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こころひとつ 2-4

 二人が赴いた酒場は、「スラムの酒場」という評価しか付けられない、最低ランクのスタンドバーだった。オーウェルはそうでもないが、明らかに毛並みの違うサマンサの登場に、酒場全体が一瞬、妙な空気に包まれる。さすがのサマンサもその空気は察したらしく、びくりと身体をちぢこませた。
「怖いんなら帰れ、お嬢様」
「……一人で帰る方が、ずっと怖いから、いいです」
 二人はカウンターの端に陣取った。オーウェルの酒に続き、サマンサがミルクを注文すると、マスターらしき男が鼻で嗤った。
「お嬢ちゃん、うちには酒と水しかねーんだがな」
 フロアからの嘲笑の中で、サマンサは赤面しながら、出された水を飲み干した。お世辞にも、旨い水とは言えず、わずかに咳き込んでしまう。
「だから帰れっつったんだ、お嬢様」
 サマンサはそれを無視して、今度は酒を頼んだ。安いバーボンか何かに、更に適当な酒を混ぜ、水で薄めただけのアルコール。それを口にした瞬間、先程の水以上に咳き込んだ。
「だから……」
「……オーウェルさん、やっぱり、私の言った通りでしたね」
 言った通りとはもちろん、オーウェルがジークデン砦でアルガスに対してした行為を指している。もう酔っているのか、いつになく、強気な口調だ。
「うっせえ。約束は守っただろうが」
 そう言って、オーウェルは安酒を一気に喉に流し込む。
「おい、オヤジ。薄めすぎだっつっただろ。もっと濃いの出せ、濃いの」
 以前、エルムドア侯爵奪還任務の時、一行はドーターに一泊したことがあったが、その時もオーウェルはここに来ていたらしく、マスターもどうやら彼を覚えているようだった。苦々しい顔で、ほとんど水を入れずに次のグラスを差し出した。
「……許せなかったんだよ、何でかは知らねえけどよ」
 グラスを傾けながら、一瞬深刻な目になって、呟いた。サマンサもグラスを置き、オーウェルを見つめた。
「何が、ですか?」
「だから、何でかは分かんねえっつっただろ」
 サマンサは小さく笑い、上唇になすりつけた程度の酒を口に含み、また少し咳き込んだ。
「でも、許せなかったら、すぐに殺すんじゃなかったんですか?」
 酔っているのだろう。殺す、などという、普段はおよそ口にしない言葉も、平気で口走るようになっている。
「呑みすぎだ、バカ」
「まだ一杯も飲みきってません!」
 ぴしゃりと人を遮るような話し方は、敬体と常体の違いはあれど、まるでいつものオーウェルをなぞっているようだ。
「私は、分かってましたよ。オーウェルさんは、そんなことできる人じゃないって」
 確かに、アルガスを前にして、彼は「べらべら喋」ってしまった。彼自身、戦いの後のゴタゴタでそれを考える間もなかったが、以前の彼なら、問答無用で殺していたはずだ。事実彼は、かつての骸旅団殲滅作戦の中では、目の前の敵を、冷酷に始末していた。そのどちらが彼の真実の姿かは、今は、サマンサだけが知っている。
「クズって言われたことが、許せなかったんですか?」
 それはない、とオーウェルは思った。戦いの最中にも思ったことだが、自分が罵られることに対しては何も感じず、ラムザやディリータがそういう評価を受けたことも、ある面では真実であったからだ。たとえそれが、ラムザたちにとっては真実でなくとも、アルガスにとっては紛れもない真理だったのである。オーウェルはそれを、充分に分かっていた、
 酒だけが、二人の間で進んでいく。サマンサはまだ、一杯目を飲み干してはいなかったが、すっかり酔いが回ってしまっている。一方のオーウェルは、既に七杯目に突入していた。酔いは回らず、ただ頭に鈍痛だけが増していく。彼は、損なタイプの酒豪だった。
「お酒って美味ひいれすね、オーウェルしゃん」
 オーウェルは顔を歪めた。一体この女は何がしたいんだ。世間知らずでバカで、自分の身の程さえもわきまえていない。ラムザの方がよっぽどマシだと思えた。
「そんなに薄い酒で、そんなに酔うか、普通」
「酔うって、今の私みたいなことれしか? じゃあ、私、酔ってまし!」
 そう言って、サマンサは声を上げて笑った。深刻な話をするために、付いて来たんじゃなかったのか。オーウェルは呆れたまま、八杯目を頼んだ。
「オ、オーウェルしゃん。そんなに呑んだら、だめれしよ。帰れらくなっひゃいましよ」
「……お前、もう黙れ」
「えへへ。ごめんなしゃい」
 いつから、自分は酔えなくなった。いつから自分にとって酒は、ただの暇つぶしとストレスのはけ口になった。そんな自問自答を繰り返している内に、八杯目もすぐに底をつく。仕方なく、お代わりを繰り返した。
 その時、三人組の酔客が、二人に近づいてきた。
「よう、兄ちゃん。可愛い女の子と一緒に呑んでるじゃないの。オレたちも混ぜてくれよ」
「いー匂いがすると思ったら、可愛い白魔道士さんじゃないの。いいねー、貴族の白魔道士なんてのは」
 三人組の一人が、サマンサの肩に手をかける。酔いすぎて、足下もおぼつかなくなりつつあるサマンサの身体のバランスは崩れ、男たちの方に倒れかかりそうになった。
「おお、柔らかい。やっぱり違うな、貴族ってのは」
「だ、だめれすよ……私はそんな……」
 そこで、サマンサを無理矢理引っ張ろうとする男の額で、安酒の入ったグラスが弾けた。
「痛え! 何しやがんだ、この野郎!」
「……オレの女に触んじゃねえ、ブタ野郎どもがよ」
 底の見えない、深い闇をたたえた目が、酔客をにらみつけた。貴族にも平民にも出来ない、日陰者として生きてきた男の凍り付くような目に、三人組がたじろぐ。なおもオーウェルは、睨み続けた。
「帰るぞ、お嬢様……」
 オーウェルは男からサマンサを引きはがし、手を引いて店を出た。男たちはうらめしそうな視線を送ったが、オーウェルの恐怖を知ってしまった彼らに、それ以上、できることはなかった。
 サマンサは案の定足がもつれ、まともに歩くことさえできなかった。何度も足を引きずる彼女に、オーウェルがキレた。
「自分で呑んで、歩けねえ奴なんざ、置いていくからな」
 そんなオーウェルを小馬鹿にしたように、サマンサは笑った。
「オーウェルしゃんはそんなことしませんよーだ。連れれ帰ってくれるの、分かってますからねー」
 一度はサマンサを路上に放置して歩き出したオーウェルだったが、すぐに戻り、彼女の身体を背負い上げた。
「ねー、言った通りでしょ?」
 多少酒臭くとも、純白のローブ越しに感じる肌の柔らかさは、やはり、紛れもなく上流階級のそれだった。
「ねえ、オーウェルしゃん……」
「どうした?」
「さっき、私のこと、『オレの女』って言いましたよね? 私、ちゃんと聞いてましたよー」
 オーウェルは足を止めた。
「私、オーウェルしゃんの恋人になったんれすね。ふふふふ、うれしいなー」
「方便に決まってんだろうが、おめでたいお嬢様よ。オレも、酔ってたんだよ」
 オーウェルの後頭部が、平手でぺちぺちと叩かれた。痛くはないが、うっとうしいことこの上ない。さりとて、止めるために片方の手を放せば、それだけサマンサの身体はずり落ちてしまう。
「前から言ってますけどねー、そのお嬢様っていうの、いい加減に止めてくだしゃい」
「酒に呑まれてるような半人前に『様』付けてやってるだけありがたいと思え、お嬢様」
「むー、また言うー」
「一人前になったら、名前で呼んでやる、半人前」
「あ、言いましたねー。約束れしよー。オーウェルしゃんは約束守る人ですから、私がんばっちゃいまーす!」
 埒があかないと判断したオーウェルはそこで話を一方的に打ち切り、いつもの大股で宿への歩を進めた。サマンサは背中で「オーウェルしゃんは、自分が負ける約束ばっかりする人れすねー」などと呟きながら、悦に入っている。

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最終更新:2009年07月23日 22:44