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こころひとつ 1ー6

 オーウェルは低くうめいて、布団をはねのけた。横では何も知らないブランドルとバグシーが、低く寝息を立てている。背中は汗でじっとりとし、喉がカラカラになっていた。まだ寝入ってから二時間ほどしか経っていないのに、永遠にも等しいような悪夢の中に、オーウェルはさらされていた。
(久しぶりだな、この夢は……)
 喉が渇いて、とてもではないが眠れる気がしない。上着だけを羽織り、部屋を出た。
 雨は相変わらず、音が聞こえるほど降り続いていた。この分だと、レナリア台地に向かう道には、土砂崩れが起こっているかも知れない。先を急ぐディリータとラムザにとっては死活問題だが、決断に迷う一行のためには、ちょうど良いのかも知れなかった。
 オーウェルは宿の裏にある井戸に向かった。暗がりにある井戸の水はいつも冷たく、彼の今の渇きを癒すには、格好の場所に思えた。
 井戸へと繋がる扉は、わずかに開いていた。誰かが出入りしたのか、雨が室内に吹き込んでいる。オーウェルは傘も差さずに、走った。井戸の所は東屋になっていて屋根がある。そこまで行けば、傘は要らない。
 想像通りと言うべきか、井戸には先客がいた。オーウェルは最初、エリーだと思った。しかし、雨の音に混じって微かに聞こえる、「こくこく」という水を飲む音は、エリーのような大ざっぱな人が、夜中の渇きを癒すにはふさわしくない、おとなしすぎる音だった。
「またお前か、お嬢様」
 桶から小さな両手で水をすくい、喉に流し込んでいたのは、サマンサである。オーウェルはその前から桶を奪うと、井戸の中に降ろし、たっぷりとくみ上げた。
「オーウェルさん? 何してるんですか、こんな時間に」
 それはオレの台詞だ、と言いかけたが、面倒くさいので黙殺し、桶から直接口に水を注いだ。水は思った通りの冷たさで、渇ききったのどに染み渡る。
「お嬢様は、お部屋のデキャンタに汲んである水を飲むんじゃないのか?」
「……その、お嬢様っていうの、止めて下さい。私だって、士官候補生です。みなさんと同じなんです」
 仲間を「みなさん」なんて呼ぶのは充分お嬢様だ。サマンサは、芯からそのことに気付いていない。
「何してんだ、お前。自分であんなこと言っておいて、眠れないのか?」
 サマンサはその問いに、唇をきゅっと結び、拳を握った。世間知らずで、気が弱いように見えて、芯は強い。寝る前のやりとりくらいから、オーウェルは何となく、それに気づき始めていた。自分が言ったことに、少しだけ後悔しているのを悟られたくないのだろう。
「オーウェルさんも、来て下さい。お願いします」
 オーウェルの問いには答えず、サマンサは深々と頭を下げた。身に着けたローブの頭巾がふわりと舞い、洗いざらしの心地よい匂いが、オーウェルの鼻をつく。
「……まだ、返事はできん」
「明日の朝には決めなくちゃいけないんですよ。ティータちゃんだって、いつまで無事か分からない……」
 粘るな、とオーウェルは少しだけ感心した。上流貴族なんてのは、普段は威張りくさっていても、自分が少しおどかし、一睨みすれば、すぐに折れるものだと思っていた。中流貴族であるエリーたちでさえ、一度はそれで折れかけたのに、サマンサは折れない。
「じゃあお前、今からオレと寝るか?」
 顔を上げたサマンサが、瞳をぱちぱちさせる。オーウェルの言ったことが、とっさには理解できていない。
「お前がオレと寝るなら行ってやっても良い、って言ったらどうする?」
 サマンサは、本当に意味を理解していないようだった。「寝る」という語が意味する所など、十六歳にもなればとうに理解していそうなものだが、彼女はただ、「そんなことで良いのか」といった顔つきで目をぱちくりさせるだけである。
「何処かの部屋で、オーウェルさんと朝まで一緒にいればいいんですか?」
 オーウェルはよっぽど、露骨な単語を使ってやろうかと思ったが、もしかするとそれすら意味がないかも知れない。そう思うと、目の前の女を折れさせようとする気概が、潮が引くように冷めていった。
「馬鹿なこと言って悪かった。今のは忘れろ」
 そう言い捨てて、井戸を後にしようとするオーウェルの上着の裾を、小さな手がつかんだ。
「……私だって、男の人と女の人が朝まで一緒にいたらどうなるかくらい、分かってます」
 その時、雨が一段と激しさを増し、地面を叩く轟音が、二人の息づかいさえもかき消すほどになった。
 オーウェルは上着に入れた煙草を取り出した。同時にマッチも出そうとしたが、雨で湿気てしまっている。別に今すぐに煙草を吸わなければいけない理由などはなかったが、雨が激しすぎて動けず、間を持たせるにはそれしかなかった。
「どうぞ」
 思いがけない所から火が現れた。サマンサが指先に炎を灯し、オーウェルに差し出す。オーウェルはとりあえず、素直に受けることにした。
「白魔法のお勉強しかしてないと思ってたがな、お嬢様」
「私もそのつもりでしたけど、足手まといにならないようにと思って、ブランドルさんに少しだけ教えてもらったんです」
 それにしても、指先だけに魔力を集めて小範囲で黒魔法を放つというのは、高等技術だ。「少しだけ教えてもらった」程度で会得できる技術ではない。
「オーウェルさんだって、もうチャクラとか蘇生とか、卒業年度にマスターするようなことができるんでしょ。エリーが悔しがってました。『私はまだまだだー』って」
 エリーには「さん」を付けないのか、と、どうでも良いことがオーウェルには気になった。核心を外した会話は、長くは続かない。雨の音しか聞こえない時間が、すぐに戻ってきてしまう。
 ふかした紫煙が、雨にけぶる。二人に何をさせたいのか、雨脚は強まるばかりである。
「おさまりませんね……」
「そうだな……」
 二人は、少しだけ距離を置いていた。オーウェルは、さっきのサマンサの言葉が頭から離れない。もしかして、初めてじゃないのか。そんな下世話な妄想さえ、脳内を駆けめぐる。
「脱走に、何かあったんですか?」
 何もない所から突然核心を突くことができるのは、お嬢様育ちのなせる技なのか。或いは、単に空気が読めないだけなのか。饒舌になったサマンサは、遠慮を知らない。
「ご、ごめんなさい。でも、私はバカで、本当に何も知らないから……。自分の言ったことが軽はずみなのかどうかも、分からないんです」
 オーウェルは、すんでの所でサマンサの胸ぐらにつかみかかってしまう所だった。相手がサマンサでなければ、おそらくはそうしていただろう。
「……バカなら、許されるってのか?」
 穏やかで、かつ冷酷ではない口調。言葉は嘘を吐けない。心情が自然と、口から流れ出るようにこぼれる。
「そうだ、お前は許される。突拍子もない発言も、戦いで気を失うことも、脱走も。何もかも許されるんだ。じゃあ、何でアイツは許されなかった? アイツはバカで、突然訳の分からないこと言い出して、その上弱くて、それでも許されなかった。何故なんだ? 何故なんだよ!」
 サマンサには無論、アイツ、が誰を指すかなどは知る由もない。言いながら、雨の中に走り出したオーウェルの頬に伝うものが何なのかも、雨に混じってしまって、やはり、知る由もない。そのまま彼は終ぞ後ろを振り返ることなく、雨の中に消えていった。

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最終更新:2009年07月05日 02:28