××× 続き13

episode15-1

《直人目線》

――最近、愁ちゃんの様子が変だ。
良く誰かと電話してるみたいだし、聞いても教えてくれないし。
オレに対してはいつも通り優しいけど、なんだかここ最近何かに悩んでるみたいで心配になってくる。

休み時間、メール受信を知らせる携帯のバイブが震えた。
ポケットから取り出し携帯を開くと、画面には『桜井奈央』の文字。
桜だ。最近連絡を取っていなかったからすごく久しぶりな感じがする。

――放課後会えないかな? 久しぶりに会って色々話したいし。拓也にも伝えて――
メールの文面に目を通すと、オレはすぐに返信をした。
――いいよ。拓也は今日部活だから無理だと思うけど――

小学校の頃いつも一緒に遊んだ公園で待ち合わせする事になって、了解の返信をした直後にもう一度携帯が震える。
桜、メール返すの早いなぁ……って愁ちゃん!?
画面に予想外の名前が映し出されていて、オレは慌てて受信メールを開いた。

――今日、一緒に帰れる?――

なんだろう。愁ちゃんからメールなんて珍しい。
最近愁ちゃんが元気がない事と関係がありそうで気になるけど……今さっき桜と約束したばかりだし……。
暫く迷ったものの、どうせ家で会うんだし、と軽い気持ちで愁ちゃんに断りのメールを送って携帯をポケットにしまうと、オレは次の授業の準備に取りかかった。

× 

予想通り部活で行けなかった拓也はとても残念がっていて、結局オレは一人で公園に向かった。
公園には滑り台やブランコなど、思い出深い遊具が並んでいて思わず笑みが零れる。
懐かしいなぁ。よくここで日が暮れるまで遊んでいたっけ。
周りを見渡すとベンチに桜が座っていて、オレに気付くと嬉しそうに手を振ってくれた。
髪が伸びてますます女の子らしくなっている桜の姿に、昔みたいに気軽に話せるか少しだけ緊張してしまう。

「桜、久しぶり」
「わ、直人また背伸びた? 制服よく似合ってるね」
「そう? 桜のセーラー服も可愛いよ」

だって制服で学校決めたようなもんだもん、と桜が嬉しそうに笑う。
明るい笑顔が小学校の時と全く変わっていなくて一気に緊張が解れた。
お互いに今まで合ってなかった分話す事が沢山あって、勉強や学校であった事について色々話していると、本当に小学校の時に戻った様な感覚になる。
拓也が授業中にしでかした数々の面白いエピソードを話すと、桜は楽しそうに声をあげて笑う。
ひとしきり笑ってから、桜はふと淋しそうに呟いた。

「……相変わらず拓也と直人は仲が良くて……羨ましいな」
「桜は学校で仲良い子できた?」
「んー……、今日メールしたのはその相談もあってなんだけど……」

言いにくそうに桜は俯くと、ゆっくりと話し始めた。
膝の上で固く握りしめられた拳からも桜が緊張しているのが伝わってくる。

「なんかさ、上手くクラスになじめなくて……どうしていいのか分かんなくて」

どうやら桜は、入学して早々クラスの中で派手なグループの子達に目を付けられてしまった様で、あからさまなイジメとはいかないものの陰で悪口を言われているらしくて。
小学校の時、沢山友達が居ていつも人気者だった桜がそんな事に巻き込まれていたなんて信じられない。
もしここに拓也が居てたら、怒り狂って桜の学校に乗り込むとか言い出しかねないだろう。
こんな時、当たり障りのない事しか言えない自分がもどかしい。

「……他の子達と仲良くしてれば、気にする事もないんじゃない?」
「気にしないようにする、け、ど…………っごめ……直人の顔見てたら、気が緩んで……」
「さ、桜? 大丈夫?」

話している内に涙声になって、ついには泣き出してしまった桜を見て動揺してしまう。
いつもしっかりしている桜が泣く所なんて今まで見たことが無くて、どうして良いのか判らない。

「直、人……」

桜が寄り添ってきて背中にギュッと手を回される。
女の子特有の甘い香りが鼻をくすぐる。
オレよりも小さくて細い身体。
突然の桜の行動にオレは何も考えることが出来なくて、ただ桜の背中を撫でて泣き止むのを待つしかなかった。

――どのくらい、時間が経ったんだろう。
桜は小さく鼻をすすりながらオレから身体を離すと深呼吸をした。
そのまま暫く沈黙が続いたけれど、先に口を開いたのは桜だった。

「……ごめんね」
「少しは落ち着いた?」

うん、と小さく頷いた後、桜はまだ少し赤く潤んだ瞳を真っ直ぐオレに向ける。
その目は何かを決心したかのように真剣なもので、思わずオレも見詰め返してしまう程。

「本当は言うつもりじゃなかったんだけど……あのさ、私、ずっと直人に言いたかった事があるんだ」

多分だけど……桜の次に続く言葉は予想がついてしまう。
本音を言ってしまえば聞きたくない。
聞いてしまえばもう昔みたいには戻れない気がして。
そして、桜を傷つけてしまうかも知れないから。
それでも、オレは何も言わずに桜の次の言葉を待った。

「私……直人の事が好きだよ」

ああ、とうとうこの時が来てしまったんだ。
桜の声はさっきまでの涙で震えた声ではなくしっかりとしたもので、桜の真剣な気持ちが表れていた。
……オレも正直に自分の気持ちを伝えないと。
断るのは、好きな人に告白するのと同じぐらい緊張する。
やっぱりこの瞬間だけはどうしても桜の顔が見れなくて目を逸らしてしまう。

「ごめん。オレも桜の事が好きだけど……オレにはもっと好きな人が居るんだ」
「……知ってるよ」

予想外の言葉に驚いて、え、と顔を上げて桜を見る。
そのまま目が合うと、桜はまるでオレの返答を予想していたかの様にニコリと淋しげに微笑んだ。

「愁ちゃん、でしょ?」

ドキリと心臓の音が跳ね上がって、反射的に頭の中でこの場をごまかそうとする言葉が浮かぶ。
だけど、桜が自分に向かって精一杯の気持ちを伝えてくれているのに嘘を吐く事なんて出来ないと思った。
ごめん愁ちゃん。二人だけの秘密……破る事になるよ。
オレは心の中で謝りながら、桜に向かって小さく頷いた。

「そうだよ。気持ち悪いと思われても構わない……オレは愁ちゃんの事が好きなんだ」

オレの言葉を受けて、桜は特に驚く素振りも見せずにやっぱりね、と小さく呟く。

「最初はまさかねって思ってた。でも直人を見てるうちにだんだん確信になってきて……気持ち悪いなんて、思う訳ないよ」

――そう言えば……拓也も昔『好きな奴の事ぐらいわかるよ』って言ってたっけ。
知っててもずっと友達でいてくれて、そして好きでいてくれたなんて。
嬉しいような、申し訳ないような複雑な気持ちが入り混じってオレは何も答える事が出来なかった。

「よいしょっ、と!」

突然桜が勢いよく立ち上がり、ベンチのすぐ側にあった鉄棒に手を掛ける。
そのまま身体を乗り上げてくるりと身体を回転させたかと思えば、ストンと地面に着地して晴れ晴れとした笑顔をオレに向けた。

「ね、直人。一回だけでいいから私のこと、下の名前で読んでみて?」

――オレと良く似た下の名前。
一緒のクラスになった時、紛らわしいからって皆で呼び名を決めて以来、桜を下の名前で呼んだ事なんて一度も無かった。

「奈央?」
「ふふっ。こんな風に二人で同じ名前を呼び合うのが夢だったんだよね」
「そうだったの? じゃあこれからは奈央って呼ぼうか?」
「ばか。そう言う事じゃないよー、直人はホントに鈍いなあ。次からはちゃんと桜でお願いしますー」

オレが首を傾げる姿を見て桜がケラケラと笑う。
楽しそうな桜の姿を見ているとついつられてオレも笑みが零れてしまった。

「さっ、そろそろ帰ろっかな! あー自分の気持ち言えてスッキリしたっ!」

桜は手を組んで大きく上に伸びをすると、パンパンとスカートの埃を払ってから鞄を持った。

「クラスの事は直人の言う通り気にしないようにするね。今度はさ、こんな湿っぽい話は抜きにして遊ぼう! ……拓也と三人で!」
「うん。そうだね」

さすがにこれは鈍感なオレでも解った。
多分、暗にこれからも友達の関係でいようって事を言ってくれてるんだろう。
桜の優しさが胸に染みる。
ごめんね。そしてありがとう桜。初めて、愁ちゃんとの関係を認められた気がするよ。

切ない気持ちを心に残して、オレは小さく手を振って去っていく桜を見送った、

×

オレが家に着いた頃にはすっかり日も暮れてしまっていて、玄関を開けるとのふわりといい匂いが漂ってきた。
恐らくお母さんが夕食を作っているんだろう。
いつも遅いのにこんな時間に帰ってるなんて珍しいな。
靴を脱ぎ、リビングの扉を開ける。

「ただいまー」
「ナオ! あんたどこに行ってたのよ!? 携帯も繋がらないし!」

顔を見るなりいきなり大きな声で捲し立てられて驚いてしまった。
別に、怒られる程遅くないと思うんだけど……携帯?
ポケットから携帯を取り出し画面を開くと家や愁ちゃんから何十件という不在着信。
……桜と話していたから全く気付かなかった。

「え? 何かあったの?」

状況が良く飲み込めない。だけど、ただ事ではないと言うことはなんとなく解る。
恐る恐る訊ねると、今度は逆にお母さんの方が驚いたような顔をする。

「愁君から……何も聞いてないの? あんたを探しに出掛けて……てっきり会えたんだとばかり」

“愁ちゃん”と言う言葉に一気に心臓の音が跳ね上がる。
そう言えば、さっきから愁ちゃんの姿が見えない。
いつもだったらお母さんの夕食の手伝いを絶対にしてるはずなのに。

「愁ちゃんが……何? どうか、したの?」

何だかひどく嫌な予感がする。
俺の様子を伺っているのかお母さんはなかなか続きを言おうとしない。
しばらくの間が空き、ようやくお母さんは重い口を開いた。

「二時間程前に……姉さんと一緒に空港へ向かっちゃったわよ? これからは愁君も外国で暮らすみたいだけど」
「…………え?」

目の前の視界がグラリと揺れる。
突然の展開に頭がついていかない。
今日の朝普通に朝の挨拶したし、そんな事一言も聞いてない。

「何……な、に……言って? ……嘘で、しょ?」

義兄さんがどうとかお母さんは続けて話してるけど、もう何も耳に入らない。
オレは説明も聞かず背を向けリビングを飛び出ると、階段を駆け上がり愁ちゃんの部屋と向かった。
愁ちゃん、嘘だよね?
この扉を開けたら、いつもの笑顔でおかえりって抱き締めてくれるんだよね?
愁ちゃんが俺に黙ってそんな事するはず無い。

ドアを開けて、オレの目に映ったもの。
それはいつも以上に物の無いガランとした部屋だった。
あまりの光景に足がよろめき、ドアに背が当たりそのまま力無くズルズルと崩れ落ちる。

「愁……ちゃ……何で?」

独り言のように呟いた問い掛けに答えるように、握り締めていた携帯から着信音が聞こえた。

episode15-2

《愁視点》

「何度掛けてきたって……俺は一緒に行くつもり無いよ」
「いいえ、そうはいかないわ。もう私だって充分待ってあげたつもりよ」

これで何度目のやり取りだろう。
ここ最近母さんからひっきりなしに電話が掛かってくる。
理由は勿論、俺を向こうに連れて行く説得をするため。
父さん達の会社の事なんて興味もないので詳しい事は聞いていないけど、今年度から海外事業に絞って経営を進めていくようで母さん達が向こうに永住すると言う事は前々から知っていた事だった。

だからって何で俺まで……。
高校三年で新学期が始まったばかりなのにどうしてこんな急な展開になるのか。
小さな頃から放任主義だったくせに今更何を保護者ぶっているんだろう。
俺は携帯を持つ手を替えると小さく溜息を吐いた。
……これがただの母さんの我儘ならもっと強く抵抗をするところだけど、今回ばかりはそうもいかない理由がある。

「それで……父さんの体調はどうなの?」
「本人は大丈夫って言い張ってるけど、まだ顔色も良くないし心配なのよ」

数ヶ月前、会社の経営転換に向けて心血を注いでいた父さんが過労で倒れた。
幸い大事には至らなかったようで現在は自宅療養中。
向こうに行く程でも無いと思っていたのに、父さんべったりの母さんはそれからというものこうやって俺を連れて行こうと必死になっていて。
時差の関係もあり今まで適当にあしらっていた電話も、先週から母さんが会社の諸手続きの為に日本に一時帰国してから格段に頻度を増し、今日もこの電話で一日が始まった。

「愁、本当に何をそんなに嫌がってるの? せめて理由を言ってくれないとこっちだって納得できないわよ」
「……もうそろそろ用意しないと学校遅れるし切るよ」
「愁! 待ちなさ――」

一方的に電源を切り、もう一度小さく溜息を吐く。
……俺だって、父さんの事は心配に決まっている。
母さん一人に全てを任せて申し訳ない気持ちだってあるし、たった一つの理由さえ無ければ今すぐにでもついて行ったって構わない。

「……愁ちゃん? いい?」

ノックの音が聞こえ慌ててドアの方に顔を向けると、ひょこっと直人が首だけ部屋に覗かせる。
俺は手に持っていた携帯を掌に隠しながら平静を装い挨拶をすると、直人は嬉しそうに微笑んだ。

「おはよ。オレ、今日は委員会の仕事あるから早めに行ってるね?」
「あ、ああ……いってらっしゃい」

小さく手招きをするのでドアの方に向かえば、直人から不意打ちで頬にキス。
行ってきます、ともう一度微笑んでから階段を下りていく直人の背中を見詰めながら、俺はますますどうしていいのか解らなくなってしまった。

このまま頑なに拒否を続ければ母さんももう暫くは許してくれるかも知れない。
それでも、残された期間はあと僅か。
ナオには……一体なんて言えば悲しませずに済むんだろう?
何を言っても直人の泣き顔しか想像できなくて胸が締め付けられる。
……いつか言わないといけないのなら、なるべく早い方がいいのかも知れない。
本日三度目の溜息を吐きながら、俺はようやく支度に取りかかった。

×

授業中、俺はひたすら直人に切り出すタイミングについて考えを巡らせていた。
母さんの日本滞在が後一週間程。
下手したら母さんと共にそのまま連れて行かれる可能性だって高い。
高校の編入手続きや日本での手続き等、あの人のことだから決定さえすれば一瞬の内に完了させてしまうだろう。
……突然ナオの前から消えてしまうのだけは阻止しないと。

今日言おう。

そう覚悟を決めた瞬間、授業終了の鐘が鳴る。
すぐに携帯を取り出し直人にメールを送ろうとして、はたと気付いた。
文字を打つ指が小刻みに震えていて、自分の動揺ぶりに思わず苦笑が零れる。
……自分が一番取り乱してるな。
すぐに返信が帰ってきたけれど、どうやら直人は用事があるらしく帰り道に話すのは無理そうだった。
仕方がない。それなら家に帰ってから説明するしかない。

なんだかタイミングが悪くて不安な気持ちが一層高まる。
まるでこの機会を逃せば一生会えないような気がして、このまま直人のクラスまで直接行こうかと思った程。
しかしそんな短時間に終わらせられるような話でも無いとすぐに思い直す。

落ち着け。俺が落ち着かないとナオはもっと悲しむ事になる。
重い気持ちを抱えながら過ごす午後の授業は、いつもの何倍も長く感じられた。

× 

長かった一日がようやく終わり、家に向かっていると門の前に見慣れた車が止まっていて愕然とする。
母さんの車……? まさか……。
ちょうど荷物を抱えてトランクに詰めていた叔母さんに慌てて駆け寄る。
いくら何でも急すぎる。母さんの滞在だって後一週間はあったはずだ。

「なっ……どう言う事ですか?」
「……愁君、良く聞いて。義兄さんがさっきまた倒れたって姉さんに連絡が入ったの」

その言葉を聞いた瞬間、自分の身体からサアッと血の気が引く音がした。
ああ……俺の予感が的中してしまった。
流石にこの状況ではもう一緒に行くとしか返答出来ない。
まだ、ナオに一言も状況を話せてないのに。

「愁、今からすぐに出発するわよ」

玄関から出てきた母さんに真剣な表情で詰め寄られる。
母さんの目は俺が来るまでに余程泣いたのだろう、真っ赤に潤んでいてとてもこれ以上引き延ばす事は出来そうも無かった。

「……わかった。……ただ、最後に一つだけお願いがあるんだ」

そのまま母さんから叔母さんの方に向き直り言葉を続ける。

「ナオに、最後の挨拶をしたいんです」
「でも……さっきから携帯に何度掛けても繋がらないのよ? 全く……こんな時にどこに遊びに行ったのかしら」
「見付からなければそれでもいいです。……母さん、一時間したら絶対戻って来るから」

俺は母さん達にそれだけ言うと目的地も解らず駆け出していた。
走りながら直人に電話を掛けても掛けても繋がらない。
……もう無理にでも話をしていれば良かった。
まさかこんな形で離れる事になるなんて。

ナオに会いたい。
ただ、ナオに会いたい。

別に深い考えがあった訳じゃ無い。しかし、自然と俺の足は学校へと向かっていた。
もしかしたらまだ学校に居てるかも知れないし、本人が居なくても誰かは行き先を知っているかも知れない。
ちょうど通学路の途中辺りにある大きな公園に差し掛かった所で息が切れ、思わず膝に手を当てて立ち止まってしまう。
乱れる息を整えようと顔を上げると、公園のベンチに夕暮れに染まった人影が見えた。

「ナ……っ」

ナオ、と呼び掛けようとした声が詰まってしまう。
そこには桜ちゃんを抱き締めている直人が居て。
余りにも予想外の光景に心臓が止まりそうになる。
二人の表情までは見えないけれど、抱き合っている姿を見て俺の頭の中で何かが弾けた。

……ああ、そうだ。
余りにも近くに居すぎていて俺は忘れていたんだ。
これが普通の光景で、ナオを抱き締めるのは俺では無いって事を。

暫く二人をぼんやりと眺めた後、次に何をすればいいのか理解した俺はゆっくりと携帯を取り出し番号を打つと耳に当てる。
すると、数コールの内に待ち構えていたかの様な母さんの声が聞こえた。

「もしもし、愁? 直人君には会えたの?」
「……会えたよ。もう大丈夫……今からそっちに戻るから」

俺は二人に気付かれないように背を向けると、ゆっくりと元来た道を引き返し始めた。

episode15-3

《愁目線》

本当は……このまま声も聞かずに出発するつもりだった。
でも搭乗時刻が刻々と近づき、俺は耐えきれず一人母さんから離れて携帯を取り出した。
直接伝えるよりも、声だけの方がお互いの傷ついた顔を見なくて済む。
……これで最後。出なかったら、もうそれはそれでいい。

「は、い」
「……ナオ」
「…………愁、ちゃん」

耳に入った直人の声はか細く、それだけで直人が既に状況を知った後だと理解できた。
どこまで叔母さんが説明したのかはわからないけど、俺が直人を裏切った事に変わりはない。

「……ごめんね」
「なん、で? なんでオレになにも……」

直人の震える声を聞いて、最後に見た姿が脳裏に蘇る。
ベンチに座って抱き合う二人。
嘘が吐けない直人の性格上、もし二人が付き合っていたのならとっくに俺は気付いていただろうし、あれはなにか事情があったとしか思えない。
とにかく、どちらにしてもあの光景が俺の心を固めたのは事実だった。

「言おうとしたよ。でも、今日公園で二人を見てわかったんだ」
「!? あれは違う! 違うよ、愁ちゃん! オレが好きなのは愁ちゃんだけだよ!」

電話の向こうで息を呑む音がしたかと思えば、続けざまに慌てて否定する言葉。
こんな状況なのにその言葉に安心してしまう自分は酷く狡いと思う。
いっその事、俺を裏切って付き合ってくれていた方が続きの言葉も言い易かったのに。

「ありがとう。……でもそういう意味じゃないんだ」
「……どういうこと?」
「ナオはこれから新しい学校で、新しい生活を送って……普通の人生を送るなら、ちょうど良い時期だと思うんだ」
「……言ってる意味が全然わからないよ」

直人と結ばれてからずっと心の奥に隠していた感情。
幸せという感情にはいつも不安という闇が付きまとっていて。
今だけが幸せなら良いという訳にはいかない。
俺にはナオの将来を決めるほどの資格は無い。
そして――この関係を続けても先なんて見えない。

「だから、ちゃんと女の子と恋愛をして、結婚して……幸せな生活を過ごして欲しい」
「何それ……」
「俺が……ナオの人生を壊すわけにはいかないよ」

なるべく冷静に言おうと努めた。
自分の伝えようとしている気持ちを少しでもわかって貰えるように。
暫くの沈黙が流れ、突然直人が声を荒げた。

「……オレの……オレの幸せを愁ちゃんが勝手に決めないでよっ! 好きな人と一緒に居れるのが幸せだと思っちゃダメなの!?」

直人がそう言い切った後に小さく嗚咽が漏れ聞こえてきて、胸が締め付けられる。
グラリと決意が揺れそうになる心を必死で抑え、小さく息を吸うと俺は言葉を続けた。

「今までずっと俺と居てたから、そう思い込んでいるだけだよ。離れたらきっとナオも気持ちは変わるよ」
「さっきからオレのことばかりで……愁ちゃんは、オレのことがもう好きじゃないの? ……オレ……オレ、は…………」

涙声で最後の辺りはもう何を伝えようとしているのかも解らなかった。
……好きに決まってる。
でも……性別や俺達の関係を考えると、二人の関係は一生許されないんだと俺を縛り付けていて、そこから逃れることは出来ないんだ。
携帯の向こうからはただ直人のすすり泣く声が続いていて、目線を上げれば母さんが向こうの方でそろそろだと俺に合図を送っていた。

「……愛してるよ。だから、ナオには俺のことを忘れて幸せになって欲しい。……そろそろ行かないと」
「待って、愁ちゃん! オレはまだーーーー」

堪えられなくなった涙が自分の頬を伝っていくのを感じながら、俺は直人の言葉を遮って最後の言葉を告げた。

「――――――もう二度と会わない。さよなら、ナオ」

 × × ×
続き
 × × ×

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最終更新:2010年05月16日 19:08
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