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こころひとつ 2-5

 宿に入って、オーウェルはとんでもないことに気付いた。一体、背中に背負っているこの酔っぱらいをどうすれば良いのか、ということである。廊下で降ろしたら、そのまま眠り込んでしまいそうだ。かと言って、部屋まで連れて行こうものなら、エリーに何を言われるか分かったものではない。まだそれほど遅い時間になっていなかったこともあったので、フロントに向かった。
「おい、一人部屋をもう一つもらえるか?」
 スラムの少年がアルバイトでしているだけの、深夜のフロントマンは面倒くさそうに宿帳を繰り、一通り見終わった所で、卑屈な笑みを浮かべた。
「あー、ダブルが三部屋残ってるだけで、一人部屋はもうないね」
「ちっ、分かった、じゃあダブルで良い」
「あいよー。良かったねー、お兄さん。そのコと寝る良い口実ができたじゃん」
 少年が差し出した鍵を引ったくるように奪い、街で会ったら殺すぞ、と付け加えた。
 無論オーウェルは、ダブルでサマンサと寝る気などはさらさらない。二人分の料金は痛いが、さっさとサマンサを置いて、自分はバグシーたちとの三人部屋に戻る気でいる。しかし、当のサマンサがなかなかオーウェルから降りようとしない。
「いやれすよー。らって、オーウェルしゃんの背中は、ほどよく固くて、暖かくて、寝心地がすごくいいんれすー」
「はあ?」
「だからですね、エリーの背中はやらかくて、ふわふわしてて、あれはあれれ気持ちいいんれすけど、私ね、ベッドは固い方が好きなんれすよー。だかられすね、えっとね……」
 オーウェルは、半ば強引にサマンサの腕を自分の肩から外し、ベッドの上にその身体を横たわらせた。安宿のベッド特有の、固いスプリングがぎしっと音を立て、華奢なサマンサの身体を受け止めた。
「いやれすよー。朝まで一緒にいてくれなきゃ、いやれすー」
 ベッドに乗せられてもなお、駄々っ子のようにごね回るサマンサには、いつもの令嬢の面影は微塵もない。置き去りにしようとしたオーウェルだったが、あまり騒がれては、他の宿泊客や仲間たちまで起こしかねない。仕方なくオーウェルは、ダブルベッドの反対側に腰を下ろした。
「さっさと寝ろ、酔っ払い」
「へへ、やったー。オーウェルしゃんが一緒に寝てくれるー」
 そんなおめでたい考え方に乗るほど、オーウェルは甘くない。サマンサには完全に背を向けたまま、ベッドに腰掛け、煙草に火を点けた。今度は、マッチは湿気ていなかった。
 サマンサが寝息を立て始めたら、すぐにでも失敬しようと、オーウェルは背後に聞き耳を立てる。しかし、五分経っても十分経っても、一向に寝息は聞こえてこない。絶対に振り向かないつもりだったオーウェルも、とうとうしびれを切らし、少しだけ後ろの様子を窺った。
 サマンサは、何かに耐えるように、掛け布団の端を強く握りしめていた。ほとんど月もない夜で、もちろんランプも灯っていない部屋だったが、オーウェルの目にははっきりとそれが見えた。酔いのせいなのか、握りしめた拳はかすかに震えている。時折布団から顔を出し、拳と拳の間にある布団の端を噛んでいる。オーウェルはしばらく、その様子を黙って見つめていた。
「……もっと、近くに来て下さい」
 言葉遣いは、いつの間にか普通に戻っていた。さきほどの泥酔ぶりが、全て演技に見えてしまうほど、はっきりと、落ち着いた口調だった。オーウェルがその言葉を黙殺しようとすると、彼女の方から少しずつオーウェルの方に這い寄り、とうとう彼のズボンを片手でつかんだ。
「こわかったの……」
 酔っていても敬語だけは崩さなかったサマンサが、初めて、オーウェルに対して普通の言葉で話した。さすがのオーウェルも面くらい、驚きの表情で自分の真下まで来たサマンサを見下ろした。
「こわかったの、こわかったの、こわかったの」
 以前オーウェルは、レナリア台地でキャンプを張った際、サマンサ自身の口から「怖かった」という言葉を聞いた。確かにその時、その言葉に嘘はなかったのだろうが、今聞いている「こわかった」は、明らかにその時とは違う。サマンサもまた、この時初めて仲間に対して自分の心根をさらしたのかも知れなかった。
「あの日から、独りでは眠れない。いつもは、エリーに抱きしめてもらって寝てる。誰かが近くにいないと眠れない。こわいの、こわいの」
 オーウェルは、ズボンを握りしめている手をほどき、自らの両手で包み込んだ。本当は、横に寝て抱きしめてあげれば理想的で、そうすれば彼女の震えも容易に止まってしまうのだろうが、そこまでする勇気は、まだオーウェルにはない。
「オーウェルさんの手、固くておっきくて、すごく安心する。これで、今夜も寝られる……」
 次の瞬間、もうサマンサは低く寝息を立て始めていた。オーウェルには、ここで手をほどき、部屋を後にすることは簡単だったが、何故か、止めておくことにした。彼はそのまま、近くの文机に備え付けられた椅子を慎重に引き寄せ、手がほどけないように細心の注意を払いながら、そちらに身を移した。そのまま椅子の背もたれに体重を預けると、彼もすぐに、眠りに落ちた。

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最終更新:2009年07月23日 22:45