いくつか諸説アリのものもあります。
人物名 | 誕生日 | 説明 |
アーネスト・フェノロサ | 2月18日 | アメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者で明治時代に来日したお雇い外国人。日本美術を評価し、紹介に努めたことで知られる |
青木昆陽 | 6月19日 | 江戸時代中期の幕臣御家人、書物奉行、儒学者、蘭学者。サツマイモの普及を図り、甘藷先生と呼ばれる |
青木周蔵 | 3月3日 | 日本の政治家、外交官。井上馨外相の下で条約改正案を起草。山県有朋内閣、松方正義内閣で外相となり条約改正を促進したが大津事件で辞職。1892年駐独公使、のち駐英公使となり法権を回復した対英条約(日英通商航海条約)の調印に成功 |
アダム・ラクスマン | 不明 | ロシア帝国の軍人で陸軍中尉、北部沿海州ギジガ守備隊長。ロシア最初の遣日使節。漂流民の大黒屋光太夫の保護と帰国に尽力した人物 |
篤姫 | 2月5日 | 江戸時代後期から明治の女性で、薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津本家の養女となり、五摂家筆頭近衛家の娘として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所となった |
阿部正弘 | 12月3日 | 備後福山藩主。22歳で寺社奉行、1843年25歳にして老中に抜擢。徳川斉昭や島津斉彬など有力大名と巧みに連携、困難な海防政策に対応した。ペリー来航に際しては、日米和親条約を締結、日本を開国へ導く |
新井白石 | 3月24日 | 江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。一介の無役の旗本でありながら6代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った |
荒木貞夫 | 5月26日 | 日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。犬養・斎藤内閣の陸相として満州事変を指導した。また陸軍少壮将校の革新運動と関係をもち皇道派の指導者として統制派と対立、二・二六事件では反乱軍に同情的態度をとり、予備役に編入された。戦後、東京裁判で終身刑となった |
有島武郎 | 3月4日 | 日本の小説家。1903年に渡米。ハバフォード大学大学院、その後、ハーバード大学で歴史、経済学を学ぶも1年足らずで退学する。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加する。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。代表作『カインの末裔』『或る女』など |
池田勇人 | 12月3日 | 日本の政治家、大蔵官僚。「寛容と忍耐」を政治姿勢として、「所得倍増」、高度成長政策を打ち出し、国論対立の焦点となる政治問題を意識的に回避しようとした |
池大雅 | 6月6日 | 日本の江戸時代の文人画家 、書家。妻の玉瀾も画家として知られる。弟子に木村兼葭堂などがいる。与謝蕪村とともに、日本の南画の大成者とされる |
伊沢修二 | 7月27日 | 日本の教育者、文部官僚。近代日本の音楽教育、吃音矯正の第一人者である |
石原莞爾 | 1月18日 | 日本の陸軍軍人、軍事思想家。『世界最終戦論』で知られ、関東軍で板垣征四郎らとともに柳条湖事件や満州事変を起こした首謀者。二・二六事件では反乱軍の鎮圧に貢献したが、宇垣内閣組閣は流産に追い込んだ。後に東條英機との対立から予備役に追いやられる。東京裁判では病気や反東條の立場が寄与し、戦犯指定を免れた |
以心崇伝 | 不明 | 安土桃山時代から江戸時代の臨済宗の僧。法名が崇伝で、南禅寺金地院に住したため、金地院崇伝とも呼ばれる。徳川家康のもとで江戸幕府の法律の立案・外交・宗教統制を一手に引き受け、江戸時代の礎を作ったとされる |
板垣退助 | 5月21日 | 日本の武士、軍人、政治家。明治維新の元勲、自由民権運動の指導者。東アジアで初となる帝国議会を樹立し「憲政の父・国会を創った男」として知られる |
市川房枝 | 5月15日 | 日本の婦人運動家、政治家。第二次世界大戦の前後に渡り、日本の婦人参政権運動を主導した。1981年2月に尾西市の名誉市民となる。1981年参議院永年在職議員表彰を受ける |
犬養毅 | 6月4日 | 日本の政治家。護憲運動を起こし、国民主導の政治を実現した。陸海軍・青年将校による五・一五事件で悲劇の死を遂げた |
井上馨 | 1月16日 | 明治・大正期の日本の政治家。太政官制時代に外務卿、参議などを歴任し、黒田内閣で農商務大臣を務め、第2次伊藤内閣では内務大臣、第3次伊藤内閣では大蔵大臣など要職を歴任、その後も元老の一人として政財界に多大な影響を与えた |
井上毅 | 2月6日 | 日本の官僚、政治家。フランス、ドイツに留学し、ドイツ式の国家体制樹立を主張。伊藤博文と共に「大日本帝国憲法」や「教育勅語」などの起草に参加し、文部大臣となった |
井上準之助 | 5月6日 | 日本の政治家、財政家。東大英法科卒業後、日本銀行に入り、1919年に総裁となり、第1次大戦後の不況対策に当たる。 1927年に金融恐慌の際に総裁再任。 第2次山本内閣、浜口および第2次若槻内閣の蔵相を歴任し、関東大震災の善後処理や金解禁を行った。 緊縮政策と世界恐慌のため経済の大混乱を招き、血盟団事件で暗殺された |
井原西鶴 | 不明 | 江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。談林派を代表する俳諧師でもあった |
岩倉具視 | 10月26日 | 日本の公家、政治家。版籍奉還や廃藩置県などの重要法案の立案に携わり、岩倉使節団の海外巡遊の正使として重要な役割を果たした。維新の十傑の1人に数えられている |
岩崎弥太郎 | 1月9日 | 日本の実業家。後藤象二郎らの知遇をうけ、土佐藩の通商に従事。1873年三菱商会を創設し海運業に進出。佐賀の乱・台湾出兵・西南戦争で軍事輸送にあたり巨利を博し、三菱財閥の基礎を確立した |
植木枝盛 | 2月14日 | 日本の思想家、政治家。自由民権運動の理論的指導者。民主的な私擬憲法である「日本国国憲按」は彼が起草したといわれている |
上杉治憲 | 9月9日 | 江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩9代藩主。山内上杉家25代当主。 領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。後に治憲であるが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名である |
歌川国芳 | 1月1日 | 江戸時代末期の浮世絵師。画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出した |
歌川広重 | 不明 | 江戸時代の浮世絵師。風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた。代表作に『東海道五十三次』など |
内村鑑三 | 3月23日 | 日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある |
梅原龍三郎 | 3月9日 | 日本の洋画家。ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した |
江川英龍 | 6月23日 | 江戸時代後期の幕臣で伊豆韮山代官。通称の太郎左衛門、号の坦庵の呼び名で知られている。洋学とりわけ近代的な沿岸防備の手法に強い関心を抱き、反射炉を築き、日本に西洋砲術を普及させた |
榎本武揚 | 10月5日 | 日本の江戸時代末期から明治の武士、政治家、外交官。1868年に海軍副総裁となり、戊辰戦争では討幕軍による江戸開城後も,軍艦引渡しを拒否。 幕府艦隊を率いて北海道に上陸,新政権樹立を企図して五稜郭に拠り新政府軍に反抗したが、黒田清隆のすすめで降伏した |
大岡昇平 | 3月6日 | 日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。フィリピンのミンダナオ島で捕虜になった時の体験を描いた「俘慮記」や「野火」で戦後派作家の旗手に |
大岡忠相 | 不明 | 江戸時代中期の幕臣・大名。山田奉行から、吉宗に抜擢されて江戸町奉行となる。小石川養生所や町火消制度の設置、『公事方御定書』の編纂、江戸の物価対策などに取り組んだ |
大木喬任 | 4月23日 | 明治期の日本の官僚、政治家。藩校弘道館に学び、勤王派として藩政改革を推進。新政府に出仕し、徴士、参与、軍務官判事、東京府知事などをつとめる。東京奠都にも尽力。1871年文部卿となり、学制を制定 |
大久保利通 | 9月26日 | 幕末から明治前期にかけての日本の武士、志士、政治家。明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称され、「維新の十傑」の1人でもある |
大隈重信 | 3月11日 | 日本の政治家。日本で最初の政党内閣を組織し、また、東京専門学校(現在の早稲田大学)の創立者としても知られています |
大塩平八郎 | 3月4日 | 江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力。大塩平八郎の乱を起こした |
大塚久雄 | 5月3日 | 日本の経済史学者。専攻は英国経済史で、西洋諸国における近代資本主義、近代市民社会の研究で知られ、マックス・ウェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観論の方法を用いて構築した大塚史学は国際的評価を受けた |
大原幽学 | 4月13日 | 江戸時代後期の農政学者、農民指導者。下総国香取郡長部村を拠点に、天保9年に先祖株組合という農業協同組合を世界で初めて創設した |
大村益次郎 | 5月30日 | 幕末期の日本の政治家、軍人、医師、学者。維新の十傑の一人。長州藩の軍制改革を指導。第2次長州征討・戊辰戦争の際、その作戦指導にあたった。1869年新政府の兵部大輔となり、武士団の解体と徴兵制の実施を説き、反対派士族に襲われて負傷し死亡した |
大山巌 | 11月12日 | 日本の陸軍軍人、政治家。薩摩藩士大山彦八の子で西郷隆盛の従弟にあたり、倒幕運動に参加し、寺田屋事件では危うく難を逃れた。戊辰戦争に参加、1870年に渡欧して普仏戦争を視察し、帰国後陸軍大佐ついで少将に任じられ、征韓論が敗れて下野した西郷ら薩摩藩出身に代わって薩閥の首領としての地位を占めた |
岡倉天心 | 2月14日 | 日本の思想家、文人。急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残した |
緒方洪庵 | 8月13日 | 江戸時代後期の武士・医師・蘭学者。大阪に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖といわれる |
荻原守衛 | 12月1日 | 明治期の彫刻家。日本における本格的な近代彫刻の導入者とされる。代表作に『女』『坑夫』など |
荻生徂徠 | 3月21日 | 江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者。古文辞学派の祖。1716年、吉宗の諮問に応えて『太平策』を、1722年には『政談』を献じ、武士土着論を軸に改革案を提示した |
奥保鞏 | 1月5日 | 日本の陸軍軍人。小倉藩士の子。西南戦争や日清戦争で軍功をあげ、日露戦争では第2軍司令官に。果敢で巧みな作戦で大連や奉天など要所を占領した |
織田信長 | 6月23日 | 日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。三英傑の一人。 尾張国出身。織田信秀の嫡男。家督争いの混乱を収めた後に、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、勢力を拡大した。足利義昭を奉じて上洛し、後には義昭を追放することで、畿内を中心に独自の中央政権を確立して天下人となった |
和宮 | 7月3日 | 仁孝天皇の第8皇女。江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室。家茂死後には落飾し、静寛院の院号宣下を受け、静寛院宮と名乗った |
荷田春満 | 2月3日 | 江戸時代中期の国学者・歌人。賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と共に国学の四大人の一人とされる |
片山哲 | 7月28日 | 日本の弁護士、政治家。民主党・国民協同党と連立内閣を組閣する。片山内閣は日本社会党党首を首班とする初の内閣であり、日本国憲法施行後初の内閣でもあった |
桂太郎 | 1月4日 | 日本の陸軍軍人、政治家。内閣総理大臣、台湾総督、陸軍大臣、内務大臣、文部大臣、大蔵大臣、貴族院議員、内大臣、外務大臣などを歴任。日露戦争時の内閣総理大臣で、西園寺公望と交互に総理職を務めた期間は「桂園時代」と呼ばれた。日英同盟・日露戦争・韓国併合を断行。大逆事件を初め、社会運動を弾圧した |
加藤高明 | 1月25日 | 日本の外交官、政治家。憲政会総裁となり、第二次護憲運動をおこして護憲三派内閣の首相となった。 日ソ国交回復に努め、また治安維持法・普通選挙法を成立させた |
仮名垣魯文 | 2月9日 | 江戸末期から明治初頭にかけての戯作者、新聞記者。1860年の「滑稽富士詣」で認められ、1871年「安愚楽鍋」を発表して好評を博した。のち「仮名読新聞」や「いろは新聞」を創刊。新聞小説の前身の「続き物」にも腕をふるった |
樺山資紀 | 12月9日 | 日本の海軍軍人、政治家。警視総監、海軍大臣、海軍軍令部長、台湾総督、枢密顧問官、内務大臣、文部大臣を歴任した |
川上音二郎 | 2月8日 | 筑前黒田藩出身の「オッペケペー節」で一世を風靡した興行師・芸術家、新派劇の創始者。川上の始めた書生芝居、壮士芝居はやがて新派となり、旧劇をしのぐ人気を博した。「新派劇の父」と称される |
河竹黙阿弥 | 3月1日 | 江戸商家の次男。狂歌や俳句で名が知られてから歌舞伎作者となる。世話物、怪談物、さらに維新後は新しい風俗を取り入れた散切物で多くの作品を残す。特に盗賊を主人公にした白浪物は有名 |
川端康成 | 6月14日 | 日本の小説家・文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞。代表作は『伊豆の踊子』『雪国』など |
岸田劉生 | 6月23日 | 大正から昭和初期の洋画家。東京高等師範学校附属の中学校に通っていた時に絵画に興味を持ち始めて、独学で絵を描き始めた。代表作は『麗子像』など |
北里柴三郎 | 1月29日 | 「近代日本医学の父」として知られる微生物学者・教育者。1889年に破傷風菌の純粋培養に成功、翌1890年に血清療法を開発、さらに1894年にペスト菌を発見し、「感染症学の巨星」と呼ばれる |
北村透谷 | 12月29日 | 日本の評論家・詩人。明治期に近代的な文芸評論を行い、島崎藤村らに大きな影響を与えた。代表作に『蓬莱曲』など |
木戸孝允 | 8月11日 | 日本の幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家である。明治維新の元勲として大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる。明治新政府で、五箇条の御誓文などをを作成。新しい時代の基礎を築いた |
空海 | 6月15日 | 平安時代初期の僧。日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家でもあり、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている |
空也 | 不明 | 平安時代中期の僧。観想を伴わず、ひたすら「南無阿弥陀仏」と口で称える称名念仏を日本において記録上初めて実践したとされ、日本における浄土教・念仏信仰の先駆者と評価される |
陸羯南 | 11月30日 | 日本の国民主義の政治評論家。日本新聞社長。正岡子規を育てた。新聞『日本』を発刊、新聞の党派性、営利性を否定し、自らの信ずる「道理」のみによって自立する「独立新聞」という峻厳な新聞理念を提示し新聞ジャーナリズムに大きな影響を与えた。同時に国民主義を標榜し、三宅雪嶺、志賀重昂らの政教社の発行する雑誌『日本人』と提携しながら、明治20年代、30年代を通じて、欧化主義を批判するナショナリズムを領導する言論活動を展開した |
黒澤明 | 3月23日 | 日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。第二次世界大戦後の日本映画を代表する監督であり、国際的にも有名で影響力のある監督の一人とみなされている。ダイナミックな映像表現、劇的な物語構成、ヒューマニズムを基調とした主題で知られる |
黒田清輝 | 8月9日 | 日本の洋画家、政治家。渡仏してラファエル=コランに師事。帰国後、外光派の画風を日本に導き入れ、久米桂一郎とともに天真道場を開き、のち白馬会を設立。また、東京美術学校西洋画科で指導に当たり、洋画界発展に寄与した |
契沖 | 不明 | 江戸前期の真言宗の僧・国学者。11歳で高野山で出家。仏典や『万葉集』の研究に従事し、徳川光圀の依頼と援助のもとで『万葉代匠記』を著した。宗教・道徳にとらわれない古典の解釈や注釈を行い,その復古思想や学問態度は国学発展の基礎となった |
幸田露伴 | 8月22日 | 日本の小説家。本名は成行。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。『風流仏』で評価され『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立 |
幸徳秋水 | 11月5日 | 明治時代のジャーナリスト、思想家、共産主義者、社会主義者、無政府主義者。『平民新聞』を創刊し、日露戦争に反対して非戦論を主張。のち渡米しアナーキズムに傾き、帰国後、直接行動論を唱えた。1910年に大逆事件の指導者として逮捕され、翌年絞首刑に処せられた |
児島惟謙 | 3月7日 | 日本の裁判官、政治家。大津事件の際には、大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜き、「護法の神様」などと高く評価された |
五代友厚 | 2月12日 | 幕末から明治期の日本の武士、実業家。大阪経済界の重鎮の一人。長崎で航海、砲術、測量などの技術を習得、薩英戦争に参加し捕虜となるが脱出した。1865年に藩命により留学生を引率しヨーロッパを視察、武器、船舶、紡績機械などの輸入を行い、薩摩藩の産業振興に大きく寄与した |
近衛文麿 | 10月12日 | 日本の政治家、内閣総理大臣。五摂家の筆頭の家柄で、革新政治家として国民の期待や人気を集めた。貴族院議長から首相に就任し、組閣3回。この間日中戦争の処理、国内の軍部・政党の調停など期待されたが、新体制運動・大政翼賛会設立・日独伊三国同盟締結など、結局ファシズム体制を促進し、日米交渉打開にも失敗した |
小林多喜二 | 10月13日 | 日本のプロレタリア文学の代表的な小説家、共産主義者、社会主義者、政治運動家。日本プロレタリア作家同盟書記長。代表作に『蟹工船』など |
小村寿太郎 | 10月26日 | 日本の外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員などを務めた。イギリス・アメリカ・ロシア・清国・朝鮮の公使・大使を務め、特に2度の外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、条約改正の完成などの業績をのこし、近代日本外交を体現した人物として知られる |
近藤勇 | 11月9日 | 江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。1864年に京都河原町の旅館池田屋で尊王攘夷派の志士を襲撃し、手柄を挙げる。近藤は局長として、多いときには150人以上いた新撰組をまとめた。だが、1868年、戊辰戦争で敗走し、下総国で捕えられ、処刑された |
西園寺公望 | 12月7日 | 日本の公家、政治家、教育者。1839年首相となり、以後桂太郎と交互に首相を務めた。教育にも尽力し、自らが創設した私塾立命館は現在の立命館大学の礎となった |
西郷隆盛 | 1月23日 | 幕末から明治前期の日本の武士、政治家、陸軍軍人。薩摩藩の中心人物として維新実現に貢献した |
最澄 | 8月18日 | 平安時代初期の日本の仏教僧。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られる。唐に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて日本における天台宗を開いた |
坂口安吾 | 10月20日 | 日本の小説家、評論家、随筆家。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する小説家の一人である。純文学のみならず、歴史小説や推理小説、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆、囲碁・将棋におけるタイトル戦の観戦記など多彩な活動を通し、無頼派・新戯作派と呼ばれる地歩を築いた。代表作に『堕落論』『白痴』など |
佐倉惣五郎 | 不明 | 江戸時代前期の下総国佐倉藩領の義民として知られる人物。領主堀田氏の重税に苦しむ農民のために将軍への直訴をおこない、処刑されたという義民伝説で知られる。代表的な義民として名高いが、史実として確認できることは少ない |
佐藤春夫 | 4月9日 | 近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。代表作に『田園の憂鬱』など |
三条実美 | 3月13日 | 日本の公卿、政治家。幕末には尊王攘夷・討幕派の中心的な人物であり、明治維新後は元勲の一人として右大臣、太政大臣、内大臣、貴族院議員などを歴任した。内閣発足以後の内閣総理大臣も兼任している |
志賀潔 | 2月7日 | 日本の医学者・細菌学者。赤痢菌の発見者として知られ、朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校校長、京城帝国大学総長などを歴任した |
志賀重昂 | 12月25日 | 日本の地理学者、評論家、教育者、衆議院議員。1919年、軍艦「筑波」に便乗、南洋諸島を巡航。列強による南洋分割の実態を見聞し、20年『南洋時事』を著す。21年に三宅雪嶺らと政教社を設立,雑誌『日本人』を創刊。日本人の景観美の意識変革に大きな役割を果たしたとされる著『日本風景論』(1894)は版を重ね大ベストセラーとなった |
志賀直哉 | 2月20日 | 日本の小説家。明治から昭和にかけて活躍した白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に『暗夜行路』『和解』『小僧の神様』『城の崎にて』など |
幣原喜重郎 | 9月13日 | 日本の政治家、外交官。第1次世界大戦後のワシントン体制のもとで活躍し。当時の日本外交を代表する外交官。憲政会・立憲民政党系の内閣の外相を歴任し、その国際協調主義的な政策は「幣原外交」と呼ばれた |
品川弥二郎 | 11月20日 | 明治時代の日本の官僚・政治家。駐独公使、宮中顧問官、枢密顧問官を経て、第1次松方内閣内相に就任。民党に対する大規模な選挙干渉を行い辞職。以後国民協会を創設し、副会頭となる。また、産業組合の結成にも尽力した |
渋沢栄一 | 3月16日 | 日本の明治・大正期の実業家、財界の指導者。明治維新後は民部省に勤めて貨幣や銀行の制度の調査立案を手がけた。退官したのち、第一国立銀行(現みずほ銀行)、王子製紙、東京海上保険(現東京海上日動火災保険)をはじめ約500社の設立にかかわり、「日本の資本主義の父」と呼ばれる |
島村抱月 | 2月28日 | 日本の文芸評論家、演出家、劇作家、小説家、詩人。坪内逍遥と文芸協会を設立。松井須磨子との恋愛問題後は脱会して芸術座を結成した。舞台『復活』が有名 |
謝花昇 | 11月16日 | 沖縄の社会運動家、自由民権運動家。1898年、奈良原県政と対立して、沖縄県庁職員を辞任。99年に沖縄倶楽部を結成し、参政権獲得運動を展開、独裁的県政を批判して弾圧を受けた |
尚泰 | 8月3日 | 第二尚氏王統第19代にして最後の琉球国王、後に日本の華族として琉球藩王、侯爵 |
ジョサイア・コンドル | 9月28日 | イギリスの建築家。工部大学校の建築学教授として来日し、傍ら明治政府関連の建物の設計を手がけた。辰野金吾ら、創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。のちに民間で建築設計事務所を開設し、財界関係者らの邸宅を数多く設計した |
杉田玄白 | 10月20日 | 江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩医。私塾天真楼を主催した。また、前野良沢らと共に、クルムスによるオランダ語の解剖学書「ターヘル・アナトミア」を翻訳し、「解体新書」を刊行した |
大黒屋光太夫 | 不明 | 江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子の港を拠点とした回船の船頭。天明2年、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に面会して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年に根室港入りして帰国した |
高杉晋作 | 9月27日 | 日本の政治家、軍人。幕末長州藩の尊王攘夷志士として活躍。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた |
高野長英 | 6月12日 | 江戸時代後期の医者・蘭学者。江戸幕府の異国船打払令を批判し開国を説くが、弾圧を受け死去した。1898年7月4日、その功績により正四位を追贈された。主著に『戊戌夢物語』『わすれがたみ』『三兵答古知機』など |
高橋是清 | 9月19日 | 明治から昭和にかけての日本の財政家、日銀総裁、政治家。 立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣。近代日本を代表する財政家として知られ、総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。愛称は「ダルマさん」 |
高村光雲 | 3月8日 | 日本の仏師、彫刻家。高村光太郎は長男。木彫に写実主義の技法を取り入れ、山崎朝雲、平櫛田中など後進の育成にも尽力した。代表作に『老猿』など |
高村光太郎 | 3月13日 | 日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。日本を代表する彫刻家であり画家でもあったが、今日にあたって『道程』『智恵子抄』などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。著作には評論や随筆、短歌もあり能書家としても知られる |
高山彦九郎 | 6月15日 | 江戸時代後期の武士、尊皇思想家。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人。京都三条大橋で皇居を望拝し、全国を巡って尊皇論を説く。幕府に警戒され、捕縛、監視の末に自害した。残した長年にわたる日記は、吉田松陰や幕末の志士に影響を与えた |
田口卯吉 | 6月12日 | 日本の経済学者、歴史家、実業家、政治家、ジャーナリスト。初め医学を志したが、1874年〜1878年まで大蔵省翻訳局に出仕して英語・経済学を修め、保護貿易を排して自由主義経済を主張した『自由貿易日本経済論』や自由主義文明史論(『日本開化小史』)で文名をあげる |
辰野金吾 | 10月13日 | 日本の建築家、工学博士。設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。帝国大学では後進の指導にも励み、伊東忠太、長野宇平治、矢橋賢吉、武田五一、中條精一郎、塚本靖、野口孫市、大沢三之助、関野貞、岡田時太郎らの人材を輩出した。日本銀行本店や東京駅の設計で知られる |
田中義一 | 7月25日 | 日本の陸軍軍人、政治家。1914年政友会総裁、27年首相兼外相となり、山東出兵を断行、東方会議で対支政策綱領を決定するなど、中国に対する強硬外交を展開。 また治安維持法を改正し社会主義運動を弾圧した |
田中正造 | 12月15日 | 日本の幕末から明治時代にかけての村名主、政治家。日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件の重鎮であり明治天皇に直訴しようとしたことで有名 |
田中館愛橘 | 10月16日 | 日本の地球物理学者。日本全国の地磁気の測定を行い、震災予防調査会の設立に尽力。その他、メートル法やローマ字の普及につとめ、航空物理学に寄与するなど、日本の物理学の基礎を築く |
田沼意次 | 9月11日 | 江戸時代中期の旗本、のち大名、江戸幕府老中。遠江相良藩の初代藩主。第9代将軍徳川家重と第10代家治の治世下で側用人と老中を兼任して幕政を主導し、この期間の通称である「田沼時代」に名前を残す |
為永春水 | 不明 | 江戸時代後期の戯作者。『春色梅児誉美』など人情本の代表作家。1842年、水野忠邦の天保の改革で弾圧された |
土田麦僊 | 2月9日 | 大正~昭和期の日本画家。国画創作協会を設立。代表作に『大原女』など |
坪内逍遥 | 6月22日 | 日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。小説家としては主に明治時代に活躍した。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』及びシェイクスピア全集の翻訳があり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた |
寺内正毅 | 3月25日 | 明治・大正期の日本の陸軍軍人、政治家。「ビリケン宰相」の異名を持つ。桂太郎内閣で陸軍大臣となり、日露戦争での勝利に尽力。1910年には陸軍大臣兼任のまま、第3代韓国統監に就任し、韓国併合に際して初代朝鮮総督となった。最終的に、日本各地で起こった米騒動により失脚した |
寺島宗則 | 6月21日 | 日本の政治家、外交官。明治維新後、外務卿として樺太千島交換条約を結び、条約改正交渉にも尽力 |
東郷平八郎 | 1月27日 | 日本の海軍軍人。日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り日本海海戦での完勝により国内外で英雄視された |
東洲斎写楽 | 不明 | 江戸時代中期の浮世絵師。 約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と姿を消した謎の絵師として知られる。その出自や経歴については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛とする説が有力となっているが、実際には正体は明らかになっていない |
徳川家康 | 1月31日 | 戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名。江戸幕府初代将軍。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、徳川御三家の始祖。豊臣秀吉の死後に引き起こした関ヶ原の戦いに勝利し、豊臣勢力を圧迫しつつ1615年には大坂夏の陣により豊臣氏を滅ぼし、265年間続く江戸幕府を開いた |
徳川慶喜 | 10月28日 | 江戸幕府第15代征夷大将軍、政治家、華族。江戸幕府最後かつ日本史上最後の征夷大将軍である |
徳富蘇峰 | 3月14日 | 明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる |
徳永直 | 1月20日 | 日本の小説家。職業を転々とした後、共同印刷の労働争議に参加し解雇。この体験から「太陽のない街」を『戦旗』に連載して、以来ナップ系の中心作家となった。戦後は新日本文学会に参加、『妻よねむれ』などを書いて活躍した |
豊田佐吉 | 2月14日 | 日本の発明家、実業家。豊田式木鉄混製力織機、無停止杼換式自動織機をはじめとして、生涯で発明特許84件、外国特許13件、実用新案35件の発明をした。 豊田紡織、豊田紡織廠、豊田自動織機製作所を創業、トヨタグループの創始者である |
中岡慎太郎 | 5月6日 | 日本の幕末の志士、陸援隊隊長。土佐の人。土佐藩を脱藩して尊攘派浪士の指導者となり、薩長両藩の提携を画策。陸援隊を組織し、討幕運動に奔走したが、坂本竜馬とともに京都で幕府の刺客に暗殺された |
長岡半太郎 | 8月19日 | 日本の物理学者。土星型原子モデル提唱などの学問的業績を残した。また、東京帝国大学教授として多くの弟子を指導し、初代大阪帝国大学総長や帝国学士院院長などの要職も歴任した。 1937年、第一回文化勲章受章。本多光太郎、鈴木梅太郎と共に理研の三太郎と称される |
永倉新八 | 5月23日 | 幕末の武士。松前藩を脱藩後、新選組に入隊し、二番隊組長及び撃剣師範を務めた。明治期に杉村義衛と改名し、樺戸集治監の撃剣師範を務めた |
新島襄 | 2月12日 | キリスト教の教育者。1875年に同志社英学校(同志社大学の前身)を創設、キリスト教的自由自治主義の教育で多くの青年を感化した。特に、熊本洋学校に学んで同志社に入学した小崎弘道、海老名弾正、徳富蘇峰らは「熊本バンド」として著名。組合教会の指導者としても貢献した |
新島八重 | 12月1日 | 江戸時代末期から昭和初期の日本の教育者、茶道家。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。会津戦争のおり、藩主面前で砲術の進講役を務め、男装して7連発銃をもって新政府軍に応戦するなどの逸話をもつ |
ニコライ・レザノフ | 4月8日 | ロシア帝国の外交官。極東及びアメリカ大陸への進出に関わり、ロシアによるアラスカおよびカリフォルニアの植民地化を推進した。 露米会社を設立したほか、クルーゼンシュテルンによるロシア初の世界一周航海を後援し、自ら隊長として日本まで同行した |
西田幾多郎 | 5月19日 | 日本の哲学者。著書に『善の研究』など。京都大学名誉教授。京都学派の創始者 |
乃木希典 | 12月25日 | 日本の陸軍軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、あとを追って殉死したことで国際的にも著名である。明治天皇より第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王の教育係も務めた |
野口英世 | 11月9日 | 日本の医師、細菌学者。主に細菌学の研究に従事し、黄熱病や梅毒の研究で知られる |
野間宏 | 2月23日 | 日本の小説家、評論家、詩人。 大学時代の左翼運動と出征経験から、戦後『暗い絵』を書いて第一次戦後派の先頭に立ち、特に『真空地帯』は大きな反響を呼んで戦後文学の記念碑的名作となった。その後は社会全体の構造をとらえる全体小説を志向し、次々と大作を発表 |
萩原朔太郎 | 11月1日 | 日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。代表作は「月に吠える」など |
長谷川等伯 | 不明 | 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。代表作に『松林図屏風』など |
秦佐八郎 | 3月23日 | 細菌学者。学位は医学博士。当時難病であった梅毒の特効薬サルバルサンをドイツのパウル・エールリヒと共に開発し、多くの患者を救ったことで知られる。 生前、1911年にノーベル化学賞と1912年・1913年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している |
浜口雄幸 | 5月1日 | 日本の大蔵官僚、政治家。大蔵大臣、内務大臣、内閣総理大臣、立憲民政党総裁などを歴任した。その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた |
林芙美子 | 12月31日 | 日本の小説家。『放浪記』がベストセラーとなり、詩集『蒼馬を見たり』や、『風琴と魚の町』『清貧の書』などの自伝的作品で文名を高めた。その後、『牡蠣』などの客観小説に転じ、戦中は大陸や南方に従軍して短編を書き継いだ |
林鳳岡 | 1月11日 | 林信篤とも。江戸時代前期・中期の儒学者。特に元禄時代の将軍・徳川綱吉のもと江戸幕府の文治政治の推進に功績があったひとり |
葉山嘉樹 | 3月12日 | 日本の小説家。労働運動に従事し、職を転々とする傍ら、「文芸戦線」に発表した『淫売婦』で注目され、作家生活に入る |
原敬 | 3月15日 | 日本の外交官、政治家。1918年に内閣総理大臣に就任。戦前期日本の貴族制度であった華族の爵位の拝受を固辞し続けたため、「平民宰相」と渾名された |
ハリー・パークス | 2月24日 | 英国の外交官。1865年に駐日公使として赴任。フランス公使ロッシュと対立して薩長を支援。明治新政府の外交政策を援助したが、条約改正には反対した |
平櫛田中 | 2月23日 | 日本の彫刻家。再興日本美術院の彫刻部を担う。代表作に『転生』『五浦釣人』など。また、亡くなった時点では男性長寿日本一の人物だった |
平田篤胤 | 10月6日 | 江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。本居宣長没後に門人を称する。儒教を批判し、尊王思想を唱え、幕末の尊攘運動に影響を与えた |
平沼騏一郎 | 9月28日 | 日本の司法官僚、政治家。検事総長、大審院長を経て、大正12年に第2次山本内閣の法相。13年に右翼結社国本社を結成。昭和14年組閣したが。独ソ不可侵条約の締結を機に総辞職。のち第2・第3次近衛内閣の国務相に |
平野国臣 | 5月12日 | 日本の武士・福岡藩士、志士。脱藩して尊王攘夷運動に活躍し、寺田屋事件で失敗して投獄された。翌1863年出獄し、八月十八日の政変後、但馬(兵庫県)で豪農を組織し、沢宣嘉と生野の変をおこしたが、捕らえられ刑死した |
広瀬淡窓 | 5月22日 | 江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。私塾「咸宜園」を開いた。死後、弟子たちにより文玄先生とおくり名されたという |
福沢諭吉 | 1月10日 | 幕末から明治の日本の、武士、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者。代表作に『学問のすゝめ』『西洋事情』などが挙げられる |
藤島武二 | 10月15日 | 明治末から昭和期にかけて活躍した洋画家。明治から昭和前半まで、日本の洋画壇において長らく指導的役割を果たしてきた重鎮でもある。ロマン主義的な作風の作品を多く残している。代表作に『天平の面影』『黒扇』など |
藤原惺窩 | 2月8日 | 戦国時代から江戸時代前期にかけての儒学者。京都の相国寺の禅僧であったが、朝鮮儒者・姜沆との交流を経て還俗し、儒学を体系化して、京学派として独立させた |
藤原道長 | 不明 | 平安の中期の公卿。藤原北家、摂政・関白・太政大臣・藤原兼家の五男。後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の外祖父にあたる。 父・兼家が摂政になり権力を握ると栄達するが、五男であり道隆、道兼という有力な兄がいたためさほど目立たない存在だった |
藤原頼通 | 不明 | 平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人。後一条・後朱雀・後冷泉3代の天皇の摂政・関白となり、父とともに藤原氏全盛期を現出。 平等院鳳凰堂を建立、宇治の関白と称された |
二葉亭四迷 | 4月4日 | 日本の小説家、翻訳家。坪内逍遥と交流を結び、その勧めで評論『小説総論』を発表。1887年~1891年の間に出された写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった。また、ロシア文学の翻訳も多くてがけ、ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」は特に有名。自然主義作家へ大きな影響を与えた |
北条早雲 | 不明 | 室町時代中後期の武将。戦国大名となった後北条氏の祖・初代であり、「北条早雲」の名前がよく知られているが、実際には彼の代には北条ではなく伊勢を名乗っていた。戦国大名の嚆矢であり、その活動は関東における戦国時代の端緒とされる |
北条時政 | 不明 | 平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の武将。鎌倉幕府初代執権として知られている |
星亨 | 5月19日 | 日本の弁護士、政治家。1892年に第2回総選挙に当選して衆議院議長となった。自由党と第二次伊藤内閣の連携、日清戦後の地租増徴など、卓越した政治手腕を発揮した |
保科正之 | 6月17日 | 江戸時代前期の大名。会津松平家初代。信濃国高遠藩主、出羽国山形藩主を経て、陸奥国会津藩初代藩主。江戸幕府初代将軍徳川家康の孫にあたる。3代将軍・徳川家光の異母弟で、家光と4代将軍・家綱を輔佐し、幕閣に重きをなした。将軍の「ご落胤」でもある |
本多光太郎 | 3月24日 | 日本の物理学者、金属工学者。鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を、日本はもとより世界に先駆けて創始した。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者。文化功労者。「鉄の神様」「鉄鋼の父」などとも呼ばれ鉄鋼の世界的権威者として知られる |
牧野伸顕 | 11月24日 | 日本の政治家。ロンドン日本大使館在任中、伊藤博文の知遇を得て外交官から政界に入り、文部大臣・枢密顧問官・パリ講和会議全権・宮内大臣・内大臣などを歴任。親英米派の重鎮であったため、二・二六事件で襲撃され難を逃れたが、引退した |
マシュー・ペリー | 4月10日 | アメリカ海軍の軍人。兄はオリバー・ハザード・ペリー。江戸時代に艦隊を率いて鎖港をしていた日本へ来航し、開港への交渉を要求したことで知られる |
松岡洋右 | 3月4日 | 日本の外交官、政治家。 南満州鉄道総裁を務め、満州国の実力者「弐キ参スケ」の一人とされた。第2次近衛内閣では外務大臣に就任し、日独伊三国同盟や日ソ中立条約締結を推進。しかしドイツのソ連侵攻後は南進論が大勢を占める政府で北進論を主張し、第3次近衛内閣発足を機に事実上外相を解任された |
松平定信 | 1月25日 | 江戸時代中期の大名、老中。陸奥国白河藩の第3代藩主。定綱系久松松平家9代当主。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫。1787年から1793年まで寛政の改革を行った |
松本清張 | 12月21日 | 日本の作家。 1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以降しばらく、歴史小説・現代小説の短編を中心に執筆した。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす |
間宮林蔵 | 不明 | 江戸時代後期の徳川将軍家御庭番、探検家。元武家の帰農した農民出身であり、幕府で御庭番を務めた役人であった。樺太が島である事を確認し間宮海峡を発見した事で知られる。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる |
三浦環 | 2月22日 | 日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて「マダム・バタフライ」と称され、国際的に広く知られた |
三島徳七 | 2月24日 | 日本の冶金学者。アルニコ磁石を発見し、その一つとしてMK鋼の発明者として知られる。東京大学名誉教授。文化功労者 |
三島由紀夫 | 1月14日 | 日本の小説家、劇作家、随筆家、評論家、政治活動家。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、日本国外においても広く認められた作家である。代表作に『金閣寺』『仮面の告白』など |
水野忠邦 | 7月19日 | 江戸時代後期の大名、老中。肥前国唐津藩主、のち遠江国浜松藩主。1841年から1843年まで天保の改革を行った |
溝口健二 | 5月16日 | 日本の映画監督である。日本映画を代表する監督のひとりで、1920年代から1950年代にわたるキャリアの中で、『祇園の姉妹』、『残菊物語』、『西鶴一代女』、『雨月物語』、『山椒大夫』など約90本の作品を監督した |
南方熊楠 | 5月18日 | 日本の博物学者、生物学者、民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた。そうした調査に基づいて生態学を早くから日本に導入した。 1929年には昭和天皇に進講し、粘菌標品110種類を進献している |
美濃部達吉 | 5月7日 | 日本の法学者、憲法学者、政治家、東京帝国大学名誉教授。戦前、和仏法律学校に憲法講義を担当し、清国留学生法政速成科の憲法学の講義も担当した。法政大学通信教育学部の設立者。 天皇機関説を主張し、大正デモクラシーにおける代表的理論家として知られる。昭和時代には天皇機関説事件により、貴族院議員を辞職した |
宮城道雄 | 4月7日 | 日本の作曲家・箏曲家である。十七絃の開発者としても知られる。大検校であったため、広く『宮城検校』と呼ばれた。 『雨の念仏』などの随筆により文筆家としての評価も高い |
三宅雪嶺 | 7月7日 | 日本の哲学者、国粋主義者、評論家。明治21年に志賀重昂らと政教社を結成し、雑誌「日本人」(のち「日本及日本人」と改題)を創刊して国粋主義を主張。 在野の言論人として、社会時評わ哲学、史論の論述に活躍した。 昭和18年に文化勲章を受章した |
武者小路実篤 | 5月12日 | 日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、「新しき村」を建設して実践運動を行った。伝記や美術論も数多い |
陸奥宗光 | 8月20日 | 日本の幕末の武士。明治期の外交官、政治家。 版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に多大な影響を与え、カミソリ大臣とも呼ばれて第2次伊藤内閣の外務大臣として不平等条約の改正に辣腕を振るった |
最上徳内 | 不明 | 江戸時代中期から後期にかけての探検家・江戸幕府普請役。江戸幕府の蝦夷地検分隊の一員として蝦夷地に赴いたことをきっかけに、その後8回に渡り蝦夷地での調査を行った |
本居宣長 | 6月21日 | 江戸時代の国学者・文献学者・言語学者・医師。自宅の鈴屋にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人と呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人」の一人とされる |
森有礼 | 8月23日 | 日本の政治家、外交官、思想家、教育者。第1次伊藤内閣で初代文部大臣となり、諸学校令制定により戦前の教育制度を確立した。また明六社、商法講習所の設立者、東京学士会院会員であり、明治六大教育家に数えられる |
安井曾太郎 | 5月17日 | 大正から昭和期の洋画家。戦後の混乱期に埼玉県蕨町(現蕨市)に開校した「蕨画塾」の教授を務め、画塾を芸大分校と形容した。1952年には文化勲章を受章した |
柳田國男 | 7月31日 | 日本の民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章。 「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した |
山崎宗鑑 | 不明 | 戦国時代の連歌師・俳諧作者。俳諧選集「犬筑波集」の撰者。 氏名、出生など諸説があり未詳。 出家して禅林に入り、諸国を遍歴行脚し、晩年は山崎に庵を結び閑居したと伝えられる |
山田耕筰 | 6月9日 | 日本の作曲家、指揮者。山田 耕作としても知られる。 日本語の抑揚を活かしたメロディーで日本音楽史に残る多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。代表曲に『赤とんぼ』『からたちの花』など |
山脇東洋 | 2月1日 | 江戸時代の医学者。長らく禁制とされてきた人体解剖を幕府の医官として日本で初めて行い、その記録を公表した「親試実験」主義の先駆者の一人。日本近代医学の端緒を打ち立てた人物と評される |
湯川秀樹 | 1月23日 | 日本の物理学者。京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。1943年文化勲章。原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言した。日本人初のノーベル賞受賞者として知られる |
由利公正 | 12月6日 | 日本の武士、政治家、財政家、実業家。藩の財政立て直しに成功し、新政府に抜擢され、財政政策立案にあたる。五箇条の誓文の原案を作成 |
横井小楠 | 9月22日 | 日本の武士、儒学者。福井藩主松平慶永の政治顧問として、幕政改革・公武合体を進める。坂本龍馬とも交流した。明治維新後は新政府の参与となるが、1869年に京都で暗殺された |
横光利一 | 3月17日 | 日本の小説家・俳人・評論家。菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。代表作に『日輪』『蠅』など |
与謝野晶子 | 12月7日 | 日本の歌人、作家、思想家。雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となった |
吉川英治 | 8月11日 | 日本の小説家。様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年より連載が始まった『宮本武蔵』は多くの読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆 |
吉野作造 | 1月29日 | 大正時代を中心に活躍した日本の政治学者、思想家である。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった |
ラザフォード・オールコック | 5月 | イギリスの医師、外交官。清国駐在領事、初代駐日総領事、同公使を務めた。日本語訳された著書に、開国後の幕末日本を紹介した『大君の都』がある |
レオン・ロッシュ | 9月27日 | フランスの外交官。1864年に駐日公使として来日。幕府を支持して積極的な対日政策を推進し、イギリス公使パークスと対立。軍制改革などに尽力したが、本国の対日政策変更のため、1868年に帰国した |
若槻礼次郎 | 3月21日 | 日本の大蔵官僚、政治家。明治25年に帝国大学法科大学を卒業し、大蔵省に出仕。主税局長、大蔵事務次官を歴任し、明治44年に貴族院議員になる。第3次桂内閣、第2次大隈内閣では蔵相をつとめる。大正13年には加藤高明内閣の内相に就任し、普通選挙法の成立に尽力した |
和田英作 | 12月23日 | 鹿児島県出身の洋画家・教育者。東京美術学校校長。文化勲章受章者、文化功労者。代表作に『渡頭の夕暮」など |
渡辺崋山 | 10月20日 | 江戸時代後期の武士、画家。三河国田原藩士・家老。1839年に幕府によって罰せられた |
和田義盛 | 不明 | 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・御家人。初代侍所別当。 三浦氏の一族で源頼朝の挙兵に参加。鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に任じられる。治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となり、山陽道を遠征し九州に渡り、平家の背後を遮断した。平家滅亡後は奥州合戦に従軍して武功を立てた |
和辻哲郎 | 3月1日 | 日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる |