「絶望の生還者」
これは、夢。
平凡な女子中学生のあたしが、南アメリカのジャングルのようなところに連れてこられて殺し合いをするなんてありえないんだ。
いま目覚めたら体はもとのままで、記憶もすべて取り戻し、またいつもの日常がくるはずなんだ。
だって、あたしは…
暗い真夜中、街灯の光の下であたしはうつぶせになっていた。
冷たく、固い、コンクリートの床の感覚があたしの体中に感じる。
「生還…したのかな」
気温は寒く、もう冬であった。
雪もかすかに降っていてなおの背中にもほのかに雪が積もっていた。
「いかなきゃ…」
あたしは、家に戻るべく、起き上がろうとする。
しかし右腕の感覚はなく脚も無かった。そして、戻るべき自宅も思い出せなかった。
「…夢……じゃなかったん…だ…」
あたしは戻らないこの体と記憶に絶望し、ふたたび眠った。
左手の甲に少しずつ積もりゆく雪を感じながら。
『…で、9月16日朝、七色ヶ丘中学校の生徒である5人が突如消失した事件の被害者のひとりが1月27日未明、4ヶ月ぶりに発見されました。第一発見者は…』
ニュースの声であたしは目覚めた。
なおは虚ろに目を開き、左目のぼやけた視界がはっきりして見えたのは病院の天井であった。
あたしはベッドに横わたっており、左腕からはよくわからない薬物を点滴されている。
頭上のほうをみるとよくわからない機械が沢山積み並ばれ、電子音を絶えずに発していた。
あたしは薬指と小指のない左手で顔をなでる。顔の左半分はざらざらしており、火傷の痕は残っている。
「あ…はは……ダメじゃん」
あたしはそう呟くと、カーテンが開かれた。
「なお…!目ぇ、覚めたのか!?」
そこに立っていた二人は少し年を取った30~40ぐらいの男女。男は角刈りでガタイのいい人物、女は太っているいかにもオバサンな人物であった。
「なお!!あんたが急に消えた時、私…凄く心配したんだよ!?」
「ほんとうに、本当に生きてて良かった…!!」
その二人の男女は涙を流しながら私に抱きついた。
どうやらこの人は私と仲のいい人物のようだ。それなら誰なのかはっきりしなくてはいけない。
「あの、ふたりは私とどういう関係で…?」
あたしは二人にそう尋ねると二人は驚いた顔であたしの方を見た。
「な、なお、何言ってんだ、おめえ」
「そ、そうよ、まだ混乱しているだけよね!?」
親、と聞いた時あたしは落胆した。生還し、会いたかった親を目の前にしても、記憶を取り戻せなかったのだ。
親であるその二人は心配するような、不安な目でこちらを見ていた。
「あ、ごめんなさい…親、だったんですね」
あたしは親に対して敬語を使っていた。親であるのは判っているが今のあたしにはどうしても他人としてしか感じられなかった。
遅れて医者が入ってきて、親である二人は記憶の事を医者に話していた。あたしはただ窓の方を眺めて殺し合いの事を思い出していた。
三人の話が終わると医者は機材をいじってナースを呼び出し、わたしは車いすに乗せられて研究室のようなところに連れて行かれた。
その部屋は初めてみるような機材ばかりで、あたしは徹底的に診断されていた。カウンセラーのような人と話すこともあったが私は記憶は思い出せなかった。
集中診断が終わって部屋に戻ると、子供がたくさんいてきゃあきゃあ騒いでいた。
「ねえ、ここは病院なんだから…静かにしてね。ここは個室だから…あなた達のお見舞い相手は多分部屋が違うよ。」
わたしは男女の子供たちに注意をして、子供の中の女の子の背中を左手で押して部屋から出るように言った。
子供たちは、あたしの異形な怪我の風体を見て、ぎょっとしていた。しかし、それでもあたしのほうへ近づくので、迷惑だと叱った。
しかしその時丁度入ってきた親に聞かれたらしく、また心配されてしまった。親が言うにあの子供たちは私の弟妹、らしい。
今のあたしにとっては、親も、弟妹も、うっとおしくしか思えなかった。親も弟妹も、悲しそうな目で見ていた。
そして夕方、親も弟妹も帰って一人になった時あたしは布団をかぶり、泣いた。記憶が本当に無くなってしまったあたしが情けなく、ただ、悲しかった。
次の日になると、大勢のマスコミがかけつけ私の個室病室はいっぱいになった。
そりゃ、中学校で仲のいい五人組が同じ日の朝、違う場所に居ながら同時に消えてしまったという事件。当時は現代の神隠しだとか天狗の仕業だとか言われていた。
そしてその後証拠も証跡も全くなく、4ヶ月後に突然わたしだけが戻ってきたのだ。世間が、マスコミが、喰いつかないわけがないのだ。
しかし問題はあたしがその仲良し五人組であることを知らないし、他の四人も全く知らない。もちろん、消息もだ。
そして、私の身に起きたあの殺し合いの始まりは現代科学をもってしても説明できない現象だということである。
しかし嘘をつく理由もないので、私は一切の脚色もなしで全て自分が経験したことを覚えている範囲だが正直に話していった。
誰かに聞いてもらいたかったというのもあるのだろう。
殺し合いのこと、モミアゲのこと、マグマのこと、剣士のこと、沖田のこと、すべてを話した。しかし、それを聞いていたマスコミは呆れた、冷やかな目であった。
「あの…星空みゆき、黄瀬やよいと…日野あかね…あと青木れいか のことはなにかご存じないでしょうか?」
マスコミの一人が写真付きの名簿を見せて聞いた。星空も黄瀬も日野も残念ながら見たことのない顔であった。どうやら、この女の子たちは私と仲が良かったらしい。
しかし、最後の青木という女性は知っていた。火山を登る時、山のふもとで変な格好で走っていた女性だ。
あたしはそのままマスコミに言ったが、マスコミはあきれ果てたのかそのまま部屋から退散した。
しばらくして医者が入ってきた。医者はマスコミから事情を聞いたらしく、訝しそうな口調であたしに言った。
「きみは、記憶混乱がある。それも、深刻な、ね。」
医者は精神の治療も始めるからな、と言い加えた。あたしは狂っていない。本当に経験したのだ。
「あたしが言ったことは本当だよ!この体中の傷もそうじゃないと説明できないでしょ!?」
「あいにく、非現実的なことは信じないタチでね。というか、ありえないんですよ。」
医者は冷めた口調で続けた。
「恐らく、その傷は拷問によってできた傷じゃないかな。青木だけ生きていると言うのは、君は生き残りの二人だったということだ。
他三人は拷問で死んで、きみはそれを信じられずに記憶改ざんし、狂ってしまった。そして、その悪い人に捨てられた。そんなところでしょう。」
医者の言っている事は大間違いだ。私は本当に殺し合いをしていたのだ。
あたしは必死に医者に説明をするが、医者は信じようとせずに電話をしながら部屋から出て行った。
体内に未知の毒の一つや二つでも残っていればそれが物証になったかもしれないが、あいにく全て完治済みだった。
入れ替わるように、オバサンぐらいの女性二人が部屋に入ってきた。
二人は星空と青木の母親らしいし面識もあるらしいが、わたしは見たことが無かった。そのため、冷たく対応してしまった。
二人の母親に一応事実を伝えたが、やはり信じてもらえることはなかった。
あたしだけでなく、いつしか二人の母親もわたしに冷たくなっていた。そして空気の重いまま二人は帰って行った。
普通の傷の治療やあたしにとって意味のない精神治癒を受けながら、無意味に日々が過ぎていった。
あたしはふと、沖田総悟の顔を思い出し、涙を流した。
唯一あたしの事を知っている人間。日本名だし、日本語を使っていたので、もしかしたらあたしと同じようにこの世界に生還しているかもしれない。
あたしはそのかすかな希望にすがるように、親に『沖田総悟』という男を探して欲しいと名前と特徴を併せてお願いした。
しかし、何日待っても沖田総悟は見つからなかった。同じ名前の人が僅かにはいたものの、あたしの探し求めている沖田総悟ではなかった。
やはり、彼は彼の世界に還っていたのだ。あたしの最後の希望も砕けて崩れてしまった。
その日の夜、ひとりぼっちになったなおは葛藤していた。
枕元にあるお見舞いの品のフルーツバスケットの中に親が忘れたいったフルーツナイフがあるのを確認すると、あたしはそのナイフを手にした。
そして、なおはそのフルーツナイフを眺めながら呟いた。
「どこ行っていたか、あたしは正直に答えたのに…信じてくれない。」
「親も、弟妹も、今後、なじめるとも思えない…」
「あたしの、こんなボロボロな身体じゃ、これから満足に生きていけない…」
「それに…総悟もいないなんて……」
月光に輝き、フルーツナイフの表面にあたしの顔が映った。
そこには、右目は隻眼で、左目の上は火傷でボロボロになって、鼻も微妙に曲がっていた。
あたしは、壊れてしまった自分を再認識し、再び涙を流した。
止まらない涙がシーツをぬらしながら、あたしは呟いた。
「もう…生きてても仕方ないや」
あたしは左手に持ったフルーツナイフを首に向け、一気に振り下ろした。
その日の月は綺麗な満月であった。
【バンダイ作品ロワ 緑川なお 完】
最終更新:2013年08月05日 12:47