真紅と水銀燈が居なくなりカレンダーが新しい月へと変わり薔薇乙女達が
住む街は梅雨独特のジットリとした大気に包まれ、断続的に降る雨の音
が授業をより退屈なものへと変えていく。
金糸雀は頬杖を付き1ヶ月前まで水銀燈が座っていた机をボンヤリ見ていた。
(水銀燈はしっかりヤッてるかしら?)
真紅と同じクラスであった翠星石と薔薇水晶も思っていることは金糸雀と
変わらなかった。
(もう連絡が1週間もないのですぅ、心配ですぅ)
*
その頃、ベッドと机、それにギターとアンプだけが置かれた6畳ほどの
部屋で水銀燈は遅い朝を迎えていた。
Tシャツとパンツ姿のまま眠そうな目付きで軽く頭を掻きつつキッチンに
続くドアを開けるとテーブルの上にパンとメモがある。
その真紅が書いた文字を声に出して読む水銀燈。
「バイトに行ってくる。帰りはいつもの時間です。フワァ~・・・」
アクビのあと、水銀燈は真紅が用意しくれたパンを口に入れながら小さな
冷蔵庫を開けビックルを取り出すとパンをビックルで腹に流し込み時計を見る。
「さぁ~てぇ、私もぉ仕事だわぁ~。今日も稼ぐわよォ」
そう言うと水銀燈は膝の辺りが破れた黒いジーンズをはきタバコを銜えて
部屋を出ていった。
水銀燈が部屋を後にした時刻、真紅はエプロン姿で昼食を取りにきた
客にランチを出していた。
「どうぞごゆっくりなのだわ」
「おっ、真紅ちゃん今日もカワイイねぇ」
ランチを注文した客が言うと作り笑いで対応する真紅はすぐに
カウンターに戻る。
東京を大きく横断する道路沿いには近代的なオフィスビルや若者に人気の
店が多く立ち並ぶ。そこから一歩裏道に入ると途端に懐かしい雰囲気が流れ、
ゆるやかにくねる坂道には昔ながらの商店街がある。
その一角に真紅が勤める赤いレンガ作りの洒落た喫茶店ホーリエがあった。
その店を切り盛りしている60歳代の初老のマスターはカウンターに帰って
きた真紅にニコリと笑いかける。
「真紅ちゃんがウチに来てから客が増えたようだよ。本当に助かるよ」
とても優しい目をしたマスターに真紅も笑みがこぼれる。
「私のほうこそ助かるのだわ、時々店を貸してもらって」
「ハハハ、なにを言うんだい。同じ音楽好き同士じゃないか」
このホーリエは週末の夜になるとマスターの趣味であるジャズを演奏する
洒落たジャズバーになる。
そのライブに真紅と水銀燈も時々参加させてもらっていた。
「真紅ちゃんと水銀燈ちゃんみたいなカワイイ若い子が演奏に入って
くれて常連客はみんな喜んでるんだよ。それにロック好きな客なんか
今度はいつ真紅ちゃんと水銀燈ちゃんが出るのかってよく聞かれるよ」
そう言い真紅が先ほどランチを運んだサラリーマンを指差す。
「そうね、今晩にでも水銀燈に話しておくわ、そろそろ私も歌いたく
なってきたのだわ」
「じゃぁ、今週にでも良かったら演奏に参加してもらおうかな?」
「ええ、水銀燈もたぶん出たいって言うと思うのだわ」
カラン~。店のドアに付いた鐘が鳴る。
「いらっしゃいませなのだわ」
真紅は入ってきた客にメニューと水を持っていった。
ライブの話が出た頃、水銀燈は仕事の真っ最中であった。
「きゃぁ~、まぁ~た確変だわぁ~。これで12連チャンよぉ」
水銀燈の足元には銀色の玉が入った箱が高く積み上げられていた。
*
夕暮れ前、水銀燈の足元に積み上げられていた箱が4つにまで減っていた。
(チッ、ヤラれたわぁ~。台を変わるんじゃなかったわねェ~。
まぁこの辺りがァ、潮時ってヤツねぇ~。いちおう金になったしィ~)
タバコを灰皿に押し付けるように消し席を立つと、突然ニヤリと笑う。
(ん?・・・来たわぁ、この感じよぉ~。フンッ、フフフン~♪)
水銀燈の頭を生まれたばかりのメロディーが流れ出した。
その頃、ホーリエの壁に掛けられている古い大きな時計が午後6時を知らせる。
「真紅ちゃんお疲れ。じゃぁ、週末の演奏のことよろしく頼むよ」
「わかったわ、お疲れ様なのだわ」
真紅は店を出ると小さくフゥ~っと息をはく。街を飛び出したほんの
1ヶ月前が遠い昔話のように感じられる。
住み慣れた街とこの東京では同じ時刻、同じ季節の中にいても感じるものは
大きく違っていた。
海からの風が髪を揺らすこともなく、ただ陽が陰り紫色に染まる高層ビルと
眠らない喧騒の中で真紅はマンションに向かって歩き出した。
ホーリエからゆるやかな坂道を歩くと昔ながらの商店街があり、それを
抜けると雑居ビルなどが立ち並ぶ中に真紅と水銀燈が住むマンションがある。
「ただいま、なのだわ」
真紅は疲れた体をリビングにあるソファに沈めると水銀燈の部屋から
嬉しそうな声が真紅を呼ぶ。
「できたわよぉ~真紅ぅ。これ、これ、ねぇ聴いてぇ~」
先に帰っていた水銀燈は先ほどから浮かんでは消えていたメロディー
を形にしようと奮闘していた。
ソファーに腰掛ける真紅の前でニコニコと笑う水銀燈はギターで生まれた
ばかりのメロディーを奏でる。それは水銀燈にしては珍しい静かな旋律。
弦の振動から広がっていくメロディーはネオンの灯りが付き始めた東京の
夜に同調するかのように真紅と水銀燈の部屋を満たしていく。
真紅はテーブルの上に置かれたペットボトルを掴みマイク代わりにすると
ソファーの上で立ち上がる。
「気付いたァ~。Don’t ~、Don’t you love the sound~、ラララァ~♪」
思いつきの言葉で歌う真紅。水銀燈も同じくソファーの上にあがり
真紅と並び弦の振動をより確かなものにしていくと2人だけの小さな
ライブが大都会の片隅で始まった。
慣れない東京の暮らしに少し疲れていた真紅の胸に水銀燈の作った
メロディーは心地よく染み渡る。同じく水銀燈も真紅のハリがあり伸びて
いく声に自然と柔らかい笑顔になる。
思いつきの歌詞を適当に当てはめた曲が終わると2人は声を出し笑った。
「イイ感じの曲なのだわ、最高の気分よ、水銀燈!」
「あたり前よぉ~、誰が作ったと思ってるのォ~。ウフフフ」
真紅と水銀燈が笑っていると水銀燈の携帯が鳴る。
「はぁ~い、誰ぇ? あっ、メグぅ、ウン、ウン、いいわよぉ~」
「メグからなの?」
「近くにいるから来るってぇ~。ノリとオディールも一緒よぉ」
「じゃぁピザでも頼むのだわ」
「それイイわねぇ~。私ぃ、お腹ペコペコよぉ~」
数分後メグ達は真紅と水銀燈の部屋にいた。真紅はオディールが持ってきた
アップルパイを皿に盛り、得意の紅茶をティーポットに入れる。
初めて真紅達の部屋に入ったノリとオディールは周りを珍しそうに見渡す。
「凄いわねぇ、ソファー、テーブルなんか凄く高そう。オシャレねぇ~」
ノリは感心した眼差しで磨きこまれ独特の光沢が冴えるテーブルを見る。
「それ、知らない間に真紅が私のお金で勝手に買ったのよぉ~。
値段は怖くて言えないわぁ~」
そこに紅茶とアップルパイを持った真紅が現れる。
「さぁ、メグもオディールもくつろいで頂戴」
アップルパイが乗せられた皿に感心するオディール。
「Oh、このプレートはロイヤルコペンハーゲンですね。素晴しいデス」
「それも知らない間に買われていたわぁ。もちろん私のお金よぉ」
真紅はリチャードジノリのフィレンツェティーポットからダージリンを
ティーカップに注ぎメグに手渡す。
白をベースにしたカップには小さな薔薇の絵が書かれている。
そのカップにメグは無邪気な笑みを見せる。
「きゃ~、可愛いカップねぇ」
「そのカップはヘレンドのプティットローズというティーカップなのだわ」
「ちょっと真紅ぅ、こんなのいつ買ったのォ~?」
「昨日よ。その質感にしては安かったから購入したのだわ」
「いくらしたのォ?」
「20000円くらいなのだわ。それよりマイセンのシュガーポットで
イイのを見つけたのだわ」
「それを買ったら殺すわよ真紅ぅ~」
真紅と水銀燈が言い争いを始めた頃、週末に行われるライブの練習をしている
薔薇乙女には以前のような活力が見られなかった。
「いったん解散したほうがイイのかもしれないね」
そう独り言のように呟く蒼星石は静かにベースを置いた。
最終更新:2006年05月21日 03:09