足取りが重い…翠星石の家に近付くごとに真紅の歩幅は小さくなっていく。
閑静な住宅街の一角にある翠星石の家が見えてくると真紅の足は止まる。
そして、しばらく唇を噛みながら思いを巡らせてみた。
私はいつからジュンを意識したの? 始めは何も感じてなかったわ。
そう、偶然となりの席に来た、ただの転校生。
ジュンが軽音楽部に入った時も私の中ではただのクラスメイトでしか思ってなかった……
いつからなの? 私の心が揺らいだのは?
佇む真紅の脳裏にはジュンと出会ってからの光景が矢継ぎ早に流れる。
しかし、どの場面でジュンに魅かれたのかはっきりしない。
気付くといつの間にか意識していた。それが正直なところであった。
そして目を閉じる真紅の思い出す場面はジュンより翠星石、蒼星石、水銀燈、金糸雀と出会い、ここまで歩んできた場面のほうが強く思い出すことができる。
それは先ほど街の雑音が交差する歩道橋の上でも同じことが頭によぎった。
そして握り締めていたピックを見た瞬間に一滴の涙と共に溢れる仲間との絆、そしてバンド、音楽、ロックを通じて通い合っている翠星石との強い共通した時間、意識、そして簡単には断ち切ることのできない過去とこれからも続く未来への思いが真紅の心を強く握り締めた。
「私は……」
ボソッと呟く真紅は閉じていた目をゆっくり開くと、翠星石の家を見つめる。
そして戸惑い、止まっていた足を踏み出した。
私はもう迷わないわ……………ジュンは違うわ………
そう、ただ……恋によく似た気持ち……よく似た気持ちだったわ……
そう思う真紅の気持ちはあまりにも切ない痛みを感じていた。
そして翠星石の家の前まで来た真紅は深呼吸をすると呼び出しベルに指をそっと伸ばす。
その頃、翠星石は真紅に繋がらない携帯を切ると、ハーフコートを羽織り、急いで靴をはき、ドアノブに手をかけた。
「あれ、翠星石どうしたの?こんな時間にどこに行くんだい?」
お風呂上りの蒼星石はバスタオルで髪を拭きながら聞く。
だが、翠星石の耳には蒼星石の声は届かない。
どうして真紅は出ないですかぁ? 翠星石は真紅に伝えたいことがあるですのにぃ~。
手にしたドアノブを回し、外に出ると同時にチャイムが鳴った。
1回だけ短く響いたチャイムが消えた瞬間、真紅と翠星石は驚きと戸惑いが交差する中で互いの顔を見つめている。
そんな2人の後ろでドアが音もなく静かに閉まっていく。
それは2人がジュンに対して開いていた気持ちが閉じていく、そんな瞬間だった。
「し、真紅ぅ?」
「す、翠星石?」
2人はしばらく見つめ合ったまま言葉が出ない。
そして翠星石は無言のまま歩き出すと、真紅も同じく言葉無く歩く。
2人は静かな住宅街から横道にそれ、彼女達が住む有栖川市を横断する幹線道路に出る。
そして歩道の片隅でポツンと明かりを落とす自販機の前で翠星石は足を止めた。
「す、翠星石は…真紅に謝らないとイケナイのですぅ…」
「翠星石…それは私も同じよ、貴女の想いを知っていたのに私は…」
言いかけた真紅の言葉を遮るように翠星石は声を上げる。
「それは真紅も同じなのですッ、翠星石も真紅の気持ちに気付いていたのですぅ。
ただ、ただ真紅とジュンを見ていたら翠星石は苦しくなったですぅ、真紅を嫌いになりそうな…そんな気持ちになったですぅ」
翠星石は背を向けたまま自販機の目に転がる空き缶に視線を落として話している。
そんな翠星石の表情は真紅には見えない。
だが、微かに嗚咽が混じり出した声と震える背中に真紅は胸の苦しさを感じていた。
「それでも…それでも翠星石は、真紅のことが嫌いになる程、真紅と一緒にいた場面…楽しかった場面ばかり思い出したですぅ、
だから気付いたのですぅ……翠星石は、真紅のことが大好きだと気付いたですぅ…
真紅は大切な仲間だと気付いたですぅ!!」
胸に秘めていた煮え切らない苦しさを言葉に変えた翠星石は、その場で真紅に背を向けたままワッと泣き出してしまう。
「翠星石…私も、貴女と同じ想いだわ…」
真紅の口から出る言葉はそこで途切れた。
しかし、真紅の頬を伝って落ちる、いく筋もの輝きが全てを表している。
小さな頼りない自販機の明かりに埋もれるような2人の影は12月の冷えたアスファルトで1つに重なった。
その頃、ジュンは部屋でほんの数分前までは当たり前と信じていたものが一言で、いとも簡単に崩れ去っていった現実に直面していた。
なんだよ、どうしていきなり転校なんだよッ!
そりゃ、僕は今まで何度も転校してきたよ、でも、でも僕は、今の、真紅や翠星石や蒼星石や、水銀燈に金糸雀…みんながいる、この場所が…大好きなのに、どうして転校なんだよッ!
どうして?どうして?どうして?
なぜ今なんだよ、もう少しだけでいいから、みんなと一緒に過ごしたいのに、なぜなんだよォ!!
強く拳に力を入れると、ジュンは何度もベッドに拳を叩きつける。
そのたびにベッドは沈む。
くそぉ~、どうして今なんだよぉ~、僕は……
何度目かの拳を落とした時、ベッドからフワリと舞い上がった1本の長い金髪がジュンの前を漂うように落ちてくる。
し、真紅…?
ジュンは落ちていく髪を目で追う、そしてベッドに叩きつけたままの拳の上に真紅の髪が落ちていく。
うぅ、どうして…? みんなと、真紅と別れたくないよ……
そしてジュンはそのままベッドに顔を埋めて背中を振るわせ始めた。
独り部屋で膝を付くジュン、夜の北風の中で抱き合い涙を流す真紅と翠星石。
互いにスレ違っていく道を嘆くように月を曇らせていく雨雲はやがて音も無い静かな霧雨を街に降らし始めていた。
夜通し降り続いた細かい雨は明け方には濃い霧となって有須川市を被っている。
遠くから原付バイクの音とヘッドライトの明かりが近付く。
カタンッ、郵便受けに朝刊を入れる音、そしてバイクは遠ざかっていく。
早朝に聞かれる当たり前の音を僕は眠れないベッドの上で聞いていた。
親の仕事の関係で僕は小さい頃からよく転校を繰り返していた、だからこう言うのはオカシイかもしれないけど、親しい友達は誰もいない、しかしその事で別段寂しいと思ったこともない。
それは転校が僕にとって当たり前の事だったから、出会っては別れていく過程を寂しがる事なんかいつの間にか忘れていた。
でも今回の転校だけは言葉に言い表すことができないほど苦しい。
始めて僕は突然の別れが強制的にやって来る理不尽さに怒りさえ感じた。
真紅、翠星石、蒼星石、水銀燈、金糸雀……
僕が彼女達とひょんな事で親しくなったのは夏がくる少し前、ジメッとした梅雨時の雨がもたらす濃厚な空気に包まれた6月終わりだった。
あれから約半年、いろんな事があった……
翠星石と一緒に笑って、水銀燈と金糸雀にバイクの楽しさ、ロックのカッコ良さを教えてもらって、蒼星石と親しくなって…そして真紅を好きになって、僕は始めて毎日を、明日という日が来ることを待ち望んでいる自分に気付いた。
今日よりも明日のほうが楽しいと思っていた。
それは彼女達と出会ってから僕にとって当たり前のように来る明日だと思っていた。でも、その当たり前の今日という日は無くなってしまった。
そして僕は、遠ざかっていくバイクの音が聞えなくなると目を閉じた。
あらあら、何があったのか知らないけどぉ、イイ感じに戻ったみたいねぇ~
登校した水銀燈にむかって真紅と翠星石は一緒に手をふっている。
そんな2人を見た水銀燈はクスッと笑いながら近寄る。
「これですぅ~、蒼星石が書いた詞はこれなのですぅ」
「いま翠星石と一緒に見ていたところよ、水銀燈が考えた曲のイメージと
合うか見てほしいのだわ」
「ちょっと見せてぇ………ふぅ~ん、イイ感じじゃない~」
蒼星石の詞を読みながら水銀燈はチラッとジュンの席を見る。
いつもならこの時間には姿が見えるジュンがいない。
真紅と翠星石に何か感じて教室にいないだけなのか?と思ったが、その考えが間違いであることはチャイムの音ではっきりする。
「じゃ、また休み時間に来るわぁ~」
クラスが違う水銀燈はそう言いながらもう一度だけ2人を盗み見る。
チャイムの音に真紅と翠星石はそれぞれ席に着きながら座っていないジュンの空席を横目にしていた。
ジュン、どうしたの? 私はジュンと話したいことがあるのに……。
その日、ジュンは学校には来なかった。
電話をしてみても呼び出し音だけが繰り返すだけ、
そして放課後、彼女達は部室で蒼星石が書いた詞に合う形で水銀燈がイメージしているメロディーをアレンジさせている頃、制服をきたジュンは職員室へと向かっていた。
「冬休みの間に転校する事になりました、短い間でしたけど、お世話になりました…」
僕が職員室で言った最後のセリフはありきたりの挨拶だった。
お辞儀をしながら廊下に出る。
12月も残す日にちが半分近くなると極端に夕暮れが早くなり、校舎の中は蛍光灯だけがぼんやり灯り、白く冷たい廊下の床に映る自分の影がよりいっそう寂しさを感じさせた。
僕は、机の中身の整理をするために教室へ向かいながら校舎の窓から中庭を見てみる。
色付き落ちていくイチョウの葉、すっかり唐草色に変わってしまった記念樹の枝が細く伸びているだけ……。
僕と真紅達が出会ったのは夏の到来を喜ぶかのようにセミの合唱が聞え、そして南風に揺らめく白い入道雲に向かって両手を広げて咲いていたヒマワリの群れを思い出す。
しかし今はもう、そこに咲いていたことすら忘れられた空っぽの花壇がポツンと校舎からもれる灯りに浮かんでいるだけ。
まぁ、しょうがないよな、僕もあのヒマワリみたいに忘れられていくんだろうな……。
なんとなく声に出そうな独り言に似た呟きを飲み込むと足早に教室へと向かった。
放課後もいくぶん時間が過ぎると、さすがに教室には誰もいない。
ガランとした空間、机とイスだけが規則正しく並んだ空間、真正面には黒板、僕の席は後ろから数えたほうが早い、その横には……真紅の席が、そして斜め後ろには翠星石の机が…もう彼女達がそこに座っている姿を見ることはないだろう…。
そう思うと何ともヤリ切れない気持ちになる。だから僕はそれ以上できるだけ彼女達の机を見ないようにした。
そして、僕は机の中身をかき出すように鞄に詰め込む。
「あら、ジュン、何をしているの?」
「そんなに急いで夜逃げですかぁ~~?」
えっ!?――――――――――――――真紅…? 翠星石…?
僕はハッと後ろを振り返る。
そこには誰もいない寂しい教室が広がっているだけ、確かに2人の声が、出会って親しくなったばかりの頃の声、あの夏の合宿で聞いた真紅の、翠星石の何でもない普段の声が聞えた…確かに聞えたんだ……。
でも、やっぱり2人はそこに居ない。
今まで転校には、別れには慣れていたつもりだったけど、こんなにも辛くて、悲しいことだとは思わなかった。
この教室からの景色を最後に見て帰ろう、そう思いながら真紅の机越しに窓を開けてみた。
真っ暗なグランド、そこにポツンと寂しく影を落とすゴールポスト、体育館から漏れる灯り、そして……グランドの向こう、プレハブ小屋の2階部分、彼女達のロックバンド、ローゼンメイデン、僕が在籍している…いや、していた軽音楽部の部室からも灯りが漏れている。
真紅、翠星石、水銀燈、金糸雀、もしかして蒼星石も来ているかな?
いますぐ部室へ走って行こうかッ? そうだ何か暖かい飲み物でも差し入れに、真紅は紅茶だな、甘い物が好きな翠星石と金糸雀はココアか、水銀燈は冷たくてもいいからビックルだろうな、蒼星石も来てるならお茶だな!
彼女達の存在を感じたジュンの顔には喜びに近い笑みが浮かぶ、だが、すぐに顔を伏せると顔を2~3回ほど振る。
ダメだ、今このまま真紅達に会ってしまえば、僕は………。
そして窓を閉めたジュンは何も考えずに机の中身を鞄に詰め始めた。
最終更新:2006年12月19日 00:46