• 大福急行の歴史 (当ページは編集中ですご了承ください)

    • 旧大鉄本線
~各駅概要~
  • [知乱]
大福急行のすべての始まりの駅である。
初期には常磐3-1番が流れるボタンが設置されていた。止めることはできなかった
(末期はなぜか車庫に置いてある梯子の最上部に移設されていた)

  • [相野原]
知乱と同日に開業した単線の駅である。当時は同駅~知乱間の線路が非常に脱線しやすかったため、いわば脱線防止ガード的な役割で作られた。
知乱駅で折り返すには一回とんでもなく脱線しやすい車庫に引き上げなければならなかったために、単線を利用してここから逆走して知乱まで行き、折り返してくる列車も少なくなかった。

  • [三条]
駅先端には、「快速停車!停車位置自己判断!」とかいうなんとも無責任な標識が設置されている。
ホームにはネコがいる。かわいい。

  • [大川ゲートウェイ]
三条と同日に開業した、どこかで聞いたような駅名である。
各駅停車は全列車この駅どまりである。旅客ホーム1番線から通過線である2,3番線を挟み、使用停止となっている4番線が存在した。
折り返し用のポイントは非常に脱線しやすかった。構内踏切が存在するが、絶望的に見通しが悪い。そもそも使わない

  • [旧釜持]
実質的な旧大福急行の終端駅である。フリーモデルのホームが設置されているものの、駅名標すら配置されていない。
初期は車庫があったが、削除されてしまった。車庫へのテレポーターが最後まで残っていた。
      • 大福急行の歴史
2023

◆7月28日 大福急行旧プレースの開発がスタートする。当時の名称はMRであった。
◆8月1日 大福急行の知乱車両区が設置される。
◆8月2日 釜持車両区が設置された。
◆8月3日 大福急行の初代車両である209系0番台が誕生する
(当時は車両のグループ化のやり方がわからなかったのか削除すると車体のみが残っていた)
◆8月5日 旧知乱駅~相野原が開業する
◆8月7日 三条~大川ゲートウェイが開業する
◆8月10日 知乱駅に発車メロディーがつく
◆8月15日 大福急行の2代目車両である209系1000番台が誕生する。
◆8月20日 大鉄旧釜持が開通する。よって旧大鉄本線が全線開業となる。
◆8月25日 旧大鉄知乱から釜持までを高架で結ぶ都市近郊新高速鉄道が開業。
新知乱から新釜持を結んでいた。
◆8月26日 旧大鉄E231系500番台が誕生する。
中間車の台車がバグのために実質走行不能に。だが放置されていた。
◆9月3日  E231系500番台が運用離脱、引退する。あまりにも短命である。
◆10月14日 各車両に鉄道の日記念のヘッドマークが掲出される。
◆11月10日 209系1000番台の旧モデル置き換えのために新209系1000番台が製造された。

2024年

◆2月11日 特急「うすしお」を新設。旧大鉄10000系が製造された。ポテチ。
◆2月14日 旧大鉄10000系導入に伴い、209系0番台が引退する。
◆3月14日 ダイヤ改正に伴い旧大鉄に知乱支線が開業した。名称が「MR」であったのが「大福鉄道」に変更された。「DR」という略称が使用開始された。
◆3月17日 マインクラフト内でRTMを使用したワールドの制作が始まる。
◆4月7日 現大鉄(大福急行電鉄)プレースの構想ができる。
◆4月8日 旧大鉄釜持車両区が削除される。都市近郊新高速鉄道が撤去される。
◆4月11日 知乱の発車メロディーが撤去され、知乱車両区の梯子上に移設される。
◆7月28日 旧大鉄が1周年になるとともにプレースが閉鎖される。
~~~~~~~~以降現大鉄~~~~~~~~~
◆8月9日  「大福鉄道」が「大福急行電鉄」に改称される。これが現在の大福急行電鉄の始まりである。
◆8月10日 現大鉄(以降大鉄)の制作が正式に開始。同日のうちに現知乱駅が開業する。
◆8月11日 大鉄1000系が製造される。
(当時の1000系は初代モデルで、顔こそあまり変わらないものの、機能面ではかなり質素であった。)
◆8月13日 東知乱駅が開業する。
◆8月14日 与野通駅が開業、大鉄500系の制作が開始される。
◆8月16日 現釜持駅が開業。当時の釜持駅は外側2線が旅客ホーム、内側2線が通過線であった。
◆8月20日 雲寄駅が開業。
◆8月21日 石田浜駅が開業、放置を経て大鉄500系が完成する。
◆8月25日 雲寄駅に発車メロディーがつく。ピアノの曲であったが、音割れが酷く聞いていられるものではなかった。
◆8月26日 現知乱駅に発車メロディーがつく。旋律のトーンは異なるものの、曲は今と変わらないWii sports resort main theme であった。
◆8月30日 船山駅が開業する。
◆8月31日 船山1番線から旧梅岡までを結ぶ梅岡支線が完成する。
◆9月11日 梅岡支線が廃線になり、現梅岡駅が開業する。梅岡支線は現在も遺構を確認することができるが、路線長は150mほどであり、廃線になった理由は一目瞭然である。
◆9月15日 パスティアランド駅が開業、現在では派州多島駅に名称が改められている。開業日当日に発車メロディーがつき、1コーラス固定のソ連国歌であった。
最終更新:2025年09月06日 10:15