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Rekiの歩み(別に歩まない)/2005年12月20日/うーむ… - (2005/12/20 (火) 18:48:47) のソース

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なんか今朝未明から人間の意識ってか、存在の在り処について考えてた…

ほんと、いったいどこにあるのだろうか。

確かに、抜けた髪や、切った爪には僕は存在していない。僕からいったん離れてしまったもの…それは僕自身ではない。

では僕はどこにいるのか、、

心と呼ばれるものは心臓に、脳にあるのかもしれない。
ただ、脳を取り出したらその脳は僕自身であるのか。
それは正しくもあるようで違うものだ。

身体そのもの、それが自分だと言うのも少し違う。人間の細胞は3~5年後には全て別のものに変わってしまうようだ。細胞は分裂を繰り返し、やがて死んでいく。そうして新たな細胞が作り出されていく。
つまり5年後には物質的に、5年前の自分を全て失って異なる存在になっているとのこと。

では自分とは記憶なのか…
記憶を失ったら自分ではなくなってしまった別のものになってしまうのか……

この辺はほとんどが受け売りだけども共感できる。というよりも、こんな哲学的なことを受け取り感銘しすぎて正直自分の意見というものがまとまりきっていないのも確かだ。

それは、自分の存在そのものを“概念”と呼んだ。

自分とは情報であり、言うならばソフトウェアなのだ…と。
そして自分の肉体はそれを反映するハードウェアなのだと。。

さて、自分の意見も書いておこうと思う。
自分とは何なのか。

アイデンティティーとはいったいなんなのだろう。
自分の自分たる由縁。
生まれてからずっと“僕”は“僕”として生きてきたつもりだ。
でも、僕はどこにいたのか。

小さいときからのアルバムに載っている自分も物質的には異なったとしても自分には変わりない。
確かにそこにいた。

そこってどこに?

脳の中?
心臓(ハート)の中?
魂の器の中?

脳の紡ぎ出す自分という存在。人格。
でも、脳自体が自分であるとは言い切れないような気がする。
思考回路や精神があるのは心だという。
じゃぁ、心はどこにあるの?

脳の中?
心臓(ハート)の中?
魂の器の中?

人とはほんとに難しい。。
色々考えてしまうけど、全然答えがまとまらない。

でも、すぐに答えを見つけてはつまらない。
もっとじっくり時間をかけて色々考えてみようと思う。
(疑問ばっかりで自分の意見がないな…。まぁ、今のところ疑問が僕の意見ってことでご勘弁)

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カテゴリ: [[[雑記>Rekiの歩み(別に歩まない)/カテゴリ/雑記]]] - &trackback() - 2005年12月20日 11:32:48
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- 実際ハードを大事にしてるけど、ソフトウェアだけで残ることも辞さないよ?  -- ヴぃる  (2005-12-20 18:48:47)
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