「大正100年」 プロジェクト
創始09・03・27 03/29 加筆 2010/01/26YK一部改
『大正元年』 は、明治45年7月30日の改元ですから、西暦2012年
夏に満百年を迎え、2011年が 「大正100年」 に当たります。
先年 「日露(戦役)100年」 を数え、『昭和期』 の総括も必要な
時期に差し掛かっていますが、『大正100年』 を意識したコンテンツを
書き連ねてみます。
==
<大正零年±5年>
大正期の出発点を、あまり厳密に言うのは意味がありませんので、
一応、1906~1915年を想定します。
本末が逆で、可笑しいようですが、WEBころっとで、「大正X年」 を検索してみます。 Xの文字は、元、一~五/1~5(全角)/1~5(半角)を入れるものとします。
6,000件弱のコンテンツに関して;-
元年:0件/二年:1件/三年:4件/四年:4件/五年:2件 が浮かび上がります。 一々内容を示して、特別な結論を示す意図はありませんが、大正二年は
「赤磐札所開設」 を採録しています。
大正四年には、偶々でしょうが、「青年団の建てた道標」
が2本出てきました。
記憶をたどると、域外の皿山・種地区に 「大正四年・御大典記念」 の道標があったことを思い出します(青年団とは明記されていない)。 「左良山小学校」
の下に入っています。 「御大典」
となると、T4年の意味合いが、偶々ではないことが判ります。
=== 010/01/24 加筆 YY ===
「備前市の石造物(?)」:郷土研究の会編集によると
備前市内には、大正4年11月の「大典記念道標」が6~7基
そのうちの1基は、伊里で採録済
===
(因みに、青年団が建立したと明記される道標や国旗掲揚柱は、昭和期も含めて、上記に加えて、4件採録されています。 個々に関する論評は、敢えて、控えておきます。)
加えて、明治四十年代を調べます。 結果は、各年に2~6件の採録があり、二つの (強引に集約すれば一つの) 流れが見えます;-
先ず、社会的に大きい事象としては、明治43年の宇野線開通で、関連項目としては20~30件上がって来ても不思議はないが、明示的には1件だけ検索に掛かります。
何より大きい話題は、第十七師団創設に関わる記事とその結果としての「陸軍大演習」 関連の石文です。
<改めて、何を洗い出すか? 洗い出されるか?>
プロジェクトと名づけたが、何かを恣意的に描き出そうというものではありません。 更に探り進めば、何があるだろうか?・・・ということです。
<提案> 自主企画書案 10/01/26改YK さんくす YY!
大正零年±5年(1906~15)は、岡山の産業革命期(明治の高度成長期)である。今日の岡山のインフラの礎が築かれた時期である。この頃の記録(写真等)は見出すことができ、僅かではあるが往時の面影を辿ることも可能である。そこで、当時の記録を整理し、デジタル化するとともに古写真等による自主企画展おこなう。
テーマ案 知っていますか?百年前の岡山を
/1912年 岡山!/記録された百年前の岡山/
取上げる範囲 岡山を中心に県下の出来事
取上げる内容案
〇岡山の交通整備 宇野港・宇野線開業(1910) 山陽鉄道の国有化
(1906)・複線化
西大寺軽便・下電・井笠・岡電・中鉄稲荷等の開業
幻の鉄道計画、乗合バス営業開始(1913)
〇児島湾の干拓 第1・2区竣工→1912藤田村成立、農機具の改良
〇第17師団創設 1910年大演習 偕行社落成(近代化遺産)
〇高梁川の大改修 東西派流を合流1910~1925
〇産業界の動き 紡績会社の統廃合、児島機業(足袋・真田ひも
→学生服) イ草加工 果物王国岡山への道
〇文化・教育 ハイカラ校舎落成、図書館の創設
岡山ゆかりの文学者の大正元年!
〇世相一般 当時の生活風景 物価
めも
〇銅山の再編<帯江の場合:要調査 二万銅山は?>YY
〇文学者(文人)たちの大正元年
泣菫:35歳 白羊宮(1906)
白鳥:33歳
夢二:28歳 「宵街草」原詩発表 第1回展覧会@京都府立図書館
芳水:26歳
利玄(木下):26歳 M43 「白樺」 結成に参画
一碧樓(中塚):25歳 M44 ごろから俳誌制作
百閒:23歳
譲治:22歳 早稲田大学再入学後卒業 など等
展示期間 2011(平成23)年秋~約1ヶ月程度(又は2012年春)
働きかけ
市民学芸員に呼びかけ、市民学芸員自主企画展開催!
ODMに働きかけ、常設展のテーマとして開催!
県下の関係団体・機関の協力を仰ぎ、特別企画展の開催!
取り組み
市民学芸員会で、提案 関心のあるテーマによる班編成
(人手不足か?)