アットウィキロゴ
雨上がりの空は、それこそ何だか物語の始まりを告げるような雰囲気を漂わせていた。
天気予報通りの夕立が過ぎ去ったのは、ちょうど学校の昇降口で友人と別れを告げた頃。
部活へと急ぐ彼らに手を振り返しながら、こんな涼しい日は何処かへ寄り道して帰ろうと思った。
そんな割と平凡な毎日を何を残すこともなく過ごす夕波 直人は、茜色の空を見上げ、馴染みある通学路をてくてくと歩く。
ついでに、何を思ったのか連れがいるわけでもないのに、わざわざ自転車を押して歩いていたとも補足しておこう。
その後、彼は書店に寄り、毎月購入している総合音楽情報誌『Groovin'』を今月はまだ買っていないことに気づき、レジに走った。
新刊が出ていたことがあまりにも予想外のことだったので、彼は有頂天のまま、再びやっぱり"自転車を押して"歩き始める。
そして、彼の日常を震撼させる事件が起こったのは、実にその10分後のことだった。

何度も通る見慣れた横断歩道の前で立ち尽くしながら、彼はもうすぐそこに来たる夏休みを想っていた。
先週、そして先々週は、断腸の思いで期末テスト、そしてそれに続く悪夢の返却週間を全力疾走で乗り切ったのである。
せめてもう明日から夏休みにしてもおかしくないな、と独り勝手なことを頭に巡らせていたその時。
歩道側の信号が青になり、無意識に、まるでオートメーション化された機械のように、直人は歩き出す。

「…ぁ…ないっ!」

最初は、何処かで誰かと誰かが口論でもしているのかなぁ、とだけ思った。
甲高い叫び声が少し離れたところから聞こえてくるのだが、こちとら全く意にも関していないのでその内容までは聞き取れない。
不明瞭なノイズがかった叫び声を無視して歩道を渡っていると、続いて今度は重いモーター音が耳に届いた。
嫌な予感を感じ、反射的に顔を上げて歩道の信号を確認するが、確かに歩道側の信号は青だ。
おいおい、遂に幻聴を聞いてしまったのか?俺は。
肩をすくめ、歩き出そうと左右を見回したその時。直人は大きく目を見開かざるをえなかった。

ああ……確かに、知らなかったわけじゃないさ。
アレだろ?横断歩道を渡る時は、手を上げて右見て左見て、もう一度右見るってやつ。
信号が青でも確認を怠るなって奴さ。
けどさ。それを今時、高1になっても続けている奴が何処にいる?
加えて、こちとら此処はただの通学路だ。今まで事故という事故に遭ったことの無い通学路なのだ。
そんな場所で律儀に毎日、横断歩道を手を上げて渡る奴がいるだろうか?
しかし、そんな言い訳に似た直人の言葉をまるっきり無視して、目の前から突っ込んで来る赤い影。
一台のそのスポーツカーは全く減速する様子は無く、むしろクラッションを鳴らしまくって突進してくるではないか。
ふざけんなよ!そっちの信号赤じゃねーか!と叫び散らしたいところだが、何しろ突然のことなので喉が詰まってしまう。
というか、叫んだところでどうにかなるという話では無い。
………ヤバい!
脳がただその単語だけを連呼している中、直人は完全に歩道の上に立ち竦んでいた。
棒立ちカカシと化した自分。
そして、突き進んでくる赤い赤い血塗られたようなスポーツカー。
最悪の事態を感じて、直人が目を閉じたその瞬間だった。

「危ないっ!」

そんな叫び声が本当にすぐ傍で聞こえ、気づけば自らの体は宙を舞っていた。
いや、あの車に轢かれたわけじゃない。
直人は何故か、背中にタックルを喰らって歩道側に突き飛ばされていたのだ。
━━━突然、飛び出してきた何者かの手によって。





病院のアナウンス。
そして、人の行き交う音。
そのどれもが耳を通り過ぎてゆく。
時間が、いやに長い。
さっきから3時間は待っただろうと思ったのだが、携帯の時計を見ても、たったの半時しか経っていない。
無意味に流れてゆく時間。
けれど、俺にはどうすることも出来ず、座り込んだ備え付きの椅子と同化したように動けなかった。

「………はぁ」

消毒液の香りが混じった病院特有の匂いを吸い込みながら、俺は大きく息を吐く。
さっきからずっと、この高ぶった感情をどうにか平静に保たせようとしているのだが、結局、事件のことを思い出すばかりで何の効果も無い。
むしろ落ち着け落ち着けと思えば思うほどに、自分の首が絞まってゆく思いだった。
アレか。裁判待ちの罪人って、こんな気持ちなんだろうか……?

「えーっと、君が夕波 直人君でいいのかな?」
「え、あ、はい!」

不意に名前を呼ばれ、慌てて顔を上げる。
いつの間に接近していたのだろう、目の前に白衣を着た初老のじいさんが立ち、俺を見下ろしていた。

「あの!それで、えっと、あの子は!?無事なんですか!?」
「ええ、無事ですよ」

立ち上がり詰め寄る俺を落ち着くようにたしなめると、じいさんは好意的な笑みを浮かべ、

「むしろ彼女の方が君の無事を心配しておられましてね。ええ、少し軽傷はありますが、気を失っていたのは一時的なものかと思います」
「……ってことは」
「右手の骨が少しだけ折れてます。ですが、それだけです。あんなにも派手な事故を起こしたというのに、これくらいの傷で済んだことが奇跡のようですよ」

とにかく命に別状が無く、それに後遺症も残らないことにまずは深い安堵を覚えた。
しかし、彼女が怪我して、俺だけが無傷という事実は変わらない。
俺が悪かったわけじゃないにしろ、結果的に命を助けられたのだ。

「あの、すいません。あの子の治療費とかもあると思うので、ちょっと親に電話してきます!」
「あ、いえ……それが」

待合室にある電話ボックスに走ろうとする俺を、じいさんは呼び止める。
振り返ると苦笑半分、驚き半分の顔で彼はこう告げた。

「彼女……君が直接会ってくれるなら、別に治療費はいらないって言ってるんですよ」
「へ?」

さっぱり意味が解らず、あんぐりと口を開けたままじいさんの顔を見つめる。
治療費は要らない……?
当然の反応だと思ったのだろう。
じいさん自身もわけがわからないという気持ちを顔に滲ませて、肩をすくめて見せた。

「とにかく、逢ってみては如何です?部屋までご案内しますよ」







入院患者病棟の2階までじいさんに同行してもらい、

「ここから突き当りまで行って、右に曲がってすぐの部屋、203号室です」

という説明を受けて、俺達はそこで別れることになった。
世話になった感謝の意を伝えると、彼は愛しい孫を見るような顔で見送ってくれた。
振り返ると手まで振ってくれている。
ああ、何て優しい人なんだろうな……。あの田舎に住んでいる我が頑固者祖父とは、対を成す程に違う。
ともかく、そんな暖かい和やかな気持ちを抱きながら、俺は指示通りに病棟の廊下を歩き始めた。

「へぇ……」

思えば、入院病棟などめったに来る機会の無いところだった。
まぁ、身内で怪我する者もほとんどいないし、別段、来る機会の無いそっちの方が喜ばしいことと言えるかもしれないがな。
印象としては病棟内が何処もかしこも静かで、見慣れない機材が並び、一般の病院とは何か違う空気が流れている感じがする。
だからと言って、無遠慮に室内をきょろきょろと辺りを見渡すのどうかと思ったし、変なことはしてないぜ。予め言っておくけど。
俺にだってモラルはあるんだよ。
そんなことを呟き、俺はすれ違う看護婦さん達の理想と現実のギャップに鬱死しながら、ようやく廊下の突き当たりに辿り着いていた。
補足だが、俺は………もう信じないことに決めた。某かぐやのゲームなんてな。

「203……203……203」

部屋番号を何度も口にしながら、俺は扉のナンバープレートを巡って行く。
速まる鼓動を抑えて歩いて行くと、明らかにこの病棟の空気とは逸脱している病室に出くわしてしまった。

「蒼星石っ!さぁ、さっさと吐きやがれですぅ!犯人の名前は、誰なのです!?」
「へ!?あ、ち、違うんだよ!僕は、別に……」
「脅されてるなら素直にそう言えばいいわ。けれど、いい?私達に隠し事は」
「し、真紅まで!?だ、だから、僕の話を……」
「あら、蒼星石ぃ。あなた、もしかして犯人を庇ってるのぉ?んふふっ……あらあら。ここまでお人好しだといつかあなた」
「水銀燈!」
「いーちーごー!いーちーごーのうにゅー食べたの、だーれー!」


………。


「………何だココ?」

ライオンでも、トラでも、ゾウでも、引っ越しオバハンでもいい。
この扉の向こうには、一体、何が徘徊してるのだろうか?
サイレントな病棟の穏やかな空気を明らかに乱している騒ぎ声━━━いや、ちゃうわ。獣の雄叫び。
扉越しなのにも関わらず、まるで耳元で叫んでいるかのような咆哮が廊下に響く。
触らぬ神に祟り無し。
引っ越し引っ越しさっさと引っ越し。
いつぞや聞いたそんなフレーズが脳裏に蘇り、俺は半歩後退るように引き下がった。

「え、えーと、それで203号室は何処だ?」

騒音溢れる迷惑な部屋に一瞥さえせずに、俺は、不憫に思えて仕方がない隣の部屋の番号を確認する。
プレートを手に取り、視線をやるとそこには"204"とあった。
オーケー。問題無い。
軽やかな足取りで、俺はそのまま、そのまた隣の部屋へと移る。
確認するまでも無いのだが、とりあえず念には念をと思い、扉にぶら下がったプレートに目をやった。
………しかし、何処からどう見ても、そのプレートには"205"という数が刻まr

「ち  ょ  っ  と  待  て」

くらっと軽い立ち眩み。
パンクしかけた思考を強制中断させ、俺は思わず頭を振る。
そうやって、この脳内CPUが息を吹き返すまで、しばらく深呼吸を繰り返していた。
よーしよしよしよし。いいぞ。ちょっと整理させてくれ。
つまり……



<引っ越しオバハン> <204号室> <205号室>
                     ↑イマココ!!\(^o^)/人生オワタ



「………マジかよ」

マジで人生オワタだった。
恐る恐る未だ騒音が止まない扉のプレートには、確かに"203"と刻まれているではないか。
急激に重くなってゆく頭を抱えながら、俺は再びその部屋の前に立つ。

「………入れるわけねぇ」

ギャーギャーと喧しい雄叫びは、もはや何と言っているのか聞き取ることさえ難しい。
何故、俺はこの部屋に呼ばれたのだろう?
庇ってくれた女の子は救急車の中で見た限り、とても誠実そうな人に見えた。いや、意識が無かったけどそうであってほしい……。
なのに、こんな獣の雄叫びが咆哮する病室に彼女がいる……?
アレか。
彼女の親がソッチ系の人で、

『治療費はいいから、タマァ、置いてけやぁ!なぁ!?坊主』

みたいな……。
最悪の悪寒が、最悪の妄想を呼び、このすくみ上がりそうな心のコンディションをさらに最悪にする。
とにかく、この部屋の中に入れば、俺は無事な体で戻ってこれないかもしれない。
本能的にそう感じ取った俺は、扉のノブを掴んだ手を離した。

「ムリだな、これは……」

回れ右をしてそのまま立ち去ろうとしたのと、目の前の扉が開いたのはほぼ同時だった。

「あ゛」

タイミングは、もう逸していた。
間抜けな声を漏らしたまま、俺は蛇に睨まれた蛙のように立ち尽くす。
開いた扉の向こうには風変わりな容姿の少女がいて、ただただ俺の目をじっと見つめていた。

「………」
「………」

見つめ返し合うばかりの沈黙。
冷や汗がたらりと頬を伝う俺を見つめる彼女は、ややあって僅かにその首を傾けた。

「……………はいらないの?」

薄い紫色の髪がさらりと揺れる。
金色の瞳はまるでガラス細工の人形のようで、底無しの無感情な瞳が俺を見つめていた。
ごくりと喉を鳴らした後、俺がどうにか返事を返そうと口を開いたその時だった。
途切れていた騒音が、遂に息を吹き返した。

「薔薇水晶!!でかしたですぅ!そいつが犯人のヤローですっ!」
「さぁ!捕まえなさい!今すぐに!犯人は犯行現場か被害者の近くに戻って来るって、くんくんが言った通りだわ!」
「あ、あらあらぁ?」
「………了解」
「ひ、雛も殺るのぉー!」

そんな轟音達が爆ぜた瞬間、逃げ出そうとした手首と襟首を物凄い力で掴まれる。
気がつけば、そのまま抗えないほどのスピードで、俺はその病室に引きずり込まれていた。
この間、実に2秒ともかかっていない。

「な!?おい、何すんだよ!」

室内に押し込まれた俺は、成す術がないままに引きずられてゆく。
暴れて抵抗を試みるも、もう既に後の祭りであった。

「おい!離せ!離せって!う、うわっ!?」

背中に足蹴にされたような衝撃が突き刺さり、そのまま前につんのめって床に転がる。
無残に地に伏した俺は慌てて飛び跳ね、上体を起こし、その部屋の中にいた"獣"達を見上げた。

「痛っ!な、何しやがるっ!って…………お、女の子?」

てっきり髪に剃りこみでも入れたゴツい兄ちゃんかと思っていたのだが、その予感はあっさりと裏切られた。
俺の周囲を囲いこみ、じっと睨んでくる5人の影。
それは、薔薇の刺繍が施された奇抜なセーラー服を纏った、それぞれに特徴ある女の子達だったのだ。

「なぁに?その顔。まるで怖い物でも見てるような顔じゃなぁい?」

なめ回すような視線でこちらを見やる銀髪の少女が、うっとりと声を漏らす。
人差し指を唇のあたりに寄せて、妖しい笑みを浮かべると彼女は言葉を紡いだ。

「んふふっ。ねぇ、犯人さぁん?」

………犯人?

「えーっと、それはどういう意…」
「とぼけるなですぅ!貴様がやりやがったのはもうお見通しです!」

言葉を遮るように突然、指先が鼻先に突きつけられる。
視線が伸ばした指を辿ってゆくと、茶色の長い髪をした少女が深く眉を寄せていた。
朱と緑の特徴的な瞳が嫌悪に歪み、歯がぎりぎりと音を鳴らしている。
明確な敵意の表現に、俺はただ引き攣った愛想笑いをするしか出来なかった。

「………俺、何かしたっけ?」
「こ、この期に及んでまだとぼけやがるですかっ!?」

物凄い剣幕で少女はいきなり襟首を捻り上げ、詰め寄ってくる。
静止を求める暇も無く、俺は袋のネズミと化してしまい、か細い悲鳴を上げる

「く、ぐるじ……い」
「さぁ、さっさと  認  め  や  が  れ  で  す  !」

もう……わけわかんないや。
まぁ、とりあえず、コイツらが何でか知らないけれど、俺に怒り狂っているのだけは解る。
面倒くさい。
嘘でもいい。何にも知らないわけだが、こうなったらもう認めちまおう。
適当に俺がやりました、悪かったですーなんて言えば許してくれるさ。うん。女の子だもん。

そうやって1人勝手に結論付けた後、俺が口を開こうとした時、すぐ後ろから全ての喧騒を掻き消すような声が聞こえた。




「も、もう止めて!いい加減にしてよっ!みんな!」




………今度は、何?
びっくりしたのはどうやら俺だけでは無かったらしい。
俺を囲む金髪の少女も、それにさっきの女の子達も驚いたような顔で何かを見つめている。
その視線達が自分の後ろへ注がれていることに気づくのには、少々時間が掛かった。
ようやく全員が何処を見ているのかが解り、俺も彼女達に倣って後ろを振り返り見る。

「み、みんなが酷いことして、ごめんなさい。あの、大丈夫ですか?」

そうひどく優しい声音で俺に尋ねてきたのは、白いベッドの上で体を起こしている女の子だった。
茶色のショートカットの髪を左の指先で弄くりながら、彼女は曖昧に笑って見せる。
まじまじと俺の体を眺め回すと、ようやくほっとした安堵のため息をついた。

「良かった……。あの事故の怪我、無いみたいだね」

呆然と、そんなその目の前の少女を見つめながら、俺は扉に吊るされたプレートに書かれた患者の名を思い出していた。

「えっと、君は確か」
「あの……初めまして。僕は蒼星石って云います」


最終更新:2006年06月05日 10:59