。






311: 名前:浅葱☆02/28(月) 22:03:17

手術中のランプが点灯している。
廊下でランプの灯りが消えるのを待つ者たちは、何も言葉を挟まなかった。
私、文弥君、優奈ちゃん、津田のお兄さん。
静寂の中、私はただ恐怖を感じていた。
腕の肉に爪が食い込むほど強くそれを握り、震えそうになる身体を必死で抑えつけた。


私の所為だ。
私が。
あの時。
車道なんかに飛び出さなければ。
どうして周りを確認しなかったの。
交通事故で一度蓮君を失ったくせに、懲りずに同じことを繰り返してしまった。
どうして、私は。


何度も悔いるがそんなこと、今更何の意味も無かった。
結果として私は津田を傷付けた。
学習もせず、また。
――私は、どうして此処に居るんだろう。
津田の「彼女」として此処に居るの、おかしい。
津田をこんな風に事故に遭わせて、平然と「彼女」面。
青池さんの方が、よっぽど相応しい。


泣くことすら私には許されない。


静かに椅子から立ち上がり、長々と続く廊下を当ても無く彷徨うように歩き始めた。


「憂ちゃん」


文弥君の声が聞こえた気がしたけど、振り向く気になれなかった。




タグ:

vhz8vs
+ タグ編集
  • タグ:
  • vhz8vs
最終更新:2011年07月13日 05:56
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。