episode14
《直人目線》
はー……なんだって図書委員になんてなっちゃったんだろう。
それもこれも、拓也が調子に乗って推薦とかするからだよ。
今日の委員決めで無理矢理図書委員に選抜されたオレ。
隣で可笑しそうに笑う拓也に仕返しがしたくて、すぐにオレも手を挙げて拓也を体育委員に推薦する。
その後二人で言い合いしながら散々なるのを嫌がったけれど、案の定あっさりとお互い当選した。
拓也は運動が得意だからぴったりだけど、オレは愁ちゃんみたいに本をそこまで読まないんだけどなあ……。
早速放課後の委員会に参加して、委員長より仕事を与えられる。
どうやら一年生の仕事は交代で図書室の後片付けと鍵締めを行う事らしい。
――と、言うわけで運悪く初日から鍵締め当番に当たったオレは嫌々ながらも図書室の扉を開けた。
初めて図書室なんて来たけれど、さすが私学の進学校だけあって驚く程広くて沢山の種類の本が並んでいる。
チラチラと生徒の姿は見えるけれど、中はしんと静まり返っていて他の特別室には無い独特の緊張感。
閉館までまだもう少し時間はあるし、時間を潰そうとオレは適当に本を選ぶ。
席に着こうと周りを見渡すと、離れた場所でオレの良く知ってる人が本を読んでいるのがふと目に映った。
愁ちゃんだ。
全くオレには気付いてないようで、長い睫毛を伏せてペラリと頁を捲っている。
やっぱり、格好良いなあ……。
そっか、中等部と高等部で図書室は共有なんだっけ。
声を掛けようと足を動かそうとしたその時、美倉さんが本を片手に愁ちゃんの方へ近寄るのが見えた。
二人にバレないように慌てて本棚に身を隠す。
「愁。俺、もうそろそろ帰るよ」
「ああ、俺はこれ読み終わったらにする。また明日ね」
美倉さんは本から少し顔を上げた愁ちゃんと挨拶を交わすと、出口の方へと歩いて行った。
心臓がバクバクと波打つ。
良かった……三人で鉢合わせとかもうこりごりだよ。
美倉さんがまだ愁ちゃんの事を好きな事を考えるともの凄く複雑だけど……オレは愁ちゃんの言葉を信じるしかない。
美倉さんにとってもオレにとっても、もうオレ達は会わない様にした方がいいんだ。多分。
暫く時間を置いてから、オレはゆっくりと愁ちゃんの席に近づいて隣の椅子を引く。
「愁ちゃん」
「あれ、ナオ。珍しいね、図書室で会うなんて」
声に気付いた愁ちゃんは頁を捲りかけた手を止めてオレの方に顔を向けた。
「もうすぐ閉室時間だね。ちょっと待ってて、この本読み切りたかったけどもう借りてくるよ」
そう言って立ち上がろうとした愁ちゃんにオレはニッコリと微笑む。
ポケットから図書室の鍵を取り出すと、愁ちゃんの目の前にシャランとぶら下げながら返答した。
「大丈夫。ゆっくり読んでていいよ。最後はオレが締めるんだから」
図書委員になったのも案外悪くなかったかも知れない。
まだ残っていた生徒の人達を退室させて、とりあえず鍵を掛ける。
広い図書室にオレと愁ちゃんの二人っきりかあ。
え……二人っきり?
そう意識した途端、家ではごく当たり前の事なのに何故だか異様に緊張し始めてきた。
学校だし。制服だし。
なんか、普段とは違う状況に意味もなく顔が火照ってくる。
「あ、あの、オレ、本の整理とかあるから! 愁ちゃんは、その、本の続き読んでて!」
くるりと振り返って愁ちゃんに精一杯の笑顔を見せると、愁ちゃんはクスクスと小さく笑った。
「ナオ、顔赤い。……こないだは自分から襲おうとしてたのに、ほんとナオの照れるポイントってよくわかんないよね」
「いやっ、その、オレ別にそういう事を想像した訳じゃっ……!!」
「心配しなくてもこんな所で襲ったりしないよ。本の続き読み終わったらオレも手伝うから」
慌てて否定するオレをそのままに、そう言って愁ちゃんはもう一度席に座り直すと本の続きに目を通し始めた。
完全に考えを見透かされてて……もう、耳まで熱い。
真っ赤になった顔を冷まそうと、オレは返却ボックスにどっさりと溜まっている本をいくつか抱えると、愁ちゃんを見ないように慌てて本棚へと向かった。
――数十分後、本の整理も一段落ついたところで読み終わった愁ちゃんがオレの所にやってきて声を掛ける。
「ごめん、お待たせ。ナオの方はまだ掛かりそう?」
「ううん。オレの方も後これを棚に戻せば終わり」
直す場所は分かっているものの、若干高いうえに本が隙間無く詰まっていて少しずつ横にズラして隙間を空けないと収まりそうもない。
手を目一杯伸ばして本を寄せていると、突然後ろから愁ちゃんの手が伸びてヒョイと本を棚に戻してくれた。
思わず振り向くとそこには至近距離で愁ちゃんの顔。
うう、ヤバイ。せっかく落ち着いてきたのにまたドキドキしてきた。
「さ、終わったみたいだし帰ろっか」
愁ちゃんはそう言ってニコリと微笑むと、あっさりと身体を離してそのまま背中を向けて荷物を取りに戻ろうとする。
名残惜しくて、オレは思わず愁ちゃんの制服の裾を掴んで引き留めてしまった。
「ま、待って」
「何?」
不思議そうな愁ちゃんの顔。
緊張で生唾がコクリと喉を通る。
「……キス、だけ」
俯きながら自分でも聞き取れない程の小さな声で強請る。
もう、さっきより顔が熱いのなんてもうどうでもいい。
すると愁ちゃんの手がオレの頬に添えられ少しだけ上に向けられた。
愁ちゃんの顔がゆっくりと近づき、鼻がオレの鼻に当たってスリ、と擦れる。
「……これ、昔ナオ小さかった時やってくれたよね」
「そ、……だっけ」
いつもしているキスをするだけなのに掠れて言葉がつっかえてしまった。
そんな前の事、覚えてないよ。
伏せていた目を上げ愁ちゃんを見詰める。
「まさかそれ以上の事するようになるとは思わなかったけど」
苦笑混じりの声で愁ちゃんはそう言うと、鼻をくっつけたまま今度はゆっくりと唇を寄せてくる。
「……んぅ、……ん、んっ……」
誰も居ない図書室で秘密のキスとか……まるで映画みたい。
ツンと古びた本の匂いが鼻をくすぐる中、愁ちゃんとオレは束の間の愛を確かめ合った。
× × ×
《番外編 愁目線》
※episode14に併せて二人が最初に出会った時の話です。
× × ×
――初めて会ったのは俺が小学六年生の時だった。
可愛らしい女の子がおずおずと叔母さんの後ろから顔を出して、小さな声で自己紹介をした。
「えと、ひいらぎ……なおとです」
え……? 男の子?
どう見ても女の子だと思っていた俺は目を丸くして叔母さんを見上げる。
表情で俺が何を言おうとしてるか気付いた叔母さんはアハハと笑ってポンポンとその子の頭を叩きながら答えた。
「フフッ、仲良くしてあげてね。女の子みたいでしょー? 小学校上がったばっかりだけど良く間違えられるのよねぇ。ねー?ナオ」
ナオと呼ばれた俺の唯一の従兄弟は、叔母さんの手を払って「オレ、男の子だもん!」と口を尖らせている。
叔母さんは法事の手伝いがあるらしく、後は子供同士ヨロシクねー、と俺達を置いてさっさと親戚の人達の輪に戻ってしまった。
ナオ……君って呼べばいいのかな。
ジッと俺を見詰めてるし……えーと、どうしよう。
「ナオ君、初めまして。愁って呼んでね」
とりあえず微笑んで挨拶をすると、俺の笑顔につられたのか緊張した表情が途端に弛む。
「しゅー、ちゃん?……はじめましてっ」
ニパッと笑った笑顔が可愛らしい。
急に手をグイと引かれて何して遊ぶー?と訊ねられる。
何でもいいよ、と若干戸惑いながら返答すると、もう最初から決めていたかのように元気良く提案がなされた。
「ナオね、トランプやりたい!」
コロコロと変わる表情に俺はなんだかドキドキしていて。
今思えば、この時から既に俺は恋に落ちていたんだろう。
――夜も更け、母さんや叔母さん達はまだまだ法事の片付けやらに忙しいようで俺達子供は先に寝る事になった。
今は使っていない部屋で直人はベッドに、俺は隣に敷いた布団に潜り込む。
昼間直人と目一杯遊んで疲れてしまった俺は、すぐに眠りに落ちてしまった。
――どのくらい時間が経ったのだろうか。
誰かが俺のパジャマの裾をツンツンと引っ張っていて、ふっと眠りから引き戻される。
俺は暗闇の中薄く目を開くと、引っ張っている方向に顔だけを向けた。
「ん……誰?」
暗闇にだんだん目が慣れ、やっと状況を理解する。
そうだ。今日は法事だったから従兄弟と一緒に寝てたんだっけ。
寝起きで上手く働かない頭でぼんやり考えていたけれど、良く見ると直人が隣でボロボロと涙を流していて一気に目が醒めてしまった。
「ひぃっく……うっく……しゅーちゃ……ぅう」
「な、何? どうしたの?」
慌てて身体を起こして直人の肩をさする。
直人はギュウッと俺の身体に小さな腕をまわして、しゃくり上げながらか細い声を発した。
「しゅっちゃ……っく……コワイ夢見ちゃっ、て……一緒に寝ても……ぅっ……いぃ?」
目に涙を一杯に溜めながら見上げてくる。
その姿が余りにも可愛らしくて不謹慎にもドキドキしてしまう。
そっと直人を抱きしめ返して頭を撫でると、指の間に細くて柔らかい髪がふわりと絡んだ。
「いいよ。一緒に寝よ」
俺がそう言うとやっと直人は安心した様で、鼻をすすりながらコクリと頷いた。
枕だけ二つ並べて俺の布団にモゾモゾと潜り込んで来る。
「しゅーちゃん……またコワイ夢見ないように……寝るまで手つないで……?」
そう言って小さな手がそっと俺の手に触れる。
「ナオ、また明日も遊ぼうね」
俺が直人の手を握り返すと不安そうな顔がほどけて笑顔に変わった。
「うん。しゅーちゃん……大好き」
×
――どうしよう。とても眠れそうにない。
眠りについてもまだ固く俺の手を握って離そうとしない直人の寝顔を見詰めながら、自分に芽生えた初めての気持ちに動揺する。
……一体この気持ちは何なんだろう?
今日初めて会ったばかりの従兄弟にどうしてこんなに惹かれるんだろう。
母さん達は殆ど家にいないし、こんなにストレートな愛情表現を受けたことがなくて正直どう接していいか戸惑ってしまう。
多分……弟が出来たみたいで嬉しいんだ。うん。そうだ。
そんな風に自分を納得させながら、俺はようやくもう一度眠りについた。
――翌日、法事も終わり俺達が帰る日がやってきた。
直人はと言うと、手が付けられないほど泣きじゃくっていて叔母さん達を困らせている。
「ヤダあぁっ! しゅーちゃんともっと遊ぶのぉっ!」
「……いい加減にしなさいよナオッ! 愁君も困ってるじゃないのっ!」
俺の腰にへばりついて離れようとしない直人を伯母さんは無理矢理引きはがす。
その様子を見ながら横で母さんが苦笑した。
「たった一日で懐かれたものねー」
……言わないけど、俺だって離れたくないよ。
次会えるのはいつなんだろうと考えるとなぜだか胸が苦しくなる。
伯母さんの必死のなだめでなんとか泣き止みはしたものの、車に荷物を詰めてる間に直人はタタタッと俺の方にもう一度走り寄ってきた。
「しゅーちゃん……抱っこ」
そう言ってまるでもっと小さな子がする様に両手を上に目一杯上げて背伸びをしてきて。
流石に持ち上げるだけの力は無いので、俺は膝を折り曲げて直人と同じ目線に合わせるとそっと抱き寄せた。
「しゅーちゃん、また遊んでくれる?」
「うん。また遊ぼう」
「ぜったい?」
「絶対」
俺が頷いてもまだ直人は不安そうな目でもう一度訊ねてくる。
初めて挨拶した時のような愛想笑いではなく自然な笑みが零れてもう一度頷くと、直人はじゃあ、と小指を差し出した。
「やくそくの指切りしよっ」
小指を言われた通りに絡ませると楽しそうに歌い始める。
「ゆーびきりげーんまん――」
「ナーオー!! そろそろ車乗ってー!!」
指切りの歌がちょうど終わる頃、伯母さんが直人を急かす声が聞こえた。
直人はハーイ、と後ろを振り向いて返事をするともう一度俺の顔をじっと見詰める。
「しゅーちゃん」
「ん? 何?」
いきなり直人の顔がグッと近づいてきてスリスリと鼻同士を擦り合わされる。
「……ッ!!」
慌てて顔を離したけど多分その瞬間俺の顔は真っ赤になっていただろう。
「じゃあ、またねっ」
ニコォッと満面の笑みでバイバイと手を振りながら直人は車の方に走っていく。
その後すぐに俺達も帰り支度を始めたけれど、もうそれからの事は良く覚えていない。
ただただ動悸が収まらなくて、もう従兄弟とは思えていない自分がそこには居て。
――ここから俺の長い片思いが始まったんだ。
最終更新:2010年05月16日 18:51