Eddie Lawson
1958年3月11日生(アメリカ)
アメリカン・ライダーがグランプリを席巻していた時代、エディ・ローソンは1984年、1986年、1988年、そして1989年と4度のワールドチャンピオンに輝いた。その全盛期の後半においては、史上初めて異なるメーカーのマシンで2年連続して最高峰クラスのタイトルを獲得するという偉業を成し遂げている。1988年に自身にとっては3度目のタイトルをヤマハにもたらした翌年、
ホンダに移籍したローソンはNSR500で4度目のタイトルを獲得したのである。
ローソンはアメリカ国内のダートトラックとスーパーバイクレースで名を知られるようになり、ロードレースに専念するようになってからスーパーバイクと250ccでそれぞれ2度AMAチャンピオンとなった。1983年はヤマハによってケニー・ロバーツのチームメイトに抜擢され、WGP500ccクラスにデビューを果たして3度の表彰台を得る。そして1984年、全12戦中4勝と9度の表彰台を獲得したローソンは、参戦2年目にしてワールドタイトルを獲得した。
ローソンは500ccクラスを戦った10年間に、31の勝利と78の表彰台という輝かしい成績を残した。中でも最も見事だったのは、15戦中13戦で表彰台に登り、新進気鋭のケビン・シュワンツとウェイン・レイニーを降して4度目のタイトルを獲得した1989年であろう。
最後のシーズンとなった1992年、34歳のローソンは競争力に劣ると考えられていたカジバを駆り、ウェットコンディションとなったハンガリーGPでこのイタリアのマシンに歴史的な初勝利をもたらした。
WGP戦績
年 |
クラス |
Starts |
1st |
2nd |
3rd |
Tot. |
P.P. |
マシン |
Pts. |
Pos. |
1983 |
500cc |
12 |
|
1 |
3 |
4 |
|
ヤマハ |
78 |
4 |
1984 |
500cc |
12 |
4 |
4 |
1 |
9 |
2 |
ヤマハ |
142 |
1 |
1985 |
500cc |
12 |
3 |
6 |
|
9 |
2 |
ヤマハ |
133 |
2 |
1986 |
500cc |
11 |
7 |
2 |
1 |
10 |
7 |
ヤマハ |
139 |
1 |
1987 |
500cc |
15 |
5 |
6 |
1 |
12 |
2 |
ヤマハ |
157 |
3 |
1988 |
500cc |
15 |
7 |
4 |
1 |
12 |
2 |
ヤマハ |
252 |
1 |
1989 |
500cc |
15 |
4 |
6 |
3 |
13 |
1 |
ホンダ |
228 |
1 |
1990 |
500cc |
9 |
|
2 |
4 |
6 |
|
ヤマハ |
118 |
7 |
1991 |
500cc |
13 |
|
|
2 |
2 |
|
カジバ |
126 |
6 |
1992 |
500cc |
13 |
1 |
|
|
1 |
2 |
カジバ |
56 |
9 |
最終更新:2010年05月10日 19:06