――――あの日のアレはなんだったのかなぁ
金曜日の午後、ぼんやりと教室の窓から空を眺めながらそんなことを考えていた。授業なんて上の空で全然頭に残っていない。
そのまま時間だけは過ぎ、放課後になり、そして――――
「お待たせ!」
少し息を切らせた蒼星石がやってきた。
「…そんなに急がなくてもいいのに」
「待たせるのは好きじゃないんだ。それじゃ行こうか」
そう言って肩に担いでいるケースの位置を直し、わたしたちは出発した。
「ねぇ蒼星石ぃ…ホントにいいのぉ」
「うん、みんな別に構わないって言ってたよ」
「でもぉ…」
「ほらほら、そんなに沈んだ顔しないで。雛苺は笑ってた方がいいよ」
蒼星石は本当に優しい。一言一言がわたしに沁みこんでいくみたい。
「…蒼星石は優しいね」
「そんなことないよ。僕の周りの大切な人たちはいつも笑っていてほしい…それだけなんだ」
ああ、もう言わないで。それ以上優しくされたら、わたし
「――――雛苺?着いたよ」
「ふぇっ?」
気がついたらスタジオと呼ばれる建物の前にいた。
「多分もうみんな来てると思うから。はい」
わたしが怖いと思ったのか、右手を差し出してくれた。
「うん!行くの~」
わたしは―――――強く、その手を握った。
「こんにちは。みんなは今どの部屋に?」
蒼星石がカウンターの店員とお話をしている。けど、間もなくこっちに戻ってきた。どうやらお話は終ったみたいだ。
「みんなは“N'S ROOM”にいるって。こっちだよ」
「ウィ…」
正直お腹が痛くなってきた。友達だけどこれに関しては部外者のわたしが軽々しく入ってもいいのだろうか?
やっぱり帰ろうかな…と思っていたら前を歩いていた蒼星石が止まったので、背中に顔をぶつけてしまった。
――――バフッ
「むぃ」
「あっごめん。大丈夫?」
「…大丈夫なの」
「そう…じゃあ開けるよ」
そう言いながら、重そうな扉のノブに手をかけた。
――――ガシャッ!
重々しい音が響き、目の前の扉が開いた瞬間――――耳と目を刺激するのは、幾重にも重なった音の波。
綺麗な音。歪んだ音。小さな音。大きな音。いろんな音がわたしを貫いた。アレ?おかしいな、足が―――動かない。
「どうしたの、雛苺。早くおいでよ」
すでに部屋に入っている蒼星石の声で動けるようになった。
「あ…うん、今行くの」
わたしも扉の向こうへ入った。中には所狭しと機材で埋め尽くされていた。
床にはマイクのコードやスピーカーとつまみがいっぱい付いた箱からコードがダラリとしていた。
足の踏み場がほとんどないにも関わらず、すでに弾くのを止めたみんなは気にしないと言わんばかりにくつろいでいる。
「ゴメンみんな、遅れちゃった」
「おっせぇーですよ!一体どこの路傍の草食べてきたですか?」
「ちょっと蒼星石」
「何だい、真紅」
「あなた本当に連れてきたのね、雛苺を」
「うん。いけなかった?」
「いけなくはないのだけれど…」
「別にいいじゃなぁい…ギャラリーがいようがいまいが」
「…別に問題…ないよ…?」
「そういえば金糸雀は?」
「彼女はわたしたちがライヴが出来そうなイベントを探しにいったわ。
これもマネージャーの仕事かしらーって息巻いていたのだわ」
「そうなんだ。頑張ってるね…あっ…雛苺、こっちにおいでよ」
蒼星石はずっと扉の側にいたわたしを手招きした。そこに留まっている訳もないので素直にそれに応じた。
コードを踏まないように何とか気をつけて蒼星石の側まで行くことができた。
「そこ、あぶない…よっ…と!」
着いた時、危うくコードが固まっている所を踏んでしまいこけそうになったわたしを蒼星石が横から抱き止めた。
「あ…ありがとうなの」
「どういたしまして」
多分こういう状況を女の子は憧れる。蒼星石は微笑みながら安全な場所に起こしてくれた。
何気なくこんなことができる人なんてそうはいない。だから女の子にも人気があるんだろうと思った。
「さぁ蒼星石も来たことだし、お遊びの時間は終わりなのだわ」
「えぇ~っ?もう少しやろうですぅ!」
「ちょっと面白かったのにねぇ?」
「…ねぇ?」
「―――フゥ…あなたたち…あと何分か知ってて言ってるの、そのセリフは?」
真紅の言葉を聞いてみんなが一斉に出入口の上に掛かっている大きな時計に目をやる――――七時四分。
五分まであと三十秒足らずといったところだろうか。そんなことをぼんやり考えていたら、いきなりの叫び声に耳をつんざかれた。
「ほぁぁーーー!!あ、あと一時間もねぇですよぉ!!!」
「さすがにちょっと遊びすぎたかしらねぇ…」
「……反省」
「分かってくれたかしら?それじゃあ始めるわよ――――蒼星石、準備は?」
その返事の代わりに持っている楽器をスライドさせる。
側にあるわたしより大きい箱から低く太い音が滑り出ててきた。少し…いや、けっこービックリした…。
「出来てるよ。さ、始めようみんな」
「「「うぃ~……」」」
だらけた声を出しながらも各自の楽器のチェックを素早く済ませる三人。やる気があるのかないのやら…。
「何からやるの、真紅?」
「そうねぇ…あなたの指慣らしも兼ねてカバーからやりましょうか」
「わかった。で、曲は?」
「―――――“only shallow”」
そう真紅が言った瞬間、翠星石が太鼓を叩き出すと一斉に音が溢れ出した。
水銀燈が切り刻むように、掻き毟るように弾き、翠星石は淡々とした中でもどこか熱の帯びたリズムを叩き、蒼星石もまた同じだ。
薔薇水晶は三人の音の中を泳ぐみたいに自分を主張している。
真紅は―――目をつぶって弾きながら、歌っている。
その姿は歌の世界に入り込んでいるように見えた。
みんな、お互いを意識して重なり合おうとする意志を感じたような気がする。
――――わかった。わかってしまった。彼女たちは今本気なのだということに。
――――わたしは彼女たちみたいに――――真剣に生きて―――いるのだろうか
――――気がついたら曲が終っていた。
時計を見るとまだ三分ちょっとしか経っていないのに、わたしにはその間が一時間にも二時間にも思えたのだ。
真紅が他のみんなに何か言っている。まだまだグルーブが…とか、ドラムはもっと柔らかく…とか、わたしには全くちんぷんかんぷんな会話だ。
「どうだった?」
横から蒼星石が話しかけてきた。
「うん…すごいの。みんなお上手なのね」
それぐらいしか言えない。それでも蒼星石は嬉しそうに
「本当!嬉しいなぁ…素直な感想って嬉しいよ、雛苺!」
本当に嬉しそうに喜んでる蒼星石を見て、わたしも嬉しくなって笑ってしまう。
「ヒナ、バンドのこととかよくわかんないけど…とても素敵だなって思ったのよ」
「あらぁ…嬉しいこと言ってくれるじゃなぁい」
水銀燈が口を挟んできた。それに翠星石も乗ってきた。
「チビ苺でも私たちの良さがわかるとは…これはいよいよ人前で演奏せよという神の啓示ですぅ!」
「はいはい、自惚れるのは程々にしときましょう。練習続けるわよ、次は――――」
真紅が次の曲名を言うとすぐにみんなスイッチを切り替えたみたいに表情が変わる――――そして演奏が始まった。
今度はさっきより早く重い曲だった。翠星石は実にイキイキと叩いている。表情豊かな叩き方が印象的だ。
蒼星石は表情を変えることはないけど、細かくも大胆にうねる音が床を這いずり回っている。
けれど二人よりももっともっとイキイキとしているのは水銀燈だった。
楽器の端から端まで使って見えなくなるぐらいの指使いに目を回しそうになる。
時々左手を上下逆さにして弾く様はさすがに開いた目がふさがらない。
そんな姿のわたしを見た水銀燈は、こっちに向かって可愛くウィンクをした。ホントこの人には……かなわない。
薔薇水晶は淡々としているが、歌がない間奏になるとよりドラマティックに曲を変幻させている。
真紅もさっきより声を張り、勢いよく歌っている。
ときどき楽器の方がおろそかになっていたが、やっぱり歌いながらは難しいということだろうか。
さらに練習は加熱していく。もう一時も休まずに続けている。
そんなにレパートリーがないのか、ある程度の曲数をこなすとまた最初から始める。
それでもわたしはすごいと思ったし、みんながとてもまぶしかった。
このままずっと聞いてたいな……そう思っていたら、突然のベルに演奏が止まった。
「やべぇですよ、もう時間ですぅ!」
「しかたないわね。今日はこれまでにしましょう」
この日の練習はさっきのベルが終了の合図だったらしい。
みんなは急いで自分の楽器をケースに詰めて外に出していた。わたしは見ているだけなのも悪いなぁと思ったので、お手伝いをした。
今日はもう一つ分かったことがある。楽器は意外と――――重いっていうこと。
「じゃあ今日はお疲れさま。また明日ね」
真紅の一声で集まりは終わったようだ。
みんなちりぢりにそれぞれの家路にたとうとした時、蒼星石が――――
「水銀燈ちょっと待って。確か雛苺と帰り道ほとんど同じだよね?送ってあげてよ」
と言い出した。
「えぇ……ま、別にいいけどぉ」
気だるく承諾する水銀燈。
「助かるよ。本当は今日誘った僕が送るのが筋だと思うんだけど、ちょっとこの後用事があって……ごめんね」
「だからぁいいって……途中まででいいんでしょ?」
「うん、家が確認できる所までお願いするよ」
「確認って……はぁ……変な所で押しが強い子ねぇ……行くわよぉ雛苺」
「え……うん、わかったの!えと……そ、蒼星石……今日はありがとうなの」
「いえいえ。それじゃまた明日ね」
手を振りながら真紅たちと別方向に向かう蒼星石を見送っていると、後ろから水銀燈に肩をつかまれた。
「は・や・く行きましょ……ね?」
「――――はいなの」
半ば引きずられるようにわたしは水銀燈と一緒に帰ることになった。
帰り道、水銀燈は何も話そうとしない。時折退屈そうにアクビをする。
「ねぇ水銀燈」
恐る恐る話し掛けてみた。
「なぁに」
気のない返事が余計に怖い。
「す、水銀燈は何で真紅たちのバンドに入ったの?」
少しだけ考えるような素振りを見せる。そして――――
「真紅たちだったら面白そうだと思ったから……かしら」
あっさりと簡潔に答えてくれた。
「それだけなの…?」
「それだけよ」
これまた簡単に言う。
「そうなんだ…」
「そうよぉ。それだけ、私があのバンドのいる理由なんてね」
「じゃ、じゃあ他にもっと上手い人たちから誘われたら…どうするの?」
また少しだけ考えて―――――
「ああ、それは無いわねぇ」
即答だった。
「どうして?」
「別に今に何の不満もないもの。あなたもおかしなこと聞いてくるわねぇ」
「う、うん。ちょっと気になったから」
「何よぉ、はっきり言いなさいよぉ。スッキリするわよぉ、言いたいこと言っちゃえば」
今度は攻守が逆転したみたい……。
「今日の練習見てね、思ったの…水銀燈が一番上手で他のみんなは…正直足を引っ張ってると思ったの」
「ふぅん…それで?」
「何であんなに上手いのに真紅たちといるのかなぁ…って…思ったの…」
まるでヘビに睨まれてるカエルの気分だ。言葉尻がどんどん小さくなっていく。
「まぁ確かに、あの娘たちはまだまだよねぇ」
意外な言葉だ。さっき、不満は特に無いと言ったばかりなのに。
「確かに私よりレベルは格段に落ちるけどぉ…それでもそこいらの奴らより断然マシだわぁ」
落としたと思ったら、急に上げる。もうわからない。水銀燈が何を考えているのか。
「あのねぇ雛苺、わからないかも知れないけど上手い奴らが集まっただけじゃダメなのよぉ。下手でもいいのよ。
その人にしか出来ないものを持ってればねぇ。幸い…あの連中はそれがあったわけ。うん。それに関しては、私ラッキーよねぇ?」
ラッキーよねぇ…と聞かれても…ねぇ?
「ま、そのうちわかるわよぉ。あなたにもね――――ところであなたの家ってここら辺じゃないのぉ?」
話しててどれくらい歩いていたか分からなくなっていたのか、気がつけばお家の近所だった。
「あ―――ホントなの」
「ここまで来ればもう私はいいでしょ?じゃあねぇ~」
すぐにこの場を去ろうとする水銀燈にわたしは―――――
「待って水銀燈!最後に聞かせてほしいの…水銀燈はなんでギターを弾いているの…?」
わたしの言葉が聞こえたのか、進んでいた足が止まった。
「……バカバカしくて答えるのもアホらしいけど……あのねぇ雛苺、そんなの決まってるじゃない――――私には“コレ“しかないからよ!!」
振り返らず背中のケースを右親指で指さしながら“大声で”宣言した。
――――あのね、水銀燈……ここ住宅街だよ?
でも―――カッコいいと思った。
自分が信じたものを信じて突き進む――――簡単そうに思えるけど、現実はそうじゃない。
けれど水銀燈はそれを高らかに叫んだ。その声にわたしは微塵も疑いはしなかった。
「――――うん、そうだね水銀燈…そうなんだよね!!」
「……え?何が?」
「よぉーし、ヒナも頑張るのー!アイトーアイトー!!アリガトーねーすーいーぎーんーとー……」
いてもたってもいられなくなった私は家まで走って帰ることにした。
当然走りながら喋っているから、最後の方は間延びして聞こえたのではないだろうか。
「何よぉ……あの暴走機関車ヒナ①号(五分後にDIE爆発する)は……ま、別にいいかぁ。火がつくのは面白そうだしねぇ」
水銀燈が何か言ったような気がするが、もうこの距離じゃ聞こえない。
走り始めて五分、お家に着いた。
ろくにただいまのアイサツもしないで、急いでお風呂に入って部屋に戻りベットに入った。
寝る前は素敵な空想の時間。現実ではありえないことも頭の中では自由だ。
今夜わたしが描いた夢は――――。
―――次の日の放課後、わたしはHRが終ると急いで教室を出た。みんなを探すためだ。
一階には―――いない。
二階にも―――いない……となると―――。
駆け足で三階に向かう。階段を二段飛ばしで、踊り場を急速旋回―――再び二段飛ばし。
そうやって三階に着くと、聞き覚えのある音が聞こえてきた。
音の方角には音楽室がある。
みんなは―――そこにいる!
再度走る、走る。
そして音楽室の前に立つと、音で扉がビリビリ響いている。わたしは勢いよくその扉を――――開いた。
「―――雛苺?」
その一言で演奏をしていた皆の動きが止まる。
「くぉらぁチビ苺!練習のジャマするんじゃねぇですよ」
「ごめんなの翠星石……あの、みんなにお話があって」
「話…?何なの、話してみなさいな」
「うん……あのね、」
わたしはここで一旦区切って、大きく息を吸い込んだ。そして――――。
「ヒナをバンドにいれてほしいの。ヒナ……みんなと一緒にバンドがしたい―――歌いたいの!」
精一杯の大声でわたしは宣言した。
大半があっけに取られた顔をしている中、水銀燈だけが声を殺して笑っている。
蒼星石はヒナを見て――――微笑んでいた。
わたしは今、自分にまとわりついていた殻を脱ぎ捨てた。
――――やっと飛べる。
みんなの返事を待っている時、わたしが心に思い浮かべていたものは――――大きな翼を広げ、大空を舞う鳥の姿だった。
第二話 震える指先 END
最終更新:2006年06月29日 10:14