出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)は、出雲神話の一つ。「稻羽之素菟」(『
古事記』)のうち素菟(素兎)が正しい。これを白兎というのは、素が裸の兎とも、素色( 未漂白の生地の色、つまり白)から来るとする解釈がある。なお、『古事記伝』(本居宣長著)以降は白で定着している。
淤岐島(おきのしま)(所在不明)から因幡国に渡るため、兎が海の上に並んだワニ(
古事記では「和邇」 …鮫という説が有力)の背を欺き渡ったが、最後にワニに着物を剥ぎ取られ、八十神(やそがみ)の教えに従って潮に浴し風に吹かれたために身の皮が裂け、苦しているのを大国主(この時はオオナムヂ、〔オホナムチ〕)が救うという話である。
説話
大国主には多くの兄弟(八十神)がいた。八十神が稲羽(因幡)のヤガミヒメを妻にしようと出掛けたとき、八十神はオオナムヂ(大国主)に荷物を全部持たせた。気多(けた)の岬に着くと、裸の兎が伏せっていた。八十神は、「お前は海水を浴び、高い山の上で風に当たって寝ていろ」と指示した。兎がその通りにすると、海水が乾くにつれて身の皮が風に吹き裂かれた。
兎が痛みに苦しんで泣き伏せっていると、そこに遅れてオオナムヂがやって来た。オオナムヂが何があったのかと問うと、兎はこう答えた。「私は淤岐嶋にいて、こちらに渡ろうと思ったが渡る手段がないので、海の和邇(わに)に「お前と私とでどちらが仲間が多いか競争しよう。できるだけ仲間を集めて気多の岬まで一列に並びなさい。私がその上を走りながら数えて渡るから」と言った。和邇は言われた通りに一列に並び、私はその上を跳んで行って、地面に下りようとする時に「お前たちは騙されたんだよ」と言うと、和邇は私を捕えて着物を剥いでしまった。先程通りかかった八十神に言われた通りにしたら、すっかり傷だらけになってしまった」。
オオナムヂは兎に、河口へ行って真水で体を洗い、そこに生えている蒲の花粉(蒲黄)を取ってその上で寝ると良いと教えた(蒲の花粉は傷薬に良く使われた)。兎が教えられた通りにすると、体は元通りに直った。この兎は、後に兎神と呼ばれるようになった。
兎はオオナムヂに、「ヤガミヒメは八十神ではなくあなたを選ぶでしょう」と言った。
解説
陸上の動物が水中の動物を騙して水(ほとんどは川)を渡るという説話は、東南アジアやインドなどに分布している。元々は大国主とは関係のない伝承を、大国主の話として
古事記に取り込んだものと考える説もある。
兎が住んでいたという「淤岐嶋」は、隠岐島であるとする説と、特定はせず単なる「沖の島」のことであるとする説がある。また、現在「白兎海岸」と呼ばれる浜の沖80mほどの所に、
古事記の記述通りの「淤岐島」がある。ただし、本来の伝承では、洪水によって増水した川などの短い距離であったと考える説もある。白兎海岸の近くには、白兎神を祀る白兎神社がある。
鎌倉時代の辞書『塵袋』に残る記述では、兎は元々高草郡の竹林に住む老兎であり、洪水に遭って島(オキノシマ)に流され、元の住み処に戻るために魚(ワニ)を騙したとされている。白兎海岸に設置された白兎伝説の紹介パネルなど、いくつかの再話や民話集はこの記述に依っている。
サメ説
和邇(わに)は一般にはワニザメのこととされるが、特に特定はせずサメやフカのことである。ただし一般化した経緯は国定教科書によって刷り込まれた「作られたイメージ」である。「ワニザメ」は後に分類が進んだ結果としての和名で、獰猛なサメといった意味である。旧因幡国(現在の鳥取県)を含む山陰地方の方言ではサメのことをワニと呼んでいる所がある(『日本国語大辞典』)。言うまでもなく野生の爬虫類のワニは現在の日本本土に生息していない。 ただし実吉達郎はその著書でイリエワニが漂着する可能性を指摘している。
ワニ説
次のような理由で和邇をワニとする説がある。
- サメをワニと呼ぶ地域は山陰の一部に限定され、他ではサメ・フカ等と呼ぶ。
- ワニがサメの旧呼称で、山陰以外のすべての地域ではその呼称を捨てたとするのは不自然である。
- 鰐にはワニという訓がある。
- ワニという単語がもともとサメという意味ならば鮫という漢字が使われ始めた時に「わに」という訓を当てなかったのは不自然である。
- 水面に並んで浮くという行動は実際のワニの生態によく合うが、空気呼吸ができず(底生のもの以外)静止状態では窒息してしまうサメには無理である。
- 背鰭のあるサメの背中は跳び難い。(頭はともかくサメの背を跳ぶウサギの絵は描けない。)
- ワニが空中の餌を取る行動はよく観察されるが、サメには(特に静止状態からでは)難しい。
- 海の和邇との記述から川の和邇が存在が示唆される。
- 当の古事記、山幸彦と海幸彦には陸上の産屋の中で子を産む和邇の話がある。(なお、ワニのマングローブ林等での移動を考えると大きな和邇ほど遅くなる理由も合理的に説明できる。)
- インドや東南アジアの説話では、爬虫類のワニの背をシカやサルがわたるというものがあり、その関連が研究者により指摘されている。
- 他にも東南アジアのイモ栽培に起源を有するとされる話が古事記にある。
- 獅子や鯱と比べ、日本人はワニに対する正しい認識を維持し続けてきた。
- 日本語の「わに」は古代中国語で爬虫類のワニを指す鰐魚(ngakngia)からの転訛という説がある。
日本語の「わに(鰐)」と現代中国語の「ウァユイ(鰐魚)」が似ているのは同源だからと考えられる。
- イリエワニは日本に漂着することがある。
- 出雲風土記の毘売埼の和邇は陸に上がることができる。
- 上代に和邇という名前で描かれたサメの絵は見つかっていない。
- 史実では4世紀末に日本に伝わった馬が日本神話では須佐之男命の時代から日本にいたことになっている。
同様に後から漢籍や絵画で知ったワニを神話に登場させたとしてもおかしくはない。
したがって、古代の日本人は遠く東南アジアからワニに対する正しい知識を受け継ぎ、見たことのない動物に対しても明確に想像できる能力を有していたことになる。
医療の神
この説話及び
日本書紀のスクナビコナ(少彦名)と共に病気の治療法を定めたとする記述などから、オオナムヂ(大国主)は医療の神ともされている。この説話と八十神の迫害説話は、古代の医術の一端を今に伝えるものである。
一方、「海水で洗え」という兄神の指示は一見悪意に満ちたものに思われるが、この行為は「塩水による消毒」を示唆しているともいい、兄神とオオナムヂの指示を併せれば、「消毒した後、創傷の保護をする」という医療の基礎を説いているのだとも言う。ただし実際には、海水で洗っても消毒にはならず、また創傷を風に晒して乾燥させると皮膚の再生を阻害することになり、兄神の指示は医療行為の一環どころか全くの逆効果である。
最終更新:2022年04月07日 20:14