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ひいらぎレールジャーナル第四回 - (2012/02/25 (土) 13:23:27) のソース

#image(http://www13.atwiki.jp/rozensusi/?cmd=upload&act=open&page=%E3%81%B2%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%8E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AB&file=title004.JPG,width=700,height=351,center)

#size(18){{{すっかり九州新幹線の列車として定着した「つばめ」。
だが過去は国鉄の看板列車として本州を駆け抜けていたことがあった。
今回はそんなつばめの生い立ちを語ってみようと思う。

**&sizex(6){アクロバティック超特急”燕”}

1929年、東京~下関間に1日2往復走ってた特別急行列車に公募により愛称が付けられることになり、結果得票数1位の&sizex(6){「富士」}と3位&sizex(6){「櫻」}が採用され、2位の&sizex(6){「燕」}はその後新設される特急列車まで温存されたのは第二回でも少しふれた。

 そして翌年1930年、晴れて&strong(){特急「燕」}は東京~神戸でデビューする。

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&sizex(2){▲最初の牽引機は東京~名古屋は主にC51、名古屋~神戸はC53が担当していた。}

 燕の恐ろしさはその速さにあった。

 特急「富士」「櫻」は東京~大阪を&strong(){10時間50分}ほどで結んでいた。
これに対して、燕は同区間をなんと&font(#ff0000){2時間30分早い8時間20分}で結んでいたのである。
ちなみに東京~神戸の全区間の所要時間は&font(#ff0000){9時間}である。


 この驚異的な早さから、人々は燕を&font(#ff0000){「超特急」}と呼んだが、その実現のために当時の鉄道省は相当な無茶をしていた。

 東京~国府津は電化されていたため、通常ならば東京から国府津までは電気機関車、国府津からは蒸気機関車によって客車をけん引していたが、国府津での機関車交換の時間を惜しみ、東京から蒸気機関車の牽引とした。

 途中の停車駅は絞りに絞って、下りは&strong(){横浜・国府津・名古屋・大垣・京都・大阪・三ノ宮}、上りは&strong(){上りは三ノ宮・大阪・京都・名古屋・沼津・横浜}のみであった。

 特に国府津・沼津~名古屋は運転停車なしの完全なノンストップ。
蒸気機関車は水を大量に消費するため&strong(){定期的に給水目的での停車が必要}だったが、燕では機関車と客車の間に&font(#ff0000){水槽車}を連結し、走行中の給水を可能にした。

 また乗務員の交代要員をあらかじめ前の方の席に待機乗車させ、走行中に交代を行うということもやっていた。
機関車と客車には今述べた通り水槽車があるので、交代する乗務員は水槽車の外に設けられた小さな歩み板をつたって移動するという危険極まりないことをしていた。

 さらに肝心なのが下りの国府津・大垣、上りの沼津停車である。

#image(map01.jpg,width=547,height=360,center)

 この時の東海道本線の国府津~沼津の区間は今の &font(#ff0000){御殿場線}を経由していた。
この区間は急こう配が続く難所。大垣~関ヶ原の下り線も同様に急な上りこう配があった。

 そのため下りは国府津・大垣で、上りは沼津で補助機関車を連結するのだが、連結に要する時間はたったの&strong(){30秒}だった。
 さらにとんでもないのが坂を登りきった後。
国府津・沼津からの補助機関車は御殿場駅で、大垣からの補助機関車は柏原駅で&font(#ff0000){走行中に補助機関車を切り離して}いた。

 これらのような荒技とも言える数々のありえない行いによってこの大幅な時間短縮が実現、燕は一躍人気列車となった。

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&sizex(2){▲静岡停車になってからは東京~名古屋でもC53が使用されるようになった。最後尾には1等展望車が連結されている}

 ただし、1934年に丹那トンネルが開通したことにより東海道本線は今の熱海経由のルートに切り替わった。
これによって国府津・沼津での補助機関車の連結がなくなり、さらに所要時間に余裕が出ることから静岡に給水目的の停車をすることで水槽車の連結も取りやめになった。

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&sizex(2){▲C53にはこんな流線型の車両も。当時の流行のスタイルだ。}

**&sizex(6){花形特急として君臨した戦後}

 戦争が激化してくると特急列車は廃止され、戦後もしばらく特急列車が運転されない日々が続いた。

 そんな中、1949年に東京~大阪を結ぶ待望の特急列車が登場。
その名も&sizex(6){「へいわ」}という、文字通り平和を願ってつけられた名前だった。

#image(DSC_0904.JPG,width=661,height=373,center)
&sizex(2){▲戦後の非電化区間では国内最大級の蒸気機関車C62が牽引を担当、ヘッドマークも付けられるようになった}

 しかし特急列車に慣れ親しんだ人には「へいわ」より「つばめ」が良かったのだろう。
翌年には&strong(){「つばめ」}に改称される。晴れてつばめ復活だがこの時からひらがな表記の「つばめ」となっている。


 また同じ年には僚友として特急&sizex(6){「はと」}が登場。シンボルともいえる一等展望車やリクライニングシート付きの特別二等車という豪華な車両を連結。

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さらに&strong(){「つばめガール」「はとガール」}と呼ばれる女性の客室乗務員を配しれ車内サービスを行うという他の列車との差別化が図られた。

#image(DSC_0907.JPG,width=650,height=294,center)


 この時東京~浜松が電化されていることから同区間は電気機関車、浜松~大阪は蒸気機関車が牽引することになったが、徐々に電化区間が拡大。


#image(DSC_0905.JPG,width=710,height=353,center)
&sizex(2){▲EF58が牽引する「青大将」編成}


 1956年に東海道本線全線電化が完成し、全区間を電気機関車EF58が牽引することになった。
その際、外部塗装が&strong(){「青大将」}と呼ばれるライトグリーンに変更された。

 このまま東海道の花形列車としてつき進むかと思われていたつばめだったが1958年を機会にその座が危ぶまれることになった。
 この年に登場した国鉄発の特急型電車&strong(){151系電車}を用いた特急&sizex(6){「こだま」}の存在だ。

 「こだま」は新製時より全車冷房車、リクライニングシートを採用。さらに東京~大阪を6時間半で結ぶ俊足ぶりを見せる。
 客車これに比べてつばめは遅く、車内も古くて見劣りがするようになってきた。

 そこで「つばめ」も「こだま」同様151系電車に切り替えることにした。

#image(DSC_0913.JPG,width=464,height=383,left)
&sizex(2){▲今はなき東京駅の15番線にて}

 客車時代のつばめの最後部に連結されていた展望車を電車でも再現すべく、1号車(下り側先頭車)には大型窓を採用し側面展望を実現した車両&font(#ff0000){「パーラーカー」}が登場。
定員わずか18名と言う特別な車両で「こだま」と差別化を図ろうとしたが後に「こだま」と共通運用になり差がなくなった。
 なお、一時つばめに吸収される形で消滅していた「はと」だったが「つばめ」同様の装備をもった特急として1961年に復活している。

 1962年に山陽本線が広島まで電化され、「つばめ」は運転区間を広島まで延長し東京~広島の900km弱を走破する長距離特急となった。
大阪~広島のダイヤスジはそれまで走っていた特急&strong(){「へいわ」}から吸収。
「へいわ」はこれで2度も「つばめ」に仕事を奪われることとなった。

 とは言ってもこの時の「つばめ」は増発が続き増えに増えた東海道特急の一列車に過ぎないポジションだった。


**&sizex(6){つばめは西へ}

 ここからが本題と言えよう。

 1964年の東海道新幹線開業により、東海道本線を走る列車は大幅に左遷・リストラされた。

#image(DSC_0907.JPG,width=639,height=369,center)
&sizex(2){▲通称「セノハチ」と呼ばれる区間を補助機関車に押されてがんばるつばめ}

 つばめも例外ではなく、僚友のはとと共に新大阪で新幹線と接続し九州を結ぶ特急という新しい仕事を与えられた。

その時のダイヤがこちら。

#image(daiatsbame.jpg,width=702,height=530,center)
&sizex(2){▲今回から背景を入れてみた}

下り列車はつばめが東京8:00発のひかり5号、はとが東京9:00発のひかり7号から接続。
上り列車ははとが新大阪17:00発のひかり22号に接続し東京21:00着、つばめが新大阪19:00発のひかり26号に接続し東京23:00着であった。

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