***ゼミBBS、関係者ブログで書き込みのあった内容を、時系列でコピー&ペーストしています。 (2009/06/06~) 事件に関係なさそうなものは一部省略、改行も調整を行っています。 ***2009/06/06(土)の途中から 18:49 投稿者:izouさん [かごめ考2|Re: ユウタが入院!] >あじのひらき殿 何かを伝えるために変更がされたという視点はおもしろいですな。その立場をふまえて再考察してみたいです。 夜明けの晩、これは夜明けの番人が詰まったのではないかという説があります。 夜明けの番人=つまり夜明けを告げるもの、、鶏ではないかと、 つるつるつーるとのくだりは つるつるつッペェつたは さあさあ、早く吐きなさいの意味もあります。 短歌などでは、鳥が鳴くことを『声を吐く』と表現する場合もあります。 これは「一番どり鳴いた」に近いですね。 鶏とはなにか? 籠の中のとり、籠と京都ではないかという説があります。 京都といえば陰陽五行の籠の中に護られています。ちなみに安倍晴明もかごめ紋です。 徳川家も五十三次という呪術で京都を封じたなどいう話もあります。 中の鳥は 鳳凰 鳳凰が象徴するのは天皇家 天皇家はいつお出ましになり、号令をかけてくれるのか?と読めなくもないです。 前置きが長くなりましたが、その後変わった、鶴亀滑りですが 一説は、安政の大獄で、井伊直弼ら南紀派が一橋派などを弾圧します。ここで徳川慶篤失脚します 徳川慶篤は幼名を鶴千代。 徳川慶篤の父徳川斉昭の大事な参謀、戸田忠太夫がこの時期死んでしまいます。彼の幼名は亀之介 これにより南紀派の支持を受けて第14代将軍になったのが徳川家茂 徳川家茂の正室は孝明天皇の妹・和宮親子内親王。 公武合体押し進めたお方です。 この一連の騒動で、朝廷復活が推進されたことをかごめ唄に込めたという説もあります。 後ろの正面ですが、これはさらに明治後期の追加されたようですので、意味不明の歌詞に、遊びの意味を足す為に発生したのではと考えています。 18:34 投稿者:ぐりん ◆sd0lCnDQZAさん [Re: ユウタからの資料] >あじのひらきさん すでにフォーラムで解決してましたが、左上は「講座一覧・授業レジュメ」内の今川ママさんの「澤村田之助という生き方」ですね。 http://nishiya-bakumatsu-semi.com/static/image/resume/20080515.pdf 19:00 投稿者:kuontuiさん [談話の方|Re: ユウタからの資料2] >あじのひらきさん 偽物説ありますね。予定変更して、待ち合わせ後襲撃。一緒の手口くさい。 携帯をとっていった様ですが、着信やメールから辿られる事を恐れた為でしょうか? もう一歩踏み込んで、ゆうた君の振りをして、ゆうた君が会おうとしてた人にアクセスしているとか、、、 誰の談話をとろうとしていたのか、作者はさすがに存命ではないでしょうから、その子孫か、もしくはこの唄を伝承している地方の方か、、 証拠では無く、談話ということは、物証ではなく口伝でなにか言い伝えられている事があるということでしょうかね。 19:44 投稿者:izouさん [誰に会おうとしたか|Re: ユウタからの資料2] >kuontui殿 宇和島 岡山の場所の意味が気になっていたのですが、なるほどそういう手口があるのですな。 とすると、岡山に談話をとる方がいるのか、もしくは宇和島から岡山に変更されて、襲われたですな。 あじのひらき殿がおっしゃっているとおり、談話者とどうやって会談の約束をとりつけたかが、気になります。 あの新聞を売った人が存在すること思われます。 古書屋の主人の紹介かもしれませんな、、、 21:52 投稿者:ズケ ◆2yOURKVsacさん [Re: ユウタからの資料] みなさん、すご~いっ! 彩ちゃんに連絡したら、岡山の病院から戻ってきてたので、探してもらいました。 「なんかそれっぽいのがある」ってことなので、これから行ってきますっ!! 22:58 投稿者:ぐりん ◆sd0lCnDQZAさん [高宮さんへ|Re: 桧垣遊太君の足取り] >不審人物は「桧垣君の友達」を名乗ったらしい。さらに、目撃者によれば「女性」だったというんだ! 早紀さんの事件で出てきた黒幕側と思われる女性は、 ・偽中里→4/6に西谷早紀が会った人物。犯人グループの一人。眼鏡をかけているらしい。 ・偽早紀→時間にルーズ(中里と会う時5分遅刻)。ブラックコーヒーは飲めない。 この二人ぐらいしか思い浮かばないです…。 外見的な特徴っていっても、 偽中里の眼鏡ぐらいですが、眼鏡なんてどうにでもなるしなぁ…。(コンタクトにするとか、もともと伊達眼鏡だったとか) 偽早紀は人当たりのいい子ってだけで。 年齢でいうと、 偽中里はOGなので、20代中盤ぐらい?偽早紀は20歳前後? 不審人物はユウタさんの友達と名乗ったとのことで、20歳前後?歳の離れた友達だって世の中にはたくさん存在するので、完全に憶測ですが…。 参考にならなくてすみません。毎日たいへんですが、お疲れの出ませんように。。 23:34 投稿者:ふぇにるさん [Re: 桧垣遊太君の足取り] 私達との関係者でユウタさんと同年代ぐらいの女性といえば、もう一人…… 「中川 絵美莉」 早紀さん救出では見方でしたが、何らかの理由で動いている可能性もあります。 # まぁ、気のせいでしょうが…… 追記。 >高宮様 個人的意見ですが、明日(6/7)動いて、特に進展がないようなら、一度引き上げるのも手では? 6/9のユウタさんメールの結果次第では さらに動いてもらう必要があると思いますので、一度戻って休養されるのもいいかもしれません。 # 情報整理もかねて。 # 福井の状況も気になりますし、情報屋の事もありますし…… ***2009/06/07(日) 00:** 投稿者:ズケ ◇2yOURKVsacさん [土之絵多津夢物語 第三回] (※内容修正のため、時間が変わっています) 今取ってきました!ユウタは第三回も持ってたんですね! http://nishiya-bakumatsu-semi.com/static/bbs/image/data/log/000248_thumb.jpg 珍聞記事誌第三号そのものではなかったんですが、「土之絵多津夢物語 第三回」の部分だけ、コピーがありました。画像をアップします。 付箋部分は元のコピー自体が切れていました(私のスキャンミスではないです、念のため。。。) ※一応私のブログにもアップしておきます。http://ameblo.jp/zuke2009/entry-10275613997.html >00:37 ズケさんブログ [土之絵多津夢物語 第三回のコピー] >さっき彩ちゃんからユウタの家にあった「土之絵多津夢物語 第三回」のコピーをもらってきましたので、アップします。 > >ゼミBBSにアップしたものよりも、ちょっとだけ解像度がいいと思うのですがどうでしょう? >もしかしたら、あまり変わらないかもです・・・(申し訳ありません)。 > >「土之絵多津夢物語 第三回」 >http://stat001.ameba.jp/user_images/20090607/01/zuke2009/91/7e/j/o0800032910192622751.jpg >http://stat001.ameba.jp/user_images/20090607/01/zuke2009/f1/bf/j/o0800030510192623435.jpg > >みなさんご協力お願いします。 01:58 投稿者:うーさん ◆9gWTJb7fusさん [Re: 桧垣遊太君の足取り] >ta_ka_mi_yaさん 宿泊施設に苦慮されているとのことですが、お体の方は大丈夫ですか? あまり無理をしないでください。 ユウタの友達を名乗ったということなので、念のために、ハルやズケは、ユウタと共通の女友達に、私は古参の女性のゼミ生に連絡をしました。 ユウタと一緒に取材をした、あるいは途中から合流したという人は、やはりいませんでした。その女性というのは誰なんでしょうね? 気になります。 02:17 投稿者:道端の道草 ◆MFlz.SXSbsさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] この号で休止となってしまったんですね。 予想通りかごめかごめは、よく知られている歌詞になっていますね。 しかし、付箋の番号は何でしょう?郵便番号ではなさそうです。電話でしょうか? 02:24 投稿者:ワイジロー ◆K.nk6re7uMさん [Re: 桧垣遊太君の足取り] >古参ゼミ生の皆さん http://nishiya-bakumatsu-semi.com/imageboard/detail.php?id=12 上のトピックを見ると ユウタさんが取材に行く事はご存じだったと思われますが、行き先についてはどなたかご存知でしたか? 講座を開く際は皆さん取材に出ることも多いようですが、ゼミノートやあるは他の何かなどで取材先について管理していたりしませんか? 取材先が外部に漏れてマークされたのか?あるいは、取材先が先方の縄張りだったのか? 02:39 投稿者:香月 ◆Snzs5dKpjkさん [Re: 西谷教授について] >izouさん 教授のフィールドワークは常のことですが、市民ゼミ生を引率して、ごく初歩的な幕末史跡を探訪することも何度かありました。 これらには私も同行しており、特に気になることはなかったように思います。 それとは別に、昨年あたりから何度か広島や京都などに行かれることがありました。 「さる省庁筋からの依頼」とのことで、この数度の西行は教授お一人でした。 その頃には「膨大な新史料が出るぞ!」と興奮しておられたのですが、その後こんなことになってしまい……。 03:12 投稿者:うーさん ◆9gWTJb7fusさん [Re: 桧垣遊太君の足取り] >ワイジローさん 特にゼミノートのようなものはなく、講座のテーマは、それぞれの希望があったり、事前にみんなで相談したりして決めています。 取材内容や取材先をみんなで共有して、一緒に準備するゼミ生もいれば、講座で他のゼミ生をサプライズさせたくて、一人ナイショで準備するものもいます。 今回のユウタの講座も、テーマ以外は、親しいズケにも言っていなかったようですし、自分たちも聞いておりません。 03:47 投稿者:ta_ka_mi_ya ◆6aDyaZ5AQ6さん [Re: 桧垣遊太君の足取り] 今、携帯で書いている。あのマックにはもう行きづらい(結局寝てしまい怒られた) >ぐりんさん、ふぇにるさん、うーさん 労いありがとう。「不審人物は女性?友達?」の報告に応えてくれたこと、俺の聞き込みも少しは役立っていそうで励みになります。 もう少しがんばってみる!何かこちらで調べることがあれば教えてほしい。 03:49 投稿者:ぐりん ◆sd0lCnDQZAさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] >ズケさん 無事に戻って来られてよかったです。 ズケさんはユウタさんと仲が良いので、黒幕に目を付けられているかもしれません。気を付けてくださいね。(脅してるみたいでごめんなさい…) 文字起こし、これで限界です。助けてください。(T_T) ---------------------------------------- 珍聞記事誌 第三號 明治二十七年四月一十一日 土之絵多津夢物語 第三回 天赦園五郎蔵 五人組は其れからも勢を増していき、天道様の世間を照すが如くに彼等の志は広がつていつた。 終にはソレ世矗しぢやと、五人の気魄天を衝く程壮大に膨上る迄になつた。 左程の勢ひにては最早やむ事無しと、一帯の長連中にも同調する者が現れ始めた。 又快刀の麻を断つが如き五人を慕ひて近隣遠方からも讃同する者後を断ずといつた有様であつた。 サアサア困り果たのが殿様ぢや。 権を笠にきて懲しめ様にも近隣の長達迄巻込まれておつては軽軽に手出はできぬ。 さりとて金子を當がふて懐柔する事も敵はぬとあつて、流石の殿様も一寸うんざりして了た様子であつた。 ところが人の定なぞ異なる物奇なる物にて五人組に奇態が生じた。 仲違いを始めたのぢやった。五人の中一人が或る頃から道を別つて退け者にされる様になつた。 暴れ回る事に倦んだとも殿様を巡りてとも云ふが事訳は爺にも分らぬ。 併し退け者之を意に介さず逸散に己が道を駈ておつた。 何処からか二人の余所者が遣つて来たのは丁度其後の頃ぢやつたと思ふ。 あらう事か四人の中三人が余所者二人と党を組んだと云ふ。 是は噂であつて分明ならぬ。 兎に角退け者と新しき党は嘗ての同士とは覚へぬ程別たれて仕舞た。 終に退け者は嘗ての仲間に殺され、折悪く訪ね来りた残りの一人も巻添えを喰うたそうな。 此様な無體に憐憫の涙を落さぬ者一人も居らずといふ事ぢやつた。 其頃から件の流行唄が斯くの如く様変つたと伝る。 かごめかごめ 籠の中の鳥は 何時何時出遣る 夜明の晩に つるとかめがすべつた 後ろの正面だあれ ---------------------------------------- 修正しました。(15:21、22:21) みなさま、ご協力ありがとうございました。 付箋の数字も気になりますね。 04:29 投稿者:ぐりん ◆sd0lCnDQZAさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] ついでに、あとがきみたいなところを… -------------------------------------- 古今東西の珍聞奇談を広く伝んと本誌を興し、特段天赦園氏の滑稽話は読者諸兄の好評を博すところなれ共、 天赦園氏は嘗て司法の職の人にて今度改めて勅撰の議員と成られしを以て、 未完乍ら此号にて休止せしを了とせられんことを願う。 尚、今般政府の布達に拠て本誌は此号を以て廃刊せし事、併せて了とせられん。 同布達は天赦園氏滑稽話とは無縁の事、話中の流行唄は江戸の昔から幾通りもある事、 話中の解釈は天赦園氏の筆に拠し事を付記するもの也。 -------------------------------------- 天赦園って、宇和島に実在するんですね。高宮氏に行ってもらった方が良さそうでしょうか?でも、かなりお疲れのようだし…。 ウィキペディア「天赦園(てんしゃえん)」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%B5%A6%E5%9C%92 ---------- 修正しました。(15:25) 04:39 投稿者:ぐりん ◆sd0lCnDQZAさん [高宮さんへ|Re: 桧垣遊太君の足取り] ズケさんにUPしてもらった「土之絵多津夢物語 第三回」を文字起こししていて見つけたんですが、 作者が「天赦園五郎蔵」という名前で、天赦園(てんしゃえん)は宇和島市に実在する日本庭園のようです。 http://www.uwajima.org/spot/index2.html 何か見つかるかもしれないです。お疲れのところ、申し訳ありません。。。 05:43 投稿者:poly6 ◆rtAa8E3kDUさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] >ぐりんさん 毎度ありがとうございます!あとがきもあったんですね。 ●部分の予想(自信無し・・・ -------------------- 気「龍」天を「衝」く 「権」を「笠」にきて 殿様を「巡(?)」りて 意に介さずに「逸散」に 丁度其「後」の頃 此様な「懇體(?)」に 勅「撰」の議員と 「未完」乍ら 滑稽話とは「無縁」 筆に「拠し(?)」 -------------------- 「折悪く訪ね来りた残りの一人も巻添え・・・」龍馬を訪ねた中岡慎太郎?(単純すぎます?) 06:** 投稿者:poly6 ◆rtAa8E3kDUさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] (※内容修正のため、時間が変わっています) 天赦園氏とは、児島惟謙のことではないでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E5%B3%B6%E6%83%9F%E8%AC%99 wiki抜粋 ・幼名は雅次郎、長じて五郎兵衛 ・号は天赦園、字は有終。 ・1865年に長崎に赴いて坂本龍馬、五代友厚らと親交を結んだ。 ・1867年に脱藩して京都に潜伏し、勤王派として活動した。 ・戊辰戦争にも参戦 ・1870年12月に司法省入省 ・1891年に大審院長に就任(間もなく大津事件発生) ・1894年- 貴族院勅撰議員 『珍聞記事誌 第3号』は明治27年(1894年)4月11日付発行なので、司法→議員のタイミングもあってそうです。 06:29 投稿者:ぐりん ◆sd0lCnDQZAさん [poly6さんへ|Re: 土之絵多津夢物語 第三回] いつも修正&すばらしい推理ありがとうございます。 今は体力の限界…につき、修正は後ほど…ってことで、お許しくださいませ。m(__)m って、まだ起きとったんかい!そろそろ床に付きまする。お休みなさいませ。 たぶん、今日は夕方以降にしか登場しないと思われまするww あ、あとがきの投稿後に高宮氏の書き込み見つけまして、天赦園に行ってほしいとおねだりしてしまいました。 08:35 投稿者:poly6 ◇rtAa8E3kDUさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] >ぐりんさん まさかこの時間にレスいただけるとは!おつかれさまです。(自分も昼夜逆転気味です、ぼちぼち寝よかな・・・) >道端の道草さん 付箋の数字、児島惟謙の関連本のISBNのようです。 『児島惟謙―大津事件と明治ナショナリズム (中公新書)』 楠 精一郎 (著) # 出版社: 中央公論社 (1997/04) # ISBN-13: 978-4121013583 【内容情報】(「BOOK」データベースより) 訪日したロシア皇太子を警護の日本人巡査が切りつけ負傷させた事件に日本は朝野ともに震撼し、政府は「皇室に対する罪」を適用して犯人を極刑にしようとしたが、 大審院長児島惟謙は毅然として反対し、司法権の独立を護った―これが大津事件と「護法の神」児島の伝説である。 しかし、仔細に経緯を辿れば疑問は多い。児島にとって司法権独立とは何のためのものであったのか。明治国家形成期の時代精神の中で児島の全体像を検討する。 【目次】(「BOOK」データベースより) 「護法の神」の実像/大津事件/司法官弄花事件/青年時代/裁判官として/その晩年/司法権独立のその後 11:13 投稿者:ましろ ◆XTitdn3QI6さん [ぐりんさんへパス(笑|Re: 土之絵多津夢物語 第三回] poly6さんの補足にましろ解釈を加えて整理しました。 該当部分を探しながら修正するときっとぐりんさんが疲れると思うので、下記に不足部分を追加して全文コピペで対応してみて下さい。 最後の発言を見た時にぐりんさんが修正しやすくなる様にフォロー願います。 意訳は夜にUP出来るかな。他に出来る方がいればゼヒ!お願いします。さて、でかけま~す。 ----------------- ・気●天を●く→ 気「概」(意訳なので違う文字かも)天を「衝」く ・左様の勢ひにては→ 左「程」(さほど)の勢ひ ・一●の長連中→ 一「帯」の長連中 ・●を●にきて→ 「権」を「笠」にきて ・暴れ回る事に●んだとも→ ・殿様を●りてとも云ふが→ 殿様を「巡(?)」りて ・事訳は◎にも分らぬ。→ 「爺」かな? ・意に介さず●●に→ 意に介さずに「逸散」に ・己が道を恥ておつた→己が道を「駈」けて ・丁度其●の頃ぢやつたと→ 丁度其「後」の頃ぢゃったと ・此様な●●に→ 此様な「懇體(?)」に ------------- ・勅●の議員→ 勅「撰」の議員 ・●●乍ら→ 「未完」乍ら ・滑稽話とは●●の事→ 滑稽話とは「無縁」 14:** 投稿者:kuontuiさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] (※内容修正のため、時間が変わっています) 意訳してみました。補足修正あれば よろしくお願いいたします ---------------------------------------------------------------------------------- 5人組はそれからも勢いを増して行き、お天道様が世間を照らすように、彼らの志は広がっていった。 遂にそれは世直しじゃと、5人の気迫が天を衝くほど壮大に膨れ上がる程になった。 こんな勢いに もはや、そのままにしておけないと、地域の実力者の達の中にも同調するものが現れ始めた。 又、快刀乱麻を断つ(もののみごとに処理することのたとえ)が如き5人を慕って、近隣遠方からも賛同する者後を断たずといった有様でした。 そこで、困り果てたのは殿様だ。権力を使って弾圧しようにも、近隣の実力者まで巻き込まれていては、そう簡単には弾圧することができない。 かといって、金銭で手なずけることも出来ないとあって、流石の殿様もちょっとうんざりしてしていた様子だった。 ところが人の運命とは不思議なもので、5人の間に変化が生じた。 仲違いを始めたのだ。 5人の中の一人がある頃から、方向性の違いからのけ者にされるようになった。 暴れ回る事に気持ちがくじけたとも。殿様の側に戻ったともいうが、真実は私にもわからない。 しかし、のけ者これを意に介さず、わき目もふらず自分の道を進んでいた。 何処からか2人のよそ者がやって来たのは、丁度その頃だったと思う。 あろうことか、4人の中の3人がそのよそ者2人と党を組んだという。 それは噂であってはっきりとはしない。 兎に角のけ者と新しき党は、かつての同志とは思えない程分かれてしまった。 遂にものけ者はかつての仲間殺され、折り悪く訪ねてきた残りの一人も巻き添えをくってしまったようだ。 このような無法に哀れみの涙を流さないものはいなかった。 その頃から例の流行歌がこのように変わって行ったということだ。 かごめかごめ 籠の中の鳥は 何時何時出遣る 夜明の晩に つるとかめがすべつた 後ろの正面だあれ ---------------------------------------------------------------------------------- 15:09 投稿者:kuontuiさん [ 5人|Re: 土之絵多津夢物語 第三回] とすると、のけ者は龍馬、 この5人をどこに設定するか、 土佐勤皇党、192名、龍馬は名簿では9番目、あえて5人あげるなら 武市半平太 中岡慎太郎 吉村虎太郎 岡田以蔵 たしかに龍馬の脱藩で、メンバーからは裏切りものといわれたいましたが、吉村虎太郎も同時期に脱藩してます。 ただ、龍馬暗殺の2年前1865年に武市は山内容堂によって切腹していますね。岡田以蔵も同年に打ち首。 メンバー他にいますかね。 社中もたしか創設メンバーは近藤長次郎ら5人(だれか調べ中)だったような、、、 これまた龍馬暗殺の1年前に近藤長次郎も詰め腹を切らされています。 15:27 投稿者:ぐりん ◆sd0lCnDQZAさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] >poly6さん、ましろさん 補足ありがとうございました。修正しました。あと3箇所かなぁ。 ・気●天を衝く⇒気龍?気概? ・暴れ回る事に●んだ⇒ ・此様な●●⇒懇體? kuontuiさんが意訳を出してくださったので、原文はもういい?(良くないか?w) >kuontuiさん 意訳ありがとうございます。今はちょっと頭が回らないのでw、のちほどゆっくり拝見いたします。 16:37 投稿者:izouさん [土佐|Re: 土之絵多津夢物語 第三回] 土佐勤王党の主立った者はみんな坂本龍馬が謀殺される前に死んでしまってます。 生きていたのは 謀殺時に駆けつけた土佐藩、曽和伝左衛門と陸援隊田中光顕 陸援隊大橋慎三 薩摩藩士になった大石団蔵 神主になった宮地常磐 河野敏鎌も生きていましたが、謀殺時は監獄におったかと。 社中は、長岡謙吉 近藤長次郎 陸奥陽之助 沢村惣之丞 といったところですな。 神戸海軍操練所仲間というのも考えられませんかな? それと児島惟謙ゆうたら、愛媛県宇和島市ですし、1865年ごろ、長崎で坂本龍馬とも会っています。 謀殺のあとに歌が変わっていくってのは、いかなることか、、滑稽話とされていること、廃刊になる、やはり、変えさせられたということなのだろうか? 16:43 投稿者:izouさん [Re: 西谷教授について] >香月殿 ご返答ありがとうございます。 さる省庁筋、気になるところですな、 広島、長崎ですか、とすると、最初は組織も西谷教授と協力もしくは利用したいたか、もしくは別の組織がおるちゅーことですな。 広島、長崎、福井、岡山 宇和島、まさに龍馬の道ですな。 17:08 投稿者:izouさん [高宮殿|Re: 桧垣遊太君の足取り] 件の連載小説の作者が児島惟謙の線が濃厚です。 彼は宇和島出身、和島城上り立ち門前宇和島JT横に銅像。 宇和島税務署前に生誕碑(宇和島市堀端町1番38号) 宇和津彦神社敷地内に鎮魂碑(愛媛県宇和島市野川新13)が建っております。 現場調査を一任してしまい恐縮ですが、よろしくお願いいたします。 18:11 投稿者:izouさん [かごめ考3|Re: ユウタが入院!] 土之絵多津夢物語第三回を鑑みて、かごめ唄を再考すると 歌詞の変化は、当時の状況の変化を表していると考える。 仮定として、土佐勤王党を当てはめますと、変化前、鳴くと思われた鳥、の線が消え、 鶴亀滑り=安政の大獄によって土佐藩前藩主山内容堂の謹慎が解かれ、土佐勤王党の弾圧が始まる。 後ろの正面だあれ、裏切ったのは誰だ? こう庶民の間で変化したのではなかろうか? しかし、これは正史を元にしている、問題は裏にどのような闇の歴史があるかですな。 18:25 投稿者:森の水 ◆bFa2QwthCMさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] 少し留守した間にものすごく進展していました!みなさんの推理にびっくり。乗り遅れないようにしないと! >ぐりんさん 例によって私なりに気づいたことを書かせていただきます。400%超に拡大して読みましたw 4行目の●:魄「気魄天を衝く」 18行目の●:倦「暴れ回る事に倦んだ」 27行目後ろから7文字目:殺(漢字の作りから) 29行目の●●:無體(体の旧字) どれも私の解釈なので間違っていたらご指摘ください。 >poly6さん 私も殺されたのが龍馬で、巻き添えが中岡慎太郎だと思います。作者も児島惟謙が号の天赦園、名乗りの“五郎”兵衛、謙“蔵”からペンネームにしたのかな? >kuontuiさん 以前書かれていた「超藩的」の考え方が私にもしっくりくるので、文中の「殿様」は土佐藩の山内容堂や豊範ではなく、 もっと上の徳川家や慶喜?「一帯の長連中」が諸大名?「同調」して倒幕勢力になった?と推理したのですがどうでしょうか? 児島は宇和島藩士で今も宇和島に史跡があるので、早速高宮さんに報告!と思ったら、izouさんがもう書き込まれてらっしゃいましたw 18:42 投稿者:kuontuiさん [安易な方向への罠かも|Re: 土之絵多津夢物語 第三回] >izouさん 亀山社中はやはりそんなメンツですか、僕の元ネタは「一個人』7月号(No110,KKベストセラーズ)P30から5人と知ったのですが、なかなか特定できずにいました。 >森の水さん たしかに、ここで土佐とか、海援隊(陸援隊も合わせて飛翔隊)にすると、 http://nishiya-bakumatsu-semi.com/imageboard/detail.php?id=103 のかごめ考3でIzouさんがおっしゃっているとおり、 多少驚きはあるにせよ、なんだか教科書歴史で説明ができてしまう気がして、天地がヒックリ返るような騒動では無い気がします。 残りの3人はもっとびっくりな人なんでしょうかね、、、勤王、佐幕もしかしたら、第3の勢力か、、、 19:59 投稿者:izouさん [結社|Re: 土之絵多津夢物語 第三回] >kuonntui殿 左様ですな、正史とは若干異なりますが、驚天動地ということは無かろうかとおもいます。 海援隊と陸援隊を合わせたものは翔天隊ですな。 土佐勤王から流れきちょるものも多いですが、もしこのあたりで揉めてとあっても、いまとなっては小さき事です。 児島殿はなんぞ他にも、残しとりゃせんですかね、、、 そういえばユウタ殿が会おうとしていた、御仁は児島殿の関係者なのでしょうかな。 22:23 投稿者:ぐりん ◆sd0lCnDQZAさん [Re: 土之絵多津夢物語 第三回] >森の水さん いつもありがとうございます。修正しました。 わたしは「歴史苦手藩」なので、古い言い回し(?)も文章が思いつかなくて。。(いいわけ) これで「第三回」完成かな? 23:47 投稿者:ta_ka_mi_ya ◆6aDyaZ5AQ6さん [Re: 桧垣遊太君の足取り] このところファストフードやネカフェで休んだりしているが、それが幸いした! 店員や常連客から、桧垣君らしき青年が夜に何度か来ていた(宿代を浮かせるため?)という証言を得た。 さらに例の不審人物も何回か目撃されている!しかし「男だった」と言う人もいれば「女性だった」と記憶している人もいて…。 忠告をもらってから意識しすぎているのかもしれないが、俺も最近何者かの気配を感じないでもない。 >第3回を読み下したみなさん すごい発見だ!桧垣君は新聞から児島惟謙に見当をつけて、宇和島取材に来たのだろう(大村は趣味で?)。見えなかった線が少しずつ繋がっていく気がする! >ぐりんさん、izouさん、poly6さん、森の水さん 了解!挙げてもらった児島惟謙関連の史跡を調査してみる!明日に備えて今夜は宇和島名物のじゃこ天を食った。明日成果があれば、奮発して鯛めしに挑戦だ! 他のみなさんも、追加情報があれば教えてほしい! 23:54 投稿者:あさひなさん [Re: ユウタが入院!] はじめまして。教授の孫娘の事件以来、捜査フォーラムの方にお世話になっております、あさひなと申します。 桧垣氏が病院に運ばれてもう1週間になりますが、その後の経過はいかがでしょうか? 歴史の謎解きは詳しい方にお任せするとして、桧垣氏を襲った人物(組織)の目的がそれで達成されたかどうか分かりませんので、関係者の方々もどうかお気をつけて。 ---- ----