被褐懐玉―JUDGE EYES― ◆7XQw1Mr6P.




 眼を覚ましたリップが最初に見たのは、明りのついていない部屋の天井。
 その部屋が病室だと気が付いた時、リップは夢に出た男の話が現実であり、奴が本物のクソ野郎であることを理解させられた。


 自分を病院に放り込んだのはきっと意図的だろう。
 そのことによって奴が得られる利益は思いつかない。
 思いつきはしないが、このことが純粋な悪意でしかないという直感はある。


 皮肉、当てつけ、児戯にも等しい嫌がらせ。
 その直感は元の世界で度々感じた、下衆(神)の掌に足を乗せてしまった時の、あの不快感に近かった。
 袈裟の男に対する怒りは沸いてくるが、ぶつける相手もいない今は静かに収めるしかない。
 様々な薬品と清潔なシーツの匂いに懐かしさを感じつつ、リップは深いため息で少しだけ不満を吐き出し、残りの熱を抱えたまま行動を開始した。


 ・・・


 病院の廊下は長く、広く、天井は高く、そして暗かった。
 その闇に浮かび上がる非常灯の、そのわずかな明かりを頼りに進んでゆく。
 どうやら建物に電気は来ているらしいが、他の参加者に見つからないよう、今は明かりをつけずに進む。
 武器代わりのメスをはじめ、所持品はあらかた取り上げられていたが、幸い義足は残されていた。
 足音をたてぬよう注意深く歩みを進めつつ、リップは現状を整理する。

 リップには目的がある。
 古代遺物「アーク」を手に入れ、ループする世界の"次"に進み、全てをやり直す。
 そのためには他者を踏みつけ利用することも厭わない。そのための覚悟はすでに決めている。
 だがこの異常な殺し合いの渦中において、覚悟を貫いてしまったがために自分の目的から遠ざかるようでは意味がない。

「……」

 眼が覚めてからというもの、リップの中には常に"違和感"が渦巻いていた。

 突然巻き込まれた殺し合い大会。
 そのゴールに吊るされた餌は荒唐無稽な「願望の成就」。
 平時であればとても手放しで鵜呑みに出来る話ではないが、夢で袈裟の男が宣ったことの概要については真実だろうという謎の実感がある。
 ならばそれを信じてみるとして問題は、奴が話さなかったことのほうだ。

 61人の参加者の内、10人殺して50ポイント獲得できるのは最大で5名。
 だが実際にはルール追加のために25ポイント消費する者がいるかもしれないし、ポイントを貯めた状態で殺される奴もいるかもしれない。
 そうしてポイントの浪費が起きた場合、最悪脱出者無しで会場内にあるポイントが50以下となり、そのまま会場内全てが禁止エリアになることも考えられる。

 そういう事態が起こりうることについて、主催者はどう考えているのか。

 主催者がそういった結果も受け入れるというのであれば、参加者に希望は無い。
 夢に出た男の言った通り、自分たちはただ実験動物(モルモット)のように消費されるしかない状況だということ。

 一方、主催者がそういった結果は避けたいならば、尚のこと参加者に希望は無い。
 そうならないために状況に応じてなんらかの干渉があると考えるのが自然だ。
 例えば脱出のための必要ポイントが引き下げられたり、追加の参加者が連れてこられたり。

 これでは主催者側の一意によって状況が操作されかねない。
 流動的に殺し合いの理(ルール)が変更されうる以上、理(ルール)に従う時機は慎重に見定めた方がいい。

 結局、理(ルール)は上から押し付けられるもの。
 下(アンダー)から手探りの反抗をしていくしかないのは、この場においても同様らしい。


「―――……ッ」


 不意に、リップは小さく舌打ちをついた。
 その苛立ちは現状に対するものではなく、明かりのついていない診察室から微かに聞こえる物音に対して。

 何事か、などと考えるまでも無い。他の参加者が物色しているようだ。
 扉は閉められているが、扉に嵌め込まれたすりガラス越しからは明かりをつけている様子はない。
 相当注意していなければ物音にも気づけなかっただろうことからも、おそらく自分と同様、他者との遭遇を避けたいらしい。
 ならば、一方的に相手の存在に気づいているリップには選択肢が生まれる。


 回避か、接触か。

 ―――接触ならば、対話か攻撃か。

 ――――――攻撃ならば、堂々か暗殺か。


「……」

 逡巡したと自覚する前に、あるいは自覚した事実から目を逸らすように、リップは決断する。
 どんな不確定要素や懸念材料があろうと、目の前に現れたチャンスを見逃すことは出来ない。
 日の当たる道に背を向ける覚悟は、すでに決まっている。
 そうして己の覚悟を再確認した後、やはり自分にヒーローらしい振舞いは似合わないのだと自虐する。

 相手を殺すという選択肢が自然と出てくる以上は。
 わずかでも悩んだ、悩んでしまった以上は。


 胸中に渦巻く"違和感"に蓋をして、リップは静かに部屋の入口まで近づき、義足に力を込めた。
 身に着けている義足―――古代遺物『走刃脚(ブレードランナー)』を用いれば、人一人殺すなど容易だ。
 だがこの武器は空気を取り込む予備動作が必要で、その際にはどうしても吸引音が発生する。
 ほんの数秒の前兆であるが、それでも扉の向こうの相手に気取られては奇襲の意味が無い。
 かといって音に気づかれないほど距離を取り、壁をぶち抜いて向こう側の相手を倒せるほどの威力を出そうとすれば、そのまま建物が倒壊しかねない。
 自分の身も危険に晒されるうえ、外部からも目立ちすぎる。論外だ。

 ならば正面から殴り込み、徒手空拳で先制しつつ走刃脚を"溜める"。

 不意を突き、格闘戦で圧倒できればそれでよし。
 即座に対応され肉弾戦では決め手に欠けるようであれば、その時は威力を絞った走刃脚の一撃につなげる。
 あるいは手に負えないような相手だったならば走刃脚の機動力で逃げればいい。

 プランは出来た。
 リップは意を決し、診察室の扉に手をかけた。







「一つ問う」

 扉の向こうから放たれた問いかけに、リップは全身の毛が逆立ったような強烈な悪寒を感じた。
 いつの間にか部屋の中から聞こえる物音はやんでいて、辺りの静寂の中、自分の鼓動の音だけがはっきりと聞こえた。
 動揺を抑え、息を殺す。
 扉の向こうの男は言葉を続けている。

「殺し合いに乗らず、同意見の協力者が欲しいなら、あるいは……そういうスタンスを偽るなら。
 おまえは扉をノックするか、先に声をかけてきたはずだ。だがおまえは今……扉に手をかけ、突入してこようとした。
 ドアノブを握っているおまえはつまり、殺し合いに乗っているわけだが……ハァ」

 リップは自分が掴んだ扉の取っ手が異常に冷たく感じた。
 わざと物音を立て続け、まんまとこちらをおびき寄せ、あまつさえ観察までしていたのか。
 動揺のためか、集中のためか、右の眼帯から垂れた血を舐めることも出来ないリップは、ひとまず相手の言葉を静聴する。


「殺し合いに乗っているなら、さっさと襲えばいい。だがおまえは、扉の前でしばし留まった。
 ……殺そうとすることに、何故躊躇った?」
「……なんだと?」


 予想外の言葉に、リップは声を漏らす。
 俺が、殺しを躊躇った?
 扉の向こうの男は別段気にした様子も無く、言葉を続ける。


「心を決めているから、扉の前がおまえの分水嶺だった。扉を開けたら、殺すしかないと。
 ……息の根を止める最後の一手、トドメを躊躇うのとはわけが違う。
 ……おまえは殺すことを躊躇ったんじゃない。殺そうとすることを、躊躇った。
 同じ、殺意に迷いが生じた躊躇いでも……両者の間には大きな隔たりがある。
 決断すればおまえは、相手を殺せる人間だろう。
 ……ハァ……、おまえはすでに、"標的が現れた時、必ず殺す"と決めていたはずだ。
 だがその決意が甘いから、おまえは俺を襲えなかった。満願成就の機会を前に、何がおまえの殺意を鈍らせた……?」


「……――――」


 リップは、絶句していた。
 リップが扉の前で立ち止まったのは、奇襲手順を確認したためだ。
 扉の向こうの男の言葉は的が外れている。……だが。

 診察室の男が語ったそれは、リップ自身が言語化できていなかった内面の一端を的確に言い当てていた。
 それは眼が覚めてからずっと抱え続けていた"違和感"の正体。

 開示されていない理(ルール)があったとして、今は探りようがないという結論がすでに出ている。
 だがわずかでも希望がある以上、相手が誰であろうと、犠牲にする覚悟があると自分に言い聞かせた。
 確かにあの時、自分は自分を言い聞かせていた。


「(俺は、殺しをせずに済む可能性が欲しかったのか……?)」


 この場においては、人を殺してまで目的のために動くことが最善か判断できない状況であっても、いつものリップであれば、言い聞かせることも無く行動に移れたはずだ。
 思えば奇襲の手順を考えた時も、手に負えない相手なら逃げるという発想自体が普段からは考えられないほど弱気な姿勢。

 殺人以外の選択肢が自然と出てきた以上は。
 わずかでも悩んだ、悩んでしまった以上は。

 彼がどれだけ自分の本質から目を逸らそうと、簡単に殺人を実行はしても、簡単に殺人を思い立つような人間ではないのだから。


「信念無き殺意には、何の意味も……宿りはしない。
 殺意を躊躇ったということは、己が殺意に込めた意義に疑問が生じたからだろう?
 おまえは、徒らに力を振りまく犯罪者とは違う。おまえの信念は……なんだ?」


 扉の向こうの男は、重ねて問いを投げかける。
 言葉が切れた時、ポタリ、と微かな水音がして、そこで初めてリップは自分の頬を流れる血に気づいた。

 明かりのついていない、病院の廊下の闇の中で。
 リップは頬の血をいつものように舐めとることもせず、足元に落ちた血の痕をしばし見つめ、やがて口を開いた。


「悩んだ以上、俺にヒーローじみた振舞いは似合わない」
「……なに?」
「お前が誰で、何が聞きたいのかは知らないが、俺の覚悟はたった一人に捧げてる。

 ―――――そのためなら俺は、"俺自身の良心"も殺してやる」

 リップは後ろに跳ね、扉から距離を取る。
 同時に走刃脚の吸気を開始、病院の廊下に甲高い吸気音が響き渡った。




 キ イ イ イ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ ィ 




 古代遺物『走刃脚』は空気を取り込むことで脛から実体化した斬撃を放つ。
 扉ごと切り裂く。すでに相手に気付かれた以上、動作音を気にする必要もない。
 ここまで近くの標的ならば、さほど威力もいらない。建物へのダメージも最小限で済むはずだ。

 空気が溜まるのに一秒とかからない。
 その刹那、リップの頭に一つの考えが浮かぶ。
 考えてみれば、顔も知らないまま人を殺すのは初めてだろうか。
 透明人間の腹を切り裂いたことはあったが、それはともかくとして。
 俺は今、抵抗感を感じているか?

 いいや、抵抗感などありはしない。
 リップの自問に、リップが自答する。
 そうして得られた答えに、本人は安心したのか、それとも後悔したのか。
 リップ自身もわからぬまま、死神の鎌と化す右脚を持ち上げ――――――。



 その寸前、扉が内側から切り裂かれ、中から何かがリップ目掛けて飛び出してきた。

「ッ」

 それが医療用のメスだとすぐわかったのは、彼自身愛用の得物でもあるため。
 飛来するそれは都合三本。その全てを回避や迎撃するには、攻撃の予備動作で姿勢が崩れすぎている。
 仕方なくリップは振るう直前の義足でメスを防ぎ、さらに廊下を数歩下がって距離を取る。
 ガラガラと崩れる扉の残骸の向こう側から、男が現れた。

 男の手に握られているのは、非常灯の微かな明かりを反射する二振りの日本刀。
 二本とも異常なまでに刃こぼれしているが、あの得物でもって頑丈な病院の引き戸を両断したらしい。
 包帯を顔に巻きつけ、幽鬼のように頼りなく立つ、怪人。

「一個人の為に、自分も他人も犠牲にする。……滅私の覚悟。おまえの眼を見れば、おまえの言葉に偽りは無いとわかる。
 とはいえ、ハァ……何を成し遂げるにしても信念無き者、信念の弱い者は……淘汰されるのが世の常だ。あとは……」

 個性社会のヒーロー殺し。ステインと仇名された男の視線が、リップを捉えていた。

「真意を試してやろう。死線を前に、おまえは信念を貫けるか……」


 ・・・


「……んがっ!?」

 跳ねるように上半身を起こした虎杖は、そのまま車のダッシュボードに頭をしたたかに打ち付けた。
 鈍い音が響き、今度は後ろへ勢いよく倒れ込む虎杖。

「ーーーっっっ痛ェ!」

 などと頭を押さえているが、実際のところはさほど痛くはない。
 呪力で強化していなくとも、そもそも異常なまでに頑強な恵体体質。
 そんな彼がこんな反応をしているのは一重に、寝起き直後の思いもしない衝撃への驚きに因るものでしかない。

 その証拠に、額を抑える手の間から上を見上げた虎杖はすぐに状況を理解する。
 自分は車の中、それも軽自動車の中にいる。

 今度はゆっくりと上体を起こす虎杖。
 車から降りて周囲を見渡せば、すぐそばには大きな建造物がそびえたっていた。
 夜の暗がりの中、一見した限りで建物の全容は見えないが、それでも屋上近くに掲げられた特徴的な十字のシンボルは見て取れる。
 どうやらここは病院の駐車場らしい。

 そこまで把握してようやく、虎杖は現状に混乱出来る程度に落ち着いたのだった。

「(……死滅回游の結界に飛び込んだと思ったら、死滅跳躍?
 伏黒ともはぐれちまったし、俺に憑いてたコガネも消えてる。なにがどうなって――――いや)」

 考えたところで、自分に呪術の知識が足りていないことを自覚している虎杖は思考を切り替える。
 呪術的な話は別としても、状況は死滅回游より危急となっているのは間違いない。

 死滅回游は儀式の永続を謳っていたが、この死滅跳躍は違う。
 6時間ごとに64のエリアから3か所の禁止エリアが設定され、設定後1時間の猶予があるというから、タイムリミットは133時間。
 5日と13時間で、この殺し合いの参加者は皆殺しにされる。

「(結界やらルールやらについては俺が一人でうだうだ考えてもわかるわけないし、日車のことは後回し。
 とにかく伏黒との合流が最優先か。その後は外部との連絡手段を確保して、また天元様や九十九さんあたりに話を聞きたいところだな……)」

 結界に入る前は伏黒と別行動するべきではと考えもしたが、やはり自分にはあいつの助けがいるのだと、改めて虎杖は痛感する。

 伏黒には俺を助けろと言われたけど、やっぱ助けが必要なのは俺の方か。
 そんな呟きは飲み込んで、とにかく今は自分に出来ることをするしかない。
 ひとまず名簿と支給品を確認するため、虎杖は車に戻ることにした。

 その時だった。


「……?」


 虎杖は足を止め、再度病院の方へ振り返る。
 なにか、聞こえる。

 それは確かに病院の内部から聞こえてくる。
 人や動物の声ではない。かといって自然な環境音という感じでもない。
 虎杖は素早く病院の大きな入り口に駆け寄り、エントランスから院内へと足を踏み入れる。

 病院内に、甲高い吸気音が響き渡っていた。




最終更新:2025年08月11日 22:45