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 「ファン」というのは、対象が好きでたまらないという、主観的な状態。「マニア」というのは、対象そのものよりもそれに対する研究や収集にのめり込んでいる、客観的な状態。「オタク」とは、対象が自分にとってどういうものなのか、対象と自分との関係を考えて再配列できるところまで振り切った状態である。「オタク」は茶道や華道のような「道」に近く、絶対的な正解はない。独自の視点から導き出した「通の目」を整理し発展させていく、自己求道のような修行の過程である。

 

「オタク」にとって、作品とは語るものである。自分にとって対象とはいったいなんなんだろうと考えることだ。その評価基準を形成しているのは、観察者が属している文化的バックグラウンドである。自分が対象とであったときに、どう感じたのか。対象と自分の間に横たわる、感じ方を決定するバイアスについて探っていくことが批評である。音楽や映画などの作品インタビューにおいて、僕らはついつい正解を求めてしまう。つまり作者と作品の関係の中に僕らが理解すべきメッセージが詰まっていると思いがちであるが、それは違う。正解というのは、「対象と観察者」の間に存在するのだ。映画にしろゲームにしろマンガにしろ、もともと何かを体験するというのは大変孤独なことだ。その作品と自分との間に発生した感動は誰とも共有できない。年代や性別や家庭環境や経験によって、人それぞれ受け取るメッセージは違うからだ。批評というのは、この耐えられない孤独を解消するために感動を言語化し、他人に情理を尽くして共有しようという行為なのだ。 

 

スマートノート


 私は大学のときからメモをつけていました。議論の際はポケットからメモを取り出して書きながら話をしていました。

最終更新:2014年12月19日 00:24