雨のせいか中途半端な時刻のせいか、週末にも関わらず割といつも埋まっているいつものスタジオが2時間とれてしまった。
腹部と鼓膜に響く音を踏み、叩き、翠星石は念願のドラムセットの感触を確かめている。
目を見開いて、黙って楽器のチェックに集中している真剣な表情に、こらえきれないといった感じの笑みが重なり、それを見て、少し背中が震えた。
そのぞくぞくとする感覚は、さっき無理やり飲まされたアルコールのせいも否定できないが、
酔いはスタジオに連れてこられるなりメンバー5人分の飲み物(つめた~い)を背中に放り込まれた時点で醒めているはずだった。
……というかむしろそっちのせいだろうか。
蒼星石の向かい側、真紅も名前と同じボディカラーのギターを構え、いくつかのコードを弾いて音を出していた。
初めて楽器屋にギターを選びにいった日、「音が気に入った」と言ってこのセミホロウタイプのギターを買った真紅だったが、翠星石は最後まで「ロックっぽくない」と反対してフライングVとかファイヤーバードをプッシュしていた。
蒼星石も同じような変形ベースばかり薦められたが、真紅にならってごくノーマルなフェンダー・ジャズベースに決めた。
最初ギターボーカルの役割を熱望していた翠星石だから、ドラムに心変わり……というか「あんな乱暴な楽器は自分にはできない」と主張した真紅が、翠星石に「一番大きい楽器だから目立つ」とか「多くのバンドでリーダーはドラマーだ」とか吹き込んで心変わりさせたわけだが……させられた後で、自分が持っていたかもしれないギターやベースには、自分の求めていた「らしさ」が欲しかったのだろう、と思うので、やはりその気持ちもある程度汲んであげるべきだったのかもしれないとは今でもたまに思うが、たぶん今さらそんなことを言ったら怒るだろう。
たぶん「今のわたしたちの今の音が最高ですから、それでいいんです」とでも言うんじゃないだろうか。
マイクの接続や機器のチェックを終えた金糸雀がこちらに向かって親指を立てた。
蒼星石もレンタルのベース(フェンダー・プレシジョンタイプ)のボリュームを上げ、弦をはじく。
それは蒼星石にしてもやはり久しぶりの感触で、再び背筋が震えた。
今度は寒気なんかじゃなく、これは自分の鳴らした音と、これから鳴り響く音への予感だと思った。
「ら、ら、らー、なの」
雛苺がマイクに声を通した。何度かうなずいて、にっこりと笑って、準備ができたことを知らせてくれる。
「さーてそいじゃあ……」
翠星石が皆の視線を集めてから言った。
「最初からクライマックスでいくですよ、野郎ども!」
互いに素早く視線を交わして、全員が小さくうなずいた。
翠星石がスティックを掲げ交差させ、4つ打ち鳴らした直後、そのカウントすら食いぎみの音の連打が始まった。
◇
2時間たっぷり自分達の曲や即興の演奏を合わせたりした後には全員が汗まみれになっていて、使っていた部屋を出た廊下の突き当たりの休憩スペースでは、各自がそれぞれ、来た時に買ったのとは別の飲み物をあおっていた。
翠星石がどっかとソファに座って、
「いやー、でも燃えたですよ」
と言って、んふふ、と笑った。
「そうね、なかなかホットな演奏だったわ」
翠星石の向かい……蒼星石の隣に座った真紅が、しきりと額やら首筋やらにハンカチをあてつつ言った。
「『なかなかホット』どころじゃねーですよ。エキサイトしてほとんど弦を掻きむしってたです」
「な、そんな野蛮な……!掻きむしるだなんて」
と言いつつ顔が紅いのは、先ほどまでの余韻だけではないだろう。
「でもほんと、すっごくすっごく気持ちよかったの!」
翠星石の隣で雛苺が、興奮冷めやらぬといった様子で座ったまま跳ねるように身体を揺すった。
「うんうん、やっぱりみんな、色々溜めこんでたのかしら。それが一気に爆発した感じかしら。
できれば復活ライブまでとっときにしたかったくらいのエネルギーだったかしら」
雛苺の横でソファの肘掛に腰掛けた金糸雀が腕組みして言ったのに対して翠星石が、
「別に解散もしてねーですのに復活ライブってなんですか復活って」
「お久しぶりライブとかの方がよかったかしら?」
「ださいです」
「エレガントじゃないわね」
「こんな時ばっか息合わすなかしら!」
「かわいくていいと思うのよ、かなりあ」
「うぅ、雛苺~あなただけはわかってくれると思ってたかしら」
「あう、くるしいの」
「暑苦しいですねまったく」
金糸雀が雛苺に抱きついたり翠星石がそれを引きはがしたりしているのを見ていると、
「蒼星石、貴女も楽しんだかしら」
真紅が声をかけてきた。
「うん、翠星石にはなんだかんだ言ったけど、僕も楽しかったよ」
「そう、よかったわ」
それきり真紅は何も言わず、小型の魔法瓶をギターケースから取り出して、紅茶を注いで飲み始めた。
話しかけられた感じで何かあるのかと思ったのはそうでもなかったのかなと思いながら、目の前の光景(金糸雀が翠星石のヘッドロックを受けて猛烈なタップ)に注意が行きかけたところで、
「新しい曲のことなのだけど」
やおら真紅が言った。あまりうまくいってないと言っていた作曲のことだろうと思った。
「退屈だったの」と言う真紅に、
「曲を作るのが?」とたずねる。
「そうね……曲を作ってる時の気分というのか、退屈だったから曲を作ろうとしたのだけど、曲になるような気がしなかったわ。何か足りないような気がして」
退屈は翠星石が、そして蒼星石が感じていた気持ちでもある。おそらく雛苺も、金糸雀もそうだっただろう。
これまでRozen Maidenとして作ってきた曲の多くは、日ごとに加速する気持ちと音の勢いをそのまま形にしていくだけというか、少なくともメンバーがお互いに共通の完成に向かうイメージを持っていたために、もちろん試行錯誤はあったが、作曲が極端に難航することは無かった。
しかしそんな音が詰まっていた自分たちのこれまでに対して訪れた、音の無いここ2ヶ月が、自分たちの音を知る以前の退屈よりももっと、気持ちに余計に空白を感じさせていて、その中で曲を作ろうとしたことなどは、真紅にとってこれまでに無かったことのはずだ。
しかしその気分が今、つかの間とはいえ、戻ってきた自分たちの音によってどこか遠いものになっている。
だからきっと足りなかったのは……
「今日、みんなで音を出せてよかった」
蒼星石がそう言うと、真紅はうなずいて、
「長い退屈の後に今日みたいな日が来て、思い出したわ。
退屈な時間は退屈のまま。でも、また騒がしい日が戻ってくるとわかっていれば、そこには別のものもある」
「それ、翠星石にも言ってあげてくれないかな」
翠星石も真紅のように考えることができれば、少しは勉強に集中できるんじゃないかと思ったが、思っただけでやっぱり「退屈は退屈です」と言うのが翠星石だろうな、という考えは真紅も同じのようで、
「あら、そういう翠星石のおかげで今日この機会があったのだわ」
と、少し悪戯っぽく眉を上げてみせて、
「だから今、あの曲ももっと良いものになる気がするの」
と言って、ほっとしたような顔で微笑んでいた。
その時がこんと音がして、見ると、翠星石がかがんでいて、自販機から缶を取り出すところだった。
ぷしゅ、と音をたててプルタブを開けて、まだ汗に濡れて顔に落ちかかる髪をはらって缶に口をつけると、ぎゅっと目をつぶって勢い良く反らした喉を、ごくごくと鳴らしながら飲みはじめたその感じが快活で、翠星石らしくていいなと思っていると、
「っくぁーッ!この一杯のために生きてるですねぇーッ!!」
いきなりオヤジになった。
「オヤジがいるかしら、オヤジが」
「誰がオジンですかッ!」
金糸雀が同じことを考えたのがおかしくて、小さく噴出すと、
「ほら、言った通りでしょう、騒がしいのが戻ってきたわ」
と真紅が耳打ちしてきて、さらに噴き出してしまった。
「そ、蒼星石まで翠星石をジジイ扱いですか!?」
その笑いを翠星石が勘違いして、こちらを見た顔が実に変な表情で、それがますますおかしくて、蒼星石は自分のキャスケットで顔を隠し、声をこらえて笑い転げた。
怒りながら微妙にショックを受けているといった表情だと思った。
「ジジイまでは言ってないかしら……」
と金糸雀がつぶやいて、横でぶふっ、と音がして見ると、真っ赤な顔で真紅が口やら手やらに噴いたものを拭いていた。
最終更新:2008年06月09日 01:42