467: 名前:浅葱☆04/28(木) 22:38:09
Desire
記憶の中で憶えていることはあまりない。
ぼんやりとした風景の中、父と母はいつも口喧嘩をしていて、母は終いにはいつも涙で頬を濡らしていた。あたしはたった一人のお姉ちゃんと母を同情の眼差しで見ることしか出来ず、肩を寄せ合って朝を迎えることが多かった。
気付けば父はあたしの日常から姿を消していて、“離婚”をしたのだと母から聞かされた。小学生だったあたしは未だその言葉を理解出来ず首を縦に振るだけだった。
父が居なくなった母はまるで父から大切なものを吸い取られたかのように豹変していった。あたしたちに怒ることも増えたし、言うことを聞かず泣き止まないときには平気で手を出すこともあった。
いつしかそんなことが当たり前になったとき、あたしたち姉妹は家を飛び出した。後の噂であたしは母に“捨てられた”と言われていたが本当は“逃げた”の方が正しかった。
お姉ちゃんは高校生、あたしは中学生になっていた。
元の家より近くも遠くもない田舎町に住みつき、バイトをしながらお金を貯めた。そのお金が大分溜まって来たとき、母にあたしたちの所在が見付かりそうになり、住み慣れて来た田舎町をそそくさと後にした。あたしは高校二年生への進級を目前に控えていたときだった。
“木を隠すなら森の中”。その言葉に基づき、田舎町より遠く、人の多い場所へと拠点を移した。
新しい街は思っていたより良い場所だった。人は多く、空気は田舎町の方が断然良かったが、直ぐ近くにコンビニもあったし、高いビルも沢山あった。デパートに入れば煌びやかなお店が立ち並び、あたしたちは胸を躍らせた。
此処で生きて行く。そう決意した。
編入した学校先で、私は久し振りに“恋”というものをした。
“彼”のルックスは完璧だった。息が止まりそうになる顔立ちにあたしは一目惚れをした。彼のことを知って行くうち、無意識にあたしは彼にどんどんと惹かれて行った。否、惹かれない方がおかしいとさえ思った。
顔だけじゃなく性格も申し分なく、何より彼の“過去”があたしを一層惹き付けた。両親が共に亡くなっている。あたしの痛みを唯一共感、共有してくれる人かもしれない。
そんな淡い期待を抱きながらあたしは彼に近付いた。迷惑がられても諦めなかった。諦めたくなかった。
――彼には彼女が居た。
とびきり美人ってわけでもないし、抜群に可愛いってわけでもない。千昭の彼女に相応しいとも思えない。それなのに“彼女”だから当然のように千昭の隣に居て、周りにもそれが“当たり前”になっていた。「なんで?」って、出来たばかりの友達に訊いたことがある。
「妬みとか、虐めとか、あるんじゃないの?」と、「どうして皆それを当たり前のように許してるの?」と。
あたしの問いに友人は苦笑いして答えた。
「千昭君が格好良いからだよ」
嫌がらせを受けていた彼女を必死で守るその姿。皆それを見て千昭が本当に彼女のことが好きで、愛してるんだって気付いた。“あの二人の間に第三者が入る隙間なんてない”と諦めたのだと言う。
そんなのおかしいと思った。皆、千昭に選んで貰えないと思っているから、到底叶わないと決めつけているから、諦めた方がいいと早々に逃げたのだ。未だ分からないじゃないか。
“本当に好きなら”、“あたしなら”、理由を付けて諦めたりなんかしない。真っ向から勝負して、絶対千昭に好きになって貰うんだ――……。
そう意気込んだのに、彼女に宣戦布告した途端、思いっきりキレられ、言いたい放題言われてしまった。正直、そこまで威勢の良い奴だとは思っていなかったため、物凄く驚いた。
でも、何を言われても諦めるつもりは微塵もなかった。地道であろうと千昭にアタックして、迷惑に思われない程度に傍に居て。彼女と喧嘩の一つでもしてくれれば、きっとあたしの処に来てくれる。あたしを好きになってくれる。信じて疑わなかった。
でも過ぎて行く毎日の中で、事件は起きた。
468: 名前:浅葱☆04/28(木) 23:12:25
「事故……!?」
「そう。彼女を庇ったんだって。今怪我して入院中。ほら、津田先生と立岡君と彼女さん、学校休んでるでしょ?」
“事故”“怪我”“入院”。あたしたちの日常に余り関わりのない言葉たちが並ぶ。驚愕が憤慨へと変わった。
次の日の放課後。教室に一人で居た彼女を屋上に呼んだ。
酷くやつれた顔をしていた。そんな顔を見て余り酷な言葉は使わないようにしよう、と決めていたのだが――話して行くうちに込み上げてくる怒り。堪え切れなかった。
思いつく限り発した罵声の言葉を彼女はただ無言で受け止めていた。一言だけ告げた「御免ね」の言葉。彼女が大人に見えて、自分が凄く子供に思えた。それでも言わなければ。言わなければあたしはきっと後悔する。だから言った。
「あんたなんか彼女じゃない」と。
その翌日、千昭の怪我はそう大したものじゃないのだと聞かされ、明日にはもう学校に出てくるのだと聞いた。そして衝撃的な言葉があたしの耳に届いた。
「千昭君、記憶喪失らしいよ」
なんてことない、女子の噂話だった。でもあたしは知ってる。女子の噂話の速さを。正確さを。
“記憶喪失”――チャンス、だと思った。
次の日、学校に来た千昭は至る所に包帯を巻いていたけれど、顔色は良さそうだった。記憶喪失は本当だった。千昭は日常で使う物の使い方などははっきり憶えていたが、人の顔は全て忘れていた。勿論あたしのことも。
つまり、“彼女のことも忘れている”ということ。
用意周到に千昭に近付いた。千昭はまるで別人のように性格が明るくて誰にでも笑うようになった。記憶を失くした千昭を見た女子たちがそれをいいことに千昭に群がるようになった。だけどあたしの瞳に映る千昭の顔は、いつも何処か寂しそうだった。
そして千昭が記憶を失くして約一週間が経過したとき、あたしは千昭に告白することに決めた。学校だったら周りに必ず誰かが居て告白なんて出来たもんじゃないから、土曜日に。
上はチェックシャツ、下はジーパンという何ともラフな格好だったにも関わらず、千昭はとても格好良く見えた。
「ずっと好きだった」その一言は割と直ぐに口から出た。千昭は一切表情を崩すことなく、あたしのそれに答えてくれた。「ごめん」と言う、ただその一言だけだった。
「好きな人が居る」と。
「その子を泣かせたくない」と。
余計なことなど言わなくていいのに。……“彼女”のことだって、直ぐに分かった。
もう一度「ごめん」と言って、あたしの前から消え去った。
不思議と涙は、溢れて来なかった。
あたしはきっと分かってたんだ。千昭に振られること。千昭が彼女を選ぶこと。千昭は記憶を失くしても何度だって彼女を好きになること。
「ばーか」
消えそうな声でそう言って、静かに目を閉じた。目から一筋の涙が零れ落ちる。
後悔? してるに決まってる。
だけど、今まで生きてきた中で一番満ち足りた気分だった。
Fin.
475: 名前:浅葱☆05/21(土) 20:06:19
The future
“離れる”のは距離だけなのかな?
「あーもーやだぁ!」
朋榎が机にべたーっと項垂れ、不満を口にする。
手に持つのは一枚の紙。
“進路希望調査書”
「やだとか言わないでよ。余計厭になってくる」
そんな朋榎を見て溜息を吐く私、三島憂。
見事三年生に進級した私たちは“進路”という人生の岐路を選択する時期を迎えた。
ついこの間までのほほんと過ごしていた――わけでもないが、進路など考えていなかったため、こうやって頭を悩ませているのだ。
「憂は良いじゃん。千昭君が居るんだから」
「なんでそこで千昭が出てくるのよ」と唇を尖らせ言う。
「だって就職しなくても永久就職が待ってるじゃない」
「永久就職って、ちょっと! 何言ってっ」
“永久就職”の言葉を一瞬で理解し、顔を赤らめた。
「あれ~? その反応は? まさかプロポーズなんてされちゃ「ってません!」
朋榎の言葉を先読みして否定する。
「つまんなーい」と間延びした声を出して、朋榎は再び紙に視線を落とした。
朋榎に倣い私も調査書に目を向ける。
……千昭はどうするつもりなのだろう?
479: 名前:浅葱☆05/22(日) 20:07:09
「内緒」
「は?」
昼休み、選択教室。
千昭のクラスにも渡ったであろう進路希望について訊いてみた。
“分からない”“決めてない”といった言葉が飛んでくるかと思いきや、“内緒”って。
馬鹿にしているのかこの人は。
「逆に憂は?」
自分のことなど棚に上げ、私に訊いてくる千昭。
「教えない」といじけてみせた。
本当は「分からない」が正しいのだけれど。
「何いじけてんの」
「別にっ」
「俺のこと、そんなに気になる?」
当たり前だ、と声を大にして言いたかった。
彼氏のことだから何でも知りたいに決まっている、のに、何故それを察してくれないのだ。
卒業したらきっと離れ離れ。
就職か進学か定かではないが遠距離恋愛になることは確実であろう。
今まで一緒に居たのに。
遠距離など――想像もつかない。
「怒んなって」
顔を近付けてくる千昭を全力で拒否した。
千昭の本意が分からないのにキスなど出来るわけがない。
「……何れ分かるよ」
さっきまでのからかう表情から真剣な表情へと一変した千昭。
「何れっていつ?」そんなこと訊けなかった。
目を細める千昭が酷く悲しそうだったから。
481: 名前:浅葱☆05/22(日) 20:35:33
「で、俺に来たってわけか」
「そうです」
放課後、千昭に“用があるから先に帰る”と告げ、津田先生を強制的に呼び出し今に至る。
千昭はまず来ないであろう街中の喫茶店。
向かい合って座る私たち。
「お兄さんなんだから千昭の進路のことぐらい分かりますよね?」
ていうか分かって当然ですよね? と、言葉に念を込める。
津田先生はやれやれといった表情で視線を逸らす。
「んなこと言ったって千昭とそんな話しないしなー」
困ったように頭を掻く。
津田先生でも分からないとは。
誰に訊けば分かるのだろうと考える――が、誰も思い浮かばず津田先生と同じ表情を浮かべた。
「アイツなりに考えてんじゃないの? 待っててやるのも彼女でしょ」
尤もな津田先生の言葉に何も言えなくなってしまう。
そう言われればそうとしか言えないのだが、知りたいのだ。
気になって仕方がないのだ。
千昭が、私の予想の範疇を超えて何処かに行ってしまいそうで。
消えてしまいそうで。
484: 名前:浅葱☆05/23(月) 19:52:26
「……大丈夫、ああ見えて千昭はあんたのこともこれからのこともちゃんと考えてると思うよ」
不安そうな私を見て津田先生が言った。
こく、と頷く。
“彼女だから”支えてあげたいと思うし、待ってあげたい。
だけど“大丈夫”って笑顔で、簡単に口に出来るほど、私は人間出来てない。
「それより、憂ちゃんはどうすんの? 進路決めてんの?」
津田先生の突然の質問に背筋がピンと伸びた。
知り合いとはいえ先生の前で「決めてない」など言えばお叱りの言葉でも飛んできそうだ。
「……えへ」
「“えへ”じゃない。どうせ決めてないんでしょ」
はー、と呆れた声を発してコーヒーを口に含む。
「憂ちゃん」といつもとは違う、先生口調の真面目な声で私を見据えた。
「俺もう先生じゃないから口挟みたくないけど、もう直ぐ夏だよ? 本格的に皆が進路を決める時期だ。“分からない”“決めてない”なんて通用しないんだよ?」
先生の言った現実的な言葉に私はただ頷くだけだった。
でも考えれば考えるほど分からなくなる一方で。
先行きの見えない私の未来が私を不安にさせる。
485: 名前:浅葱☆05/23(月) 20:22:48
「今まで、自分のこととか、千昭のこととかにいっぱいいっぱいで、将来なんて考えてなかったんです。……それを言い訳にしたいわけじゃないですけど」
“内緒”だと言った千昭はきっと将来を見据えて生きてる。
立ち止まりたくない、置いて行かれたくない。
焦る気持ちが私を更に追い詰める。
「無理に探すものじゃないと思うけどね」
先生から津田直昭さんに戻る。
はたと気づいて、少し間を置いてから先生に訊いてみた。
「先生はどうして教師を志そうと思ったんですか?」
「俺たちの両親亡くなってるって知ってるよね?」
私の質問に関係のないことを津田先生に訊かれ「はい」と答える。
実際のところ、詳しくは知らないのだけれど。
「その両親たちが教師だったって知ってる?」
「え」と声を出して驚く。
そんな私を見た津田先生が微かに笑った。
「千昭は小さいころからそんな両親を見て教師になりたいっていつも言っててね。目、キラキラさせながら」
コーヒーの取っ手を手に持ち、懐かしむように目を細める。
「でも千昭が小学生の時に両親が事故で死んで、千昭の夢は閉ざされた。教師になりたいと言わなくなった。……多分、“教師”っていうそれが事故の記憶を思い出させるんだろうなぁ」
489: 名前:浅葱☆05/26(木) 21:32:04
「……それじゃ、どうして津田先生は教師になったんですか」
「うーん、嫌がらせ?」
お茶目に言う津田先生に目を丸くした。
でもすぐにそれが嘘だと気付く。
津田先生はそんな理由で教師になったわけじゃない筈だ。
「真面目に答えて下さい」
津田先生を睨み付け言う。
私を見て津田先生は「はいはい」と雑に返事をした。
「俺はただ単に親と同じ道を歩んでみたかったの」
そういえば、とふと思う。
津田先生はいつも何処か壁を作っていたように感じる。
自分のことをこんな風に話すのは新鮮で、それだけ私を信頼してくれているのだろうか。
少し嬉しくなって津田先生に気付かれぬように笑みを零す。
「夢見てたのは千昭だけじゃない――親の背中を見て育ったのは俺もだ」
津田先生が目を伏せる。
「まぁ、俺が教師になったことで千昭のこと傷付けちゃったかもしんないけど」
口調は軽かったが申し訳ない気持ちが込められているように思えた。
先生なりに悩んで、考えて、選んだ道なのだろうか。
「でも、まぁ記憶失くしちゃったから忘れてんのかアイツ」と思い出したように笑う。
「アイツが今何になりたいのか、どんな道に進みたいのか、俺には分からないけど、アイツのやりたいことは全部応援してやるつもり」
そう言った津田先生は紛れもない“お兄さん”だった。
先生を見て、私も徐々に分かってきた気がする。
自分が“なりたい”もの。
それは未だ曖昧だけれど――。
490: 名前:浅葱☆05/27(金) 19:31:12
ピンポーン
呼び鈴が私以外誰も居ない家の中に響く。
扉をガチャと開くとそこには千昭の姿。
「どうかしたのか?」と不思議そうな顔で私に問う。
私が千昭を呼んだのだ。
「家に来て」と。
「ねぇ千昭、憶えてる? ここで私と一緒に居たいって言ってくれたよね」
玄関に二人で突っ立ったまま千昭の問いに答えることなく話し始める。
千昭は頭に疑問符を幾つも浮かべながらも「憶えてる」と答えてくれた。
だらりと下にぶら下げていた千昭の両手をグイッと掴み、いつかみたいに壁に押し付ける。
油断していた千昭をそうするのは割と簡単に出来た。
呆気にとられ目を丸くする千昭を下から見上げる。
「え、何? 憂ってば俺のこと襲うの?」と苦笑いを浮かべて言う千昭を無視し、意を決して私は口を開いた。
「私、千昭を支えたい」
突拍子もない私の言葉に驚いた様子の千昭は数度目をパチクリとさせた。
「……は?」
「頭おかしくなったとかじゃないよ。巫山戯てるわけでも、冗談言ってるわけでもない。至って普通、至って本気」
千昭の両手首を握る力を強くする。
「はっきり“こうしたい”って言えないんだけど、曖昧だけど、私、千昭を支えたいの。今までずっと千昭に助けられて、私何も返せてない」
いつだって千昭に甘えていた私。
強くなりたい、千昭の為に。
変わりたい、自分の為に。
「んなことねえよ」
千昭の言葉に反応する前に握っていた両手を払われ、代わりに強く抱きしめられた。
そのまま唇にキスを落とされる。
深いキスだった。
「ん、っぁ」
リップ音を立てながら離れる二つの唇。
千昭が私の頭に右手を乗せ、自分の胸へと引き寄せる。
「憂が傍に居るだけで良いの。俺はそれで十分」
「でも」と私が抗議しようとすると千昭も「でも」と言葉を被せて来た。
「憂はそれが嫌なんだろ?」
私が言おうとした言葉をそっくりそのまま言われてしまい、ただ黙って頷いた。
491: 名前:浅葱☆05/27(金) 19:59:53
「私、将来とか全然考えてなくて。どうしたらいいのかも分からなくて。でも千昭のこと考えたらそんな結論に……」
「“支えたい”ね」
改めて言われてしまうとなんだか恥ずかしい。
頭上から千昭の溜息が聞こえてくる。
やはり迷惑だろうか。
「め、迷惑?」
「は? んなわけないだろ」
千昭の言葉にホッとして目を閉じる。
「ほら、聞こえない?」と言って来た千昭に「え?」と訊き返す。
すると頭に当てた右手が力を強めた。
胸に押しつけられる。
どくん、どくん、どくん、どくん。
速い鼓動が聞こえてくる。
私の、じゃない。
千昭の……?
「好きな女に“支えたい”って言われて、すっごい嬉しいわけ。ドキドキしてるわけ。分かる?」
自棄気味になった千昭。
嘘、そんなこと言われて私だって嬉しくないわけがない。
千昭の鼓動と同じ速さで私の心臓が高鳴って行く。
「俺、教師になりたいんだよな」
「教……師」
「そ」
『千昭は小さいころから教師になりたいっていつも言ってて』
『目、キラキラさせながら』
『両親が事故で死んで』
『教師になりたいと言わなくなった』
津田先生の言葉が蘇る。
「だから、……え」
言葉で表せない気持ちが心を満たす。
記憶が無くても千昭は千昭。
――それは絶対変わらないんだ。
そう思ったらどうしようもなく嬉しくなって、泣きたくなって、誤魔化そうと千昭の背中に腕を回した。
それに吃驚した様子の千昭は私の異変に気付いたのか心配そうに訊いてくる。
「どうした? 大丈夫か?」
「ん、平気」
千昭の胸に顔を埋め、溢れそうになる涙を堪えた。
「私、応援する。絶対、千昭のこと支える。だから――んっ」
顎をくいっと上げられ、不意打ちのキス。
わざと出したようなリップ音と共に唇が一瞬だけ触れた。
「憂、結婚すっか」
494: 名前:浅葱☆05/28(土) 21:27:08
「…………は?」
さも今思いついたような千昭の言葉。
ちょっと待って。
“結婚”?
「千昭? 頭おかしくなった?」
「いーや。全然。本気。マジ。超いつも通り」
「何言ってるか分かってる?」
「ああ」
そう答える千昭の声は明るく、顔もやけにニヤニヤしてて、とても本気とは思えなかった。
明らかに冗談――或いは私をドッキリに陥れようとしてるとか。
……駄目だ、どう考えても否定的な言葉しか出てこない。
「支えたいって言っただろ。そうなれば結婚してー俺の妻になってー俺は憂に支えられながら生きられる」
それだけで十分だ、と語る千昭。
「私はもっと仕事というか経済的な面で千昭を支えたいと思っ……」
「いいの。俺は憂が傍に居ればそれだけで支えられてんの。それに専業主婦? になれば家計の面で俺を支えてくれるだろ?」
な、と顔を綻ばせる。
それじゃ今と何ら変わらないじゃないか、と言いたくても言えなかった。
私との“将来”を夢見る千昭は幸せに満ち溢れた顔をしていたから。
「ね、憂、結婚してよ。実言うと俺かなり前からバイトしててさ。進学できるように金溜めてんの」
「え、バイト?」
初耳だった。
いつも会いたいと言えば千昭は会いに来てくれた。
バイトをしているなど、私は全然気付かなかった。
「わ、私、もしかして千昭の迷惑になるようなこと」
「してねーよ」
キラキラキラキラ。
眩しい笑顔で否定される。
「憂のネガティブ思考も直してかないとな」
ネガティブ思考って……誰の所為だと思ってるんだ。
「進学して、余った金で指輪買って。な、結婚しよ?」
「だ、だから千昭」
「却下は無しな。俺もう決めたから」
……もはや私に選択の余地は無いらしい。
一瞬悩んでから、思いついたように顔を上げた。
「じゃあ……分かった」
「やっぱそういうと思っ」
「私もバイトする」
「は?」と千昭。
今の私の“分かった”は、結婚に対する承諾などではない。
自分自身の意思決定だ。
「私もバイトする。それなら文句ないでしょ?」
「文句ないって……いや、憂?」
「もう決めたから。却下は無しね」
さっきの会話がそっくりそのまま繰り広げられる。
千昭が「うん」としか言えぬように。
「んじゃ分かった。百歩譲ってバイトは許そう。でも結婚はする。そこは絶対譲らない」
出た、千昭の頑固。我が儘。
うーん、と頭を悩ませて数分後、渋々OKの返事を出した。
目一杯の笑顔を見せ、私に抱きついてくる千昭。
「本当な! 今更やっぱ無理とか言われても駄目だかんな!」
「っちょ、当たり前でしょ!」
結婚など簡単なことじゃないとはいえ、千昭の言葉は純粋に嬉しいわけで。
それを“嘘”とか“冗談”など言うわけがない。
「千昭が好きだから、結婚したいって、思ったから、言ったんじゃん……」
ぼそりと、千昭にさえ聞き取れないほどの小声で言う。
聞こえて欲しいけど、聞こえてないで欲しい。
矛盾した心。
感情って面倒臭い。
「……そっか。良かった」
やはり聞こえていた様子の千昭は、ただそれだけしか言わなかった。
それだけ言って、優しく私を抱き締めてくれた。
「――好きだよ、千昭」
「奇遇だな、俺もだ」
いつかと同じ、窓の外がオレンジ色に染まるころ、二人の影が再び重なった――。
495: 名前:浅葱☆05/28(土) 21:56:18
「――汝、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」
神父の声が、脳内を反響している。
つん、と隣にいる夫となる男に突かれ、ハッとする。
「あ、……はい」
ボーっとしていた自分を一喝。
今日は祝いの日。
しゃんとしてなくちゃ。
お腹の中の“この子”の為にも、立派な妻に、母親になるんだから。
「では、誓いの口付けを」
私に被さっていた邪魔くさいヴェールが外される。
クリアになった視界から千昭の顔が見えた。
数年経った今でも変わらない、嫌味かってくらいの端整な顔。
徐々に近付いてくる千昭の顔を目を瞑って待ち構える。
未だ終わらない。終わらせない。
ここが新たなスタート地点だ。
私と、千昭と、この子との。
Fin.
496: 名前:浅葱☆05/28(土) 22:18:11
えーと、取り敢えず“
leave”は本編及び番外編、全て完結致しました。
本当の本当に、読者の皆様がいたからこそ完結出来たのだと思っております。
この作品を今、読んでくれている貴方。
有難う御座います。
嬉しいけれど泣いてしまうようなコメントを下さった読者様。
本当に有難う御座います。
感謝してもしきれません。
終わったら言いたいことは沢山あったはずなのに、不思議と言葉が出てきません(笑)
致命的ですね(笑)
あ、因みに、ですが“leave”を小説保管庫へ保管して頂くことに決めました。
本当は恥ずかしすぎて恐れ多いのですが(笑)
やっぱり消されたくないという思いが強いので……。
もしまた読みたくなった、という方がいらっしゃれば保管庫を覗いてみて下さいな←
そしてですね、今私が同時進行で執筆中の小説は
恋愛小説板の「安い言葉。」と
カラダ小説板の「片翼の姫」です。
“leave”が完結を迎えたのでそろそろ新しい小説に取り掛かろうかと考えております。
皆様にまたお会いできる日を楽しみにしながら。
――浅葱。
最終更新:2011年07月15日 15:43