牢獄の宇宙の中で、ダークネスは嘲笑(わら)う。
永遠に続く暗黒の宇宙を彷徨いながらもそこに焦りや恐怖に類される感情は最早ない。
全ての闇の集積体にとって、邪神の庭など如何ほどのものでもない。むしろ微睡みを誘う程度のものだ。
多元宇宙内の封印といえど絶対ではない。
表と裏に分かれているカードは決して裂ける事はないように、世界の裏側にダークネスは潜み続ける。
闇は無現にして無数。どこにでも在りながら、どこにも無いものだ。
こうしてる今も、表の世界に重なり合い影としてダークネスは存在している。
焦る必要はない。希望とは絶望を育む胤。闇が満ちればダークネスは何度でも表世界に現れる。
「人が、光がある限り、闇も常にそこにある。我は不滅だ――」
故にダークネスは嘲笑う。次元の戦士の奮闘を。勝利したと酔いしれている者達を。
安堵するがいい。平和を謳うがいい。その希望が未来の絶望を育む贄となる。
光と闇の相克、循環は終わらない。これも所詮、その一幕。
そしていずれ、闇は光を食らう。ダークネスはその時を確信している。勝つのは我らだと
忌まわしき調べに乗って深淵を流れる声。生きとし生ける者達を冒涜する邪神の歌。
それを。
「ふぅん。それはどうかな?」
「なに!?」
自信に満ちた高らかな声が、絶望という概念ごと吹き飛ばした。
声がした方向―――もはや上も下もない空間の中をダークネスが振り向くと、男は泰然とそこにいた。
ありもしない風にたなびく、白のコートを纏って。
保てる筈のない正気をその目に平然と宿して。
「馬鹿な―――貴様、何故ここに!?」
たまらず、ダークネスは叫んでいた。
許されざる事態、余りにも理解しがたい光景に山羊の頭を軋ませて。
「海馬、瀬人…………ッ!」
何も無い漆黒の世界において何の憚りもなく己を誇示して、
海馬瀬人が立っていた。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
哄笑が上がった。
宇宙全てを満たさんと響き渡る声。傲慢極まる、しかし邪悪さというものは微塵として混じっていない。
それは男の歌。魂の容と在り様を堂々と見せつける、誇りという名の気高き音色だった。
「何を勘違いしている。まだ俺達のデュエルは終了していないぞ!」
右手には手札のカードを挟み、左手には装着されたデュエルディスクを掲げる。
剣と盾を構える騎士のような神々しき姿。それは紛れもなく決闘者(デュエリスト)が取る決闘の構えだ。
「暗黒宇宙に封印するだけでは貴様は倒せんことは理解していた……。
幾ら叩き伏せようとも這い寄ってくるそのウジ虫の如きしぶとさ。時が流れればいずれ再び表の世界に現出するのであろう。
だが言った筈だ。勝利への布石は既に我が手中にあるとな!来い!我が最強の僕よ!」
いつ出現していたのか。あるいは始めからそこにあったのか。
海馬の周囲の虚空に、三枚のカードが浮かんでいた。
そこから眩くばかりの光が生まれ、光はやがて輪郭を揃え、威風堂々たる実体を形作る。
純白の鱗、青に染まった双眼、―――三体の「青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)」。
海馬の切り札である伝説のドラゴンもまた、主の決闘者に付き従いこの宇宙に参陣していたのだ。
「信じられん……自らトラペゾヘドロンの中に飛び込んだというのか、我と決闘で決着を着けるためだけに……!」
「その通り。横やりが入る心配もなく、逃げる事も不可能なフィールド。
これでようやく尋常な勝負が出来るというものだ!」
それは、正気を疑うような発言だった。
ただの人間の身では、もう二度とここから出る望みは叶わない。
永久に多元化した宇宙の牢獄を彷徨うだけの運命。死を超えた屍人ですら耐えられぬ恐怖の澱だ。
そこに、この男は自らの足で踏み入れた。躊躇なく、むしろ堂々とした態度で開いた穴へと前進した。
どう見ても自殺行動以外の何物でもない。這い寄る混沌ですら発狂しかねない無謀をやってのけたのだ。
幾ら歴戦の決闘者といえど、これ程の暴挙を即座に決断し実行できるものではない……!
「……愚かな、何がそうまでして貴様を動かす。自身を犠牲にしてまで我を滅ぼし、宇宙を救いたいというのか?」
海馬の行動は不理解に過ぎた。ここまでの事をする道理が見当たらない。
己しか顧みない、かつては悪辣な暴君と振る舞ってすらいた海馬瀬人が他者の為に身を挺するなどとは考えられなかった。
前世の神官の魂が使命に目覚めたのか。それとも、十二次元の意思が介入しているというのか。
「ふぅん。神を僭称するクセに頭の巡りは悪いのだな。
俺が貴様に引導を渡すのはあくまで俺個人の理由だ。古代エジプトの神官も、ましてや十二次元宇宙の意思も関係ない!
理由はただ一つ――――――俺が、決闘者(デュエリスト)だからだ」
告げられた言葉は、信じがたいことに偽りなき本心であった。
世界の命運。数多の宇宙の死滅。カードの裏面に潜む闇の意思。
海馬にとってそれらは全て二の次でしかない。
目指すべき夢、叶えるべき野心、偽らざる己こそを何よりも優先する。
それが海馬瀬人の生き方だ。それのみに人世を費やしてきた。今までそう続けてきた。
今更変えられるわけも、そもそも変える理由もない。
「挑まれた勝負を放棄する決闘者が何処にいる!貴様から受けた屈辱を晴らすのは決闘の中でしか有り得ない!
さあ、受けてもらうぞダークネス!これが俺のラストターンだ!!」
海馬は世界を救う為に命を捨てるのではない。世界とは己の栄光(ロード)を築く舞台、カードの枠に過ぎない。
描かれた姿(イラスト)も、記された生き様(テキスト)も、
人の数だけそれぞれにある、自分だけの無二の命(カード)。
それを破こうというなら誰が相手でも怯まない。臆さない。屈さない。
立ち向かい、打破し、蹂躙する。神であろうと。自分自身から生まれた闇であろうと。
だから海馬はダークネスを葬り去る。ただ勝利する為に。
この地上、全ての宇宙にいるただ一人の人間として―――ただ一人のデュエリストとして!
深淵の果てに突き入れんと伸ばした海馬の右腕を中心に、ブルーアイズが集結する。
「フハハハハ! 貴様の勝利へのロード、ここで絶たせてもらうぞ!
3体のブルーアイズで――」
「究極龍(アルティメット)か? 無駄だ、今この場で一時の勝利を得ることはできようと、それは永遠では――」
後に起こる光景に、ダークネスはほくそ笑む。これから海馬は「融合」のカードを発動するのだろう。
青眼の究極龍(ブルーアイズ・アルティメットドラゴン)の攻撃力は4500。それだけあればダークネスのライフを0にする事も可能だ。
だがその敗北は所詮一度一瞬のもの。この決闘で敗北しようとも不滅のダークネスにとっては僅かな停滞にしかならない。
ちっぽけな勝利の自己満足の為にこれから一生宇宙を放浪する事になる海馬を嗤おうとして―――その齟齬に気づいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
海馬の指には―――発動されるべきカードは一枚も挟まれていない。
「オーバーレイネットワークを構築!」
「――なん、だと!?」
意味を図る暇もなく、三体のブルーアイズはその輪郭を崩し、一筋の閃光と化して天を駆ける。
三条の光は絡み合い、渦巻き、宇宙(そら)を満たす。
「見るがいい、我が強靭にして無敵、光をも超越した最強のブルーアイズをッ!エクシーズ召喚!」
表れるは最新。見せるは最強。
邪神の函の中で今、新たな命(カード)が新誕を遂げる。
「『伝説の白き龍(レジェンダリー・ドラゴン・オブ・ホワイト)』!!」
顕現と同時に、暗鬱としていた邪悪が払われた。
青き瞳を黄金に変えた白龍は、一面の暗黒を内から呑み込まんとするほどの光を全身から放ち咆哮する。
翼の羽ばたき生み出した風が、世界が軋み、震撼している。
あるいはそれは、己の庭で生まれた命に盲目白痴の神が驚嘆した声なのか。
ドラゴン族レベル8
モンスターを3体を素材にして召喚されるエクシーズモンスター。
エクシーズ召喚は海馬が生きた世界には存在しない。海馬にとっても未知の領域。何が生まれるか定かではない。可能なのかすらも分からない。
しかし、確信だけはあった。これこそが海馬の望む勝利をもたらす選択なのだと。
根拠はいらない。この僕(カード)が主を裏切る筈などないのだから……!
「攻撃力3000……!ブルーアイズと同じ。だがしかし……!」
「そう、それだけではない!白き龍は貴様を葬り去る為の能力を備えている!
それこそが『マッチキル効果』!」
「……ッ!?」
マッチキル効果。
それは保有するモンスターの殆どない、希少な効果である。
公式大会などではデュエルは二本先取のマッチ戦で行われる場合が多いが、マッチキルはその名の通りルールさえをも覆す。
この効果を持つモンスターがプレイヤーへの直接攻撃によって相手のライフポイントを0にした瞬間―――そのカードの
コントローラーは『マッチデュエルに勝利する』。
本来ならば幾度となく続くはずの決闘を、ただ一度の勝利を『運命』とし、絶対のものとして確定させる凶悪な代物だ。
……そう。殺すことも封じることも不可能なダークネスも、デュエルの勝敗には抗えない。
そしてこの攻撃が入れば、ダークネスが表世界に暗躍する事は不可能となる。
ただの生命であれば策など幾らでもある。だがダークネスは永久不滅、世界が存在する限り消えない対存在だ。
永劫の存在であるが故に―――この敗北もまた永久に刻み付けられる。
その後に待つのはある結果、ダークネスは全てのデュエルに永遠に『負け続ける』。
どれだけ策を弄しようとも、闇の力を高めようとも、最後には敗北するという『運命』が固定されるのだ。
―――自らの意思で消滅する事も選べぬまま。
「お―――のれェェェェェェェェッ!」
激昂。憤怒。恐慌。錯乱。
全てが合わさり混沌とした絶叫だった。
反撃するモンスターのいないダークネスはその指に備わった爪で以て海馬に襲い掛かる。
明らかなルール違反。カードから生まれたモノとして最低限備えていたデュエリストとしての体裁すらダークネスは投棄した。
されどこの場にジャッジを下す審判はおらず。海馬の胸に鋭利な爪牙が突き立てられる。
それより前に、海馬は右手を勢いよく振り抜いた。
交錯する爪と指。結果は明白に終わり―――ダークネスの爪を裂き、骨だけの指を切断した。
「――――――――――――!?」
鮮烈な痛みに苦悶の声を漏らすダークネス。だが海馬は一顧だにしない。視線は自分の右指、その先端を見据えている。
振り切った指には一枚のカード。向かい来る凶手に咄嗟にデッキから引き抜いた、このフィールドでの最初の一枚目。
表記のカード名は―――「青き眼の乙女」。
「貴様のおかげで……」
ルールを侵した事とは別種の怒りが、海馬の脳内を駆け巡り、
「レアカードに傷がついたわ!」
返す手で残りの指を掴み、無造作にねじ曲げた。
元より肉の張ってない骨格だけの指はそれで完全に砕け折れた。
「さあ、貴様の闇に俺という勝者を刻み付け、永遠に敗北者で在り続けるがいい!白き龍の攻撃―――」
白龍が口を開く。星ひとつ咥えてもなお余る大顎がダークネスを捉える。
この輝きを前に、闇が何の虚勢を晴れようか。光も届かぬ虚無すら貫いた、龍の嘶きに。
「や…やめろ……我の傍に近付くなァァァァァ――――――――――――――――――――――――ッ!」
「ヴィクトリー・レジェンド・バースト!!!」
そして、白き伝説が原初の闇を呑み込んだ。
勝ち鬨を上げる龍の雄叫びは、次元を突き破っていつまでも宇宙に響いている。
それはいつかの星で耳にした、古いお伽噺のようだった。
最終更新:2014年01月02日 18:42