【名前】考えて分かったこと
【説明】
最強妄想スレを通して分かったことがある。
それは、何かを定めたり決めたりした時点で、それのさらに上の上の上の上の上・・・
または、それらを上に行かせないつまり超えさえないものさらにそれを破壊するものだのなんだの
さらにそれをも・・・・・・・みたいな感じで、
何かを定める・決めるという行為をしてしまうと、それを起点に様々なありとあらゆる無限の
事象を重ねることができてしまう。
それが一度に一つの事象だろうが一度に8000兆個の事象だろうが一度に無限個の事象だろうが
数はどうでもいいがとにかく何か一つを定める・決めるとそれを起点にありとあらゆる事象を乗っけることができる。
例えば、こういう感じにもなる。
何かAを定めるとする。
そうすると、Aを超えました。→Aを超えたものを超えました。→それをも超えました。→さらにそれをも超えました。
→それをも超えたものをも・・・という無限に繰り返されるものをも超えました。→こういう全ての連鎖を完全永久消滅させました。
→完全永久を解除して再び全てを創造しました。→創造された全てをまた完全永久消滅させました。→再び完全永久を解除して全てを創造しました。
→全ては等しくゴミカス未満の最下層で、最強とか最高と言ったものは存在しないということにします。→じゃあ、最終結論に至った最強は存在しないという真理が最強ということになります。
→その真理を超えるもの。→それをも超えるもの。→そもそもこういった連鎖が繰り返されることから、最強は存在しないと言ってるのだ。
→最強は存在する。→いや最強は存在しない。→いや最強は存在する。→最強は存在するまたは存在しないという事象が最強。
→それをも完全破壊して最強になりました。→そしてさらにそれをも完全破壊して最強になりました。→そしてさらにそれをも・・・という無限に繰り返される事象をも完全破壊して最強になりました。
→こうやって無限に続く連鎖こそが最強!→連鎖は続きません。→という感じで連鎖は続きます。→連鎖は続きません。→という感じで連鎖は続きます。
みたいな感じなのだが、ここで注目してもらいたいのが、
「全てがなんでもありの状態になってしまう」
ということである。
これはどういうことかと言うと、
最強を決めるにはなんでもありにして、極限・究極の状態にしてそこで最終的に炙り出されたものじゃないと
最強とは認められないという事に基づいた方法のことである。
なぜなら最強というからには、「絶対」でなければならないので、
決められた範囲内・ルール内での最強は到底最強とは認められないという考え方からきている。
しかし、そうすると、奇妙な事象が起こってしまう。
なんでもありにすると、なんでもありなので、「ルールに従わないとダメ」「決められた範囲・ルール内で最強を決めないとダメ」
「いやいや、そんなことをする必要はない。ルールや範囲などどうでもいい。とにかくなんでもありの状態にして最強を決めよう。」
「じゃあ「なんでもあり」」というが概念こそが最強なのでは?」
「なんでもありを完全破壊しました。」「というなんでもありの状態が続いています。」
「それをも完全破壊して最下層にしました。」「というなんでもありの状態が続いています。」
「続いていません。全ては終わりました。」「というなんでもありの状態が続いています。」
「じゃあ、
「終了」と「なんでもあり」この二つの概念が最強で良くね?」「終了&なんでもありを完全破壊しました。」
みたいな感じ。
要するに、なんでもありのやり方だと、なんでもありであるがゆえに、
全ての無限の何もかもを実行する・実行しない・実行するしない以外の何かまたはそれ以外の何かまたはそれ以外の何かまたはそれ以外の・・・・・・
という感じになるのである。
つまり、このやり方だとどんなものであろうと絶対に最終結論が出ない(←これに対しても当然、「結論が出ましたーーーーーーー!」
「その結論を完全破壊・・・・(ry」)みたいな感じでどこまでの続いてしまう。
最終結論が出ないという結論に対しても当然のことながらそれを起点になんでもありの事象を上乗せすることができてしまう。
(当然、これに対しても、「上乗せできませんーーーーーーーーーーー!」・・・みたいな感じで(ry
で、思ったのだが、だったら「そもそも特定の対象を指定しない」とか「特定の対象を決めたり定めたり考えたり意識したり感知したりしない」
「特定の対象に捉われたり執着したりしない」というのが最強になるのでは?
と思った。
もちろんこれらに対しても「「もそも特定の対象を指定しない」や「特定の対象を決めたり定めたり考えたり意識したり感知したりしない」
や「特定の対象に捉われたり執着したりしない」などを最低ランクにする。→そして・・・(ry
みたいな感じでどこまでも無限に続くのは言うまでもないが、
それはあくまでもそれらを表現した場合の話である。
我々は、誰かに自分の考えを伝えるためには、言葉にしたり文字などを使ったりして
表現しなければならない
なので、今回もそうせざるをえなかっただけであり、それら伝えたものが自分が今回伝えたかったキャラということではない
どういうことかと言うとまず先に言っておくと、
何かを定めたり決めたりどころかほんの少しでも思考・感知してしまった時点で
それらを起点になんでもありの無限ぐちゃぐちゃ状態が永遠に続いてしまう。
(当然、これらについても・・・・(ry)というのは今回でやめておきます。)
しかし、我々は相手に何かを伝える場合言語や文字などの何かしらの手段で
表現する必要があるため、必然的にこうやって文字にしたりして伝えざるをえない
少なくともこのスレに参加するためには絶対にそうするしかない
だからこうやって結果として文字にして表現しているだけだって、
これら文字で表現された全ては本来はまさに「無」なのである。
だから、このキャラというか考えを所謂このスレで言うところの「記述可能な強さ」として認定するのはもちろん間違いである。
当然のことながらこれは記述可能な強さではない。
さっきも言ったが、これら全てはあくまで相手に自分の考えを伝えるために
「強いて」こうやって「表現せざるおえない」からそうしているだけなのである。
所謂、このスレで言うところの「強すぎて表現する必要すらない」というキャラも
「強すぎて表現する必要すらない」と表現しなければならないというか表現せざるおえないのは
このスレを見ている人たちに伝えるためにはそうするしかないから仕方がないのと同じことである。
何が言いたいのかと言うと、結論としては今回参戦させるキャラは、
「無(※ここで言う無とは全てが無いということではなくて、「特定の対象を(に)指定しない・決めない・定めない、
考えない・意識しない・感知しない・執着しない・捉われない」)」と、
「どうでもいい、どうなってもいい、どれでもいい、なんでもいい、なんでもあり、自由自在」
である。
言うまでもなくこれらそのものが最強と言っているのである。
つまり、これら自体が最強なので、これらを外部から認識してそれらについてほんの1ミリでも感知してしまった時点で先程のように
無限にイタチごっこやぐちゃぐちゃ状態が続いてしまう。
例えば、「どうなってもいい」ということは「最弱になってもいい」ということも意味してしまい、
到底最強とは言えないのでは?と思う人もいるかと思うがそれは間違いである。
なぜならそれはさっきも言ったように、あくまで外部からそれを俯瞰して
それで中身の無い単なる子供のお遊びをしているだけだからである。
もう一度言うが、それ自体が最強ということである。
つまり、実際にそのような心境そのものをも指すわけであって、
その心境について外部から様々な考察をするということではないのである。
「どうでもいい」「どうなってもいい」などの概念を外部から俯瞰して考察してしまうと、
先ほども言ったようにわけのわからない無限の状態がどこまでも繰り返されてしまうだけだが、
その心境自体に自分自身がなっている時というのはありとあらゆるものの中で唯一そこから脱出することができる。
ゆえに、「無(※ここで言う無とは全てが無いということではなくて、「特定の対象を(に)指定しない・決めない・定めない、
考えない・意識しない・感知しない・執着しない・捉われない」)」と、
「どうでもいい、どうなってもいい、どれでもいい、なんでもいい、なんでもあり、自由自在」
は、まさしく最強と言えるのである。
最後に、「外部から俯瞰してしまうことにより、わけのわからない状態が無限に続いてしまうということなのであれば、
それら全て自体つまり「全」を最強にすれば良いのでは?」
という意見もあるかもしれないが、それも間違いである。
それをしたら同様に、「「全」を超えましたーーーーーーー。」「さらに・・・・(ry」
と続くだけだからである。
419格無しさん2023/06/02(金) 15:58:07.01ID:D1vnuRRN
考えて分かったこと考察
"「最強」というのはこういうことなんですよ。"とか"最強とはどういうことか?その答えが今ここに!"を思い出して懐かしくなった(恐らく同作者だと思うけど)
テンプレを要約すると大体「何かを決定するとそれ
より上の何かが無限にできる、その様なやり方だと最強は決定しない、一方、このキャラはどうでもいいので最強である」みたいな主張。
前のキャラと違って、察不能になりそうな所は特に無さそうだし
何が言いたいのかと言うと、結論としては今回参戦させるキャラは、
(省略)
である。
からこのキャラがそうである事や参戦する事が分かるので参戦不能には(多分)ならないだろう
「何かを決定するとそれより上の何かが無限にできる、その様なやり方だと最強は決定しない、一方、このキャラはどうでもいいので最強である」みたいな主張は納得はできるので、もっと具体的であれば最上層にも行けていただろうが、残念ながら具体的でないのでこのスレ的には「全ての設定」
レベル
メタ勝利の壁から
勝つ小林=考えて分かったこと>オンリーワン
0138格無しさん
2023/09/28(木) 13:49:34.45ID:BsRtSFtA
考えて分かったこと再考察
何かAを定めるとする。
そうすると、Aを超えました。→Aを超えたものを超えました。→それをも超えました。→さらにそれをも超えました。
→それをも超えたものをも・・・という無限に繰り返されるものをも超えました。→こういう全ての連鎖を完全永久消滅させました。
→完全永久を解除して再び全てを創造しました。→創造された全てをまた完全永久消滅させました。→再び完全永久を解除して全てを創造しました。
「全てを超えている」とかでも素早さは取れた筈なので取れるとする
となると、「全ての設定を超えている」レベルの強さ
同じような強さなのでカント主義者と同列。
0159◆z1qWXXpLbtDS
2023/10/01(日) 17:07:28.27ID:2MBo/Msr
考えて分かったこと 再考察
このキャラ自身は何かより強いとか何かに勝てるとかそういったことは主張していない。何故なら何かと比較した時点でいたちごっこが始まるから。
言うまでもなくこれらそのものが最強と言っているのである。
つまり、これら自体が最強なので、これらを外部から認識してそれらについてほんの1ミリでも感知してしまった時点で先程のように
無限にイタチごっこやぐちゃぐちゃ状態が続いてしまう。
最強を再定義しているので、最強であるというだけでそれを根拠に他のキャラに勝てるとは言えない気がする。
その心境について外部から様々な考察をするということではないのである。
も補強。このキャラに対して考察をすることは最強の証明ではない。
このキャラについて感知してしまった時点でこのキャラの主張する「最強」である心境は失われてしまう。妄想スレは
ランキングの決定方法上言葉としてキャラを感知して比較せざるをえない。
テンプレでも実際に考察をそのような行為として考察での勝利を目指すキャラの非最強性を主張している。
外部から認識するものではないので考察不能ではなかろうか。
ちなみに、言語化した時点で純性を失う概念は
まだ夢見がちなお年頃の無が似たことを書いている。
最終更新:2023年10月04日 23:43