少し前までは白銀の雪に覆われていた幻想郷も、今ではすっかり春の色を取り戻していた。山からは雪の白が消えうせ、代わりに桜の色に染まっている。
香霖堂の窓からも桜がよく見える。不精でそのままにしていたストーブも、もうお役御免だろう。あとで荷物と一緒に片付けようと心の隅で思いながら、霖之助は売り物の壷に腰掛ける魔理沙に向き直った。

「この筒、まるで意味がわからないな。香霖、これなんなんだ?」

「COMPというものらしいよ。コンピュータというものの一種で、魔方陣の代わりに計算式を使って悪魔や妖怪を使役するらしい。といっても又聞きだから実は僕にも詳しいことはわからない」

魔理沙が弄っていたのはフツオくんから譲り受けた機械だ。ハンドベルコンピュータというもので、なんと彼の自作だという。悪魔がいなくなった以上不要というものだからちょっと無理を言って譲り受けたのだ。
その他にも幻想郷ではまずお目にかかれないような品を大量に持ち帰ることができた。草薙の剣は紛失してしまったが、それを差し引いてもお釣りが来るというものだ。

「ふーん、式神みたいなもんか……あれ?この荷物って香霖のじゃないよな。誰のだ?」

魔理沙は式神には興味がないのか、COMPから目を離すと話題を切り替えた。そういえばまだ魔理沙には詳しい事情を説明していなかったか。

「それは空目くんのものだよ。ほら、あの黒尽くめの」

「……うげ、あいつのかよ。なんであいつが香霖のとこにいるんだ?」

彼の名を聞いた途端に魔理沙が渋面を作る。そういえば以前に彼と魔理沙が魔術云々で論争していたなと思い出す。論争とはいうが、途中からはほぼ彼の独壇場だったらしいけど。
とはいえ魔理沙とて本気で彼のことを嫌っているわけではないだろう。霖之助はそう考えながら彼の荷物がここにあるいきさつを話した。

「彼が最近幻想郷にやってきたことは知ってるだろう?人里での住居が用意できるまでここに泊めていたんだ」

「あー、そういやまだここに来てからあんま時間経ってなかったんだな。あまりに濃すぎて全然そんな気がしなかったぜ」

先ほどとはうってかわったしたり顔で魔理沙はうんうんと頷く。自分はあまり外を出歩かないから噂には疎いが、この様子を見る限り彼はそれなりには幻想郷の住人と交流を持っているようだ。

「うん?それなりどころの話じゃないぜ香霖」

霖之助の呟きが聞こえたのか、魔理沙は勝手に戸棚から茶菓子を取り出しながら語り始めた。いつもながらなんとも自分勝手な奴だ。

「あいつ、幻想郷の主だった連中とは軒並み親交があるんだぜ?人里で慧音と仲良く話してたと思ったら次の日には永遠亭に行ってるわ。紅魔館や守矢神社の連中とも仲がいいっぽいな」

これは驚いた。お世辞にも社交的とは言えない彼がこの短期間でそこまで交友範囲を広げていたとは思わなかった。守矢神社に関してはあの場に巫女がいたからその繋がりなのだろうが。

「他にも最近やってきた神様連中とも親しげだしさ、無愛想な癖になんでか好かれてるんだよな。ありゃたらしだなたらし。全く色男の面目躍如というか……」

「……俺はいつの間にそんな面目を躍如したんだ?霧雨」

ふと気が付くと、魔理沙の後ろにはいつの間にか件の彼が立っていた。
相も変わらぬ黒尽くしの服装で、無表情ながらも鋭い目つきで魔理沙を見下ろしている。魔理沙も僕と同じように直前まで気づかなかったからか、振り向きつつも絶句しているようだ。

「……よ、よう恭一、いつの間に……?」

「先ほどからずっとだ」

ごまかし笑いの入った魔理沙の挨拶に、彼―――空目恭一は抑揚に乏しい声で答える。

「そ、そうか……気づかなかったぜ……」

空目は冷たい、というより無感動な目で魔理沙を見下ろしている。冷や汗ものだ、あの図々しくも恐れ知らずな魔理沙が若干硬直しているというのだからその威圧感は相当なものなのだろう。
無論、それは意図してやっているのではないのだろうが、と、そこまで考えたところで魔理沙からの「気づいてたなら教えろよ」という視線に気づく。僕だって言われるまで気づかなかったんだから仕方ないだろう。
だがここで助け舟を出すのも吝かではない。霖之助は咳払いをひとつして空目に問いかける。

「昨日、住む場所は決まったと言っていたね。荷物は纏めてあるけど、もう出るのかい?」

「ああ、そのつもりだ」

世話になった。そう言いつつ荷物に手をかけようとする空目の横で、今更硬直から解放された魔理沙がはたと気づいたように問いかける。

「そ、そういやお前ってどこに住むんだ?やっぱ人里で慧音の世話にでもなるのか?」

「半分はその通りだ。彼女の紹介で貸し本屋の手伝いをすることになった」

「貸し本屋?ああ小鈴んとこか。だったら珍しい蔵書とかあったら貸してくれよ。知り合いのよしみでさ」

先ほどとはうってかわって随分と積極的に絡んでいくものだ。逞しいと言うべきか、商人としては商魂かくあるべしと見習うべきか。そんなことを一瞬だけ考えてすぐに切って捨てる。

「それじゃあまた。君と過ごした時間は決して長くはなかったけど中々有意義だったよ。困ったことがあったらいつでも声をかけてくれ」

「こちらこそ世話になった。いつか礼は返す」

それじゃお礼参りだろ、とか、私と随分対応が違うなとかぼやく魔理沙を背に、彼はそのまま店を後にした。それを眺めたあと、霖之助は塩漬けの桜を浮かべた茶を用意して静かに啜った。

「相変わらず愛想の欠片もない奴だったな。というかそんなお洒落なお茶があるなら私にも分けてくれよ香霖」

「相変わらずというなら君だって同じだよ魔理沙」







「よう!誰かと思えば恭一じゃねーか!」

「こんにちは、恭一さん!」

人里へと向かう道中、少ない手荷物を持ちながら歩いているところに出くわしたのはカズマと早苗の二人だった。
人里に買出しにでも行っていたのか、その両手には大量の袋が抱えられている。もっとも、その大部分はカズマが担いでいるのだが。
緑色の髪を揺らし朗らかに挨拶する早苗と荷物の重さに震えながらもそれをおくびにも出さないカズマの二人に、空目は表情を変えないまま目線だけで答える。

「そんで、ここで何してるんだ?」

「引越しだ。今から人里に向かう」

「あー、そういえばそんなこと言ってましたね」

何かを想うようにしみじみと頷く早苗に、カズマが何を大げさなと相槌を打つのを見ながら、空目はふと頭上の木々を見やった。
桜、満開のそれらは色濃く息づき、舞う花弁は春風を可憐に演出している。
自分がここに来たことにはまだ蕾すらまばらだったか。
らしくもないことを感慨もなく思考しながら、空目はあの時のことを思い出す。



一月前、気づいた時には"そこ"に立っていた。
理由も経緯も分からない。無名の庵での決戦、自分と十神の間を引き裂いた亀裂。最後の言葉。その全ては記憶にあるものの、意識が断絶して目覚めるまでの一切が空目には分からなかった。
だから空目はそこから歩いた。歩いて、歩いて、歩き続けた。余人以下の体力しか持たない彼にしてみれば驚異的な持続力で歩き続け、気づけば人里に行き着いていた。
後にここは幻想郷で、自分がいた場所は無縁塚であることを知る。



「あの時はホントにびっくりしましたよ」

早苗の言葉で意識が現実に引き戻される。

「ああ、あの時は確かに驚いたぜ。まさかアンタが生きててくれるなんてな」

カズマのその言葉も無理はないだろう。
空目も、ヤンも、霖之助も。あの作戦を考えた者は全員空目の生存を最初から絶望視していた。正直なところ、生き残れたという事実は空目本人にとっても予想外の出来事なのだ。
空目は無名の庵から帰らず、十神によってもたらされた空目死亡の報と共にそれは真実味を帯びたものとなったらしい。それ故にこの幻想郷で再会した際の彼らの驚きようは凄かったと言える。

「あれは俺も想定外のことだった。藤井の流出の影響か、俺は"ここ"に放逐されることで存在を容認されたらしい。僥倖なことだ」

「ああ、あいつの力が守ってくれたってことでいいんだよな?」

だからこそ今度は命を粗末にすんなよ、とサムズアップするカズマを尻目に、空目は思い出す。
十神との最後の会話。

"お前をみすみす死なせたくない。いや、たとえ死ななくともお前に人の幸せは訪れるのか。お前の選択は本当に正しいのか"

正しかったかどうかは分からないし、そもそも完全に正しい選択など無いに等しいと、空目は思う。
少なくとも、命が失われることはなかったというわけだ。ならばそれでいい。

「それで、お前達は買出しの帰りか」

「はい、実は明日うちで宴会をすることになりまして」

そう言う早苗の顔は喜色に溢れている。対してカズマは重労働を課せられるからかゲッソリとした表情だ。

「うちの神さん主催でな。覇吐さんたちも呼ぶことになってるんだ。実は後でアンタのことも呼びに行こうと思ってたんだよ」

坂上覇吐と、久雅竜肝。共に空目や早苗・カズマと共にあの殺し合いを生き抜いた者たちだ。
彼らもまた幻想の存在故に、また幻想郷の守護者である八雲紫を手にかけた責任を取るために、同じくその身を神格とした仲間と共にこの幻想郷へと移住したのだという。
それが今から半月ほど前の話だ。彼らも空目の顔を見るや目を丸くしていたことは言うまでも無い。

「そんで今から諏訪子さんと神奈子さんの手伝いという名の雑用押し付けを片付けるわけだ……というわけでよければ明日の正午に来てくれよー……」

そう言うとカズマは、会った直後の溌剌さを微塵も感じさせない消沈した声で別れを告げた。そんなカズマの背中をバンバンと叩きながら「さようならー!」と手を振る早苗を尻目に、空目は人里に向かう足を再開させたのだった。







さわさわと、桜の花が揺れていた。

あの後、人里にて転居の手続きと挨拶を終えた空目は荷物を置くと里のはずれまで来ていた。
人嫌いでも他人を苦手にしているわけでもないが、それでも群集の只中にいることが得意なわけではないから、人のいない場所というのは空目にとってはお誂え向きだった。そも、本来なら混沌という概念と化している空目の存在は常人には害悪にも等しいことを自覚しているのであまり力持たぬ他者と関わり合いになろうとも思っていなかった。
それでもいつまでも霖之助のところに厄介になるのは筋が通らないし、かの人獣が人里に張った結界により影響が最小限に食い止められるということから人里への転居を許諾したという経緯があったりする。

ともかく……

心地よい春風が肌をなでるのを感じながら、空目は並木道を歩いていた。
幻想郷に来て分かったことが一つある。ここは、全てを受け入れる。
人も、妖物も、概念も、何もかも。それが悪しきものであっても害悪を撒き散らすものであってもお構いなしだ。
だからこそ空目はここにいることができる。
しかし、ここは自分の知る異界とはまるで違う。自分の知る異界は人の想像の及ばぬ世界だ。だがここは人の生活の痕跡が色濃く残っている。
ならば自分の知る異界はどうなったのだろうか。全ては現実世界から閉ざされ、二度と干渉されないと、そういうことなのだろうか。
あの臙脂色の服を着た少女は―――

ふと、匂いを感じた。

強烈な既視感が頭に湧き上がる。風に乗って流れてきたその匂いは、"枯れ草に少しの鉄錆を混ぜたような"もの。
酷く場違いなそれは、空目の記憶の中に確かに残っている。
人里への移動で溜まった疲労など忘却の彼方に置き去り、空目はその黒尽くめの痩躯を風上に向けた。
香りを追う。樹木の多い一角を抜ける。
目の前に開けた土地が広がる。

そこに……


その少女は立っていた。


―――郷よ、郷よ、夢の、郷よ、旅の娘が帰ります
   雲とおく、肌近き地より、夢の娘が帰ります
   亡き郷に還る輩のため
   郷覆う関に黒の鍵
   亡き郷に在る父のため
   郷具う門に赤の鍵
   黒の鍵は、高き壁に
   赤の鍵は、深き垣に
   還る者は、黒の鍵を
   行く者は、赤の鍵を
   郷よ、郷よ、山の、郷よ、旅の娘が帰ります
   雲とおく、肌近き地より、夢の娘が帰ります―――


凛、と澄んだ声。
纏う花弁を乗せた風。

儚げで色彩の欠いた、現実とは思えない光景がそこに広がっていた。
そこにいたのは、臙脂色の服を着た少女。

「……ああ」

かの地での誓いも、旧友達との記憶も、凄惨な殺し合いを生き抜いた証左も、全ては異界に消えてなくなる。
今この時になって空目は理解する。十神が危惧したのはそれであると。
人も、記憶も、想いさえも。全てを受け入れ包み込む異界。全ての異なるものを受け入れ、同時に一部とする混沌。
それに呑まれてなお、空目は空目として在れるのか。

"お前をみすみす死なせたくない。いや、たとえ死ななくともお前に人の幸せは訪れるのか。お前の選択は本当に正しいのか"

その心配は杞憂だとも。お前の危惧を踏み越えたというなら、これで俺達は1勝1敗になる。
だから十神、もう心配することはない。俺の選択は―――

「正しかったと、証明された。証拠がここに在るわけだ……なあ?」


「―――はい」


視界が滲む。涙が、とめどなく溢れてくる。
少女はそこに立ち尽くし、ぽろぽろ、ぽろぽろと、とめどなく涙を流した。

春の香りが風と共に吹き込む。
その風には微かに、ほんの微かに―――枯れ草の香りが混じっていた。







―――その後、幻想郷ではある噂が流れた。

奇妙な本を書く男女の噂だ。
それは奇妙な殺し合いの中で生き足掻く者たちの物語。決して趣味がいいとは言えないそれが、しかし幻想郷の者達の間で流行した。
幻想郷の守護者八雲紫や、人狼。その他大勢の人間や人ならざる者たちが様々な想いを胸に秘めながら必死に抗う物語が話題になったのだ。
鈴奈庵という貸し本屋でのみ売られるこの本は、しかしその話題性とは裏腹に作者の人物像が一切表に出てこないのだという。

しかし、それらしき人物を見たという声もある。時々人里で目撃される、最近幻想郷にやってきた若い男女がそれだ。
その正体について知っていそうな道具屋の店主や守矢の巫女にいくらか質問が寄せられたが、彼らは笑いながらも口を噤んだ。
男のほうは黒い服、女のほうは赤い服を着ていたという。

【混沌ロワ 空目恭一 完】

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最終更新:2014年10月21日 01:43